そして、〝恋〟は……。
「おっちゃーん、いるー?」
「ああ、いるよ」
と店主は眼鏡を下に下げながら答える。
テーブルに新聞を置いて、大きく伸びをする。
「昨日さ……。夜、女の人来た?」
アヤは長く、滑らかな艶のある髪をワシャワシャっと手でかき回しながら聞いた。
「あの子、きみの友人かい?」
「うん。やっぱり、来てたか……」
「きみがここを紹介したんじゃないのかい?」
「うん」
店主は昨日の女性と同じようにパイプ椅子をテーブルの前に組み立てた。
「ありがとう」とアヤは腰掛ける。
そして、息を「ふー」と吐いた。
「あいつが恋愛感情なくなったって聞いたとき、嬉しかったんだよ」
店主の手をじっと見ながら語りだす。
「私のこと、好きなんだってさ……あいつ。特別な意味でね。私たち女同士だよ、そんな目で見たことなかったし見れなかったよね」
「うん」
店主は静かに頷きながら耳を傾ける。
「あいつは本当にいい奴で、大切な友達なんだ。だから、断るときすごく苦しかった。あいつ、笑顔を作っていたけど悲しみが滲み出ていた。あのときの表情は忘れることができない」
「それでか」
「そう。次に会ったとき、あいつが相談してきたんだ。恋愛感情がない、人を好きになったことがないって。私は、この子〝恋〟を落としたんだなって直ぐにわかった」
「きみも〝恋〟を落とした経験者だからね」
「うん。そのときはおっちゃんにお世話になったよね」
「うむ、そうだったね」
一瞬表情が緩んだが、すぐに神妙な面持ちに戻る。
「さっきも言ったけど、嬉しかったんだよ。〝恋〟を落としたってことは私への恋心もなくなったってことでしょ? 何もかも今まで通りだーって」
「うん」
「でもさ、しばらくしてそれはなんか違うなって思った。私、あいつの気持ちから逃げてるだけだなって。真剣に気持ちを伝えてくれたのに。私って最低だな」
「いいや、そう思えたことはきみが優しい子って証拠だよ」
店主はニカッと笑った。
「だからね、〝恋〟をもとに戻してもう一度、あいつと真剣に向き合いたいと思った。それはとっても怖いことだけど」
「なんだ。答え、出てるじゃないか。ここに来る意味はなかったかもね」
そう言うと徐々に店主は怖い顔に変わっていった。
「……だが、残念なことがある」
店主はテーブルの上に両肘をのせて、両手を組む。
「恋愛感情はもとに戻るが、〝恋〟をした記憶はもとに戻らないんだよ」
時が止まったかのように、アヤは微動だにしなかった。
ただ、目からはすっと一筋の涙が流れて頬を伝った。
「……そっか、そうなんだね……。そっか……そっか……」
それからもう、涙は止まらなかった。
時刻は夜の10時。
昨日の彼女が来た時刻になっていた。
アヤが帰るというので、店主は店の入り口までお見送りをした。
「おっちゃん、ありがとう」
「ああ。……大丈夫かい?」
アヤは、くるっと背を向け空を見上げた。
「大丈夫。大丈夫……。きっとね。私ができることは、今のあいつを大事にする。それだけなんだよ」
店主に大きく手を振りながら、アヤは暗闇に消えていった。
さあ、店のなかに戻ろうと振り返ると、ふと、店の入り口に置いてあるダンボールが目に入った。
店主はそれを抱えて、店に戻っていった。
中を開けると、黒く、板状のまるでチューインガムのようなものの破片、〝恋〟が詰められていた。
「今日もこんなに〝恋〟の落とし物が……。こんな姿になっちゃって……」
と店主はボソッと呟いた。
「きれいに治してあげようかね」
そう言うと、腕を捲くり眼鏡をかけるのだった。
さて、〝恋〟はどうやって落ちるのか。
最後にこれだけ教えて終わりにしましょう。
〝恋〟は焦がれ
〝恋〟は破れる。
すると、
〝恋〟は落ちるのです。
今日もここ、通称『〝恋〟の落とし物センター』であなたの落とした〝恋〟を治してお待ちしております。
恋、落としました 蕎麦 うどん @shouchiguu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます