3章.決戦(1)

 聞き慣れた女の声だ、間違いない。

 これで討たれた数は何度目になるのか、だが彼女はまだしぶとく、生きているのだろう。

 今ここで大勢に囲まれ、切り刻まれた挙句に、食われてしまった現状だと云うのに、どのようにして生き延びたのか、何時もの事とは言え、皆目見当は付かないままだが。

 リムは再び現れるという、確かな予感を胸に抱き、微かな足音を立て、ハザはその場を後にする。


 目下、やらねばならぬ事は、この大広間を脱し、地上へ向かう事だ。

 神とやらを追うという宝珠。

 それを掲げ持つ者は既に倒れており、無残に転がるその横を素早く駆け抜け、橋を目指して青年はひた走る。

 兎に角ここを抜けなくては、何もならない。

 途中、追いすがる者達が居たが、それらは全て長剣で打ち払う。

 体当たりを目論む者を避け、横から押し返した後、姿勢を崩した所へ強打。

 背を打たれ、もんどりうって俯せに倒れた者は、何とか起き上がろうとしたが、そのまま力尽き、再び這い蹲る。

 盾を構える者の、横から打って来る者を軽くいなし、胴鎧の隙間を強く突く。

 鋼の塊を捻じ込まれた者は、兜の間から血を吐き、声も無く倒れた。

 構えたまま、動かぬ者は有無を言わさず、その長剣を薙ぎ払い、強引に打ち倒し黙らせる。

 ぐぅぅ、と小さくひと声呻くと、ごろりと大の字に寝そべり、意識を失う。

 とどめを刺す必要はなかった。

 探さずとも他にも相手は居るのだ、他に避けねばならぬ攻撃も多く、手を休める暇とは全くの無縁と言える。

 そして更に駆ける青年、渡ろうとする白い橋の前に、駆け集まる者多数――どうやら敵味方入り交えるこの混乱の中でも、すんなりと逃がしてくれる心積りは、さらさら無いらしい。


 道を塞ぐ邪魔者を排すべく、互いに剣を振り上げた所で、突如として歌が聴こえ、何事かと皆が顔を振り上げた。

 騒がしかった大広間に、波が広がる様にして静寂が満ちてゆく。


 その唄は、長らく会えぬ友を偲ぶ者の寂しさを思わせた。

 その唄は、戦を終え故郷へと帰る者の安らぎを思わせた。

 その唄は、還らぬ愛しき人へ残る者の悲しみを思わせた。


 聴き入るにつれ、歌の意味が、耳を潜り、心に沁み込んできた気がする。

 皆、心が洗われるようなその声色に聞き入り、自然と戦いを止め、歌う声の主を探す。

 ある者の視線が、ぼんやりと上を向く。

 そして、またある者が茫然と指差す方向に、彼女は静かに佇み、そして麗しく艶やかに歌う。

 物音ひとつ立てる事も、許されざる荘厳な雰囲気に圧倒され、誰もが固唾を飲んで、その成り行きを見守った。

 美しい歌声は、途切れる事無く続いてゆく。


 その唄は、長い旅路の末に安息を得た求道者を思わせた。

 その唄は、親愛の情に身を震わせる愛しい人を思わせた。

 その唄は、国と民の為遠征に出た帝王の帰還を思わせた。


 崩れた柱の上にリムが立ち、歌っている。

 それも、何人も――。

 今、多数の古びた柱の上に存在する、同じ姿を持つ彼女は、独りでは無かった。

 多くの者が、夢でも見ているのかと目を擦り、瞼を瞬かせ何事かと呻く。

 すると今度は何処からともなく、彼女の歌う様な声が響いてくる。

 その声は、すぐ傍からとも、姿が見えぬ程遠くからとも取れぬ距離で、語り掛けて来たようにも感じられた。

 しかし辺りに響く美しい歌声が、ひと時たりとも止まった訳では無い。

 流麗な、実に不思議な光景が瞳に映る。


 死して尚縛り 従わせる契り

 貴方達を 取り巻くその鎖は 解かれました

 痛かったでしょう 辛かったでしょう 永かったでしょう

 さあ今こそ 怨敵を 討ち果たす時


 怨敵を 怨敵を 怨敵を

 討ち果たす時 討ち果たす時 討ち果たす時


 輝く様な、そして、透き通る様な幾多の声が、徐々に小さくなり、聞こえなくなると共に、断末魔の悲鳴が皆の耳朶に届く。

 かつて聞いた、某とやらの解法、これはそれを行った結果なのか。

 橋を渡り押し寄せる、更なる手勢が現れ、それが新たな混乱を引き起こす元凶となっている。

 ぽっかりと闇に浮かぶ様に見える大広間は、惨憺たる有様と化しつつあった。

 白い橋を渡り、古びた剣や槍を振り翳す、骨と皮しか残らぬ、干乾びた亡者の群れ。

 何時か見た骨共が押し寄せ、彼の者達を討たんとする。

 更に、既に屠った筈の者が起き上がり、また胸を貫き、首と胴を切り離した者が突然、倒れ込むのを堪え、無理やり体の向きを変えると、かつての味方だった者達へと、手にした獲物を振るい始めたのだ。

 そして、それを予想だにしなかったのであろう。

 驚愕の思念を宙に投げかけ、その凶刃に斃れた者も、人が変わった様に形相を変え、すぐさま反旗を翻す。

 ある者は頭の無い体でも平然と動き、剣を振るい、また何もない所に浮く、切り落とされた首は歯で噛み付き、そして極めつけには、裂けて千切れかけた上体で1人を挟み、残った2つの腕で幾多の者を同時に相手取る、摩訶不思議な戦い方をする死者も居た。

 それらを間近で見ていれば、かなり不気味な光景と言える。

 やがて驚愕と困惑、畏怖と戦慄、そして未知のものを恐れ慄く叫びが、たちまちの内に大広間を満たす。

 悪夢のような現実が、大きな混乱として、人と人の間を、漣の如く広がってゆく。

 彼女の言葉通り、ついさっき打ち倒した者、そして新たに表れた動く骨共が、教団の者達に襲い掛かり、道が開ける――今だ。

 ハザは動く遺体ごと、教団の鎧を纏う者を鋼の刃で打ち倒し、大広間から出る橋へと向けて、全力で駆け始める。




 不気味な命を失った者共は、不思議と彼を避けてゆく――あの時とそして、今までと同じ様に。

 まるでそこには、最初から誰も居ないか如き有様であった。

 そのお陰で邪魔も少なく、悠々と白い橋を渡り切った後、小休止を挟む。

 何時から御伽噺の世界に迷い込んでしまったのか。

 死んだ者が蠢く、明らかにおかしい世界が、橋を渡ったすぐ向こうに在るのだ。

 よく見ると、少し前に対峙した筈の、影の様な者達も、奴等に紛れて争いに加勢している。

 異様な手勢は、リムが斃された辺りに向かってはいるが、女の遺体に群がる生きた者達を率先して狙う。

 そこで彼は理解した――亡者共の今度の狙いは、彼女では無い事を。

 生きている者全てに襲い掛かり、徹頭徹尾被害を考慮しない、理不尽な戦いを挑むその姿は、正に狂気に満たされた者共としか思えなかった。

 これは少し休まねば、心身が持たない。

 困惑と憔悴に駆られた面持ちの彼は、天井を仰ぎ、ゆっくりと静かに目を閉じると、右手拳を胸に当て、大きく息を吐く。

 ひと呼吸休んだ後に目を開くと、取り戻した鋭い視線で左右を見渡す。

 気が付き手が空いた者が、彼の居場所を指差し、何事かを大きな声で言っている様子が見えた。

 彼等はまだ、追って来る心積りを有しているらしい。

 まあ、邪魔が入る為なかなか、こちらには渡ってこれないとは思うが、ぼうっとしている暇は無い、少し休んだら、先へ進まねば。

 呼吸を整えた後、再び駆け出した青年。


 その後ろから照らし出す、壊れたランタン角灯から煌めく僅かな灯火が、ハザの影を伸ばす。

「そんなにおかしな事ですか――?

 かつて施されていた、彼の者達の技法を解き、そして我等も、扱えるようになりました。

 只それだけです。

 我等も彼の者達も、積もりに積もった鬱憤を、多少は晴らさねばなりませんし」

 先程の思考に答えを示す様な、静かな声が届く。

 何時の間にか隣に佇んでいたリムが、歌う様に聞こえる声では無く、普通に聞こえる声で、話し始めていた。

 駆ける速度を上げつつも、青年は思う。

 つまり、それは彼女が、妙な技で死体を動かす方法を学んだ、という事だろうか?

 ひとつの事柄に、思い当たった事を青年が喋る前に、彼女は答えた。

「あれらは既に我等の、忠実なる僕。

 この遺構で、死を得た者は全て、我等の僕となります」

 彼の理解が進んだ事を嬉しく思ったのか、その声は、何時もより少し明るい気がする。

 しかしどう聞いても、新たな呪いとやらで、遺体や動く骨共を縛った、と言っている様にしか感じられず、眉を顰めたハザは、止せば良いのに思わず尋ねてしまう。

「聞きたくは無いが。

 ――それは、まさか、俺もか?」

「はい、勿論――。

 此処で死を得れば、貴方も我等の僕となりますよ。

 少なくとも、我等が滅びるまでの間は。

 どうでしょう?

 ハザも、我等と共に、同じ刻を歩みませんか」

 どういう意味か、最後のひと言が余計だ。

 こんな所で、得体の知れない骨共と、仲良く詰め続けるなぞ、御免被りたい。

 思わず聞くんじゃなかった、とハザは苦虫を噛み潰した様な表情を、顔に浮かべさせる。

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