3章.決戦(2)

 そのような心中を察したのか、まるで意外、とでも言いたげな声色で、リムは言葉を続けた。

「お嫌なのですか?

 貴方なら、我等が直に力添えを致しますよ」

 直後続いたのは、自信たっぷりにさあ、どうぞどうぞ、と言わんばかりの語調。

 全く噛み合いそうにない価値観の掲示に、当の彼は、ますますその顔を顰めてゆく。

 その青年の後ろを、ぴったりと滑り着いて来るリムのその姿は、まるで死に連れ去る者を連想させる。

 懸命に足を動かし走りながら、恭しくも吐き捨てる様に、彼女の誘いをきっぱりと断るハザ。

「大変に魅力的な申し出、ありがとう。

 だが、俺は昔から、そう言うお誘いが何故か多くてな。

 すまんが間に合っているんだ、諦めてくれ」

 思えば昔から、生傷の絶えない荒事ばかりをこなしていた。

 ふと気が付けば、何かと諍いに、首を突っ込む事が多かった気がする。

 そして、何時の間にか気にしなくなっていたが、その生き様は、ずっと死と隣り合わせだった事を、ここへ来て漸く思い出す。

 死からのインヴィテイション招待状、それをやんわりと断る術を、彼は自然と身に着けている、のかも知れなかった。


 階段を駆け上り、緩やかな曲線の通路を駆け、三叉路の片側の通路に、欄干の無い橋が見える。

 その先には、まるで、闇夜の中にぷかりと浮いている様な白い床。

 駈け上って来た記憶を繋ぎ合わせると、その構造は、地中に造られた搭の様であった。

 正面の曲線からも足音と声。

 ハザは迷わず、欄干の無い橋の方を選ぶ。

 次の橋も、渡り切れれば良かったのだが、その眼前の橋には、大勢の者が列をなししていた。

 ご丁寧に旗まで掲げている――あの教団の物だ、勿論味方などでは無い。

 背後からも大挙して、奴等が押し寄せてきている。

 独りなら兎も角、女連れでは到底突破は無理だ。

 ぽっかりと暗闇の空く、大広間の隅へと追い詰められながら、思わず舌打ちした所へ、落ち着いたリムの声が、背後から青年の耳朶に届く。

「どうしましょうか」

「この後、一斉に飛び掛かって来るだろう。

 考えたが此処は天井が無い。

 上に行きたいんだが、お前はもう、飛べないんだったな。

 この数は流石に、俺も生きて帰れるかどうか……万事休すだ」

 長剣を構え、じりじりと後退りつつハザは答える。

 確かに追い詰められてはいるが、袋小路という訳では無い。

 可能ならば自身ごと抱えて、飛んで貰いたかったのだが、たかが毛布ひとつ、満足に運べない彼女の膂力りょりょくでは、それもままならないだろう。

「上に行くだけでしたら――。

 他に手はあります、ですが……」

 有効そうな返事はあった、あったが――。

 奥歯に物が詰まったような物言いに、ハザの内心は不安を掻き立てられる。

 このような時は、きちんと何をするのか、確認した方が良い。

「ですが、何だ?

 それは、もしかして危ない方法では無いだろうな?」

「危なくはありません。


 ですが、その前に――。

 あれを壊さなくては。

 残されれば後の世で、我等の願いを満たす邪魔と、なり得るかもしれませんので。

 早い内に、壊さなくてはなりません」

 視線の先には、神――リムの居場所を探る為の宝珠を掲げた者が居た。

 曇りひとつ見える事の無い、艶やかに透き通る球、その内側に、娘の居る方角を指し示す輝き。

 アレがある限り、地上に出ても彼女は奴等に、追われ続ける事になるだろう。

 宝珠の方へ移動しようとするリムの手を、引き留めるかの如く掴んだハザは、ぶっきらぼうに答える。

「ああ、アレか?

 心配はいらん……もう斬った」

 ハザがそう言うが否や、突如、めきりと嫌な音が微かに聞こえた。

 何も映さなくなった澄み切った宝珠に、黒いひび割れが入り、磨き抜かれた球体が、ゆっくりとずれてゆく。

 ある程度滑ると、ぽろりと2つに分かれ地に落ちる。

 そして白い石床に叩き付けられ、更に大きな亀裂が幾つも入り、修復しようの無い断片となると、ばらばらに砕け散った。

 見る見る内に輝きを失い、薄暗く変色する宝珠だった物、を掌に救う様に載せ、ああ、と世が闇に閉ざされた様な声色で、誰かが叫ぶ。

 これではもう、神の居所を探る事など、2度と出来はしまい。

 完膚無きまでに断たれ、粉々となった宝珠を見たリムは、急がねばならぬ時にも関わらず、その面持ちを崩さずのんびりと言う。

「お見事です。

 さて、それで、それは何時――」

「今すぐだッ!」

 彼女の言葉を遮る様にハザが言い終えると、足元の周囲が輝いた。

 迫る者達は何事かと驚き、思わず蹈鞴を踏むと、その場へと押し留まり、驚愕の視線を仰ぎ向け、様子を見る。

 2人の足元を囲み、いや包み込む様な輝きは、徐々に少しづつ、上昇してゆく。

 その上に乗せた体ごと、ゆっくり、ゆっくりと。


 彼等の足元には、眩い光を溢れさせながら宙に浮き、ふわふわと昇り続ける、硬く輝く透明な床が現れていた。




 縁から小さな輝きを撒き散らし、上へ上へと進んでゆく足場。

 未知のものにも臆さず、しがみ付きに来た者を手にした長剣で打ち払い、騒ぎつつも茫然と見守る者達は、もう既に手の届かぬ程下である。

 此処まで昇ってしまえば、石やナイフ小刀を投げられても届きはしないし、弓でも狙う事は難しい。

 そもそもこの堅い床は、早々破られそうにない程に頑丈で、自身の剣は勿論の事、弩の矢や投げつけられた様々な飛び道具の一切を、亀裂のひとつも入る事無く、いとも容易く弾き返してしまっていた――ひとまずは胸を撫で下ろしても良いだろう。

 もう、眼下に群がる者達が、風に揺れる小枝の如き大きさに見える。

 多少の風にも全く揺れぬ、透明な足場を確かめる様何度か触れ、しっかりとした感触を確かめると、惜しそうにハザは言った。

「急場を凌いでも、また追って来るな、奴等は。

 折角集まってくれたんだ、纏めて決着を着けたかったな。

 お前の歌で、橋か柱を壊して、このまま地の底へ叩き落とせれば、尚良かった」

「出来ますね」

「まあ、そうだろうな。

 折角の好機だのに、残念な――。

 ――、……、おい今、何と言った?」

「はい、出来ますよ」

 あんぐりと浮かべた呆れ顔から速やかに転じ、唇を笑みの形に吊り上げた、ハザが下を指差す意図を読んだのか。

 再び、辺りから美しい旋律が流れ、暗闇の中を満たしてゆく。

 やがて、刹那の輝きの後、厳かな轟音が静けさを打ち破る様に轟き、幾多の者の絶叫が合唱の如く、幾重にも壁に反すると、何処へとも繋がっているのか分からない、暗闇の底へと向かって、砕けた白い石で出来た橋や床ごと、吸い込まれて行った。




 そして、音を出すものは、何処にも居なくなった――2人を除いては。

 再び訪れた静寂に、壊れたランタン角灯にぽつりと灯る、魔の力の放つ弱々しい光。

 今、目に映る光源は、これと乗っている輝く床のみ。

 乏しい灯火が必死に揺れ、迫る漆黒を押し退けようと、その存在を精一杯に主張する。

 光を反し、その姿を現すものも無くなったのか、それだけの光量では、周囲に何があるのかまでを、映し出す事は出来ない。

 あの大きな轟音は、光を灯すのに肝心な所を、皆消し飛ばしてしまった、という事であった。

 残った部分は、今居る竪穴のみである。

 全ての光が失せたこの遺構はもう、朽ち果てる時が来るまで、暗黒に満たされたままなのだろう。

 今にも闇に飲まれそうな灯火に照らされ、周囲の静けさに負けぬ程の、粛然たる声で彼女は言った――出られそうな所は、もっとに上にあると。


 物悲しさを覚える程の、しじまに包まれた暗闇の中、夜空に浮かぶ星々の様な煌めきに乗り、リムとハザの2人は、更に上へと昇って行くのだった。

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