ビリジアン 洛和高校演劇部(令和3年度)

成井露丸

第1話 プロローグ

 どうして人は演じるんだろう? そんな質問はきっとシェイクスピアの時代にだって問われたに違いない。

 じゃあ、そんな質問に対する答えは、昔から変わっているのかな? それとも、変わっていないのかな?


 うだるような暑さのなか、埃と空気中に微かに揺れる湿気が体にまとわりつく。

 パイプ椅子がお尻に痛い。眞姫那まきなみたいにお尻と胸の大きな女の子なら、こういう痛みって、少しは和らぐのかなぁ。


 そんなどうしようもないことをふと考えたりしながら、舞台の上を見上げる。

 二本の白い四角柱は大道具。その上手側の脇にちょうど眞姫那が姿を見せた。


『待ってよ、コウジ! ――あなた昨日からおかしいわよ!』


 洛和高校の制服姿。女子高校生役。

 他校の制服を使っても良かったんだけど、とりあえず学校の制服を使っている。お金もかからないしね。

 お客さんにとっては、私たちの学校の制服でも、他校の制服でも変わらないわけだし。


 眞姫那が役になりきって髪を振り乱す。ちょっとオーバーアクションかなぁ。でも、高校演劇ってそういうところあるし、これはこれでいいのかも?


 彼女の茶色くてウェーブの掛かった髪は、染めているわけじゃない。地毛だ。ハーフなのかと疑われることもあるけれど、純粋日本人。お父さんはお寿司屋さんの板前さんで、お母さんは専業主婦。なんだか昭和の匂いすらする、純粋和風家庭である。


 去年は服装検査に引っかかる度にブツクサ言っていたけれど、最近はそんな話も聞かなくなった。まぁ、もう二年生の夏だからね。先生にも上級生にも知れ渡っているよ。


『――ユミコか。しつこいな。なんでもないよ。ちょっと疲れてるんだよ』

『もしかして……上手く行ってないの?』

『なんでそうなるんだよ!』


 下手側の白い直方体の柱の前には、Tシャツ姿の男の子。一年生の楡井にれいあらた。「立ち稽古では、できるだけ本番の衣装を着るようにしてね」って言ってたのに、完全に無視られている。


 私に、先輩の威厳ってないのかな?


 そしてセリフはつっけんどんな言い回し。


 あいつまた表現変えてんじゃん!

 そこは困ったような表情でって言ってたじゃん。そう決めたじゃん!

 なんで演出変えてくるかなぁ。

 じゃあ、その後、どうすんのよ?


 一人頭を抱えていると、ひとかたまりの風が吹いて、手元の脚本のページがパラパラとめくられた。

 急いで太ももの上に押さえつける。

 ステージのある体育館の小窓は換気のために開け放たれている。


 本当はステージ稽古のときは締め切りたかったりもするけれど、閉められない。

 なかなか収まりきらないコロナウィルス大流行のせいで、換気を良くしておくのは、部活動を続ける上での最低条件なのだ。


 それでも八月にある夏のブロック大会が、予定通り開催されるかどうか、まだわからない。


 このまま行けばきっと大丈夫だと思うのだけれど、突然、感染爆発が起こって「緊急事態宣言」だとか「まん延防止措置」とかが発令されたら中止とか、開催形態の変更もあり得るだろう。去年みたいに。


 コロナ禍になって一年以上が経った。今年はきっと開催されると信じている。でも、七月末になってきて感染者数が、またじわじわと増えてきている。

 頼むからみんな京都に観光とか来ないでね!

 去年の全国大会のことがあるから。本当に大会の中止はトラウマなのだ。


『――私、見たんだからね。コウジが、あの日、止まっている発電所の近くにいるの。――右手に何か工具を持っていた』


 そこで振り返るコウジ役の楡井くん。ここは演出通り。そして、すぐにユミコの誤解を解くようにセリフを――って、なんでこんなに間をとるの!?

 さっきから演出の約束からずれまくりなんだけど?


『それ? 本当に僕だった』


 皮肉めいた声。

 少し軽蔑するみたいな仕草。

 そのセリフの解釈が、また今日も変わっていた。

 楡井新。新入部員の一年生男子。


 演技は正直なところ上手い。もし演技のトーナメント戦でもあれば、私たちの演劇部で一番になるかもしれない。

 二年上の先輩たちが残っていたらそうでもなかったかもしれないけれど。


 今年は三年生ももう引退して、私たち二年生が最高学年。二年生でキャストをするのは私――村越むらこし絵里えりと、今掛け合いをしている川添かわぞえ眞姫那まきな。それからもう一人の同級生男子。あとは裏方。


 一年生にもキャスト志望者がいて、楡井くん以外にもあと二人の女子が今回キャストをやっているけれど、その二人は、まぁ、普通に一年生という感じだ。


 私は一つ、大きく、溜め息を吐いた。


「――はい、カット! 全員集合」


 脚本を丸めて左手のひらを打って音を鳴らすと、私はパイプ椅子から立ち上がった。――宮藤先輩がやっていたみたいに。


 ステージの上の魔法が解ける。張り詰めていた緊張の糸が緩む。劇空間が解体される。


 ビリジアンだったホリゾント幕の色が白に変わり、シーリングライトに地明りが灯る。


 舞台の上。白い柱の前に立っていた二人がこっちを向く。眞姫那は苦笑いを浮かべて。楡井くんは「水を差された」とばかりに不満げな表情を浮かべて。

 でも「水を差された」って、それはこっちの台詞だっつーの。


 下手の黒い袖幕から制服姿の一年生女子二人が顔を出していた。キャストの一年生だ。

 私は脚本を丸めたままクイクイと、手招きする。二人は頷いたあとに、下手に引っ込んでいった。照明と音響の二人を呼びに行ったのだろう。


 私は「演出」。舞台すべての責任を負う存在。

 演劇部が舞台を作るとき、それを引っ張るのは部長じゃない。演出だ。

 脚本に込められた想いを、構想を、舞台という空間の上で部員たちによるパフォーマンスという形に実体化させる。その指揮棒タクトを振るのが演出なんだ。


 一昨年、宮藤先輩がやったみたいに。今年は私が。きっとやるんだ。


 右手の力を緩める。思わず強く握りしめていた。じんわりと汗に濡れた手に包まれて、コピー用紙印刷され、製本された私たちの脚本がするすると元の形へと戻っていく。

 何度も丸められて、少したわんだ脚本は、もう随分傷んできた。


 入部当初には教科書的に教えられる「脚本は大切に扱いましょう」というフレーズ。

 でも、一つの公演に取り組む度に、脚本は何度も丸められ、開かれ曲げられ、演出を赤ペンで書き込まれ、覚えられない台詞に蛍光ペンが引かれ、照明プランと音響のきっかけがメモされて、汚れていく。でもそれが「何かを成し遂げた」勲章みたいで、私は好きだった。


 去年、先輩から見せてもらった一昨年の夏にブロック大会で使った脚本がボロボロで、カッコいいなって思った。

 去年、先輩から見せてもらった全国大会用の脚本が――きれいなままだったのが、悔しかった。


 立ち上がって自分の両手に開かれた脚本の表紙に視線を落とす。


 右下に「作・宮藤颯人」って書いてある。


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