第5話
イシアとザクリスの登録が終わると、次は他の乗組員のデータ入力が行われた。これは、ごく普通に名前や職種、それから生体情報といったもので、既に全員が左手首に付けている携帯端末に登録されている情報だ。私たちが行う登録作業は、この端末とアマラリックとの無線回線の接続を確立することだけだった。後は勝手にアマラリックが情報を読み込み、乗組員データとして記憶していく。
今後はアマラリックが入力されたデータを基に常に艦内を監視し、乗組員登録されていない部外者が紛れ込んでいないかチェックするのだという。
『ミルダルン二名、乗組員一八名を登録しました。以上で、乗員データベースの入力を終了し、艦内監視ルーチンを起動します。未登録者は強制退艦措置が取られますので、ご注意ください』
アマラリックのアナウンスが流れる。イシアが了解と短く答えると、艦外を映していた壁面モニタの一つの表示が切り替わり、監視中と表示された。
「じゃあ、これからエンジン始動フェーズに入る。第一シフトの乗組員は各自持ち場について。残りのメンバーは予備シートを出すから、そこに座って見学な。とりあえず、床の緑のラインより外に出てて」
乗組員は三交代制らしい。最初のシフトのメンバーが、コンソール前の各席に着席する。他のシフトのメンバーと、医療関係のメンバー、そして私は、イシアの指示通り、床に走った緑色の光の線で囲まれた部分を避けるように、壁際に寄った。
「ヒュー、全補助シート展開」
「了解」
オペレータのヒューがイシアの指示に従ってコンソールを操作する。電子音の短い警告が発せられた後、床面が開いて補助シートがせり上がってきた。
めいめい出てきたシートに座る。私も空いている席に腰かけ、固定ベルトを装着した。エンジンを始動するだけで発進するわけではないが、新造艦の初始動なので念のため、というところだろう。補助シートとはいえ、発進時や戦闘時のGに耐えられるよう、衝撃吸収材が多重に使われた、頑丈で重厚なものだ。
「アマラリック、エンジン始動プロセス開始」
『了解。エンジン始動プロセス、第一フェーズ開始します。外部電源、電圧チェック――正常。内部バッテリー残量チェック――メインバッテリー六十パーセント、正常。サブバッテリー八十パーセント、正常。エネルギー残量チェック――第一燃料タンク、百パーセント、正常。第二燃料タンク、百パーセント、正常。始動時状態――アイドリング、出力十パーセントに設定。第一フェーズ異常なし。第二フェーズに移行します』
アマラリックの淡々とした声に伴って、壁面モニターが次々に表示を変えていく。巨大なメインスクリーンには戦艦の機構図が表示され、チェック箇所がつぎつぎと正常を表すグリーンに変化していった。
なんだかわくわくする。これから命がけの航海が始まるというのに。自分がこんな高揚感に包まれるなんて、とても不思議だった。
『……外部電源遮断、艦内電源を内部バッテリーに切り替えます。――切替完了、電圧チェック、第一~第二系統異常無し。第三~第四系統異常無し。外部電源ケーブル切離し――左舷第一、完了。第二、完了。右舷第一、完了。第二、完了。全電源コネクタ格納。第一、第二エンジン燃料供給開始、異常無し。第三、第四エンジン燃料供給開始、異常無し。十秒後に点火します。九、八、七、六、五、四、三、二、一――エンジン点火』
瞬間、轟音と共に巨大な振動がブリッジを揺るがす。素人目にも大出力エンジンなのだろうと思われる、力強い音だった。振動と音はすぐに収まり、安定的なモーター音のようなものがかすかに聞こえるだけになる。
『第一、第二エンジン、異常無し。第三、第四エンジン異常無し。出力、設定値付近で安定、誤差一パーセント未満。内部バッテリー、エンジンより充電開始。各電力供給系統に異常無し』
「よーし、始動成功!」
副長席のザクリスが明るい声で言う。どこからともなく、拍手が起こった。
「アマラリック、各エンジンの出力誤差の調整を開始」
『了解しました。第一~第四エンジンの出力誤差の調整を開始します』
「リロイはこのままエンジン出力値のモニタリングを継続、アマラリックを支援して」
「了解です」
「ジェフもモニタリング継続。各エンジンの温度上昇値と油圧変化に注意。異常が見つかったらただちにエンジンを停止して」
「はい」
これまでは主にイシアが主導していたが、ザクリスの指示も淀みない。
イシアが進行を指揮し、ザクリスが技術面の指示を出すという分担のようだ。
「これより三日間監視と各部の微調整を継続し、異常が無ければ第五演習宙域へ向けて出航する。第二シフト、第三シフトのメンバーは解散し居住区画で待機。……ああ、ジェシカもね」
イシアが指示の後に突然私の名前を付け加えたので、私はびっくりして身体が跳ねそうになった。実際には、シートにがっちりホールドされているのでそんなことにはならないが。
私の仕事にはシフトというものが無い。基本的にはイシアとザクリスの生活に合わせる、という漠然とした方針があるだけだ。それを考慮してイシアは言ってくれたのだろう。
「は、はい。失礼します」
歳若い彼の気遣いに感心しつつ、私は応えた。返事を受けてか、シートの固定ベルトがひとりでに外れる。
座席から立ち上がり、そこでふと、ブリッジを見回した。最初に来たときはガラス張りのように思えた壁面は、今は各モニターがさまざまな情報を個別に映し出していて、すっかり様変わりしている。
忙しない明滅を何とはなしに見上げた。先ほどまで吸い込まれるような宇宙の静謐がそこに映っていたのが信じられない。あれはこの艦が
私はブリッジの隅に寄り、出口に向かって歩き始める。進んでいくと、やや前方のモニターが目についた。
ひとつだけ、まだ艦外を映しているのか真っ黒だ。フロアに立つ自分の視線のほんの少し上、というブリッジ全体からしたら低い場所の、更に端の位置なので、航行システムに使われていないのか。
いや、そういったモニターは他にもあるが、それらは皆一様にアマラリックの作業フェーズ名が左から右へと流れるように映し出されている。
(故障かしら?)
初期不良という可能性も無くはないだろう。気になって正面まで行き、その真っ黒なエリアを見上げた。
「あ……」
近付いて、それが『何』なのか分かったとき、私は思わず声をあげていた。
黒いそれはモニターではなかった。先ほどまでは他のモニターと共に星々を映していたかのように違和感が無かったのは、そこに小さな文字が刻まれていて、その凹凸が艦内の光を反射していたせいだろう。
私は瞬きを忘れて、そのプレートに刻まれたたくさんの文字を追った。隅から隅まで、一文字たりとも見逃すことのないよう――。
そうして、見つけた。この艦の建造に関わった人々の名前の羅列の中に。
二度と会うことの叶わなくなった、夫の名を。
目頭が熱くなり、視界が滲む。こんなところで泣いている場合ではない。そう思うのに、足が動かない。目がそこから離れない。
(やっと、あなたに……あなたに会えた)
しばし立ち尽くして見つめた後、ひとつ鼻を啜ってブリッジの中央を振り返る。白髪の少年たちが真剣な面持ちでコンソールやスクリーン、はたまた乗組員たちと向き合っていた。
夫の仕事が、自分を守るためのものであったと言うのであれば。
今度は、自分が彼を――彼が遺したものを守るのだ。どんなにささやかな力であっても。
ミルダルン Skorca @skorca
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