第6話 ポリカラー
家に帰るともう完全に夕食の時間を過ぎていて「遅いわよー」とお母さんに軽く怒られた。
でも、めっちゃ汗をかいていたから、先にシャワーを浴びて、それからご飯を食べた。
すっきり、あんど、ぐったり。
部屋に戻ると、冷房をつけて、ベッドにダイブする。
白いスマートフォンを取り出すと、スワイプして画面をアンロック。ブラウザを開いた。
帰り際に眞姫那に言われた照明の話が気になったのだ。
試しに「ビリジアン」と「ポリカラー」で検索してみる。どうも良いページが出てこない。
「ポリカラー」の検索で出てきたページに行くと見慣れた番号とフィルム色の並びが表示された。
ピンク、緑、青、濃緑など、ポピュラーな名前で並ぶ。そこに「ビリジアン」はなかった。
首を傾げる。
そもそも「ビリジアン」ってどんな色だったっけ?
濃い緑みたいなやつだったと思うのだけれど。
ブラウザの検索窓に「ビリジアン」を入力してみる。
すぐにGoogleのぺージが開いて、検索結果が現れた。
画像検索結果には申し合わせたように絵の具の画像ばかりが出てくる。
ホリゾントライト用のカラーフィルターとは言わずとも絵の具以外のビリジアン色の何かが出てきて良さそうなものなのに。出てくるのは絵の具ばかり。
画面を下に送ると「絵の具に『みどり色』がなくて『ビリジアン』になっているのはなぜ?」というサイトが出てきた。
――なぜだろう?
素直に疑問に思って、そのWEBサイトを覗いてみた。記事を読む。
簡単に言うと、どうやら「ビリジアン」というのは絵の具ならでは色のようだ。他の色と混ぜることで「みどり色」は「ビリジアン」から作れるけれど「みどり色」から「ビリジアン」は作れない。
じゃあ照明の場合は? ポリカラーフィルターならどうなるのだろう?
ちょっと調べてもよく分からなかった。
宮藤先輩のト書きを信じて「ビリジアン」を照明くんに指示したけれど、これは彼も困ってしまっているかもしれない。
LINEアプリを立ち上げると演劇部のグループから照明くんのアカウントを見つけ出す。
彼のアイコンをタップして、個人メッセージを送った。
『ビリジアンの件、ありがとう。眞姫那から聞きました。今日のホリゾントライトで大丈夫でした。明後日以降の練習であらためて見せてもらうね。もしかしたら微修正してもらうかもしれませんが、とりあえず今のままでお願いします! お疲れさま』
そのままボウッとしていると、十秒くらいで既読がついた。
やがてポコンと通知音がなって、画面には「了解!」と敬礼した女の子のアニメキャラが現れた。
あの子、こんなスタンプを使っているんだ。以外だなぁ。
自分も見ていたアニメだから、今度その話題でも振ってみようかなぁ。
演劇部LINEグループに戻って過去のチャット履歴を眺めていると楡井くんのアイコンを見つけた。
あまり発言しないLINE上のレアキャラではあるけれど、アカウントが無いわけではない。
ふと昼の練習でのことを思い出す。喫茶店で眞姫那に言われたことも反芻する。
ちょっと言い過ぎたかな、と反省してみる。
私も二年生だし。先輩だし。演出だし。
いくら相手がいけ好かない生意気な一年生の楡井くんだと言っても、自分が冷静さを欠いていたかもしれないのは事実だ。ちょっとフォローしておいた方がいいかもしれない。
そう思って彼のアイコンをタップして、チャット画面を開いた。
『こんばんわ。今日は練習でちょっと言い過ぎたかもしれません。少しだけ反省しています。明後日からまたよろしくね。あと二週間がんばろうね』
送信。そのままスマートフォンをシーツの上に投げ出すと、私は枕の上に顔を埋めた。
慣れない後輩くんへのメッセージ。なんだか気持ちが落ち着かない。
しばらく待っても返信が来ない。五分くらい経ってからスマートフォンを開くと、まだ「既読」すら付いていなかった。それから更に五分くらい経って、ようやく通知音が鳴り、楡井くんから返事が返ってきた。
『別に気にしてないんで。はい。がんばります』
あぁ、私、この子と、仲良くなれる気、全然しないわ。
*
七月二八日、水曜日、練習は無いけれど、学校に行く。
小道具の製作が、道具係とその他の有志により技術室で進行していた。
眞姫那と楡井くんは居なかった。
「おつかれさまー、差し入れー」
1.5リットルのコーラゼロを持っていくと、それだけでめっちゃ喜ばれた。
なんだか人望をお金で買ったみたいで、逆に罪悪感みたいのものを覚えたけれど、まぁ、喜ばれているんだから、良いだろう。うん。甘い物はいつだって正義である。
有志の中に裏方の照明くんもいたので、昨日の話の続きをしておこうと、空き時間に声をかけた。
「あ、そのページ、僕も見ましたよ。それから他のページや本でも勉強したんです。おかげ様で光の混色とかについて、随分と詳しくなれましたよ」
そう言って照明くんは、人懐っこい笑顔を浮かべた。
めっちゃ真面目。勉強熱心で、礼儀正しくて、先輩として、なんだか感動してしまった。
楡井
色の混ぜ合わせには絵の具のようなものを混ぜ合わせるような減法混色と、ホリゾントライトのように光そのものを混ぜ合わせるような加法混色があるらしい。
だからビリジアンという色は、絵の具の世界では、それから混色によって色々な色をつくる上で役に立つのだけれど、加法混色を旨とするホリゾントライトのカラーフィルターとしては、ちょっと微妙な立場にあるみたいだ。
そういうこともあって絵の具にビリジアンはあるけれど、ホリゾントライトのポリカラーフィルターには無いのかもしれない。
そんなことを照明くんが教えてくれた。
「だから、脚本のホリゾントライト色にビリジアンが指定されているのは、なんだか変な気がするんですよね。単純に作者の宮藤先輩の書き間違いか、思い違いか何かじゃないですかね?」
「――そう、かもしれないね。また、機会があったら、宮藤先輩本人に聞いてみるよ。ありがとう。当面は今のままでいいからね」
そう言うと、彼はホッとしたように「わかりました」と返した。
でも正直なところ気になる。あの宮藤先輩がそんなことを間違って書くのだろうか?
もし間違って書かれたのだとしたら、本当の正解はなんなんだろう?
私は昨日の緑色でも良かったと思う。
でも、私が、そう思ったからといって、それが正解だって言えるのかな?
そもそも、「正解」って、何だろう?
不意に、なんだか足元が揺らぐような、そんな不安定な感覚を覚えた。
*
七月二九日、木曜日。リハーサル前の最後の立ち稽古。
楡井新が、また、演技を変えてきた。
*
七月三〇日、金曜日。初回のリハーサル。
誰も止めちゃいけない通し稽古の初回。
節目の回ということもあり、顧問の爽香先生が久しぶりに見に来てくれた。
金曜日の夕方ということもあって、だと思うけれど。
緊張感を持って始めたリハーサル。
第二幕の途中。私――村越絵里が演じるアカリと、物語の中心となる事件を起こしていくコウジ――楡井くんの役の掛け合いシーン。
その大切なリハーサルを、――止めてしまった。
私が。――演出の私が。
また新たに演技を変えてきた楡井くんに、私は我慢は限界に達したのだと思う。
ああ、私、ダメだな。演出なのにな。
そう思った。でも、感情が止まらなくて。
私は、舞台の上で、しゃがみこんだ。
その日はもう練習にならなかった。
混乱する生徒たちを爽香先生が落ち着けて、――その日は解散になった。
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