第2話 波間にたゆたう夏

降り注ぐ太陽の光を柔らかく縫いながら、潮風が髪をなびかせる。

個人の所有にしては大型の白いクルーザーが、涼しげな飛沫を上げながら、海上を走っている。

私は今、夏休みの始まりと共に、演劇部の仲間達と、とある無人島へと向かっている。普段は無人の島へ、私達が向かう理由を語るには、時を約1ヶ月前に戻す必要がある。



「ねぇ、夏の特別合宿って、何なの?」

そう切り出したのは、演劇部3年の水野夏菜みずの かな。軽く染められた、ウェーブがかった肩までの茶髪。本来校則違反なはずの金のピアスが、傷み気味の髪の合間から見えている。唇には、うっすらとピンクオレンジの色が乗せられている。

7月の初め、初夏を感じさせる日差しが段々と強くなりつつある、放課後だった。

夏の特別合宿とは、私達、青陵高校演劇部のグループラインに回ってきた内容だ。発信者は、演劇部部長の西条麗華さいじょう れいか。西条先輩は、青陵高校屈指のお嬢様で、流れるように波打つ長い髪、硝子細工のような薄い瞳、透き通るような白い肌といった容姿端麗、加えて成績も優秀という、非の打ち所がない3年だ。

「合宿って、どこでするんすか?まさか、この狭苦しい部室……」

「そんな訳ないでしょう……」

西条部長は、大げさにため息をついた後、続けた。

「せっかくの夏休み、貴方達の演技力を向上させるために、部長の私自らがスペシャル企画を用意したの」

「スペシャル……っ!響きからして、期待大!」

小学生のようなワクワク感いっぱいに、錦野勇太にしきのゆうたが叫んだ。素にせよ、劇中にせよ、ムードメーカーな2年だ。


「そんなに大きくはないのだけど、西条が持つ島があって、お父様にお願いしたら、夏の間、自由に使っても構わないと言われたわ。だから、島の別荘を合宿所にして、部員の演技力強化を図ろうと思うのよ。どうかしら?」


「さすが、西条先輩ですぅ!!反対意見なんて、あり得ませんよっ。ですよね、先輩方?」

小柄ながら、肉感的な体つきに、男子受けしそうな童顔の1年、小野愛美おの まなみが、琥珀のような淡い瞳で、私達を見つめた。


「そりゃ、100パー行くでしょ!愛美ちゃんや、麗華先輩と、一つ屋根の下で、夏を過ごせるとか、俺得すぎる!!」

錦野君が、ますます興奮気味に、歓声をあげる。


「いや、一つ屋根の下にいることになるのは、お前だけじゃないだろう……」

異様な熱気の錦野君に冷静に言い放ったのは、私の隣にいる、同じく2年の吾妻愁二あずま しゅうじ

すらりとした背に、さらりとした黒髪、フレームの細い眼鏡の向こうには、涼しげな瞳。派手ではないけれど、落ち着いた物腰の彼。

すると、錦野勇太は愁二君の肩に、馴れ馴れしく腕を回しながら言った。


「ま~たまたぁ、吾妻だって、内心は愛美ちゃんや先輩を狙って……」

「お前の邪な妄想に、巻き込まないでくれ」

愁二君は、呆れまじりのため息をついた。

「やだ、吾妻先輩てば、クール。そういうとこが、くすぐられちゃう」

そう言うと、小野愛美は、蠱惑的な視線で、吾妻愁二を見つめた。

もし、私が男だったら、簡単に落ちてしまいそうな微熱のこもった瞳。

(……)

私は、何の魅力もない自分と比較し、心の内に、ため息をついた。

実は、校内では秘密にしているが……私は、吾妻愁二と付き合っている。

生まれて初めての彼氏。初めて自覚した恋愛感情。

愁二君が、ちらりと、私にだけ分かる程の微かな視線を向けてきた。そこには、私の心配を見透かしたような色が滲んでいる。彼は、眼鏡越しの瞳を柔らかく細めた。

大丈夫、心配しないで。

その視線は、私には、そう受け取れる。

私は、彼の静かな優しさに惹かれている。

そう、例えるなら、彼は照りつける太陽というよりは、夜空をそっと照らす月。


私自身、決して目立つ方じゃなく、当初演劇部に入部したことを家族に伝えた時は、かなり驚かれた。

「姉貴が、一番選ばない部だと思ってた」

弟の陽斗ひろとに、そう言われるほど、私は表舞台に立つような積極的な性格ではない。

もちろん、最初から演劇部に入ろうと考えていた訳じゃない。

そんな私を演劇の世界に引き入れたのは……当時2年生の西条先輩の見せた演技だ。

新入生歓迎会の中で、演劇部は体育館の舞台で、短い劇を演じた。それは、少し変わっていて、太陽と月に扮した演者が互いに語り合うというものだった。


「私は、太陽。世界の光の根源を司る。闇夜に幕を下ろし、新たな光で朝を迎える」


西条先輩は、金色に煌めく古代ギリシャを思わせる作りの衣装を纏っていたが、舞台には、先輩を含めた演者以外のセットは、何もなかった。

台詞があまりなく、そもそもが、太陽と月という、人間ではない自然のもの。それを手振りや、ちょっとした動作、視線により、不思議な世界観で、観客を引き込んでいた。

それは、まるで西条先輩が、太陽そのものであり、彼女自身が、神聖な光そのものに見えたのを今でも、はっきりと覚えている。


演劇そのものにも、西条先輩という一人の役者にも、すっかり魅了されてしまった私は、演劇部に仮入部し、そのまま迷いなく、本入部した。


自分の中の何かが変わる、今まで閉じられていた扉が開かれるという、漠然とした予感も抱きながら。


(……でも、あの歓迎会の時の、月の役は)


淡い回想に、一筋の影が差しかけた時。


「なぁ、結月。あれが西条先輩のとこの島じゃないか?」

そう話しかけてきたのは、同じく2年の杉崎洋平すぎさき ようへい。やや日に焼けた肌に、快活で野性的な瞳。短めに刈った髪は、伸ばすと癖っ毛なのを私は知っている。洋平は幼稚園から高校まで、ずっと一緒のいわゆる幼馴染み。他人に知られると恥ずかしくなるような黒歴史もお互い知り尽くしている。親同士も仲が良いので、洋平とは、もはや親友というよりも家族に近いような、お互いにそんな存在だ。

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ペルソナ狂奏曲 月花 @tsukihana1209

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