時間は有効に使うものである


オムニバス形式であるということで、個人的にタイトルを見て気になったものの三作分の感想を書かせてもらいます。
 長くなるとは思いますがご了承ください。

 感想を先に申し上げさせていただくと、意味のある一口小説、である。
 以降、私の感じた話になりますので、面倒であれば読み飛ばしてください。


 当方、実に情けない話だが、この小説による主軸たる三題囃というものを今初めて知った。
 どうにも調べてみた結果、初出は落語家が発案したものであるらしい。客席から寄せてもらった別々のお題をつないで落ちをつけるものだとか。実に興味の沸く試みである。
 短編物、特に一話終了物の良さは、読者目線で言う「追う」という行動をとらなくてよいというのが最大の利点だろう。あいた隙間時間、通勤通学の通途、僅かな待ち時間にさっと開いて一話を読了する、なんという連載物ではできない芸当を可能にするある種神秘性ひめたるジャンルではなかろうか。
 ゆえに、その短い文字数の中で起承転結を描き、剰えオチまでつけるには相当の力量がいる。
 しかもお題はランダム性ときた。心躍らぬわけがない。

 しかし題名というか、小説の概要にある
 ―締め切りは今日、出来なかったら死ね―
 という文言はちょっと刺さった。私が言われてるかとおもった。

 以降、私の気になったタイトルから、選りすぐった三作を一話ずつ感想として昇華させていきたい。



 第一夜『心無い橋―Hurtless Crew―』

 夢、愛、希望。 どこからきて、どこへ行く? そんなもの、私が破壊してくれる!

 とでも聞こえてきそうなタイトルである。英文の副題を見てこれはきっとミーニングが含まれとると察した。
 題は「橋の下」「バカみたいな選択」「間違った未来」ジャンルが「暗黒小説」
 すでにぼこぼこでは・・・?否定的にしか感じん。

 主人公は橋を造る建築員。しかし請け負ったこの仕事が、やむなく他社に引き継がれ、お役御免となるその寸前であった。悔しさはわかる。例えばこの橋の設計の段階からいた古参者なら、長いこと向き合ってきたであろうこの橋は宛ら息子のように見えるかもしれない。職人気質な人間は、無機物を作るにも責任を持ち魂を吹き込んでつくるものだから出来上がったものを我が子のように愛する者も少なくはない。あるいは主人公もその類なのかもしれない。
 とはいえど一度も眠ることなく作れとはどういうことだ。三六協定くらい守れ。作業員死ぬぞ。

 主人公たちは資材がなくなるまで、その橋を造り続けた。根性がすごい。根性以前の問題か。
 資材がなくなる、というのは、上層部から言われた所謂ゴールそのものである。引き継がれる期日あるいは、資材がなくなることを目処に、彼らは橋の建築を退くことになる。
 魂が抜けた、とある。之はまさに、主人公と同じ熱量のある方だったのだろう。燃え尽き症候群というのが世にはある。
 目指すべきものがなくなった時、人がまるで燃えカスになったかのように衰えることを指す。ともすればこの灰のように真っ白となった同僚は、主人公よろしく、心の中の寂寞に堪らなくなってしまったのだろう。

 唐突に主人公は同僚の頭部をねじ切った。
 ・・・え?
 同僚だったものが倒れ、飛び散り、直してやらなくては! と本能が言った。
 ・・・えぇ・・・?
 しかしこれでは助からないこと、何よりも仕事を完遂しなくてはという思考が勝った。
 ・・・ぇぇ・・・。
 以降主人公は狂ったように同僚を殺し、ねじ切り、縊り、絞首し、為とめ、果し、消し、ばらし、ちぎっては建築し、ちぎっては建築し、遂には我が足を糧にした。
 ものづくりに狂ってる。普通に読んでてドン引いた。なんじゃこれは。心無いってそういう。。。
 ちなみにオチとしては面白かったけど報われない主人公たちがかわいそうだった。そもろん、こいつらは機械だった。
 存在意義とは、遺ってこそ価値のあるものである。撤去されたとあっては、もはや残るものなど何もない。形で残らぬなら心に残るだろう。それもありだ。だが心にも残らない。そもそも心がない橋なのだから。



 ところで、心無い橋という副題にhurtless crew とあった。ここは話を読む前に気づいた点ではあるが、読んだ後でもその副題の回収がされていることが大変ゆかいだった。

 hurtless とは直訳で凄惨な意味があてがわれる。むごいとか酷いとか。crew はいわゆる仲間とか、一味とかの意味がある。主人公の行為は当然凄惨なものであるし、hurt lessとわければ痛みがないということになる。つまるところ機械だった同僚も主人公も、自身の一部が破損したところでそれに対する痛痒は感じなかった、ということだろう。勿論心無いの意味のheartlessとも韻がかかっている。出し尽くしたな。大盤振る舞い。



 第十四話、蛸と春画-mimic octopus-

 古今、浮世絵といえばだれを思い浮かべる、といえば葛飾北斎の名が挙げられるだろう。例え令和の今の世でなくとも、旧い時代もそう変わらぬ答えが発されるはずである。
 あの著名人もじつは春画をかいていた。今ではすっかり知悉された小ネタであろうが、とかくその春画のお題は「蛸と海女」。軟体動物と海産に通ずる女性がくんずほぐれつという内容だろうが、私は確認したことがない。
 とまあ逸れた話はさておき、本篇の評価に入りたい。
 題は「創作」「マンション」「野球」そして「SF」
 三題囃としてのお題難しすぎひん? 私は本気でつながりが見出せん。

 一話完結のおかげでまとめやすいが、ともかく集約すると、マンションの一室にいる住人が主人公の好きな絵師(擬態者)で、野球を題材としたBL作品を手掛けていた、ということでよろしいのだろう。よろしいだろうか?
 擬態者の最初の表現が実におぞましいもので私は好きだった。ここいら、不気味なものを網膜にし、且つそれを伝えるに巧みである。
 イゾーとリョーマという、主人公最推しのカップリングらしい。名前がどこかで見たことあるな。多分どちらもバットじゃない長いものを振っている記憶がある。
 主人公の熱いカップリングへの想い。それは己の命をすら鑑みぬほどの者であったらしい。化け物に首根っこをつかまれ、ともすれば許しを請うに愛想を伺い諂って、貴方様の絵こそ最上の作品にございますと、掌を大きく見せて低頭の限りを尽くせば、危ぶみはなかったろうに、事もあろうに主人公は啖呵を切り、殺される恐怖すら振り切ってこの絵を詰って糾弾した。
 その熱量は、おそらく同じ星の下に生まれなかった異形の心にすら届いた。以降、二人は親友のような関係になる。ちょっと熱い展開じゃなかろうか。

 話の流れで、擬態者が「自分が擬態を解かずに人間のまま生きる手言いだしたらどうする?」と問う、流れがある。主人公はこれに対して非とし、この擬態者は、人と己に隔壁が生じた儘であるということを指摘する。人を人と見て、己を人と見ていないからそんなことが言える、とした。化け物は、あるいはこの人間が質問に対して是と応えてくれることを願っていたのだろうか。
 編集者が口をへの字に曲げて、お前はもう人間である、となったならば。
 擬態を解かなくてもよい希望を、そうなるきっかけを探していたのかもしれない。

 ある日忽然とこの化け物は消えた。仕事は終えている。律義とはいえど、何も言わずに消えるとは少し寂しいものが残る。
 本物の作家とあえた主人公は、事の経緯を発した。詫びを受け入れ、だがもしこの星の外のどこかで、地球の中の小さな島国の文化として春画が伝わったなら面白くないかい、ということで話は終わった。

 ・・・春画が伝わるのはちょっと恥ずかしいきが。



 よくもまああのランダム性の犠牲になったといわんばかりの題からこんな話が……。
 ちなみにミミックオクトパスは実在する蛸である。真蛸の一種。めちゃくちゃ擬態能力が高く、実際、岩と蛸の見分けがつかんほどには、練熟した擬態技能を持つ。
 創作が題とは言え、絵の話を主軸にしたのはやはり北斎先生を思わせたが故の手腕だろうか。之に関しては私の妄想で終わるかもしれない。
 ちょっと小話を入れるなら、所謂幕末で活躍した土佐藩士(脱藩したが)坂本龍馬、同じく土佐藩士土佐勤王党党首武市瑞山に追従した人切り以蔵こと岡田以蔵、両者とも活躍した年代が葛飾北斎と被る。
 とは言えども葛飾北斎は長生きしたのに対し、坂本龍馬も岡田以蔵も比較的に若くして亡くなったために、一概に活躍の時代が重なったとは言い難いが、三名亡くなった年数がそう遠くない。  
 それすら踏まえて作られたか、もしかして・・・?



 第八十三話、天網恢恢疎にして漏らさず
 
 すげえ題名きた。この言葉今生見た感じ私淑する司馬遼太郎先生の作品で目に留まった一回くらいである。かなり極端に訳するなら、悪行は法から逃げ出せない、といったところか。おてんとうさまが見てますよ、でも確かに意味合いが通じる。天知る地知る我知る子知る。
 題は、「黄色」「銅像」「燃えるツンデレ」ジャンルは「ミステリー」と
 ……燃えるツンデレ?物理的に?
 冒頭は今年の初夏を思い出させるようである。と思い日付を診たら思いっきり今年の夏だった。確かに暑かった。だいじはなかったですか?少し心配です。
 ゆで卵は生卵に戻らない、という例えは確かに、今年初めて聞いたときは目からうろこものだった。そうである。熱中症によって脳みそというたんぱく質が変異したら、二度と元には戻れない。簡潔にだが、熱中症のリスクというものを、身近なものにしてかなり危機感が伝わった文言だと思う。
 曰く、この日射にやられたものは何者かに視られている者と訴え、輪にかけて規律に厳しくなるらしい。日本人は之以上規律に縛られるべきではない。
 様々な考察がこれより開かれる。中でも、私がちょっと気になったのが、文中に在る「盲が啓けて見えないものが見えるように」という点である。昔確か、そういう実験があった。脳に瞳を取り入れて、異次元的なものを見ようとする実験が。
 今調べても、某啓蒙が高くなるゴシック神ゲーしかヒットしない。ヒヒヒッ。君もまた、血に酔って人となり、だが陽ざしによって人を失う。ともかく、瞳を脳みそに入れる実験は実際に在ってたという話をどこかで聞いたときは、「啓蒙はまじであったのか」とおぞ気の走る思いがしたものだ。
 つまるところ、脳みそというのは刺激の与えようによっては第三的な精神に中てられる可能性がある。いやさこの話も、じつはそこまで現実の世界と乖離していないのではというただの戯言だ。

 この話のオチはこうである。
 「おてんとうさまに顔向けできないことは、しないと決めた。あれはいつだって、人を見ている」

 天網恢恢疎にして漏らさず。
 天から張られた網は、広く広大で、故に荒い。
 だが忘れることなかれ。網の主を。
 天に召します我らが主が、僅かなほころびをも見逃すものか。



 統括したい。
 面白い体験をさせていただいた。まず読む前に題を読んで酷く絶望し、だが話はきちんとオチ込みで片が付いている。その中で、どこに題の要素を含ませてくるか探すのが面白かった。
 際立った辣腕をお持ちと見える。執筆の速度も合わさって、こればかりは真似のしようがない芸当であると感服させられた。 

 さて、感想は、意味のある一口小説、である。
 短編の都合上、煮え切らぬ終わりをしていたり、物語としては薄くなり、話が残らなくなりがちな作品があってしまう一方、この作品はかなり興味深い造りが目立っている。言葉も巧みで、読み終わりの引きがあじわいぶかく、あっさりとしていて味蕾に残るようなものばかりだった。
 私が如き零細の拡散力など当てにはならないかもしれないがrtをさせていただく。

 大変興味深く読ませていただきました。
 応援させていただきます。

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