明日も君と、会えたらきっと。

日崎アユム/丹羽夏子

君と一緒にいられるのも、あと、少しだけ。

 進路希望調査書が配られた。

 わたしはなんのためらいもなく第一志望校にE高校と書いた。


 E高は学区で一番の進学校だ。県立高校だけど、進学指導にとても力を入れていて、大学進学率はほぼ100パーセント。この田舎ではあの高校に入れれば将来は安泰ねと言われるような学校だ。


 この高校に入るためにわたしは毎日がんばってきた。塾にも通ってすごく勉強したので、定期テストの順位はいつも五位以内。怖い監督におびえながらも必死で続けたバレーボールは地区大会優勝。学級委員もやった。それもこれもすべて内申点で有利にするため。わたしはいつも優等生だったし、これからも優等生であり続ける。


 だから恋なんてしない。

 そういうのは、進学するのに邪魔なんだ。


 頭ではそう思っているのに、目はりくを追いかけてしまう。


 陸はサッカー部で、スポーツが得意で、運動部男子を中心にたくさん友達がいる。ちょっとふざけすぎと思うことも多いし、女子にはぶっきらぼうに接するところがあるので、クラスの人気者とまではいかないかもしれない。でも、いつも誰かと一緒にいる。


 わたしはそれを遠くから見つめている。


 話しかけてみたいと、思ってしまうことがある。女子にはみんな平等にあっさりした態度をとる彼に特別な対応をされたい。そして我に返った時自分が恥ずかしくなる。


 今日も陸は運動部の男子に囲まれている。友達と進路希望調査書を覗き込みながらおしゃべりをしている。

 いけない、いけない、と思いながらも、聞き耳を立ててしまう。


「おれ工業に決めた」


 陸と仲のいいサッカー部の男子が言った。市内にある工業高校を選択するらしい。


「おれはH高の自動車工業科」


 同じく、サッカー部の男子が言った。わたしたちが住むこの地方のこの地域は自動車関連産業が盛んで、私立高校にはそういう専門課程もある。


 工業高校も工業系専門課程も立派な進学先だと思う。直接就職に結びつくし、地元の経済社会を支えている分野だ。今時はそっちのほうが堅実なのかもしれない。でも、わたしには別に希望する進路があるから、縁のない学校だな、と思ってしまう。


 陸はどう思うだろう。


「お前も工業行くだろ?」


 問いかけられて、陸は少しの間沈黙した。


「家の工場継ぐんだろ? やっぱり溶接とかできたほうがいいんだろ?」


 ちょっと間を置いてから、陸は「そうだなあ」と呟くように答えた。


「親に相談してみるわ」


 その一言が重くて、わたしもうつむいてしまった。




 家に帰って家族全員で夕飯を取った。

 と言ってもわたしは一人っ子で、家族はお父さんとお母さんとわたしの三人しかいない。


 お父さんとお母さんは一人娘のわたしをとても可愛がってくれている。優しいし、時々甘やかしてくれるし、塾や部活のスポーツ用品、習い事のピアノやバレエまで月謝をぽんと出してくれる。夏休みには海外旅行にも連れて行ってくれる。


 小学校くらいまではそれを当たり前だと思っていた。どの家もこんな雰囲気で、親は子供に大金を注ぎ込んで大事に育てるものだと、無邪気にそう思い込んでいた。


 だから中学に入って陸に出会ってびっくりした。


 陸は先輩のお下がりの学ランを着ていて、サッカーシューズはぼろぼろになるまで履き潰す。亡くなったお母さんの代わりに毎日料理をしていて、休みの日は弟たちと公園でサッカーをしている。お父さんは自前の会社の社長だけど、下請けも下請けの小さな町工場は常に帳簿が火の車で、取引先にはぺこぺこするし、最近は鉄の価格の高騰に困っているとのことだ。


 彼は普段そんなことなどおくびにも出さない。でも、毎日彼を見つめているわたしは知っている。友達とのそういう会話に聞き耳を立てているわたしはなんて卑怯なんだろう。それに知ったからと言って何かができるわけでもない。わたしはとても無力で、彼を見ているだけのストーカー女だ。


 そんな会社でも彼はお父さんの跡を継ぐのかな、と思うと切ない。


 気持ちはわかる。

 だって、わたしもお父さんの跡を継がないといけないし。


 進路希望調査書が配られたことを話したところ、お父さんにこう尋ねられた。


「それで、美優みゆはどうするの?」


 お父さんもお母さんも、期待に満ちた目でわたしを見ている。

 最近になって、二人はちょっと意地悪だ、と思うことが増えた。

 二人とも、わたしが何て言うかわかっているのにわざとわたしに言わせようとする。


 逆らえない圧を感じた。


「E高って書いて出すよ」


 わたしの人生はもう全部決まっているんだ。


「将来は医大に行こうと思ってるから」


 そしてお父さんのクリニックを継ぐ。何せうちはお父さんが整形外科医でお母さんは小児科医、家族経営の町のみんなのかかりつけ医なんだから。

 このクリニックがなくなったら、お父さんもお母さんも、やっぱり整形外科医だった今は亡きおじいちゃんも悲しむ。町のみんなも困る、お父さんやお母さんを必要としている人がたくさんいる。

 わたしはずっと医者になるために生きてきた。そしてこれからも。


「さすが美優ちゃん、頼もしいわ」

「楽しみだな。いい結果が出るといいな」


 お父さんもお母さんも喜んでくれる。


 医者になるためには、E高に行ってから、医学部のある大学に進む。E高はただの経由地であって目的地ではない。


 陸は工業高校に行くのかな。

 そしたらここでお別れだ。

 わたしは勉強で忙しい。陸にはもう会えない。


 それに──笑われてしまうから絶対に人には言えないけれど。


 陸が家の工場を継ぐんだったら、結婚相手はきっと工場の経営を手伝ってくれる奥さんがいいんだろう。

 わたしはお婿さんをとって家のクリニックを継がないといけないから、陸の奥さんにはなれない。


 こんな恥ずかしい妄想、誰にも言えない。

 でも、わたしは、陸とは中学生の間だけ、つまりあと半年ちょっとの付き合いであることをまざまざ突きつけられてしまって、考えるたびに切なくなるのだった。


 お父さんとお母さんの前では、泣いてはいけない。二人は、わたしがクリニックを続けていくのを前提にわたしにお金をかけてきたんだから。

 わたしは大事にされてきたから、期待には応えないといけない。




 進路希望調査書には予定どおりE高と書いて出した。何もかもが予定調和、あとは筆記試験を突破するために勉強するだけだった。その勉強も大して難しくはなく、いつも500点満点中450点のわたしにとってはそんなに大きな問題ではなくて、よっぽど事件事故に巻き込まれない限りつつがなく志望校に進学できる。


 わたしは知っていた。


 本当は、陸も450点ぐらい取れる。


 定期テストの順位はこっそり成績表に書かれるだけで普通公表はされないのだけど、クラスの男子が陸をからかって彼の成績をばらしたことがあるから、みんなが彼の順位を知っている。彼は体力バカに見えて実は学年十位以内の点数なのだ。


 陸は本当ならE高に行くべきだ。工場の子でなくて人生に溶接が必要でなかったら、学区で一番偏差値の高い学校に行くべきなのだ。


 でも、あの工場に大学の学費が出せるのかな、と思ってしまい、そんな下世話な心配をする自分が嫌いになった。


 月曜日は部活がない。塾もない。わたしは一人で家に帰るために通学カバンに教科書とノートを詰めていた。


 そこに突然男子の集団が集まってきた。


「ねーねー美優ちゃん」


 にたにたと笑いながら話しかけてくる彼らが苦手だ。クラスメートはみんな仲良しだと思い込んでいる。陸と仲良くしているところを見ているのは好きだけど、自分自身が絡みたいかと思ったら話は別だった。

 けれどびびっていることを知られたくなくて虚勢を張った。


「なによ」

「高校どこにするか決めた? やっぱりE高?」

「だから、なんなのよ」


 すると彼らは後ろを振り返った。

 そこに陸が立っていた。


「だってさ。よかったな、陸」


 陸は視線をちょっと斜め下に落としてから少し強い語調で「やめろよ」と言った。


「お前ら、ふざけんのもいい加減にしろよ。散れっての」

「はいはい」


 男子たちが明るい声でこんなことを言って離れていった。


「お幸せにー!」


 足音が完全に消えてから、陸が顔を上げ、わたしのほうを見た。


 目が、合った。


「おれもE高にしたから」


 予想外の言葉に、呆気に取られた。


「工業じゃなくて?」

「おお」

「どうして?」

「大学行きたいから」


 また、斜め下を見る。


「高校で勉強しなくても、大学には工学部っていうのもあるらしいし。まだぜんぜん決めてないけど、家を継ぐとしたら経営の勉強もしたいと思ってさ。それに──」


 彼らしくなく、指と指を組み合わせて、自分で自分の指先をいじった。


「ここだけの話なんだけど。うち、たまに労災で怪我する人がいて。この前とか、目に鉄粉が入って失明するところだった社員が出て。そういう時、おれがすぐに対応できたらな、と思ったことがあって」


 わたしは目をまん丸にした。


「医者になれたら。それも家に貢献する進路かもしれないな、と思うことがある」


 そこまで言うと、彼は顔を上げて遠くを見た。


「ま、おれの妄想。あんまり気にしないで」


 そして、照れ隠しなのか、ちょっとだけ笑った。


「そういうことだから。高校に行ってもお前とは顔合わすかもな」


 また来年も、同じ空間にいられる。


「いや、ライバルなんだけど。まずは受験なんとかしないと」


 この中学からは毎年二十人くらい進学するので、五位以内のわたしと十位以内の彼は今の成績をキープするだけでなんとかなると思うんだけど。


「それだけ。帰るところ邪魔して悪かったな」


 彼が後ろを向いた。


「じゃあな」


 わたしはその背中に向かって声をかけた。


「またね」


 陸は背中を向けたまま手を振ってくれた。





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明日も君と、会えたらきっと。 日崎アユム/丹羽夏子 @shahexorshid

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