緩い時間

「なんで髭って生えるんだろうね。世の中の不思議だよ。全人類の髭を集めたら燃料になるかな?」


 ジェイクは眠る息子を見ながらソファに座り、隣に座っているレイラに最近の悩みを打ち明ける。


 この王は若干面倒臭がりの一面を持っているが、青年をとっくに通り過ぎて立派な男になっている今現在、毎日生えてくる髭が煩わしいようで、哲学的な思考に陥っていた。


「神に聞くといい」


「髪の毛と一緒だから神に?」


「……」


 そんなの哲学を一刀両断にしたレイラは、小粋な冗談を披露されて固まってしまう。


「おっほん。髭を生やした方が威厳が出るかな?」


「正直に言っていいか?」


「うん」


「少なくとも今は似合わないと思うぞ」


「だよね……」


 ジェイクは全く面白くない冗談を打ち消すように、髭があった方が王らしいかなと聞いたものの、レイラの意見には全面降伏するしかなかった。


 どれほどジェイクが成長しようと、元々の骨格と顔つきが逞しさとは無縁であり、髭を生やしたところで威厳が発生するとは思えない。寧ろ違和感が酷くなり、無い方が合っているといってよかった。


「気が向いた時に剃ったら、クラウスに誰だコイツと思われるかもな」


「うぐっ」


 今度はレイラが冗談を口すると、ジェイクは幼い我が子に泣かれる想像をしてしまう。


 どうやらジェイクが髭を蓄えるのはもう少し先になりそうだ。


『ああ、貴方もいつか髭面の中年になってしまうのですね。クラウスには私の方からちゃんと、父は髭が本体だから伸ばしているのだと伝えておきますわ』


(どうやってだよ……)


 なお【無能】が話を膨らませる算段を立てており、ジェイクに呆れられていた。


「あ」


 ジェイクの意識が若干逸れた時、突然全ての芸術品を駄作に貶める生きた宝石がしなやかに動き、彼の膝に自身の頭を乗せてソファに寝転がった。


 クラウスが起きているならレイラは母だが、ふてぶてしいまでの寝相を披露している今は、女として甘えたっていいだろう。そう考えたのかは分からないが、ジェイクに膝枕をしてもらっているレイラの顔は赤かった。


「髭が似合う頃にはお爺ちゃんとお婆ちゃんって言われてるかな?」


「ぷふっ。二十年後か。まあ、確かにその頃には似合って……る……か?」


 ジェイクは甘えているレイラに二、三十年後の話をすると、彼女は随分先の話に笑いつつ、それくらいでも髭が似合うジェイクを想像できなかった。


(私の方はジェイクに合わせて適当に老けないとな)


 それと同時にレイラはとんでもない自覚と予定をしていた。


 なんとなく自身が不死ではなくとも、ほぼ不老に近い状態であることを察しているレイラは、そんな境地にあってなお老いの調整が出来ると確信している。


(ひ孫の顔を見る辺りでいいだろう)


 そして態々何百、何千と生きるつもりはなく、適当なところでジェイクの隣の墓で眠るつもりだった。


「娘が生まれたらどうする?」


 戯れにジェイクの膝を触っていたレイラは、笑みが多分に含まれた言葉を口にした。


「どうしようね……」


 困り果てたようなジェイクはその人生で、明確に年下の異性と関わったことがほぼない。そのため娘が生まれた場合、どう接してどう教育したらいいかさっぱり分からず、矛盾するようだが小さな大問題を抱えていた。


『心配! 無用! この! 私が! 立派な! 淑女教育というものを! 披露しますわ!』


(うっせえええ! 言っておくけど娘がお前と同じ笑い方をしたら倒れるからな!)


『おーっほっほっほっほっほっほっ!』


(あ、頭があああ⁉)


 なお自称完璧なお嬢様はやけに気合が入っているものの、ジェイクは娘がおほほほほほと笑いだしたら倒れる自信があるので、娘の教育に関してだけ【無能】を全く信用していなかった。


 余談だがこれまた矛盾する【無能】の小さいながらキンキン響く声は磨きがかかっており、単純な大声と馬鹿騒ぎにだけ耐性ができていたジェイクは苦しめられていた。


「まあうちの娘なら男運はいいだろうから、その点ではあまり心配する必要が無いな」


「あーっと」


「そっちの女運はよかっただろう?」


「それは間違いない」


 レイラから暗にいい男だと評されたジェイクは言葉に詰まるが、素晴らしい女性に出会えたと言われれば胸を張って頷けた。


「さて、交代しよう」


「交代? ぬわわ」


 膝枕を堪能したレイラが身を起こすと、彼女の腕がジェイクの体に絡みついて頭を誘導する。


 体勢が入れ替わりレイラに膝枕される形となったジェイクは、そのまま身を委ねた。


「そう言えばそろそろ耳掃除をしようと前に言ったな」


 ジェイクの耳を覗き込んだレイラが小物入れに手を伸ばすと、金属製の耳かきが宙に浮いて彼女の手に納まる。


「動くなよ」


「あー……なんか色々溶けるー……」


 そしてレイラは小さなスプーン状の耳かきでジェイクの耳掃除をし始め、彼は気どころか魂が抜けきったような声を漏らした。


 ただ、覚醒した【傾国】にそんなことをされて、言葉通り魂が抜けていないのは奇跡に等しいだろう。


「ほら、次は反対だ」


「ありがとー……」


 世の騒動とは一時的に無縁な穏やかな時間が流れていた。

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無能の中の無能王子 -スキル【無能】を授かりましたが、周りの女性は【傾国】【傾城】【奸婦】【毒婦】【悪婦】【妖婦】とかです。え、追放? 結構街に食い込んでたけど……まあ大丈夫か‐ 福朗 @fukuiti

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