空も海も
夢月七海
空も海も
あたしが初めて見た人魚は、マリアンヌという名前の女の子だった。あたしたちハーピーが、南の大陸から北の大陸へ移動している途中のことだったのを覚えている。
他の家族から大きく離れて、あたしは大陸沿いの海を飛んでいる時のこと。その途中にある岩の一つに、マリアンヌは仰向けになって、うとうとしているのを見つけた。
足の代わりにくっついている魚の尻尾は、深い青色で、海の水に濡れていて、太陽の光を反射させてキラキラしていた。一体なんだろうと気になって、あたしは、その岩の上に降り立った。
「どうしてそんなにも蒼いの?」――それが、マリアンヌに初めてかけた、あたしの言葉だった。マリアンヌは面倒くさそうに目を開けて、「保護色なのよ」と言っていたけれど、あたしが保護色が何か尋ね返すと、詳しく教えてくれた。
他のハーピーよりも、あたしは好奇心が強くて、みんなが気にしないことも知りたいと思って、何でも質問した。でも、パパやママや兄弟たちは、あたしの質問に対して、「それがどうしたんだ」と怒るばかりで、何も教えてくれない。
ただ、マリアンヌだけが、あたしの質問に答えてくれた。それが嬉しくて、海を渡る春と秋に、マリアンヌの姿を見かける度に、話しかけるようになっていった。
だけどその内、ハーピーの恋の季節になり、あたしもオスを見つけないといけなくなった。ママもパパも、あたしに丈夫な子供を産んでほしいと言っていたけれど、あたしはそんなこと、どうでも良かった。どんなオスよりも、マリアンヌの方がずっと好きだった。
その気持ちをマリアンヌに零した後、あたしは、空と海が一つになっている南の果てを目指して、一生懸命飛んでいった。あそこに行けば、マリアンヌと一つになれると、そう信じて。
南の果てに近付く内に、だんだんと寒くなってきて、あたしは海に浮かぶ氷の塊の上に落ちてしまった。このまま、死んじゃうのかな……そう思っていた時に、マリアンヌが泳いできて、助けてくれた。
それからあたしたちは、川が海に合流する入江のところで、一緒に住んでいる。マリアンヌの看病のお陰で、あたしは元気になれたけれど、大陸を渡れるほど体力はなくなってしまった。だから、ずっと南の大陸で暮らすことになったけれど、それでもいいと思っている。
太陽が昇るよりも早く、あたしは目を覚ます。木の上から入り江を覗いてみると、まだマリアンヌは見えてこない。でも、マリアンヌは寝坊助だから、あたしは朝ご飯を探しながら、彼女が起きてくるのを待つ。
海水も温かくなってきてから、マリアンヌは起きてくる。その時の手には、マリアンヌのご飯が握られている。
「おはようマリアンヌ!」
「おはよう、スース。今日も元気ね」
朝が苦手なマリアンヌはちょっと元気がない。でも、あたしを見ると笑い掛けてくれる。それがとっても嬉しい。
あたしたちは、入江の大きな岩に座って、一緒にご飯を食べる。あたしは色んな木の実、マリアンヌは色んな貝をもぐもぐする。
その後は、マリアンヌと一緒に遊ぶ。追いかけっこをしたり、宝探しをしたり、ずっとお喋りをしたり、たくさんの遊びがあるけれど、唄を歌うのは必ずやっている。
マリアンヌもあたしも、歌うのが好きだった。人魚は、お母さんから教えてもらった唄を、いつも歌っていると言っていた。ハーピーは、恋の季節に歌うけれど、あたしはいつも恋しているみたいなものだから、マリアンヌのために歌っている。
あたしが、ハーピーの唄を歌って、マリアンヌが人魚の唄を歌って、お互いの唄を真似っこしたり、一緒に口ずさんだり、いつも楽しい。唄にもたくさんの種類があって、特に人魚の唄は、悲しい時のものも嬉しい時のものもあって、とっても幅広い。
「明日はどんな唄を歌おう?」
日が沈んで、暗くなって、二人がそれぞれの寝床に行く前に、あたしたちは明日歌う唄を決める。
今日もその予定で聞いてみたけれど、マリアンヌは俯いていて、自分のヒレで海面をぴちゃぴちゃ撫でながら、ぽつんと返した。
「鎮魂の唄」
「鎮魂……ってなあに?」
目をぱちくりしながら尋ねると、マリアンヌはこっちを向いて、見たことないような弱々しい笑顔を見せた。
「死んだ人の魂を慰めるって意味だよ。――明日、あたしの両親が死んだ日なの」
「あ……」
あたしは、何と返せばいいのか分からなかった。
マリアンヌのママとパパが、死んでしまっていることは、なんとなく分かっていたけれど、はっきりと教えてもらったことは初めてだった。
「えっと、ごめんね」
「ううん。いいの。いつか言わないといけないことだったから」
苦笑しながら、そう言ったマリアンヌは、「それで、お願いがあるんだけど……」と真剣な顔で続けた。
マリアンヌの両親は、ずっと沖の方の海底に眠っている。明日は、そこへ向かいたいというのだ。
「あたしも一緒に行く」
意を決してそう言った。海の中までは潜れなくても、海面でマリアンヌと一緒に、鎮魂の唄を歌いたかった。
だけど、マリアンヌはゆるゆると首を横に振った。
「無理だよ。往復で半日も掛かるよ? それに、あの辺りは海が深くて、スースが休めるような岩もないよ?」
「でも、でも……」
マリアンヌが、あたしのためにそう言っているのは分かる。だけど、幼い子供みたいにあたしはぐずっていた。
ひとりぼっちは怖い。遠くまで行ってしまったマリアンヌが、もしも戻ってこなかったらどうしよう。そんな気持ちでいっぱいのあたしの手を、マリアンヌがそっと握った。
「大丈夫。私は、ちゃんとここに戻ってくるから。信じて、待ってて」
「……うん」
潤んだ瞳で、そう言われたら、こっちは頷くしかない。あたしは、鼻の奥がつんとして、鼻水が出てきそうになるのを、一生懸命吸い込んで我慢した。
■
次の日の朝、マリアンヌはあたしと同じくらいの時間に起きた。ごはんの後に、太陽が昇り始めた、東の海と向き合う。
「じゃあ、いってくるね」
「うん。いってらっしゃい」
青い羽根を大きく振って、マリアンヌを見送った。ずっと見つめ続けていたいけれど、すぐさま波の間に隠れてしまう。
どれだけ目を凝らしても、入江近くで一番高い木に登っても、マリアンヌの姿は見つからなかった。マリアンヌはあまり自慢しないけれど、泳ぐのがすごく速いと思う。
夕方まで、マリアンヌは帰ってこない。じっと海を見つめていると、どんどん悪いことを考えてしまう。
何でも食べてしまうオルカに、マリアンヌが襲われたら……。潮の流れのせいで、迷子になってしまったら……。色んな最悪な場合を考えて、勝手に怖くなる。
でも、一番あたしが恐れているのは、マリアンヌがこのまま、海の世界に戻ってしまうことだった。ずっと、自分のママとパパの所にいたいと思ったら……。仲良しの友達と再会したら……。かっこいいオスに、恋しちゃったら……。
あたしたちは、言葉に出さずとも、分かっている。ハーピーと人魚は、一緒に暮らせない。空の生き物と海の生き物だから当たり前だけど、ずっとお互いを騙し続けている。
ひとりぼっちの寂しさを、そっと思い出す。家族みんなが、あたしよりも先に飛んでいって、点になって、見えなくなって、怖くて怖くてたまらなくて、それでも一生懸命飛んでて……。そんな時に、マリアンヌと出会った。
昨日、マリアンヌは言っていた。「信じて、待ってて」と。彼女と置いていった自分の家族とは違うんだと、このままマリアンヌを追いかけてしまいたい気持ちをぐっとこらえて、じっと待つ。
とはいえ、また悪い考えが浮かばないようにと、他のことをして気を紛らわせようとした。最初は寝てしまえば、すぐに夕方になれると思ったけれど、太陽が眩しくって、ちょっとしか眠れない。
その後に、入江の周りを探索した。地面を歩いてみたり、ちょうちょを追いかけてみたり、鳥のお喋りを真似してみたり。それなのに、また、海の方を向いている。
まだ、まだ、夕方にならない。じりじりしながら、あたしは木の上でまた立っている。
マリアンヌと一緒にいる時は、一日があっという間に過ぎていくのに、一人だとゆっくり流れていく。すごく不思議だ。
……マリアンヌは、もうママとパパのお墓についたのかな? マリアンヌは、本当にママとパパが大好きなんだと思う。あたしたちには、お墓に行くという風習が無いので、よりそう感じる。
あたしは、家族から結構酷いことを言われて、心の中で「死んじゃえ」って思ったこともある。でも、家族は、多分生きていて、マリアンヌは大好きなママとパパを、先に亡くしていて……。こういうのを、何と言うのだろう、マリアンヌなら知っているかもしれない。
太陽が、カタツムリのようにゆっくりと動いていくのを背中で感じながら、あたしは色々考えた。その中には、自分の家族のことや、マリアンヌの家族のこともあった。帰ってきたマリアンヌと、家族の話をしてみたい。
はっとすると、東の海も夕焼け色に染まっていた。空も海も、一日の終わりを、キラキラ光って祝福している。
全部が橙色の中で、波がパシャリと跳ねて、青い鱗が見えた。
マリアンヌだ。
あたしは、涙が溢れ出てきて、全部が滲んてしまった。今すぐ、マリアンヌの所に飛んでいきたいのに、声が迸るままにしている。
マリアンヌが、片手を挙げて振っている。それは何となく分かったので、あたしも必死に振り返す。
帰ってきた。帰ってきてくれた。
マリアンヌ、おかえり。
空も海も 夢月七海 @yumetuki-773
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