第二章 御子神家の人々⑥

「──最初は何を馬鹿なことをと思いました」

 村上は嘆息と共に言葉を続けた。

おおだん様が大奥様を熱愛していらっしゃることは、私どもの間でも周知の事実でしたから。桃香はその場限りの出まかせを言っているか、あるいは大旦那様に懸想するあまり、おかしな妄想に取りかれているんだろうと思ってたんです」

「桃香さんは季一郎さんのことを好きだったんですか?」

「はっきりとは分かりませんが、先ほど申し上げた通り、旦那様に対して妙に馴れ馴れしいそぶりを見せるところはありました。それにお若いころの旦那様は大層な美男子で、それが原因でトラブルに巻き込まれることもけして少なくありませんでした。ほら、先生もしのみやゆきひさの一件はご存じでしょう? 比良坂貴夜子先生にお世話になった事件です」

「え、あ、はい。そんなこともありましたね!」

 篠宮幸久って誰ですか? と訊くわけにもいかず、小夜子は適当にあいづちをうった。

 察するに、貴夜子の担当した事件の係争相手が篠宮幸久なのだろう。実業家の絡んだ案件とあって、てっきり会社経営上のトラブルだと思っていたが、どうやら痴情だったらしい。

「ですから須藤桃香についてもそういうたぐいだと思ったのです。桃香の方が旦那様に一方的に懸想して、今でいうストーカーのような真似をしているのだろうと。子供がいるというのも狂言か妄想の類だと」

「それが、違ったんですか?」

「はい。旦那様にその件を報告したところ、旦那様は怒るでも笑うでもなく、ただこうおっしゃったのです。『そうか。あいつはお前にしやべったのか』と」

「うわぁ……」

 何をどう考えても真っ黒だ。

「それからしばらくして……旦那様に言いつかって、何度も結構な金額を桃香の口座に振り込むことになりました。旦那様は『今までは自分でやっていたが、知られてしまったのならお前に頼むことにするよ』とおっしゃって……おそらく愛人手当か、子供の養育費といった類ではないかと思います」

 確かにそう考えるのが妥当だろう。

「ちなみにその話、晴絵さんには」

「お話ししておりません。聞いた当時はちょうど大奥様も冬也様を身ごもっておられたころでしたので、ショックを受けて万が一のことがあっては大変ですから。その後もやはり大奥様の心情を思うと、どうしても打ち明けられませんで、今日までそのまま来てしまいました。私としては、できることなら死ぬまで私の胸に納めていたかったのですが、やはりもう一人のご子息をこのまま放置していいものかと気がかりで……」

 村上の表情からは、忠実な使用人ならではの苦悩の跡がうかがえた。

「分かりました。話してくださってありがとうございます。あとのことはこちらで対処しますので」

「はい。よろしくお願いいたします」

 村上は深々と頭を下げると、肩の荷を下ろしたように晴れやかな表情でその場を辞した。そして荷を押し付けられた小夜子はといえば、迷うことなく葛城一馬に電話を掛けた。




「──と、いうわけなんですが、やっぱり放っておいちゃまずいですよね?」

「まずいに決まってんだろ。子供がいる可能性があるならちゃっちゃと確認しろ」

「やっぱりそうですよね。いえ、私もそうじゃないかと思ってたんです!」

 季一郎の戸籍には、桃香の子供を認知した記録は存在しない。

 つまり現時点ではその子供とやらは相続人ではないのだが、本人または代理人は父親の死後三年以内なら、家庭裁判所に申し立てて認知請求することが可能である。そして裁判で認められれば立派な相続人となり、季一郎の財産について遺留分が発生する。

 遺産分割が終わった後で名乗り出られた場合のことを考えると、今の段階でその存在について確認しておくにしくはない。

「それで子供の有無の確認なんですが、須藤桃香の戸籍を取ればいいでしょうか」

「まあそれが定石だろうな。本籍地は分かるか?」

「あ、雇用当時のものなら村上さんに聞いてあります。※※市です」

「※※市か……そこなら半日で行って帰ってこられるな。明日の朝一番で取りに行け」

「了解しました」

「あとそんなことでいちいちかけて来るな。いい加減自分で判断しろ」

「アドバイスありがとうございました! それではこれで失礼します!」

 小夜子は承諾の返事をしないまま、礼を言って通話を終えた。


〇 四十九日まであと十八日


 翌日。小夜子はさっそく※※市役所へと赴いた。戸籍を閲覧できるのは本人や直系親族といった一部の人間に限られるのが原則だが、弁護士は職権で閲覧することが可能である。

 ※※市は桃香が御子神家に勤めていた当時の本籍地であるため、現時点でもそこにあるかはけだったが、幸い戸籍は移されておらず、無事に閲覧することができた。しかし結果として得られた情報は、実に拍子抜けなものだった。

 戸籍によれば、須藤桃香は一昨年おととし未婚のままで死亡しており、子供は一人も存在しないという。

(え、なに、どういうこと?)

 動揺のあまり葛城に電話したところ「子供がいないんだったらそれでいいだろうが。ていうかそんなことでいちいちかけて来るなって言ったろ!」とお𠮟りの言葉をいただいた。

 気を取り直して村上にも報告したところ、こちらは素直に喜ばれた。

「そうですか! 子供はおりませんでしたか! やはり桃香の狂言だったのですね。いえ、私も旦那様はそんな方じゃないと思ってたんです」

 季一郎が大金を支払っていることからしても、子供ができるようなこと自体はしていたのだろうし、狂言ではなく流産という可能性もあるのだが、あえて指摘はしなかった。

「大奥様を傷つけるようなことにならなくて、大変あんいたしました。ありがとうございます、比良坂先生」

 村上はひとしきり感謝の言葉を述べた後、「ですが先生には余計なお手数をおかけして申し訳ありませんでした」と謝罪した。

「いえいえ構いませんよ、仕事ですから」

 小夜子は快く答えて通話を終えた。やはり他人に感謝されるのは良いものだ。

 ともあれ須藤桃香に関することはこれにて一件落着である。小夜子はさわやかな心持ちで通話を終えると、※※市を後にした。




 車で御子神邸へと向かいながら、小夜子はこれまでのことをはんすうした。

 目録作りは今のところ順調だし、偽造の何のと騒いでいた秋良もそろそろあきらめかけているようだ(筆跡鑑定の結果は五分五分という実に微妙なものだったらしい)。四振りの短刀についても放置して問題はないだろう。遺言執行者として他に留意すべき問題は──

(そういえば、冬也さんの件もそろそろ何とかしなきゃだな)

 このまま帰ってこないなら、不在者財産管理人を立てて冬也の代わりに遺産分割協議に加わってもらう必要がある。不在者財産管理人には本来なら身内がなるのが定石だが、妻は死んで娘は十歳、親兄弟は利益相反関係となれば、家庭裁判所に頼んで適当な人物を見繕ってもらうしかないだろう。

 ──などと考えているうちに、御子神邸に到着した。

 いつものように車寄せに愛車を止めて、通用門に向かったところで、小夜子は門の近くに立っているそうしんの男に気が付いた。夕闇の中、うつむき加減でたたずむ姿は、どこか亡霊めいて現実感が希薄である。

 一瞬、なにも見なかったふりをして行き過ぎたい衝動に駆られたが、すぐそこに立っている相手を無視するわけにもいくまい。

 小夜子は仕方なく「この家に何か御用ですか?」と声をかけた。

 すると男は無言のまま、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 死者のような真っ白な顔にうつろな目。

 思わず悲鳴をあげなかったのは、我ながら上出来と言えるだろう。

(え、なに、仮面? 仮面……だよね?)

 白いゴム仮面をかぶった男性は、手元のタブレットになにやら打ち込み、小夜子に向かって差し出した。小夜子はそれを受け取ってその内容を確認し──思わずタブレットを取り落としそうになった。

『私は御子神冬也といいます。父が死んだとの知らせを受けて帰ってきました。顔に火傷やけどをしているので、仮面をかぶっています』

 それが彼──御子神冬也と称する仮面男との出会いだった。


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天才弁護士の孫娘 比良坂小夜子と御子神家の一族 雨宮 周/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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