第二章 御子神家の人々④

 夏彦が尊子に引きずられるように退場してから半時あまり。小夜子がちまちまと作業を進めていると、今度は御子神秋良が小夜子のもとに現れた。彼は開口一番「なんか進展はあったか?」とつっけんどんに問いかけた。

「目録作りなら順調です」

「そうじゃねぇよ! 遺言の偽造疑惑についてだよ!」

「え、ああ、偽造疑惑ですか。いやそれはちょっと……」

 小夜子は「どうしよう、すっかり忘れてた!」「ああでも、そもそも私の仕事じゃないんだよね?」「でもそれを指摘したらまた激高されそうだなぁ」などとしばらく思考を巡らせたのち、結局「残念ながら、そちらの進展は今のところありません」と神妙な面持ちで言うにとどめた。別に噓はついていない。

「秋良さんの方はいかがですか?」

「使用人たちや親父の知り合いに片っ端から聞いてまわったんだが、遺産相続については誰も聞いてないとさ」

「そうですか」

 まあそれはそうだろう。小夜子が聞かれる立場でも、知らないと答えるに決まっている。自分がもらえるわけでもない遺産のために、骨肉の争いに巻き込まれたい人間がどこの世界にいるものか。

「ところでつかぬことをおうかがいしますが、秋良さんは春夏秋冬の短刀ってご存じですか?」

「え、ああ、確か親父が趣味で作った奴だろ?」

「それが見当たらないようなんですが、お心当たりはありませんか?」

「ねぇよ、そんなもん俺が知るわけないだろ」

 秋良はそう吐き捨てるや、足音も荒く立ち去った。




 目録作りがいち段落着いたところで、小夜子はしばしの休憩を取ることにした。

 書斎を出て伸びをしながら長い廊下を歩いていると、やがて中庭に面した広縁に出た。ガラス越しに見える庭の緑が心地よく、端には洒落しやれとうがしつらえてある。

(休憩中にちょっと座るくらい別にいいよね、うん)

 小夜子は一人うなずいて、籘椅子に腰を下ろした。そしてよく手入れされた庭をしばらくたんのうしたのち、おもむろにスマートフォンを取り出した。そろそろお気に入りのウェブ小説が更新されている時刻である。

 いつもの無料小説サイトを確認すると、マイページに更新のお知らせがあった。

 開いて見れば、物語はいよいよ佳境に入ったところだった。ヒロインの公爵令嬢はついに意を決してうわ者の王太子との婚約解消を申し出る。それに対し、王太子は鼻で笑って──

「何読んでるの?」

「ひゃぁ!」

 後ろから声を掛けられて、小夜子は踏まれた二十日鼠のような声を発した。振り返ると御子神夏斗が興味深そうに手元をのぞき込んでいる。

「え、夏斗さん、なんでここに」

「別に、通りかかっただけ。それで、何読んでるの? 仕事関係?」

「はい。仕事上の重要書類です。守秘義務がありますので詳しいことはお答えできません」

 小夜子はスマホを伏せながらしかつめらしい顔で言った。

「ふうん、なんか王太子がどうとか見えたけど」

「業界で使われている隠語です。それで、何か御用ですか?」

「だから、通りかかっただけ」

 それならさっさと通り過ぎてくれないだろうか。

 そんな小夜子の願いもむなしく、夏斗はなにやらじろじろと眺め回したうえで、こちらの急所を突いてきた。

「比良坂先生って、なんかすごい弁護士の孫なんだよね?」

「はい。一応」

「なんか全然そういう風に見えないね」

「ええ、よく言われます」

 小柄なたいに地味な童顔は時々中学生に間違えられる。

「能あるたかは爪を隠すってやつ?」

「それより夏斗さん、春夏秋冬の短刀が見当たらないそうなんですけど、何がご存じありませんか?」

 小夜子は強引に話を切り替えた。

「春夏秋冬って、祖父じいちゃんの作ったやつ?」

「はい。それです」

「知らないけど、あれなくなったの?」

「あるはずの場所に見当たらないそうです」

「ふうん、そうなんだ。どこ行ったんだろうね」

 夏斗はいかにも興味なさそうな口調で言った。そしてどうでもいいような会話をいくらか交わしてから、彼はようやく立ち去った。




 書斎へと戻る途中の廊下で、昨日の猫がまたも足元にすり寄ってきた。れいなオレンジ色の毛並みにかぎしつ。名前は確か蜜柑だったか。死を予言する猫との触れ込みだったが、可愛いことには変わりない。

 小夜子が「蜜柑ちゃん」と文字通りの猫で声を出しながら、そろそろとにじり寄っていくと、猫の方もじりじりと後退していく。

 そうこうしているうちに、飼い主の御子神真冬も現れた。すると猫は小夜子におしりを向けて、真冬の後ろに駆けこんでしまった。

「弁護士さん、また来たの?」

「はい、すみません」

「死人が出るって、信じてないの?」

「いえ、信じてないわけじゃないんですが」

 小夜子は視線をそらしつつ弁解した。

「蜜柑は本当に人が死ぬのが分かるのよ。お母さんが死んだ時も、お祖父ちゃんが死んだ時も、蜜柑が『もうすぐこの家に死人が出るよ』って私に教えてくれたんだから」

「お母様が……そうなんですか」

 無表情の真冬を前に、小夜子は少々複雑な気持ちになった。

 昨日夏彦に聞いた話によれば、御子神真冬の母親は冬也がいなくなった翌年に、庭の池に落ちて亡くなっている。警察は事故として処理したが、夏彦いわく「しつそうした冬也のことでノイローゼ気味だったから、自殺の可能性もある」とのこと。

 真相がそのいずれであったとしても、幼い真冬に与えた衝撃は大変なものだったに違いない。真冬はそれがショックなあまり、夢と現実の区別がつかなくなっているのではなかろうか。

(少し早い中二病かと思ってたけど、むしろカウンセリングが必要な案件じゃないの、これ)

「それは……すごいですね」

「うん、蜜柑は凄いの」

「それでその……亡くなったお母様のお名前はなんとおっしゃるんですか?」

 小夜子はとりあえず話を続けた。

「御子神椿つばき

「椿さんですか、綺麗なお名前ですね」

「写真あるけど、見る?」

「はい。ぜひ」

「じゃあ、部屋こっちだから」

 真冬は先に立って歩きだした。

 再び長い廊下を何度か曲がって、階段を上り、突き当たりの重厚な扉を開けると、さんさんと日が差し込む部屋に出た。

「これ、お母さん」

 真冬は机の引き出しから一枚の写真を取り出して、小夜子に向かって差し出した。

 そこに写っていたのは、まだうら若いほっそりとした女性だった。茶色がかったふんわりした髪と整った顔立ち、そして目元の泣き黒子ぼくろ。綺麗な名前にふさわしい実に綺麗な女性だが、それよりも小夜子に強い印象を与えたのは、言いようのない既視感だ。

(あれ、私この人知ってる……?)

「失礼ですが、お母様はなにか外でお仕事は?」

「ううん、専業主婦だった」

「そうですか……」

「それがどうかしたの?」

「いえ、なんでも」

 一体どこで会ったのだろう。改めて記憶をあさってみたが、思い出すことができなかった。

「ところで真冬さん、おじいさまが打った春夏秋冬の短刀が見当たらないそうなんですが、真冬さんはどこかで見かけた記憶はありませんか?」

「知らない」

「そうですよね。失礼しました」

 まあ十歳の少女が興味を持つものではないだろう。小夜子は一人頷いた。

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