終章



「覚悟は良いかえ?」


 大卓の向こう、身の毛もよだつほど美しい青年は無感動なかおでこちらを見返している。


 自分がただ、人ではない、ということだけを教わり、真実をひた隠しにされてきた彼は知りたいと思っている。己が存在している意味、何をすべき為に生まれ落ちたのかを。同時にひどく怖れている。儕輩なかまと『違う』こと、そしてそれが露見し、腫れ物のように扱われまたは拒絶されはしまいかと。本心では決して認めたくないのだ。周囲と同じ側にはどうあっても行けないことを。

 厳然たる事実から目を逸らし、割り切れず自分自身の存在そのものに傷ついている。心を守る為にも決して隙を見せはしないという表れなのか冷たい表情を崩さない。

 親を敬い友を愛するよう、人と全く同じく育った異端の彼は葛斎の予想以上に『普通の人間』としての自我が強かった。


(はたして正解だったのか)


 天命を教えず今日まで飼い殺した。これは、もしや裏目に出たのでは。

 何梅は楓氏に真理を授く役目を葛斎に丸投げした。おそらくそれは泉民だからという理由もあったかもしれない。


 母と慕わせ、洗脳するのは容易たやすかったはずで、現に半分は成功している。しかし何梅はこの拾いんでいる。いつか、さとい彼なら薄々気がつく。だからこそ盲従するよう躾けるのは危ないと判断したのだ。ひとたび猜疑心を抱けば母に対する信仰は瓦解し、授けられてきた智恵と教理も共に受け容れ難いものとなる。ゆえに、本来は深い繋がりのないはずの異族である葛斎が同じ志を持ち、共に夢を叶えようと動いてきたことを葛斎自身の口から聞かせることにより使命に生きるべき自己を肯定させるのだ。まわりくどい方法をったものだが、天門が実在し、叩扉こうひという神事において己が枢要すうようなのだ、という意識により現実味を帯びさせる上で、何梅はそのほうが有効だと判断した。



 しかし、――――あまりにもろい。

 賢明で柔順で、他人に対する愛が深すぎる。



 自分たちにとって初めての楓氏、どう成長するのかは手探りで何も分からない状態から何梅は彼をとにかく人として育ててみたわけだが、皆と同じように生きたい、幸せになりたいという欲求を抑えてどれだけ母たちに従ってくれるのか、懸念を拭えない気性の男になった。


 彼に成すべき天命を訓戒することは犠牲になるよう強要するのと同じだ。

 それを、がえんじてくれるのか。





 明かした後、当人は肌をいっそう青白くさせて問うた。

「……もしも万一、失敗すれば私は命を落とすでしょうか」

「前例はないゆえ、それは分からぬ。しかし楓氏は閽神かどもりのかみ、おぬしも天の門を感知できるのであろう。やってみる価値はある、というのが我々の見解じゃ」


 しばらく黙りこくる姿に、密かに背に汗を流した。何梅め、重い荷を押しつけてくれた。私に無知の楓氏を説得できる気はしないぞ。


「ですが、今までの二度の叩扉から考えて『開ける』力を持つ天啓者は、もし失敗してもちぎりが解かれるのみで現世うつしよに戻って来られる。それは間違いないですね?」

「ああ。それは柳仙様が試してみたからの」

「それならいいです」


 即答に思わず腰を浮かせた。青年はひとり頷く。


「当主の命を天秤に架けろというなら私もお断りしますが、そうでないなら成功にしてみる価値はあります」

「…………受け容れる、と?」

「はい。それこそが私が人でないものとして生まれた意味で意義ならここまできてもはや拒絶はできません」


 なんてことだ、と胸が痛んだ。なぜそれほど素直なのか。思わず訊いてしまった。


「おぬし、母やわらわに騙されているとは思わないのかえ」

「それでも良いです。水のない焦りと苦しみから一族が救われるのなら。…………今まで殺めてきた同胞は数知れず、そのほとんどが狭い領地における利権を巡った戦いでした。我ら一族はもう限界が近いのです。同盟が結ばれ二十有余年、少しはましになりましたがそれでも問題は次から次へと出てきては山積していきます。疲弊して弱っていくのを見たくはない。打開するために私が少しでも役に立てるのなら本望です。だって、母上さまはその目的で私を庇護し養育してくださったのでしょう?騙されていたとしても、少なくともその恩義にはむくいたい。その方法が天門に赴くことなら、いといはしません」

 ……と、偉そうに語りましたが、とほんの少し口端だけで微笑んだ。

「私は当主が――韃拓ダッタクが死なず、ゆくゆくは賢君として名を馳せるのなら、それだけでいいのです」

「…………いたく愛しておるのじゃな」

「ええ。私の宝です。ですから、あの子に危機が及ぶ要求なら即却下です。母上さまとて許しはしませんよ」

 彼は何梅よりも、その次男に依りどころを得たらしい。

「近いうち、角公かくこうにも明かして饕餮とうてつを手に入れてもらわねばならぬ」

「ご心配なく。『選定』で死ぬような子ではありません」

 よく言う。その性格なら身を切るくらい案じるだろうに、と葛斎は扇を手に打ちつけた。

「そういうわけで、三度みたびの叩扉はおぬしらに懸かるというわけじゃ。それが終わればこの大泉地は激変する。妾は来たる新しい世を角族と共に迎えたい。力を貸してくれ、我らの楓氏よ」

「必ずやお役に立ってみせましょう」







 こうして新たな楓氏は天命をいただいた。関わる全ての者は天門の『じょう』となる唯一の仔に大望の成就を託す。


 人は天門へ立ち入ることを許されない。のぼれるのは九子の半双かたわれ、天啓を勝ちった者、そして監門もんばんのみだ。

 監門の――閽神の力をけんする初の試みは成功以外ありえないはずだ。そう信じるしか、ない。



(一番現実味なく生きているのは私かもしれない)



 朝目覚めてから夜眠るまで、夢の中でさえ消えない焦がれ。

 堂々巡りの日々の裏で密やかに抱く宿望。


 あの日、何梅に出会わなければ、こんな運命を負うこともなかった。

 ただひたすら荏苒じんぜんと、あの時から今この瞬間まで、変革を最前列で見届けようとずっと待ち続けている。

 早く、と叫び出しそうなほど待ちきれない。なぜなら自分は折り返し地点をとうに過ぎ、あとは老いさらばえてちりになるだけの余生しか残されていないからだ。

 早く、この目が見えている間に。この足が立つうちに。どうか。



 これは私たちが初めた大業なのだ。結果を見ずして死ねるものか。

 王なる母たちが血をきよめ地をあらたにする初めの一歩なのだ。



 神をび覚まし祝福されるのは、我々だ。




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聖胎王母 下 合澤臣 @omimimi

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