4章.光差す庭(1)

我等が進むべき途は 今や絶えて久しい

微かな 刻の狭間に揺られ 逃がれてゆく

我等をこの地へ縛る鎖は既に消え失せた

見上げれば 光差す箱の庭

我等の望みで 遍く輝きは満たされる

しかし幾つ重ねようとも 我等の想い叶わず

やがて 人はまた 忘れ去るのだ

だが 掴まねばならぬ この空がどれ程広くとも

再び 失う事は許されぬ 其を

かつて逸した遥か彼方に我等は 何時の日か世の礎となるだろう




 小さな光源ひとつを掲げ、通路を進むが、満ちている圧倒的な暗闇を押し返すには、この程度の煌めきでは些か頼り無い。

 先程まで乗っていた輝く床は、時間が経つにつれ徐々に狭くなり、小さくなっていった。

 まだ随分と余裕はあるが、完全に消えてしまう前に、降りる事とする。


 どこでも良い、手頃な場所で止めてくれと言うと、つい、と床は昇る事を止め、最も近い黒い石床の前へと、ぴたりと制止した。

 2人が降りると、きらきらと流れ星の様な、煌めきの涙を溢しながら――それは天を目指すかの如く、緩やかに――上へ上へと昇ってゆく。

 磨り減って小さく萎み消えたのか、それとも、見えなくなる程高い位置へと昇ったのか、宙に浮き上昇を続ける輝きは、やがて見えなくなる。

 ひと時とは言えど世話になった、光る床板がその後、どうなったのかを、彼は終ぞ知る事は無かった。




 誰が登る様に造られたと言うのか、背伸びをし、手を伸ばしてようやく届く程の、高く大きな石段が、幾つも続く。

 あれは、今の時刻の空の色なのだろうか。

 内側に巻き上がる螺旋の淵から顔を上げると、頭上には明るく薄い星がひとつ見えた。

 時折、渦巻く乾いた風が音を立てて吹き、外の香りを運び込む。

 外の世界はきっと、もうすぐなのだろう。

 辺りは未だ夜に満たされているのか、先はまだ薄暗い。

 しかし、徐々に明るくなる兆しが、視界が白く明るく広がる事で表れている。

 黒い石床の色と形が、時が過ぎ行くにつれ、はっきりと感じ取れるようになり、その分だけ、ランタン角灯に灯る輝きの頼りなさが、いや増してゆく。

 今は、光が、世界に満ちてゆく最中なのだ。

 じきに、陽がその姿を現し、その身を沈めるまでの僅かな間だけ、夜闇を世の隅へと追い払うだろう。




 やがて、ぽつんとした白い光点が、視線の先に姿を現す。


 地上だ――。




 朝を迎え、陽が輝きを取り戻そうとする世に、幾つもの草木が揺れている。

 地下の湿っぽくない、木々の映える香りの良い、乾いた風。

 その足跡が、波の様に森の木々を揺らし、一帯を駆け抜けてゆく様が、上からの視点で良く分かった。

 地の底の饐えた臭いから、やっと解放され、胸一杯に新鮮な朝の薫りを吸い込む。

 黒い石床の正面には、真っ直ぐに下まで伸びてゆく、人が使うに丁度良い設えの階段が見える。

 ここを降れば、眼下に見える森に辿り着ける様だ。

 今居る所は、石を積んで作った、細い搭の様に見える、やや高い場所。

 古の地にある、何の為に拵えられたのか、まるで分かっていない建造物のひとつが、森の中に聳えている。

 森の他には、右手側を見渡すと、そちらの方にも、石造りの建物が幾つか見えた。

 中にぽつんとひとつだけ、見覚えのある建造物がおぼろげに映る、あの辺りから地下に降りて行ったのだろう。

 そして、正面に顔を上げると、目の前の空の向こうには、陽の光を発する球体が浮かぶ。

 久々の外の景色を眺め、感慨に至っていると、背後から声が聴こえた。

「ハザ――」

 リムの呼び声に振り向けば、彼女は巨大な石段の縁へと、両手を前に掴まり、じっとこちらを見ている。

 肩より下が全く見えぬその姿は、石段を登っている事を伺わせるには、十分過ぎる姿勢。

 このままでは、登る事も降りる事も、この女の力では叶わない筈。

 放っておけばその内にでも力尽き、滑り落ちて怪我をしてしまうだろう。

 こうして眺めている間にも、彼女はずるすると手が滑り、下に落ちようとしている。

 浮けば良い話ではないか、とも思ったが、時折下から吹き抜ける風が強く、浮いていると、飛ばされてしまうのだそうだ。

 宙に浮き、歩かずに済むというのは楽に見えて、実の所は意外と不便なのかもしれない。

 彼女の言っていた、浮くだけで進む為には、何かの力を借りねばならない、という言葉は、嘘偽り無い本当の事である事を、ハザは今更ながらに理解する。

 そして、今、目の前で女は滑り落ちようとしていた。

 彼は駆け寄り、屈み込むと手を伸ばそうとする、石にしがみ付くのが辛いのか、二の腕をぶるぶると震わせる、不安定な姿勢の娘の脇へと手を伸ばす。

 滑らかな柔らかい肌に、その手がしっかりと触れた瞬間、まるで重さが失われたが如く、リムの身は軽々しく抱え上げられる。


 そのまま青年は後ろに数歩下がると、くるりと踵を返し彼女をそっと下ろした。

 ふわりと浮くのかと思っていたが、娘は両の足をしっかりと地に着けた後、脚を広げ、ぺたりと黒い石床に座り込む。

 へたり込んだ、という方がより近いだろうか。

 そうすると、何処からかからん、と音を立て壊れたランタン角灯が、前に転び出る。

 周囲が明るくなってきた為か、その灯火は地下に居た時より目立たなくなっていた――もう使い物にならなくなったこんなもの、さっさと捨てれば良いものを。

「これはハザ、貴方から預かったものですよ。

 お返しする刻が至るまで、失くす訳にはいきません」

 思わず喉まで出かかった、ハザの考えに間髪入れず、説明を語り始めた彼女。

 相変わらず、何がしたいのかは分からないが、妙な所でリムという女は律儀だった。

 ますます呆れた顔を深くして、青年は投げ打つ様に言う。

「要らん、そんなもの。

 俺は新しい物を買うから、欲しければくれてやる」

 明るい中でよく見れば、取っ手が枠で辛うじて繋がっている、だたそれだけの代物。

 暗いとはいえ、ぼんやりとした薄明かりが、何処かにあった地下では、無くても大丈夫な時も多かったが、矢張り明かりは手元に1つは無いと不便だ。

 早い内に新しい物を、商う者から手に入れる必要があるだろう。


「それでは頂きますが、これは食べたくないですね。

 錆びていて、美味しくはありませんので」

 聞き捨てならない言葉を聞いた刹那、驚いた面持ちを浮かべかけたハザ。

 が、この女のやる事にいちいち驚いていたのでは、それこそ身と心が持たない――持つ筈が無い。

 そして、その美しい娘という容姿に絆されていたのだろう、今の今まで忘れていたが、この女は鉄喰らいであった。

 まさかとは思うが、食う為に持ち歩いていたのではないだろうな。

 俺の剣や、財布の中身を狙われては敵わん、反射的にそう思うと、引き継ぐ様に話を続けるリム。

「ハザの剣は――。

 我等が食べるには大きすぎますよ。

 もっと味が良くて、少し小さい物が良いですね。

 まだあの時の袋の中の方が、食べ易いのでそちらを頂ければ、と」

「駄目だ。

 財布の中身には手は出させん」

 矢張り狙いは財布か、と考えながらも彼は鞄に手を掛け、警戒するように身構えた。

 そして、財布の中身の話から気を散らそうと、素早く話題を切り替える。

「そう言えば、仲間とやらに会うのだろう。

 これから居場所を探し、訪ね歩かねばならないな?」

 そう、確か仲間と会う為に、地上を目指すとリムは言っていた。

 本当に同じ者が居るのか、確かめては見たいが、戦いもせずわざわざ探すだけの事に、付いて行く気もしない。

 悩み決めかねていると、リムの柔らかな唇は、その話がもう済んだ旨の言葉を紡ぐ。

「はい――。

 もう終わりましたよ。

 随分と長い間、我等を待ってくれていました。


 この大地は、やがて我等の願いで、満たされてゆくでしょう」

「今、誰かと会ったようには見えんな。

 良く分からん奴だ」

 石の壁にもたれ、彼女の方を向くと、彼はそう話す。

 先程から姿勢を変えず、リムは石の上に座り、青年の方へとじっと視線を向けたまま、であった。

 そして、陽光に照らされた形の良い唇が、ゆっくりと動く。

「我等が意思の疎通を行うのに、位置や距離は関係ありません」

「そんなものか――満足したならそれでいい。

 遺構の封印の解く話とやらは、どうなった。

 大した力になれるとは思えんが、俺も手伝おうか」

 確かにこれは、大した力にはなれそうも無いだろう。

 精々が物を運んでやる程度だ、そんなもので良いなら、飽きるまでの少しの間位は、手伝っても構わないが。

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