第2話 演劇《プレイ》

 演技をする。お芝居をする。

 高校生になって演劇部に入ってから日常になった行為。

 英語だとプレイplay。ほかにもアクトactということもある。

 それでも歌い上げる独白を含むミュージカルmusicalと区別されて、それぞれの役柄での台詞で進む一般的な演劇がストレートプレイstraight playと呼ばれるように、プレイplayは演劇や演技を表す一般的な言葉だ。


 普通の日常英語でも「Xの役割を演じる」は「play a role of X」。

 プレイって言葉は、私たちの「演じる」って日本語にきっと近い言葉なんだろうな。

 

 そう思うのだけれど、一方で「遊ぶ」もプレイplayだし、楽器を「演奏する」もプレイplayだ。そう考えるとなんだかよくわからなくなってくる。お芝居を作る上で、キャストに求められるのは、物語におけるそれぞれの役割を演じきること。好き勝手に遊ぶことなんかじゃない。


 楡井新は上手い。それは認める。

 でも毎回、演じ方を変えてくるし、演出意図に従ってくれない。

 まるでいつも「遊んで」いるみたいだ。

 それは彼の個性かもしれないけれど、このままじゃ私たちは一つの舞台を作りあげられないんじゃないかな。

 

 ただ私が舐められているだけかもしれない。私に、先輩の威厳ってないのかな?


 宮藤先輩みたいに実績もないし。演技だって上手くない。脚本も書いていない。

 でも去年、府大会で敗退が決まった後、引退していった先輩たちが背中を押してくれた。


「村越、来年は演出やってみろよ。お前の作る舞台、見てみたいからさ」


 悔しさを隠すみたいに言った先輩たちの言葉がものすごく刺さった。


 創部から初めて進出した全国大会。去年は洛和高校演劇部史上最高の年になる筈だった。

 それなのにコロナ禍のせいでその舞台である全国高等学校総合文化祭――総文そうぶんは中止になった。

 それはWEBサイトへの動画アップロードだけっていうWEB SOUBUNうぇぶそうぶん 2020という、夢見た全国大会とは似ても似つかない代物に変わった。


 高校一年生だった私は全国大会のキャストじゃなかったけれど。

 あの時、演劇部全体を覆った空気を、私は忘れない。きっとあれを――喪失感と呼ぶのだ。


 だからリベンジ。宮藤先輩がいなくなっても、再チャレンジ。

 去年のお芝居は、先輩の一学年下、私の一学年上のメンバーを中心に作った舞台だった。

 夏のブロック大会は抜けた。でも府大会で敗退した。たまらなく悔しかった。


「いーじゃん、あたしも絵里が適任だと思うよ!」


 あの日、メイクを落としたどこかテカテカとした顔で、眞姫那も言った。

 だから私は、演出っていう、普段の私じゃ背負いきれない重荷を背負った。


 *


「えっと、とりあえず水分補給をよろしくおねがいします」


 ステージからキャスト達がおりてきて円形になって座る。

 同級生の男の子が一人、立ち上がって体育館脇へと走っていった。水筒かペットボトルを取りに行くのだろう。

 夏の暑い時期の練習。熱中症対策は顧問の爽香さやか先生にも厳命されている。

 コロナのおかげでマスクもしていないといけないし。演技のときは外すけれど。


 正座をして他のメンバーを見回す。

 暑そうに天井を見上げながら、制服の襟元から脚本でパタパタと扇いで風を送り込んでいる子、私と一緒で正座しながらもペットボトルのお茶をゴクゴクと喉元に流し込んでいる眞姫那。

 その向こう側で、楡井くんが、あぐらをかいて、腕を組んでいた。首を傾げて考えごとをするみたいに。


「じゃあ、振り返りをしたいと思います。全体としては随分仕上がりに近くなってきていると思います。台詞もちゃんと頭に入ってきているし、詰まることもなくなってきたかなって思います」


 そう言ってぐるりと見回すと、一年生の女の子二人があからさまにホッとした表情を浮かべた。

 まぁ、そうだよね。一年生で演劇部に入って初めてのお芝居だもんね。

 でも、明々後日の金曜日からは途中で止めない通し稽古――リハーサルが始まる。

 このタイミングで台詞が頭に入っているなんて、あたりまえなんだけどね。

 本気で全国大会へ行こうと思うのなら。


 もう一人の一年生――楡井くんにリアクションはない。

 台詞を覚えるのは早かった。立ち稽古に入る前にもう全部入っていたんじゃないかな。


「楡井くんって、出来る子ね」と、梅雨の小雨が降る帰り道で眞姫那に言われて、「そうだね」と頷いたことを思い出す。

 全国大会に行くには、私たち二年生のメンバーだけでは、とてもじゃないけど足りない。だから演技力のあるキャストが欲しかった。

 楡井くんは、ちょっととっつきにくくて、上手くやっていけるか心配だったけれど、脚本の読み合わせ――座り稽古の時に彼が見せた演技はとても良かった。自然と私の頬が緩んじゃうくらいに。当時は少なくとも、不安より希望が上回ったのだ。


「だったら、どうして、私がこのシーンで止めたか、わかるかな? ――分かる人?」


 改めてキャストたちを見回すと一年生の女の子二人は俯いて視線を逸らした。私と同級生の男子が苦笑いを浮かべる。

 眞姫那が両手を後ろに突いて、両足を前へと放り出した。短くした紺色のスカートから肌色が覗く。


「――楡井くん。呼ばれてるぞー」

「はぁ? 俺っすか? 俺できてたっしょ。台詞もとちってないし、川添先輩の相手もできてたじゃないっすか? 何か問題なんすか?」


 黒縁メガネの奥で、楡井新は眉をひそめた。

 やっぱりだ。やっぱり、楡井くんは、自覚していない。

 ううん、違う。分かっていても、きっとその大切さがわからないんだ。

 演出の意図を汲まないといけないということが。


 だけど一年生だから、わからなくて当たり前かもしれない。

 現に、他の一年生もみんな「何のことだろう?」という顔をしているし。

 こういうことを指摘するのは、なんだか嫌な感じだ。

 でもこういうことは、誰かが言わないといけない。

 だから私が言うべきだろう。――私が「演出」だから。


「楡井くん。――あそこ、どうして『溜めた』の? あと、どうしてあんなに冷たい感じの返し方にしたの? 演出意図は分かっているよね?」


 私の膝の上で、脚本が、メリッと小さな音を立てた。

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