図書室の魔女に呪われた ~呪いの正体と絵本の秘密~
陽咲乃
第1話
ある日、タケシは涙ぐみながら母親のマリコに言った。
「おれ、呪われたのかもしれない」
「あら、そうなの? いったい誰に呪われたのかしら」
「魔女」
「魔女!」
「図書室の魔女」
「まあ! 図書室に魔女がいるの?」
「うん」
「いつから?」
「三か月くらい前。図書室の先生がやめて、新しい人になったんだ」
「その、新しい先生が魔女なのね」
「そうだよ」
「タケシは、どうしてその先生が魔女だと思ったの?」
「前に本で読んだんだ。魔女は黒い服を着て、黒猫を連れていて、薬草やトカゲのしっぽで薬や毒を作るって」
長い話になりそうだからお茶を入れましょうとマリコが言い、テーブルの上にティーセットが用意された。
熱いお湯の入ったポットとティーカップ。
マリコ用に紅茶やお茶を何種類か、タケシはいつも冷たいオレンジジュースか牛乳だ。
「暖かい飲み物の方がいいわね。気持ちが落ち着くから」
そう言って、マリコは牛乳をレンジで温め始めた。
タケシは、冷たい方がいいのにと思ったが、差し出されたカップを黙って受け取った。
あったかい。
手のひらに温もりを感じてほっとする。
タケシは自分の身体が冷たくなっていたことに気づいた。
ふうふうと息を吹いて冷ましながら、ゆっくりと牛乳を飲むと、身体がポカポカしてきた。
「落ち着いたみたいね。じゃあ、その魔女さんのことを教えてくれる?」
◇
その魔女が小学校に来たのは三か月くらい前で、新しくきた図書室の先生だった。
前にいた先生は厳しくて、ふざけたり大きい声を出したりするとすごく怒られたから、今度の先生は優しいといいなと思ってたんだ。
先生の名前は
春のつく名前なのに、いつも冬のような暗いワンピースを着ている。
「顔はきれいなのにババ臭いよな」
と口の悪い友だちが言っていた。
洋服もだけど、不思議と先生のまわりだけ、時間が止まっているような、しんとした静けさに包まれていた。
きっちりと結い上げた髪と黒いワンピースは、まるでお葬式の帰りみたいだ。同じような格好をしたお母さんに「ちょっと塩振って!」と頼まれたことがあった。
三谷先生はあまり笑顔を見せないから、教頭先生に注意されてるのを聞いたことがある。
「もう少し愛想良くできない? 子供が怖がっちゃうでしょ。服装もなんだか暗くて地味ねえ。もっと明るい色の洋服はないの?」
先生は何を言われても「はあ」としか答えないので、教頭先生もあきれていた。
三谷先生は図書館にいるとき、よく同じ棚の前にいた。
いつもそっと一冊の本を抜き取り、大切そうに頁をめくる。
(そんなに好きな本なのかな)
おれはその本の表紙を盗み見て、誰も見ていないときに読んでみた。
それは絵本だった。
森の中でひとりで暮らしていた魔女が、友だちを作りたくて森を飛び出し、町の人々と触れ合いながら成長していく話。
その魔女は黒いワンピースを着ていて、顔もなんとなく三谷先生に似ていた。
「これ、先生のことだったりして……」
それからも気になって、先生のことを観察した。
いつも水筒を持ってきていて、それ以外のものを飲まない。
(もしかしたら怪しい薬草茶かもしれない)
女生徒にせがまれて、たまに占いをしている。
(魔女は未来を占うという)
そして今、なんと中庭で黒猫にエサをあげている。
(闇にまぎれる黒猫は魔女の使いと言われている)
やっぱり魔女だったんだ!
ベンチに座っている魔女は、おれがこっそり見ているとも知らず、結い上げている髪をほどいた。
何度か首を振ると、緩くカーブした長い髪が胸元までパラリと落ちる。
魔女は髪をかきあげ、「はぁ、すっきりした」と呟き、黒猫に向かってとびっきりの笑顔を見せた。
その瞬間、おれは呪いにかかった。
急に顔が熱くなり、心臓がばくばくと音を立てた。
なんだよ、これ……。
◇
「それで怖くなったから、走って帰って来たんだ」
タケシの長い話を聞いて、マリコは言った。
「これはまた……やっかいな呪いにかかったもんだ」
「やっぱりこれ呪いなの⁉︎」
「そう、恐ろしい呪いだよ。自分ではどうすることもできない」
マリコに脅かされて、タケシが怯える。
「ど、どうしよう」
「でも、タケシはまだ若いから大丈夫! 時間が経てば、やがて呪いは消えていく」
「ほんと⁉︎ 良かったあ」
タケシはほっとした。
「でも、若くないとどうなるの?」
「年を取るほど呪いはなかなか消えてくれない。心をむしばんでいく人もいる。本当にやっかいな呪いだよ」
マリコは深いため息をついた。
「一番の対処法は、魔女に近づかないこと。タケシは魔女のことが気になっていつも見てたでしょ? それで呪いにかかりやすくなったの」
「そうだったのか……みんなにも教えたほうがいいかな? 三谷先生が魔女だって」
「ううん、誰にも言っちゃ駄目。大丈夫。呪いは誰にでもかかるものじゃないから。タケシだからかかったんだよ」
マリコの意味深な言い方にタケシは気づかない。
お母さんがそう言うならと、タケシは図書室に行くのをやめた。
昼休みはみんなと外で遊び、放課後はまっすぐ家に帰る。呪いのせいか、どうしても図書室に行きたくなるときもあったが、必死で我慢した。
そんな風に過ごしていたら、いつのまにか呪いは消えていた。
◇
月日は流れ、タケシの卒業式の日。
(呪いも解けたし、最後くらいいいよな)
久しぶりに図書室に行くと三谷先生がいた。いつものように、髪を結い上げて黒い服を着ている。
「卒業おめでとう」と言われたので、「ありがとうございます」と答えた。
見つめ合うと心がざわめく。
また呪いにかかりそうな気がする。
どうしてこの人の顔を見ると落ち着かなくなるんだろう。
そんなおれに、先生は手にしていた本を見せた。
あの日見た、魔女の絵本だった。
「これね、先生の恋人が書いた本なの」
「あ、そうなんですか……」
(どおりで似てるわけだ)
「もう、死んじゃったんだけどね……病気だったの。売れない絵本作家でね。ほら、ここに寄贈って書いてるでしょ? わたしが寄贈したの。たくさんの子どもたちに読んでもらいたくて……でも、貸出カードにもあんまり名前書いてないなあ」
先生が泣き出しそうに見えたので、思わず「おれ、読みました」と言ってしまった。
「え、ほんとに?」
「はい。面白かったです。無愛想な魔女が、町の人達のおかげでだんだん明るくなるとことか、初めて友達ができたところとか。それにあの魔女、先生によく似てますよね?」
「わたしに?」
「気づいてなかったんですか?」
「ええ。自分じゃよくわからないけど……そう? わたしに似てる?」
「顔がよく似てます。それに、服装とか性格とか……あっ、最後に長い髪をなびかせて、笑いながら
三谷先生は驚いたような顔をした。
しまった。
「あ、いや、前に中庭で猫にエサをやってるのを見たことがあって、そのとき髪をほどいて笑ってたから」
「そう……ふふ、そっかあ、見られてたんだ」
あはははと、大きな口を開けて先生が笑ったので驚いた。
ひとしきり笑ったあと、先生は言った。
「ありがとう。確かにあの人、わたしの笑顔が好きだって言ってた……いつまでも黒い服着てたら怒られるかな」
「そうですね」
物語の途中で魔女は黒い服を脱ぎ捨てた。
そして最後の頁。
青空の下、きれいな桜色のワンピースを着た魔女は、大きな口を開けて笑っていた。
さっきの先生のように。
あの絵本は恋人からのラブレターだったんだ。
自分がいなくなったあと、ひとりで残される先生に向けて書かれた絵本。
時間はかかったけど、ちゃんと先生に届いた。
「お世話になりました」
おれは頭を下げて図書館を出た。
やっとわかった。
あれは呪いなんかじゃない。
急に顔が熱くなったのも、心臓がばくばくしたのも、会いたくてたまらなかったのも、全部、先生を好きになったからだ。
母さんめ。なにが呪いだ……いや、やっぱり呪いなのかな。一度かかったら自分では止められないんだから。
こうしておれの初恋は、告白することもなく静かに終わった。
図書室の魔女に呪われた ~呪いの正体と絵本の秘密~ 陽咲乃 @hiro10pi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます