第二章 御子神家の人々⑤




 その後、書斎に戻って仕事を再開することしばし。今度は御子神晴絵から午後のお茶に誘われた。

 前回仕事の愚痴を聞いてもらったこともあり、今回はひたすら聞き役に徹することにしたのだが、晴絵の語る季一郎の思い出話に愚痴めいたものは一切なく、実に微笑ましいのろ話に終始した。

「あの人ったら私にひざまずいて、『貴方あなたの望むことならなんであれ、かなえることを誓います。けして不自由はさせません』なんてプロポーズしてくれたのよ」と微笑む晴絵は、まるで愛くるしい少女のようだ。季一郎が見事事業で成功したのも、最愛の妻に不自由させまいと頑張った結果なのかもしれない。

 美味おいしい茶菓をたんのうしつつ、故人の様々なエピソードを拝聴しているうち、ごく自然に春夏秋冬の短刀のことが話題に上った。

「ええもちろん知っているわ。刀のおじいさんに習って自分で打ったんだって、主人がうれしそうに何度も自慢していたもの。自分の名前が季節の季だから、それにちなんで春夏秋冬の名前を付けたんですって」

 晴絵は懐かしそうに目を細めたあと、「そういえば、あれも夏彦さんが受け継ぐことになるのかしら」と無邪気な調子で言葉を続けた。

「そういうことになると思います。ただ若干の問題がありまして」

「問題?」

「はい。実はあるべき場所に見当たらないんだそうです」

「まあなんてこと! よく探したの?」

「と、思います」

「そう、困ったわねぇ。一体どこに行ったのかしら」

 晴絵は頰に手を当てて、困惑したように小首を傾げた。

「主人はあれで結構うっかりさんで、昔からよく物をなくす人だったから、うっかりどこかに置き忘れてしまったのかもしれないわね」

「ああ、それはあるかもしれませんね」

 小夜子は「短刀をうっかりどこかに置き忘れるのは怖いなぁ」と思いながらもうなずいた。

 その後は訴訟資料が見当たらなくて青くなって探し回ったら、何故か冷蔵庫でキンキンに冷えていた話やら、弁護士バッジが見当たらなくて再発行してもらったら、何故か製氷皿でカチコチに凍り付いていた話やらで盛り上がり、短刀についても「誰かがることもないだろうし、そのうちどこかからひょっこり出て来るだろう」との結論に落ち着いた。

 そんなこんなで春夏秋冬の短刀については御子神一族の見解を一通り拝聴したわけだが、そのありについては依然として不明のままだった。


〇 四十九日まであと十九日


 翌日。小夜子は近隣の銀行に片っ端から照会をかけて、こちらが把握していない故人の口座がないかを確認したり、こつとう品や不動産などについて鑑定する鑑定士を手配したりする作業に忙殺された。

 美術骨董の鑑定依頼についてはいずれも「御子神季一郎氏の遺品なら、喜んでそちらまで出向きましょう」と申し出てもらえて助かった。こんなお高そうな代物をこんぽうして店まで持ち込むなんて、考えただけでも胃が痛くなりそうな作業である。

 故人が日本全国に所有していた不動産についてもそれぞれ鑑定の委託先が決定し、一安心といったところである。

 今日は秋良が押しかけてくることもなければ、夏斗や真冬とうっかり出くわすこともなく、至極順調に作業は進んだ。

 晴絵のところでお茶をごそうになったほかは、ほとんど御子神家の一族と顔を合わせることもなく一日分の仕事を終えて、さわやかな気分で家路に就こうとしたところで、老執事のむらかみに呼び止められた。

「比良坂先生、もうお帰りですか?」

「はい。一区切りついたので」

「そうですか……。大変申し訳ありませんが、今からお時間をいただけないでしょうか。実は先生に折り入ってお話ししたいことがありまして」

「あ、はい、それは構いませんが」

 なんとなく厄介ごとの気配を感じたものの、まさか「嫌です」と言うわけにもいくまい。小夜子は居住まいをただして問いかけた。

「それで、お話ってなんでしょう」

「実は先代様のことなのですが」

「はい」

「先代様には、もう一人ご子息がおられるのです」

「はい?」

 思っていた以上の厄介ごとに、小夜子はその場で葛城に電話を掛けたくなった。




「ええと、それはつまり、いわゆるその」

「はい。いわゆる愛人に産ませた隠し子です」

 村上は重々しく言い切った。

 その後村上が語った内容とは、以下のとおりである。

 愛人の名はどうもも。元は御子神晴絵が実家から連れてきた使用人で、晴絵の小間使いを務めていたという。桃香は目立つ美人ではないものの、なかなか可愛らしい顔立ちをしており、その天真らんまんな物言いにはなんともいえないあいきようがあった。そのため晴絵をはじめとする周囲の人間からは随分と可愛がられていたようである。

 しかしその反面、桃香は晴絵のちようあいを良いことに、しょっちゅう仕事を休んだり、晴絵や季一郎にれ馴れしい口を利いたりといったずうずうしさも持ち合わせており、村上は彼女に対してあまり良い感情を抱いていなかった。

 だから桃香が一身上の都合を理由に退職を願い出たときも、さして残念にも思わずにそれを了承したのである。

 ところがそれから数か月後、村上は街中でばったり桃香に出くわした。桃香は自分が辞めたあとの屋敷の様子をあれこれ聞きたがったので、村上は彼女を喫茶店に誘ってしばらく歓談することにした。

 桃香は御子神家のことを事細かに尋ねる反面、自分の近況については話そうとせず、村上がいてもあいまいな答えに終始した。何か他人ひとさまに話せない事情でも抱えているのだろうか。次第に募る不信感が決定的になったのは、手持ちになった村上が「煙草を吸ってもいいでしょうか」と桃香に尋ねた時だった。

 桃香はいかにも慣れた口調で「すみません。妊娠しているので、煙草はちょっと」と言い放ってから、はっとしたように口を押さえた。

 さては一身上の都合とは妊娠のことだったのかと、村上は驚きに目を見開いた。桃香はもとからふっくらした体型なため、妊娠の有無は分かりづらかったが、言われてみれば以前よりも腹の辺りがゆったりしているように思われた。

「それはおめでとうございます。いつの間に結婚していらしたんですか?」

「いいえ、結婚していません」

「ではこれからする予定なのですね」

「これからする予定もないんです。……結婚できない相手なので」

「既婚者、ということでしょうか」

「……はい」

 なんとふしだらな娘だろう、というのが村上の率直な感想だった。もとから彼女にいい印象を持っていなかったこともあり、村上はついとげとげしい調子で「正直言って、あまり感心しませんね」と口にした。対する桃香は明らかにむっとした表情で「村上さんには関係ありません」との返事。

「関係ないとはいえないでしょう。そんな不道徳な人間を雇っていたなんて、御子神家にとっても恥ですよ。だん様がお気の毒です」

「旦那様が……村上さんは何もご存じないんですね」

「はい?」

「この子は旦那様の子なんです」

 桃香は挑戦的なまなしでそう告げると、これ見よがしに己の腹をでたという。

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