4章.光差す庭(2)

 ハザの申し出に、珍しく僅かな間逡巡した後、リムはきっぱりと断りを入れる。

「いいえ――。

 魔の力が扱えぬハザでは、大変な困難が、待ち受けている筈ですから。

 我等が、内外から紐解けば、数千と数百年程度もあれば、封は解かれます。

 お気持ちだけで、十分ですよ」

「ハッ。

 相変わらず気の長い話だ。

 途方も無さ過ぎて、俺には想像も付かん」

 何時になるか分からない膨大な時間を示され、彼は苦笑を浮かべた。

 当初の目的は果たし、地上へと連れ出した――この女をどうするするかは、もう考えなくても良い。

 王の触れにより、訪れる者が増え始めた、遺構の迷宮に居るよりは、古の地を離れる方が余程安全である。

 裏切り者の元凶も始末したし、神の後を追うという宝珠も確と叩き割った、後はこの地を離れる事さえ出来れば、厄介事をわざわざ背負い込まない限りは、追われる事も無く、安全に旅が出来るし、どこか別の土地に隠れ棲む事も出来る筈だ。

 そうなればこれ以上、リムのお守りをする必要は無いだろう。


 やがてハザは崩れた石壁にもたれかかると、再び朝の日の光を見る。


「生き残りが居ないなら、俺の名の噂も飛ばないな。

 全く、今回の旅は大損だ」

 朝の輝きに眩しそうに目を細め、彼は独り言ちた。

 彼女を教団へ送り届け、報いを受け取る手筈の目論みが、失せてしまった以上、青年は、また流浪の民の、戦う者に戻る心積りを固めている。

 戦約は違えられ、報いは受けられず、名を馳せる事も無い――。

 だが、収穫はあった。

 より強くなる為の標を、得た事である。

 戦う者としての役目をこなしながら、あの夢を追って、旅をしても良いかもしれない。

 自身を打ち負かす程の技を持った、戦う者を何時の日か探し出し、師として仰ぐという夢を。

「夢ですか――。

 もう1度言いますが。

 貴方より剣を速く振れる者を、我等は知りません。

 既に貴方の剣は、身を護る物すら意味を為さない様に思えます。

 ハザ、貴方はそれ以上、何を求めているのでしょうか?」

 そこで、物思いに耽る青年の想いを読み取ったのか、リムがぽつりと溢す様に言った。

 大きな価値観の隔たりに眉を顰めたが、彼は口を開く。

「疑問に思うのは尤もだが、戦う者の目指す所など、そんなものだろう。

 元より分かって欲しい、などとは言わんが、な。

 欲を言うなら、この盾や鎧も放り捨て、剣だけで渡り合いたい位だ。

 これを身に着けている間は、どれ程剣の腕に自信があっても、未熟だと思う事にしている。


 それにアレも、何時でも出来ると云う訳じゃあないからな。

 もっと鍛錬して、上手く行く方法を確かめねばならんし、そもそも俺が出来る位なんだ、他に出来る奴が居たって、ちっともおかしくはない。

 もし、師となってくれる者が見付かれば、きっとそう思うだろう」

 身に着けた胴鎧と、そして盾を、身振り手振りで指差しつつ、胸中を語りながらも、リムの顔を見つめ、ハザは更に思いを馳せる。

 お前に比べれば、俺など死を恐れる、只の人に過ぎん。

 それが今回の旅で、身に染みて良く分かったよ。

 迫る攻撃を、全く避けないのには参ったが。

 それでも幾多の者、己より確かに力の強い者を前にして、お前は1歩も退こうとはしなかった。

 黙って倒される姿は、決して勇ましくは無いものだったが、リム、お前の様な者こそ、真に死を恐れぬ者、とでも呼ぶべきだろうな。

 死を恐れずに向かい合う、とは、どういう事なのか、俺の方こそが教わった気がする。

 少しは避けろと思っていたが、あれは、そう思うのは、俺が、俺自身が死を恐れているに、他ならないからだ。

 何だ、あれか、ああいうのか?

 これを何と言えば良いか、さっぱり分からんが、ああいうものが、これから俺が更に強くなる為には、まるで足りていないのかもしれないな。

 しかし、あんな事はそう簡単に、真似出来そうもない。

 だが――。


 退かずに戦う――戦い抜く。

 その様な事が、己が体術や剣の技だけで、果たして可能なのか。


 だが、いずれその道を、極めてみたい。

 己が技の鍛錬に、行き詰まりを感じていたハザの胸中には、彼女の習性からある種の光明が、行く先を照らし始めている気がした。

 しかしその漸く見えて来た、長年の夢へと辿れる道筋が、耳朶を打つリムの声に、暗雲となって垂れ込めた挙句、淡い霞となって消えしまう。

「では、これからもそうしましょう。

 我等もその方が、何かとやり易いですから」

 またしても心を読んだらしく、その発言の内容は、青年の思考の対話の続き、と言わんばかりであった。

 大した事は知っていないし、考えても居ない、読まれた程度で困る事は無い。

 無いが、その意図を理解したハザは、彼女の方へと上半身を振り向け、大きな声で叫ぶ。

「や め ろ ッ !

 同道者が討たれるのは、見ていて気持ちの良いものではない」

 何故かは分らないが、昔から、同じ隊の者や連れ合いが斃れるのを見ると、背筋が冷え込む様な思いを感じるのだ。

 故に、青年は大した付き合いが無くても、無謀な事をされたり、手遅れにならない限りは、意図せずとも時として、手を差し伸べてしまう。

 戦う者としては実に甘い、損な性分ではある事は、十分に理解している。

 しかし、そんな思いを受けてもどこ吹く風の、茫洋とした澄まし顔が、彼を出迎えた。

 涼し気な面持ちが、実に小憎らしい。

「そうぽんぽん死なれちゃ、気が休まらん。

 お前も少しは気にして貰えると、非常に助かるんだがな?」

「被害が最小限となる様、我等は我等で、きちんと選択していますので。

 魂をひとつしか持たぬ者とは、元より戦い方が違うのですよ、ハザ」

 それとはなしに嫌味を含めつつ、少しは合わせてくれ、と苦し紛れにひと言返しはしたが、合わせる必要など無い、と言わんばかりに、彼女はきっぱりとした回答を返す。

 変わりないリムの態度と声に、対抗すべく策が見当たらず、手の打ちようのない彼は、苦虫を噛み潰したような様相を浮かべ、軽く舌を打つ。

 そして全く通じていない嫌味に溜息を吐き、わしわしと自身の頭を掻いた。


 諦めにも似た境地に陥る心に落ち着け、己は何か、と念じながら深い呼吸を行う。

 そう、俺は剣を手に戦う者。

 故に挑み、勝たねばならん戦いは、論戦や舌戦では無い。

 論じあうのが好きな、知恵者にでも任せておけばいい、そんなものは。

 内心の装い新たにそう思い直すと、不思議と軽く笑いが込み上げてくる――何故言い合い如きで熱くなっていたのか、と。

「――フ。

 思いの外、口の減らん奴だな、お前は。

 さあ、茶番はここまでにしようか。

 俺はそろそろ行く」

 程なくして、平常心を取り戻したハザがそう告げつつ、物静かな外面にそぐわぬ、妙に弁の立つ女から視線を反らし、石塔を降りる階段へと足を向けた。

 何時の間にか、隠れる様に大地の向こうから、恥ずかし気に顔を覗かせていた日は、もう既にその姿を現わしている。

 歩き始めるには、そろそろ頃合いの時間だろう。

「はい。

 ハザ、貴方はこれから、どうされるのでしょうか」

 この女が、自身の様に争いの場を渡り歩くとは、到底思えない為、ここいらでお別れする事となりそうだ。

 何かあれば、また巡り合う事もある、かもしれん。

 しかし、もし次に会う時が来たならば、それは何時の事になるのやら。

 学の無い自身とは違い、頭は回るようだから、知恵者としてなら左程の苦労も無く、生きていける筈だ。

 御伽噺に出てきそうな美姫に、甲斐甲斐しく付き従う者でもあるまいし、いちいち付いて回る必要も皆無。

 かと言って冷たく突き放す事も無く、彼女が望むなら、安全で治安の良さそうな、大きな街まで連れて行ってやっても良い。

 どうしたいのかは、聞いてはいないが――珍妙な性分を持つこの女は、必要があれば臆せず言って来るだろう。

 後は、リムには目的があるようだし、好きに生きて行けばいいのだ。

 何をしたいのかは知らんが、邪魔をする気など毛頭無い。

 願いとやらを満たしたければ、思う存分やってくれ。


 リムの静かな問いかけに、そう考えると、彼は肩口に鼻を寄せ、少々大仰に臭いを嗅ぐ。

「俺か? そう――、そうだな。

 差し当っての事になるが、服を洗いたい。

 酷い臭いがするんでな」

 それから、そう言って身に着けたジャケット外衣の襟を、両手の指で軽く摘まんでから放すと、ハザは静かに笑い、眼下に見える森の方へと向かって階段を降り始めるのだった。




 アンシエンラント創世記

 完

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