一番後ろの争奪戦
志村麦穂
一番後ろの争奪戦
挨拶月間のめんどくさいおはよう合戦を潜り抜け、下駄箱から階段を駆け上がる。三か月経ってようやく馴染んだ六年一組の教室は校舎の三階。いつもと変わらないはずの教室。でも、どことなく浮ついた雰囲気のクラスメイトたち。今日はいつもと少し違う。
席に着くと、後ろの席の誠也がさっそく話しかけてきた。朝の要件は毎回同じだ。
「竹彦、宿題みせてくんね?」
「算数? 英語?」
「英語。一時間目に当てられるじゃん。英文の和訳と並び替えるやつ」
「ぼくは昨日の放課後、サッカーしてたわけ。そりゃもう一生懸命にね。腹をすかして帰ってきたら、あとはもうわかるだろ?」
「やってないことはわかった。飯食って寝落ちしたわけね」
誠也はおおげさにあきれ顔を作ってみせるが、そもそも宿題は自分でやってくるものだ。ぼくが責められるいわれはない。前に自分でやってこない理由を聞いたら、間違っても他人のせいにできるから、といっていた。割と最低な部類の動機だ。
「いいよ、別に。委員長に見せてもらうから。委員長は真面目だから宿題を忘れてくるわけないし、他人に甘いから分け隔てなくみせてくれるんだ」
「立花さん、あんまコイツのこと甘やかさない方がいいよ。調子にのるから。迷惑だったら断りな」
誠也は隣の席で教科書とノートをめくっていた立花に話しかける。やぼったいフレームの眼鏡と黒髪おさげ。彼女は外見的にも学級委員のコスプレに思えるほどの真面目キャラだ。実際、中学受験をするらしいから真面目にならざるを得ないというところだろうか。いい子や真面目でいるのも大変だろう。
「在原くんの言う通りかもね。今日は厳しくいくことにする。それにもう朝ホームがはじまっちゃう」
立花は時計を気にして、教科書とノートを片付けた。見直しでもしていたのだろう。英語の教科書だった。
「ヤバ……頼みの綱が切れたわ。誰か見せてくれる人いねえかな」
「もう自分でやった方がはやいんじゃないの?」
「だって、どこ当てられるかわかんねーだろ。全部をやる時間はないし。お前はやんなくていいのか、宿題」
ぼくは焦る誠也を得意げに見返してやった。もちろん、問題が解かれているべきノートは真っ白だ。なんなら、ランドセルを開いてもいない。
「宿題なんかやらなくても、当てられなけりゃいいんだよ」
教壇の上をあごで示す。学級委員の立花と
「今日は席替えだぜ。しかも、英語の順番は前からの日だ。後ろの席を引けばいいだけの話さ。お前が座っている窓際の最後列を引けたら最高じゃないか?」
ぼくは競馬好きの親父の血を引いている。賭け事は性分だ。
「ぼくは今日、起きた瞬間に賭けたんだ。窓際の一番後ろを引く可能性に」
「だから宿題はしないって? リスキーなことするなぁ」
「勝ちのビジョンが見えているんだ。向こうの方から寄ってくるさ」
「竹彦……最近、マジでおじさんに似てきたな。おれは運頼みの手は使わない」
なんとでも言うがいいさ。誠也の呆れた目線を無視しつつ、立花の作るクジに念を送る。
彼女はノートを定規で丁寧に破り取る。三等分に折り曲げて、ひとつの区画をさらに二等分に。均等な六等分にしたとこで定規で切る。できた六つの短冊を同じやり方で六等分にする。几帳面な彼女らしく、均等な36枚のクジが出来上がる。
そうしている間に黒板にはクラスの人数分の35席の空欄が書きあがる。廊下側の最後列がひと席欠けた、6×6-1列の並び。幸保がそこに1から35までの数字をランダムにかき込む。
席替えはこのクジ引きによる運試しと、幸保の適当な当てはめによる二重のランダム要素が合わさっている。クジを引いただけでは安心できず、幸保の気分にも左右されるのだ。窓際の最後列が欲しいからといって、6番をひいても意味がない。今しがた幸保の手により、6番が中央の最前列にかき込まれたように。
クラスのみんながそわそわして準備が終わるのを待ちわびる。枠が数字で埋められ、手作りのクジが四つ折りにされていく。
先に終わったのは幸保。黒板に記された窓際の最後列は15番。最悪窓際じゃなくても、前列を引きさえしなければ、一時間目に当てられることは避けられる。
宿題を忘れたものの末路は悲惨だ。授業中に立たせられて視線を集めるばかりか、その後集中して当てられる。文章の音読は最悪だ。英語の発音がしっかりしてないと、何度もやり直す羽目になる。カタコトで発音してもやり直し、外人っぽく流暢に発音してもあとで揶揄われる。
それもこれも、席替えで後ろを引けさえすればすべて解決する。
気をもんでいる間に、立花もクジの準備を終える。丁寧に折り畳まれたクジがティッシュ箱を再利用した立方体の箱に放り込まれる。
「みんな並んで、順番に引いていって。席替えはみんが引き終わったあとでね。クジの交換はもめることもあるから禁止だよ」
立花さんの掛け声を合図に、ぞろぞろと教卓に向かって一列に並ぶクラスメイトたち。
「おい、引きに行こうぜ」
誠也の服を引っ張って並ぼうとするが、彼は含みのある笑みで首を振る。
「残り物には福があるっていうだろ?」
「そうかぁ? 早いうちに引いた方が、自分で選べる選択肢が多いだろ。他人任せは後悔するぜ。ぼくはこの右手の運命力を信じているのさ」
「まあ、頑張ってくれ」
誠也は残り物というが、最後に残るのはクラス委員のふたりのクジだ。公平にするために、クジの製作者は自分で引かないルールなのだ。自分で運命を切り開く勇気のないヤツだ。
ぼくは誠也に構わず列に並ぶ。出遅れたせいで、すでに三分の一は引かれてしまっている。15番が出ていやしないかとひやひやして、引き終わったクラスメイトたちの表情をみる。喜んで派手に声を上げる奴はいない。まだ一等の当たりは出ていないようだ。
じれったい待ち時間が終わり、ぼくの番が回ってくる。
「在原くんの番だよ。朝ホーム終わっちゃうから早くひいて」
第六感を鋭くさせるために、深呼吸を繰り返していると立花に急かされる。
「わ、わかったよ」
立花が箱を揺らして、なかのクジをかき回す。これだ。指を突っ込んで最初に触れた紙きれを摘まんで取り出す。
自分の席に戻り、そっと四つ折りのクジを開く。
「6」
6番。最前列のど真ん中。一番ひいてはならない席を引いてしまった。
「ま、なんだ。残念だったな」
誠也が肩越しに覗き込んで、憐れんでくる。くそ、こうなったら誠也も道連れになることを祈るしかない。死なばもろとも。宿題をしてきていない奴を二人に増やして、先生からのヘイトを分散させるのだ。
「二回連続で窓際の一番後ろを引くなんてありえないからな。お前も痛い目をみるといい」
「言ってろ」
外れろ、という怨念を背に誠也が残り物を引きに行く。
誠也が教壇に辿り着く。立花さんが混ぜようと箱を振る。握り方が甘かったのか、箱が教卓の裏にすっ飛んでいく。
「ごめんなさい」
立花さんが謝って箱を拾うためにしゃがみ込む。不吉な予感に、ぼくは誠也に笑みを向ける。これはきっと、外れるに違いない。
箱が教卓の上に戻り、再び混ぜられる。周囲の反応的に、まだ窓際の最後列は残っている可能性が高い。誠也も緊張しているのか、握り込まれた拳が箱の中に消える。悩むように、じっくり箱をかき回すこと五秒。引き抜かれたクジを掌の中で、ゆっくりと開いた。
「おれの勝ちだな」
誠也がぼくに見せたクジ。そこには15の数字が。
「えッ?」
ぼくより先に驚いた声をあげたのは立花だった。もしかしたら彼女も残り物に期待していたのかもしれない。
「こんなのズルだろッ。二連続なんてありえねえよ!」
「負け惜しみはやめてくれよ、竹彦。これが現実だ」
「いいや、なんか汚い手段を使ったに決まってるよ」
ぼくはクジが信じられず、誠也の手からひったくる。何度確認しても15の数字は15のままだった。
「ズルなんてできるワケないだろ。クジ作ったのは立花さんで、席順を書いたのは幸保だぞ。おれが仕込みをする余裕なんかなかった。お前だって見てただろ」
ぼくはぐっと喉に言葉を詰まらせた。誠也の言う通りだ。彼が仕込みをする余地なんてなかった。誠也が立花や幸保を買収した可能性もあるが、真面目な彼女がそれに応じるはずもない。
唯一チャンスがあるとすれば、クジを引く瞬間だ。
「手の内に15番を仕込んでいたのかもしれない」
「そんなこと、残りのクジを調べりゃバレるだろ。15番が二枚あることになるんだから。幸保か、立花さんが気付かないはずない」
ちらりと学級委員の方を向くと、ふたりの手には7番と12番の紙が握られている。つまり、15番は一枚だけだったということだ。
「そんな馬鹿な……」
「在原竹彦の言う通り。そんなこと、ありえないわ」
うなだれたぼくの背後から、突然鋭い声が糾弾する。
「沢村誠也のクジ引きは不正。その15番はズルをして手に入れられたものよ」
振り向けば腕組みをして、低い身長から誠也をにらみつける女がいた。
「それ、どういうこと
数々のもめごとを言葉巧みに迷宮入りにしてきた、校内一の厄介者の
彼女が関わると事件の結末が思いもよらない方に傾く。先生の説教が逸れることもあれば、連帯責任でトイレ掃除をさせられたこともあった。大抵がロクでもない結果になる。
綺麗な黒髪。大きな瞳。白い肌。外見だけはすこぶる美人。しかし、皆怖がって、告白する勇気のある男子などこの学校には存在しない。トラブルメーカー。歩く天災児。頭は切れるのだろうが、危険も大きい。だが、ぼくは今この時を彼女に賭けた。
「ズルの種明かしができるんだね?」
「私を誰だと思っているの?」
彼女がさも当然というように髪を掻き上げた。
「まず、沢村誠也がやったことは在原竹彦が言った通り。手の内に15番の紙を隠し持ってクジを引いた。箱から引き抜いたクジを開くふりで、自分が作った15番を開き、さも自分が強運だったかのように見せつけたのよ」
「いや、迷宮さん。さっきも言ったけど――」
反論しようとした誠也を迷宮の指が押し留める。
「私の話はまだ終わっていない。種明かしは最後まで大人しく聞け。あなたは今、犯罪者として罪状を読み上げられている最中だということを忘れないように」
彼女は語気を強めてけん制する。さしもの誠也も喉を詰まらせた。
「よろしい。では、どうして彼はそんな不正を堂々と行えたのか。理由はひとつ。このクジ引きで不正が行われることを知っていたからよ。そうでしょう、
今度は立花に指を突きつけた迷宮。ぼくは彼女が事態を荒らしにかかったのだと思い、慌てて否を唱える。
「いやいや、委員長がそんなことするわけないじゃん」
「だからこそ、よ。真面目な委員長。勉強ができて、生活態度も優等生。そんな彼女が、まさか宿題を忘れてくるはずがない」
はっとして立花の顔をみた。彼女は唇をかみしめて絞り出すようにいった。
「証拠はあるの?」
「クジをみればすぐにでも。沢村誠也が箱の中から引いた本来のクジの番号は、7番か12番。そして、立花風音のポケットのなかにでも本当の15番のクジが入っているはず。クラスの全員がみている。いまさら隠したりできないわ」
ぼくは迷宮に誠也の懐を探るように、あごで指示される。
指示されるがままにポケットや袖をまさぐると、右手の袖から四つ折りにされた紙が出てきた。開かれた番号は12番。15番じゃない。
「迷宮さん、これっ」
「当然よ。そして、立花風音のポケットからはこれ」
うつむいた立花のポケットから取り出されたのは15番のクジ。12番と15番のクジが二枚ずつ。
「今朝、立花風音は英語の宿題を珍しく忘れてきた。宿題を写させなかったのも、忘れてきたことがばれたくなかったから。おそらく沢村誠也はこの時の彼女に疑問をもったのね。クジ作りをしている彼女を注視することで、ズルしようとしていることに気が付いた。一時間目の英語で当てられないために」
一時間目の開始時刻が迫る中、迷宮は教壇に立ってズルの仕掛けを明かしていく。
「彼女はノートを几帳面に6×6に分割して、36枚のクジを作っていた。ご存知の通り、クラスの席数より一枚多い。そして、彼女がクジを箱に入れたタイミングは、山田幸保が黒板に座席番号を書き終えたあと。彼女は窓際最後列が何番になっているのかを確認した上で、15番のクジだけを除いて箱に入れた。箱に入ったクジは34枚。箱は彼女によって混ぜられながら引くことになるうえ、後ろの人間から自然と急かされる。クジの数を確かめる余裕があるとすれば、最後に引く人間だけ。
そこで、彼女は沢村誠也が引く前にわざと箱を落下させた。散らばったクジを探すフリをしながら残りの二枚のクジのうち一方を確認し、12番を36枚目の紙に書いて入れた。加えて、一枚だけの7番に印をつける。沢村誠也が二枚ある12番の一方を引けば、印のついた7番を山田幸保に与える。12番が二枚とも手元に残っても、片方は15番になるから番号が被る心配はない。
計算外だったのは沢村誠也が計画を逆手に取って、15番を仕込んできたこと。彼が不正をしていても彼女は指摘できない。何故なら、自分の不正を白状することになってしまうから。だから、彼も大胆に不正をはたらくことができた」
立花は顔を赤くしてうつむいたまま顔をあげない。誠也は参ったな、と頭をかく。
「それで、ここからが提案なんだけど……不正があった以上、このクジ引きはなかったことにしましょう。やり直しは昼休みにでも」
迷宮の提案はまっとうなもので、みんな確かにそうだなと頷いた。
そこではたと気が付く。席替えがなかったことになるなら、立花と誠也の席は最後列のまま。英語で当てられることもない。彼女はその名の通り、問題を迷宮入りさせるつもりなのだ。立花が当てられなければ、彼女が宿題を忘れた事実は公にならない。彼女の不正もぼくらが知るのみだ。
「この謎は私が明かした。だから、事件の主導権は私にある。この私が水に流せと提案しているの。朝ホームでクジ引きをやり直す時間はないわ。当然異論はないでしょうね。あなたたちは彼女らの不正を暴けなかったのだから」
ちらりと迷宮の席をみる。開かれたクジは30番。最前列の番号だ。
彼女の今の席は最後列。もしや、自分が後ろの席を引ければ、謎解きをするつもりもなかったのか。
もうひとつ思い出したことがある。迷宮もよく立花に宿題を写させてもらっていたということだ。
一時間目の予鈴が鳴り始める。
朝ホームクジ引き事件は、水に流すという形でうやむやにされたのだった。
一番後ろの争奪戦 志村麦穂 @baku-shimura
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