田中くんと時かけの魔女 -詐欺師 vs チート使い-

サン シカ

田中くんと時かけの魔女

「どんな方法でもいい。相手に負けを認めさせたら1000万やる」

 もしそんなバイトがあったらあなたは飛びつくだろうか?

 JKにして時任家17代め当主・時任ときとう可呼かこは、その相手、、とやらが通う友引高校校門前に舞い立った。


「君、ちょっと止まれ」

「む?」

 呼び止めたのは竹刀しないを肩に担いだ体育教師だった。

「なんだそのスカート丈は!」

「なにか問題が?」

「長過ぎるッ!」

 学校指定の制服だがたしかに長かった。足首がギリギリ見えるかというところ。

「こういうのは普通、短いやつをとがめるのでは?」

「さては不良だな!」

「違う違う」

「後で職員室に来い。反省文だ」

 重いため息が出た。早々変なのに絡まれたものだ。校則違反というならむしろ"帽子"のほうだろうに。

 すると女生徒が二人、とてとてと駆けてきた。

「かっこいい帽子! コスプレかな」

「それよ、その反応じゃ」

「えっ?」

「コスプレではない。普段着じゃ」

 この答が大層気に入ったらしく、マンガ研究会所属という二人はぎゃあぎゃあと騒ぎだし、「写真撮りたい! スマホ持ってくるから待ってて!」と猛ダッシュで行ってしまったのだが、よくよく見れば地面にそのスマホが転がっていた。

「これ、おまえたち――」

 既に二人の姿はなかった。

 息を吐く。

 大きな大きなひさしのついたとんがり帽と、黒いブレザーにマキシ丈のプリーツスカート。

 魔女のコスプレに見えるかもしれないが、とんがり帽もロングスカートもただの日除け。夏の必需品、紫外線対策というやつだ。ただこのぴちぴち肌の10年後をうれいただけのこと。

 キィーンと威勢のいい音がした。

 晴天を振り仰げば野球のボールが可呼の頭上を通過して、美しい放物線を描きながら先の体育教師の脳天に直撃した。

「やっべ!」

 校庭で遊んでいた男子たちがざわめく。見ると般若はんにゃ面構つらがまえをした体育教師が肩を怒らせながらやってくるではないか。

「サイアクだ、体育の日下部じゃん! あいつの説教長ぇぞー」

「む」

 非常に気になる発言をしたいがぐり、、、、男子に声をかけた。

「もし、ちょっとよいか」

「えっと、誰? 転校生?」

「説教が長いと?」

「え、あぁ……2時間コースかなと」

 2時間。120分。7200秒。

 カップラーメンが何個ぶんかと考えていると、横で男子たちが日下部教師にグーで殴られていた。

 豊富な緑に囲まれた山間の高校。

 セミを筆頭とする有象無象の虫たちが大合唱し、真っ青な空を突き通ってくる夏の直射日光の下で、一粒の汗が可///「君、ちょっと止まれ」

「む?」

 呼び止めたのは竹刀しないを肩に担いだ体育教師だった。

「なんだそのスカートの丈は!」

「なにか問題が?」

「短か過ぎ――いや、行ってよし」

 早々変なのに絡まれたものだ。校則違反というならむしろ"帽子"のほうだろうに。

 すると女生徒が二人、とてとてと駆けてきた。

「かっこいい帽子! コスプレかな」

「それよ、その反応じゃ」

「えっ?」

「普段着じゃ」

 マンガ研究会所属という二人はぎゃあぎゃあと騒ぎだし、「スマホ持ってくるから待ってて!」と猛ダッシュで――

「待て待て」

「へっ?」

「スマホならそこに落ちとるぞ」

「本当だっ。ありがとう!」

「いやいや。撮影は手短に頼む」

 女子らに手をヒラヒラ振りながらもう片方の手で帽子を取り、勢いをつけて頭上に放り投げた。すると飛んできた白球がきれいにとんがり帽の中に収まって落ちた。

「それ、ボールじゃ」

「さ、サンキュ。えっと、誰? 転校生?」

「クサカベ教師は説教が長いのじゃろ」

「そうだけど……えぇ⁉」

「球遊びもほどほどにの」



*



「別にカネが目当てではないのじゃ」

 時任可呼はこの破格なバイトの面接官に涼しい顔で語った。

「1000万円ゲットの自信がおありで?」

わしに限って"予測不能"はない。世に起こるすべては儂にとっては二度め、、、なのじゃ。ゆえにこのバイトはどこぞの酔狂すいきょうな金持ちが、この可呼ちゃんに1000万を渡す口実のために作られたに等しい」

「酔狂。ええ、たしかに」

「ウーバーでチキンナゲットを頼んでもよいか? 小腹が空いたわ」

贅沢ぜいたくですね」

「贅沢だろうとも。庶民の味方ナゲットをわざわざ送料払って持ってこさせるわけよの。これはもう神の遊びじゃ。胸が躍らんか?」

「チップを払うとアツアツを届けてくれますよ?」

「払おうとも」

「もう1000万手に入れたおつもりで?」

「いやいや。カネが目当てではないぞ」

 笑いながら、ふと時任可呼はとんがり魔女帽の奥の目を細めた。

「――儂に詐欺さぎは通用せん。心せよ」

「ちゃんと1000万お渡ししますよ」

 男はテーブルに札束を積んで見せた。

「なにが狙いじゃ?」

「狙い?」

「"どんなことでも負けを認めさせたら1000万"? 個人的怨恨えんこんにしては大げさ過ぎる。酔狂にしては無駄遣いに過ぎる」

「そうですね」

ターゲットの男、、、、、、、にその価値がある、と?」

「さあ」

「まあよいわ。おまえのその含み笑いもくり返せば、、、、、タネも割れる」

「おっしゃる通り、あなたが適任のようだ」

「儂を知っておるのか?」

「もちろん。時任トキトーの秘術の継承者」

「勉強家じゃな」

「通称――時かけの魔女」




 ひと学年が教室一つにまるっと収まる田舎の学校にとって、可呼の転入はお祭り騒ぎだった。

 実年齢を二つサバ読みしたことに関しては、"都会っぽい大人な雰囲気"と曲解してくれたようだ。

 なぜか担任だけがシブ柿を食ったように顔を引きつらせているが。

「時任、その帽子はなんだ」

「アイデンティティーというやつじゃ。気にするな」

「教室では帽子を取れ」

「アイデンティティーというやつじゃ。気にするな」

「目上の人間への口のきき方もアイデンティティーというやつか?」

呵々カカッ。こりゃ一本取られた」

「また変なのが俺のクラスに……」

「どうした先生? 悩み事か」

「これだけ言っておく。いいか? 絶対に問題は起こすな! つつましく生きろ!」

「こ……心得た」

 最近嫌なことでもあったのか。鬼気迫る表情だった。

「それでいい。じゃあ席だが――」

 可呼はそこで初めて"ターゲットの男"に視線を投げた。

「田中の隣が空いてるな」

 両足を机の上に放りだして座る不遜ふそんな男子は、細く吊り上がった目が特徴的だ。

「やあご同輩。時任可呼じゃ。カコちゃんと呼ぶがよい」

 田中という男子は黙って可呼を見つめていた。

「全部わかった」

 男が唐突に言った。

「わかった? なにがじゃ」

「魔女みたいな帽子、とって、、、つけた、、、ような、、、話し方、、、。マンガ好きな俺でもおまえが誰になりきってんのか知らねえけどよ。田舎で一発カマしてやろうと思ったんだろ。わかるぜ。二度めの高校デビューは失敗できねえよな?」

「失敬な。しゃべりは自前じゃ」

「イジられたくらいじゃ設定は崩さねえと。根性あるよ。いいメンタルだ。でも田舎いなかをナメないほうがいいぜ。情報は一日で駆け巡る。明日にはここらの全員がおまえを"痛いコスプレ女"と陰口叩くだろうな。で、おまえはこう思うんだ。"高校デビュー失敗した! やり直したい!" だが残念なことに、もう遅ーんだなぁ」

「儂を"痛いコスプレ女"と言ったか?」


 まるで口が身体を背負って立っているような男だった。この男に"参った"と言わせたら1000万?

 可呼は田中がそうしたように、上から下までじぃっと彼を観察した。

 チンピラのような目。スプレーで整えられた黒髪。黒いTシャツにかかる金のネックレス。

 もしこの男がテレビドラマの画面に映ったら、主人公の正義をいろど端役モブとして早々に退場するだろう。もしくは「ひでぶ」と絶叫しながら爆散するだろう。

「ふむ」

 可呼はぐぐっと田中に顔を近づけた。

「ナンだよ? 文句でも――」

 そのまま唇を田中の唇に重ねた。


 教室の空気が凍りついた。

 誰もがポカンと口を開けてはじめてのチュウを見ていた。

「なっ、なにしやがる⁉」

 田中はイスから転げ落ちて右手で唇を何度もぬぐう。

初心うぶな反応よ。女の扱いに慣れておらんな」

 そのまま倒れた田中をまたぎ、短いスカートのすそを指で持ち上げた。

「感想は?」

「イカレてんのか」

「儂の下着を見た感想はと聞いておる」

「コスプレの上に露出狂かよ」

「どうじゃ田中。都会のオンナは好みか?」

「なんだ、俺に惚れてんのか」

「テンプレな反応じゃ。つまらん」

 "色じかけ ×"と脳内メモに書きつけた。たいていのアホ男はこれでオチるのだが。

 可呼のあしを押しのけ田中は起き上が///メないほうがいい。情報は一日で駆け巡る。明日にはここらの全員がおまえを"痛いコスプレ女"と陰口叩くだろうな。で、おまえはこう思うんだ。"高校デビュー失敗した! やり直したい!" だが残念なことに、もう遅ーんだなぁ」

「見せ損じゃった」

「あ?」

「ふむ。ちょっとカバン見せてみい」

 ふんぞり返った姿勢の田中は、胸をトンと押してやれば簡単にイスごと倒れた。その隙に彼のカバンを物色し、教科書やノートの類を探った。

「なにしやがる⁉」

 赤点ギリギリのテスト答案。一文字も書かれていないノート。可呼は目を半分にして田中を見下ろした。

「勉強は苦手か?」

「はぁ⁉」

「"おざなり"と"なおざり"の違いは?」

「クレイジーめ」

「2¹⁴は?」

「そんなもんなんの役に立つ? 謎のマウント取んなだァほが」

 "テスト勝負 楽勝"と脳内メモに加えた。

 ただごとならぬ可呼の言動を、担任教師がとがめようと歩///メないほうがいい。情報は一日で駆け巡る。明日にはここらの全員がおまえを"痛いコスプレ女"と陰口叩くだろうな。で、おまえはこう思うんだ。"高校デビュー失敗した! やり直したい!"。だが残念なことに、もう遅ーんだなぁ」

「ザ・普通」

「あ?」

「平凡な男と言ったのじゃ。その首に1000万も出す阿呆あほうがおる。信じられるか?」

「俺が平凡だと?」

「違うのか?」

「俺の才能がわからねーか」

「なるほど。ではもっと試そう」

「試す?」

「家族構成は? 趣味は? その成金ネックレスはどうやって手にした? 身長は? 体重は? 音楽の趣味は? 好きな芸能人は? 嫌いな食べ物は? 嫌いな虫は? 嫌いな季節は? 嫌いなおでんの具は?」

「なんだこいつ……」

「よい。どうせ答えぬのじゃろ。実地で調べる。職員室に個人情報があろ」


 田中も担任も無視して教室を出ていく。

 勝負に勝つなど簡単だ。

 この男にはなにをしても勝てる。

 だがに落ちない。このバイトの意味がだ。この口だけ男に1000万賭けようという雇用主の意図が。

 ///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが///メないほうが――――

 暑い夏がくり返される。


「よーくわかったわ」

 ぐーんと伸びをするといいかげん疲れた身体がポキポキ鳴った。

「10万の価値もない」




 誰もいない教室で田中と差し向いに座った。

 放課後に名指しで呼びつけたわけだ。

「儂と勝負をしてもらう」

「勝負?」

「タダでとは言わぬ。勝ったら10万やろう。カネが好きなのであろ?」

「あー」

「なんじゃ。気が乗らんか?」

「10万……か」

 田中はウンウン唸った末にOKを出した。

「方法は?」

「じゃんけん」

「なんだそりゃ」一気に彼の顔が曇った。「意味わかんねー。おまえになんの得があんだよ?」

「負けたらひと言"参った"と言ってもらう。要望はそれだけじゃ」

 カネで食いつくと思いきや、意外に慎重だ。偶然性の強いじゃんけんで一回勝てば10万円。たしかに意味不明だろう。だが一介の高校生には大金。アプリに課金し放題だ。

「儂はじゃんけんで負けたことが一度もない」

「あそう」

「信じておらんな? まあ勝手じゃが、儂に勝つ人間というのを見てみたい――これで理由にならんか?」

 正確には"結果的に負けたことがない"というべきだが。

「"あいこ"も儂の負けでよい。3分の2で大金を掴めるぞ? チャンスと思うがの」

 彼は机を挟んだ向こう側でじっと可呼を値踏みしていた。こんなに警戒されるとは。金の亡者もうじゃという情報はガセか? 彼を詐欺師と呼ぶ生徒もいた。


「わかった。受けるぜ」

 たっぷりじらした末、田中は頷いた。

「では」

「待った」

「うん?」

「俺からも条件を出す」

「言うてみい」

「あいこも俺の勝ち。俺が勝てば10万で、負けたら"参った"と言うだけ――だったな?」

「うむ。相違ない」

「おもしろくねえ」

「……んん?」

「全っ然おもしろくねえよ」

「どういう意味かな」

「俺は全財産賭ける」

 そう言って田中はスマホ画面を可呼に向けた。

 ネット銀行の口座。

 残高は――1000万。

 目を疑った。

「俺が負けたら1000万くれてやる」


「な――」

「嘘じゃねーぞ。おまえの口座番号教えろ。ボタン一つで送金完了だ。おら、早くしろ」

 不意打ちで頭がうまく回らないうちに口座番号を聞きだされてしまった。パスワードがなければ害はないとはいえ、明らかに軽率な行為だった。

 それほどに意味不明だった。

「見ろ。タップ一つで俺の全財産が送金されるぜ」

 詐欺師という噂が真実なら、男は可呼を騙そうとしているのだろう。だがスマホに表示されたネットバンクは明らかに本物で、送金のボタンをタップすれば実際に1000万のカネが動いてしまう。

 そこに嘘も偽りもあり得ない。

「そんなことをしてなんの得が?」

「それ、そっくりそのまま返すぜ」

 ぐうの音も出ない。最初に意味不明な取引を持ちかけたのは自分なのだ。

じゃんけん、、、、、じゃぞ?」

「確率は3分の2だ」

「負けたらどうするのじゃ?」

「カネやるって言ってんだろ」

「たかがお遊びじゃろう」

「10万のカネが動くのはギャンブルだろ」

「なにを企んでおる?」

「だから運勝負だろーが」

「……納得いかぬ」

 可呼にとってこの世はヌルゲーだ。彼女に失敗とか敗北はあり得ない。〇×ゲームで失敗したら、リセットして逆を選べばいいだけなのだから。

 とうに人生に飽きていた。

 なにが起ころうがやり直せる――だからこそ強烈に引っかかったのだ。田中の行動が。理不尽が。意味不明な行動が。

 全知全能の彼女を引き留めた。


「納得だって? 考えるまでもねーだろ。そっちが勝ちゃ1000万だぞ! 印税やらなんやらで稼いだナマのカネだ。宝くじの倍率を考えてみろよ。このギャンブル見逃すやつなんてアホだろ」

「儂は決して負けぬ」

「じゃんけんに絶対なんてねーよ」

「ある」

「問答はいいよ。おら、早くやろうぜ」

「――もし"次に出す手がわかっている"と言ったら?」

「両手重ねて隙間覗くやつか? 勝手にやれよ。神頼みで人生は変わらねえよ」

「儂の手を握れ」

「はあ?」

「いいから」

「嫌だ」

「ただ握るだけじゃ」

「やめろ! 女に触ると蕁麻疹じんましん出んだよ」

 田中のスマホを手に取って待ち受け画面を彼の眼前に向けた。そしてそれを思い切り教室の床に叩きつけると、スマホは画面いっぱいにひび割れて全機能を永遠に停止させた。

「なにすんだてめえ⁉」

 慌てて自分のスマホを拾い上げ、可呼の手を振りほどこ///

「なにもしておらんが」

「スマホが!」

「スマホがどうした?」

「壊――」壊れていなかった。傷の一つもない。「――どうなってやがる」

「今は何時何分じゃ?」

「時間?」スマホのデジタル数字を見た。「ちょうど17///時ジャス……ト……?」

 デジタル時計は16時57分と。

「目が」

「目の錯覚ではない」

なにか、、、しやがったな」

「壊れたスマホが元通りに。正確な時間を刻むはずのデジタル時計が巻き戻った。田中、ここからどんな解答を得る?」

 田中のスマホを今度は教室の窓に向かって投げた。ガラス窓は甲高い音を上げながら粉々に砕け、スマホはそのまま外///

「ほう。もう驚かんか。順応が早い」

 もちろん窓は割れていないしスマホは机の上にある。

「時間が?」

「うむ」

 掴まれた手を田中は強引に振りほどいた。なるほど触った部分が赤らんでいる。女に触れられないのは嘘ではないらしい。

「さあ、ゲームを始めよう」


 飽き飽きした人生のなか、この瞬間だけは可呼にゾクゾクと身震いするほどの感情をもたらした。

 自信に満ちた人間の心を折る瞬間。

 机一つ挟んで差し向いに座り、その表情を観察した。

 ――1000万賭けるじゃと?

 口のが悪魔的にゆがむ。

 今やつはなにを考えているのだろう。

 勝率は3分の2ではなくゼロなのだ。

 それを見せた。

 ――こいつはどんな言い訳を

「おい、早くしろよ」

 田中の言葉が思考をぶった斬る。

「……なに?」

「ニヤニヤして気持ち悪ぃな。さっさと終わらせんぞ」

 耳を疑った。

早くしろ、、、、と言うたか?」

 田中の表情は変わらない。ダルそうな目つきを可呼に向けながら、机の上に手を差しだした。

「ほれ、じゃーんけーん」

「1000万が吹き飛ぶぞ」

「勝ちゃいい」

「勝ち目はゼロじゃ」

「らしいな」

「儂を信じておらんのか」

「俺を信じてんだよ」

「お得意の嘘か。儂をハメようなどと――」

「じゃーんけん、ぽん!」

 グーが二つ、眼前に並んだ。あいこだ。あいこは負けを意///ゃーんけん、ぽん!」

 五本の細長い指をピンと伸ばして田中に突きつけた。

 勝負は決した。

 だが可呼の表情は一瞬にして凍りつくことになった。

あいこ、、、は俺の勝ちだったな?」

 彼の手はなにかを掴み取ろうとするように開かれていた。パーとパー。可呼の負けだ。

「……あり得ぬ」

「ジューマンエン! ジューマンエン!」

 嫌らしい笑みを浮かべてあおってくる。

「残念だったなぁ可呼ちゃん。かわいそうだからジュース一本くらいおごって///ゃーんけん、ぽん!」

 チョキとチョキ。

「……なんじゃこれは」

「あいこは俺の勝ちだったな?」

 なぜ手が、、、、変わって、、、、いる、、

「ジューマンエン! ジューマンエン!」

五月蝿うるさい」

「残念だっ///ゃーんけん、ぽん!」

 あいこ。

「ジューマ///ゃーんけん、ぽん!」

 あいこ。あいこ。

「ジューマ///ゃーんけん、ぽん!」

 あいこ。あいこ。あいこ。あいこ。あいこ。あいこ。あいこ。あいこ。あいこ。あいこ。あいこ。あいこ。あいこ。あいこ。あい///


 怒りのあまり田中の顔面を殴りつけた。

 赤黒い血が跳ねる。

「痛ってぇ! このクソおん///ゃーんけん、ぽん!」

「なぜ、じゃ?」

 チョキが二つ。

 それはもう悪夢のように。

「あいこは俺の勝ちだったな?」

「なぜじゃッ!」

 机にこぶしを叩き落とした。

 やり場のない怒りが夕刻の教室に残響し、セミ共の大合唱に飲み込まれていった。

 なにかが起きている。

 これまで味わったことのないなにかが。

 この男。

 平凡な男が。

「教えてくれ」

「おまえの負けか?」

「それでいい。だから教えろ」

「ちゃんと言え」

「参りました」

「おう」

「なにをした?」

「なんもしてねーよ」

「そんなわけが」

「……おまえさ、自分は最強とか思ってねぇか? それ勘違いだから」

「儂には答えがわかる」

「答えがわかる。全部都合のいいように過去をじ曲げて生きてきた。そうだろ?」

「そうじゃ。それとなんの関係が」

「カカッ。そんなこともわかんねーか!」

 彼は口元の血をぬぐって笑う。

「おめーはこの勝負に10万の価値をつけた。俺は1000万の価値をつけた」

「ああ」

「10万ってのがおまえにとってどれくらいのモンか知らねえ。けど俺は全財産賭けたんだ。一発勝負で人生どん底だぜ。3分の2で勝つってこたぁ残りの1つで死ぬってことさ。6発装填そうてんのピストルに弾が2つ入ってる。確率33パーのロシアンルーレット、おまえならやるか?」

 命懸けの遊びなど狂人のやること。

 たかがじゃんけんで、たかがお遊びで人生が終わるなどと、こんなにバカげたことはない。

「何度でもやり直せるおまえと一度きりの俺。どっちが濃い? どっちが厚い? 人間はそうやって生きてんだ。やり直しがきかねーからいちいち本気なんだよ。おまえのゴミみたいな自信と一緒にすんな」

「それが原因だと?」

「おまえは負けるはずがない。でもなぜか勝てない。俺はただテキトーに3分の2を振ってるだけだ。イカサマ自体不可能だとおまえがよーく知ってんだろーが」

「……不可能じゃ」

 田中の手を記憶しその数十秒前に跳んでいるのだ。小細工は不可能。つまり敗因は物理的な問題ではない。

「おまえはこのクラスの誰より弱い」

 静かに目をつむった。

「俺が1000万賭けた時点でおまえの負けは決まったんだ。理解不能な現象が起きたとしたら、原因はおまえと俺の"差"ってやつだろうよ」


 ソレがなにかは知らねーけどな――田中はそう言って、10万の札束をヒラヒラ振りながら教室を出ていった。

「――儂の負けじゃ」

 魔女は笑う。

「わからんものじゃな」

 これまでの人生においてとびっきりの笑顔で。




「それはすごい! まさか"時かけの魔女"を負かすとは」

 面接官は手を叩いて称賛した。

「わざとらしい。どうせ予想しとったんじゃろが」

「まさかまさか」

「あの男はなんじゃ?」

「なに、とは?」

「おまえは田中に1000万の価値をつけた。やつはそれだけの男」

「ええ」

「ルフトハンザ」

「あれ、どうして僕の名前が」

「何度目の過去じゃったかのー」

「調査したのですね?」

「あの男には家族がなかった」

「え?」

「田中のボロアパートには田中以外の痕跡こんせきがない」

「へえ」

「冷蔵庫の中身は栄養サプリの錠剤とパンの耳が大量」

「それが?」

「やつは独り。両親もない。カツカツの生活じゃ。そんな高校生が1000万を? 今にして思えばおかしい」

「なるほど」

「……やはりあれは嘘っぱちだったのじゃ。よう考えてみれば儂は画面を見ただけ。つまりあれは"自作の写真PNG"よ」

だまされたわけですか」

「いや」魔女はカラっと笑う。「些細ささいなことよ。儂は負けた。それがすべてじゃな」

「あなたもそんな顔をするのですね」

「人をバケモノのように言うでないわ」

「彼はどんな人間でした?」

「そうじゃな。口が悪うて、口が達者で、口が自由な男じゃったわ」

「口ぎたない」

「キスの味は悪くなかった」

「口八丁」

「うむ」

「それがあなたが見てきた田中という男ですか」

凡百ぼんびゃくな男と思うたが」

「なるほど」

 面接官は柔らかく微笑み、指を一本立てて見せた。

「一つ気になりますねぇ」

「なんじゃ」

「あなたが負けた理由です」

「もう話したじゃろ。それは」

「あなたと彼の"差"、ですか?」男は可呼に被せるように問う。「由緒ゆいしょある時任の現当主ともあろうお人が、勝敗の境界線をただの精神論で片づけるのですか?」

「それ以外に説明はつかん」

「時任の魔術は物理学。超ひも理論、バルクの平行世界、重力が開く高次元の探求。いわばあなたは精神論とは対極の存在だ。それなのに、今日出会ったばかりの、口八丁の、二つも年下の高校生の言い分を信じるわけだ?」

「なにが言いたい?」

「騙されたのですよ」

「わかっとる」

「いえ、わかっていない。あなたは騙されたことにも気づいていない。ハハ。本物の詐欺師じゃないですか、彼」

「あり得ん。イカサマの介入する余地などなかった」


「じゃあ聞きますけど、なぜ彼は、、、、口元を拭、、、、ったのです、、、、、?」


「はあ? 言うたじゃろう。儂が殴って血が――」

 言葉が凍りつく。

 自らの矛盾に。

「田中はあなたに人生を説いた。あなたが感銘かんめいを受けるほどのね。口元の血をぬぐいながら」

「なぜ……じゃ」

「気づいたようですね。壊れたスマホも粉々に割れた窓ガラスも元に戻ったのに、どうして彼は殴られた状態のままだったのでしょう?」

 冷たい汗が伝う。

 あり得ない。

 時間を戻して"なかったこと"にしたはず。

「種明かししましたね。嫌がる彼の手を無理やり握り、彼を一時いっときの時間旅行の仲間とした。これは私の想像ですが――そのとき田中は理解したのではありませんか? あなたに、、、、触れてい、、、、れば共に、、、、時をかけ、、、、られる、、、と」

「……いや。やつは儂の手を振り解いた」

「机の下」

「なに?」

「あなたたちは机を挟んで座っていた。たとえば彼のつま先があなたの足に触れていたとしたら?」

「バカな」

「あなたの意識はじゃんけんに集中していた。机の上のできごとに囚われていた。目立つエモノを大げさに差しだしておき、反対の手に真実を隠す――詐欺師の常とう手段です」

「では……あの男は」

「わざわざ1000万のリスクを背負ったのもあおるような言動をしたのも、それらすべてはじゃんけんに意識を向けさせるため――とかね」

「もしやつが共に時を跳んでいたなら――」

「"前に出した手に勝つ手"を出し続ければいい。それはあなたの思考とぴったり重なる。永遠にあいこです」

 可呼は静かに立ち上がった。

 血が上った頭は真っ赤に。

「"何度でもやり直せるおまえと一度きりの俺。どっちが濃い?"――なんて、ふふ、田中はどんな気持ちで言ったんでしょうね?」


「田中あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ、10万返せえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!!」

 時任の魔女は鬼の形相ぎょうそうでスタバのフロア内をかけていった。





 ――『田中くんと時かけの魔女』









 

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