ちぎれた翼

邑楽 じゅん

ちぎれた翼

「人はなぜ宇宙を目指したのかな?」

宇宙船の中から青い地球を眺めながらナスカは、なにかを思わず呟いた。


「さあ、ただほしかったんじゃないの」

ナスカはセレナを見ながら首をかしげる。


「翼がほしかったのよ。そして、手にいれた翼でどこまで飛べるかを知りたかった」

そういいながら彼女は太陽のほうをみた。



「イカロスの歌って憶えてる? ロウで固めた鳥の羽根ってやつ」

「もちろん知ってるよ。太陽でロウが溶けて地面に落ちちゃう歌だろ?」


 セレナはナスカに向き直ると、笑いながらうなずいた。


「ロウの羽根で空を飛ぶなんてナンセンスだわ。仮にうまくいったとしても、ロウの融点は六十度前後よ。それが太陽に晒されて溶ける前にイカロス自身が太陽の熱波で倒れちゃうわ」

「しかも結局は落下して死んでしまう訳だ。あまりに無茶だよ」



 ナスカは呆れ笑いとともに、宇宙船の窓から外を見る。


「でも、彼の勇気がなければ、人類は空の高みのその果てよりも先までは目指さなかっただろうな」

「なにもしない人達からしたら、その勇気を無謀と揶揄することは簡単。つまり自分の価値観の枠を越えられるかが勇気の有る無しとも言えるんじゃないかしら?」


 セレナも小さな丸窓の外にある地球を見ていた。


 漆黒の闇の中には、自ら輝きを放つ太陽の光しか届かない。

 宇宙で煌めく星たちの瞬きも、間近ではでこぼこした恒星が太陽に照らされながら、退屈そうにたゆたうだけだ。


「大昔、チャレンジャー号が打ち上げからわずか73秒後に爆発したの。その中にはごく普通の高校教師の女性が居たって。宇宙からの授業を子供達にすることが彼女の願いだった。それも叶わなかったわけだわ。生中継を見ていた彼女の教え子や、多くの子供達が凄惨な事故にショックを受けた。でも彼女や同乗していた飛行士を無謀と誰が批判できるかしら?」

「彼女だけじゃない。宇宙開発のうえで多くの宇宙飛行士が犠牲になった。宇宙プロジェクトは人類の夢であり、知的探求心でもあったんだ。それが、現代ではこうして当たり前の技術になると、人類は次の夢を探し始めるのだから、皮肉なものさ」


「知的探求心って聞こえはいいけど、人類の飽くなき欲求ってところよね? 国家の威信のために彼女たちは犠牲になったとも言える」

「ロウの翼が溶けて落ちて死んだイカロスもそうだろ? 本当に彼が空を飛んだとしたら、周りで見守っていた連中のなかに、誰が彼の事故を予見できただろうか?」


 ナスカの言葉に反応したセレナは、窓の外から隣に居る彼に視線を移す。

「さしずめ、成層圏は人類が越えられない常識の壁だったんだ。その内側で暮らしていても障りは無いが、そこを越えられた者こそが辿り着く高み……ってところかな」


 そう呟く彼を見ていたセレナは、また船外に広がる宇宙空間に視線を戻した。

「キザっぽい発言だけど、あまり上手くないわね」

 肩をすくめながら、ナスカは苦笑していた。


 セレナは窓に掌を添えると、やがて人差し指で輪を描く。

 その先に見えるのは、人類の母なる星・地球。


 彼女もナスカの先祖も、彼ら人類の祖先も、そこで暮らしていた星だ。

 だが、宇宙空間から見た地球は、大陸を覆う海の青色を帯びた部分が大半を占めていた。



「どうせ、俺たちにとっては単なる仕事だろ。元の人類の故郷だって言われたところで、さして感慨もないさ」

 淡々としたナスカの言葉に、セレナは苦笑しつつもうなずく。

「こんなに宇宙飛行が普通になってることこそ、チャレンジャー号の彼女が知ったら驚くかもしれない。『いい時代になったわね』って」

「さて、本当に今はいい時代なのかね、俺たち人類にとっては……」



 元々あった広大な大陸は、二十一世紀から比較して半分以下になっていた。


 海水面の上昇と水の膨張によって生活を追われた人間。

 各国家は先を急いで、宇宙進出に着手してゆく。


 その中で宇宙の覇権を目論む国家間の争いも起きた。

 母星の異変とは全く別のところで、小競り合いを繰り返す人類。


 それに加えて、宇宙へと脱出できる人類は厳しく選別され、遺伝子の検査、出自と家系の調査だけでなく、性格テストによる暴力性や協調性の有無、限られた空間のコロニー内で犯罪予備軍となり得る思考や思想の可否判定が行われた。

 さらには巨大ITを用いた監視社会によって、個人のささいな罪も炙り出される。

 地位と名誉と財産がある者、見目の良い美男美女でも、判定結果によっては無慈悲にも地球に取り残された。


 結果として多くの国や都市だけでなく、地球に暮らす人々の大半は為す術無く街ごと水に没する。




 宇宙空間にある巨大コロニーで産まれたセレナとナスカ。

 彼ら新時代の人類は、太古の母星・地球を往復し続ける。

 地球上にたくましく残る植物の種や動物を持ち帰り、コロニーで育成し食料とするための研究に加え、将来的に地球への帰還が可能かどうかの調査――それがセレナとナスカの仕事であった。


「もうじきランディングだ。そろそろ定位置に戻ろう」



 そう言い残して操縦室に戻るナスカの声を聞きながらも、セレナは未だ地球を見ている。先程よりも接近したおかげか、陸地と海面だけでなく、惑星を覆う雲の姿まではっきりと確認できるくらいになっていた。

 その姿は異質にして高潔――。

 まるで母なる地球は墓標のようでもあり、巨大なゆりかごのようにも見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ちぎれた翼 邑楽 じゅん @heinrich1077

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ