2章.真実は造られる(2)

 その様子を驚き眺めていた巨漢は、やがてグツグツと低く唸る様な笑い声を上げ、楽しそうに肩を揺すり、笑う。

「……グッフフフ、驚いたぞ。

 これが神の力か。

 成程、ますます欲しくなった……。

 ――小僧、矢張り貴様は。


 裏切り者としてここで処断されるのが、相応しい様だ、なッ!」

 言葉を言い終える前に、大きな戦槌を振り下ろす。

 何を企んでいたかは知らんが、動けるようになった小僧は、低い姿勢で盾を構えている。

 そんな小さな盾で、何が出来るかァッ!?

 縮こまって、本気で防げると思っていたのなら、相当な痴れ者に違いない。

 お望みならひと思いに、叩き潰してやろう。

 そして、戦槌とハザの腕にある丸い盾が、激しく激突する。

 小生意気な若造は這い蹲り、彼は望み通り神の力を手に入れる――筈だった。


 だが実際は、カチリ、と小さな音がしたのみ。

 予想とはまるで違う衝撃を感じ、戦槌が腕ごと上がってゆく。

 そして地を這うかの如く、低く構えた姿勢から、風を切り裂く長剣が迫りつつある。

 良い反撃だが、守りを捨てている上に大振り過ぎる、もう1度戦槌を振り下ろせば、剣が届く前にこんな小僧はぺちゃんこだ。

 自身に満ちた主後の巨漢は、腕に渾身の力を籠めるが、戦槌は意図した方とは逆に、ぐんぐんと跳ね上がってゆく。

 瞬きをする間に肩口と水平に、次は頭上、そして背面へと。

 弾き返され、後ろへ向かおうとする勢いが、抑え込もうとする筋力の限界を、遥かに超えているのだ。

 な、何故だッ?

 このままでは、振り下ろす事が出来ず、守りもがら空きになる――。

 上り切った腕で何の防備も無く、後ろに垂れ下がった戦槌を尻目に、小生意気な小僧の反撃を待つだけの身。

 今この状態なら、幼子でも容易く討てるだろう。

 余裕のある笑みが、冷や汗を流し凍り付くまで、左程の時間は要しなかった。

 己の命を奪わんとする、迫り来るであろう猛威に、自然と目が行った刹那。

 青年が振るう長剣の斬撃が、巨漢の肩口へと届く。


 冷たい鋼の塊と厚い鎧が触れ合ったが、不思議と音はしなかった。


 鎧の内側で、肩口から真っ直ぐに、自らの身が裂け逝くのが分かる。

 馬鹿な、そんな筈が――?

 状況を理解する間も与えられず、そして、ゆっくりと背後に引かれ往く感覚。

 そこで、巨漢の意識は途絶えた。

 この様子では、紅い命の源を床に広げる彼は、敗北した事すら、気付かなかったに違いない。

「フ――もう終わりかよ。

 この俺を小僧呼ばわりした奴は、皆こうなった。

 どうやら知らなかったようだな」

 怒りに頬を引きつらせたハザは、吐き捨てる様に言う。

 起き上がれるものなら起きて、もう1度戦ってみせろ、と言わんばかりに。

 しかし、もう既に事切れていたのか、仰向けに倒れた巨漢からの返事は無かった。




 次の瞬間、突如響き渡った、男の大きな泣き叫ぶ声に、ハザは振り返る。

 またしても信じられない光景。

 そこには、明らかな剣による斬撃で、頭が叩き割られ、息も絶え絶えとなった者が、リムの足元に這い蹲っていた。

 辺りには奇妙なものが浮き、ふわふわと漂う。

 当然ながらそれらには、見覚えがあった――あれは傷痕だ、自身から引き剥がされた筈の。

 見ていると宙に浮く傷痕が、ふわりと空を切り、近付こうとする者の鎧兜の隙間から、するすると入り込む。

 顔や体に大きな傷跡が巻き付くと、まるでその部分へと、新たに傷が出来たかのように、激しい痛みを伴い、血を吹き出し始めた。

「ガァッ!!」

「ぐああーーーッ!」

「ギイヤァ!!」

 そして、リムを取り囲もうとした者達は、突然叫びを上げ、大広間の床へと這い蹲ると、のた打ち回る。

 当たり所、と言うか傷痕の付き所が悪かった者は、肺や心の臓はおろか、更には首や頭蓋を傷付けられ、怪しげな技に為す術無く倒れてゆく。

 身を護る術だと、剥がした傷痕の使い道はこれか。

 ハザは漸くあの時の事に思い当たる。

 しかし見るともう、浮いた傷口は小さいものだけとなり、その残りも少なかった。

 上手く急所に当てねば、痛がりはさせられるかもしれないが、それだけで斃せはしまい。

 傷痕が狙っている者は恐れ戦き、後退りを始めるが、それ以外の者は、じりじりと彼女の方へと詰め寄る。

 それに対しては、無防備と言って良い程隙だらけだ。

 やがて、最後の傷痕が飛ぶ――。

 だが思った通り、残りの傷は掠り傷を負わせただけに終わる。

 守る術を失った彼女が、ここぞとばかりに後ろから切りかかられ、高い叫びを上げてその場に倒れ伏す。

 そして、その声が耳朶に届いた者達が、一斉にそちらを向く。


「オオッ、オオオーッ!

 神の血だあーッ!」

「お、俺にも寄越せェッ!」

 歓喜一色に塗り潰された歓声、彼等は倒れたリムの元へ我先にと集う。

 彼等全てを切り払う事は、ハザには出来なかった。

 今の俺の腕では、これが限界か……。

 当たり前の事だが、たかが剣ひとつで、数多くの者の突進を防ぎ切る事は出来ない。

 そして、集う者達は口々に捲し立てながら、倒れた女へと群がり、歯を突き立て、その血を啜り肉を食む。

 巨漢の言っていた、血と肉を得る――その意味がありありと伝わって来る光景。

 或る者は髪を、或る者は指を、そして或る者は眼を。

 倒れた女に齧り付き、思い思いの部位を刃で切り落とし、躊躇無く口にすると、その流れる血を自らの顔に塗りたくった後、肩を組み皆で笑い合う。

 そしてその笑顔は、調子を合わせて何時しか歌い声となり、大広間を埋め尽くす。


 だが、心の臓が抉り出された時、様相が変わった。

 共に戦い、互いを称え合う喜びの歌がぴたりと止まり、打って変わって波打つように静けさが満ちてゆく。

「これは俺のものだ!」

「どけえっ、俺のものだ!」

「邪魔をするな、それを喰らって神になるのは、この俺だあッ!」

 そこが目当てであったのか、血相を変えた者達が、その所有権を求め、叫ぶ。

 唯ひとつしかない、それを求めてある者は、先程まで肩を組み、歌い合っていた仲間だった者へと、刃を突き立て、奪おうとする。

 しかし、集った者の考える事は、皆同じ。

 次に始まったのは、神と呼ばれた女の、血と肉を得る為の、奪い合い。

 互いに刃を向け、我こそは我こそは、と在りもしない力を求めて、集った者達は大いに争う。

 やがて、女の遺体が刻まれ小さくなると、既に血肉を得た者も神と見做され、その刃の餌食となり始める。

 神の血肉を得た、または得たように見えた、たったそれだけで、力を得ようとする者達の凶刃が、容赦なく振るわれてゆく。

 何時の間にか、この場で最も多くの血肉を得た者が、神として世に君臨できる――その様な事を口走り、刃を振るい互いの血肉を、是が非とも口にせん、とする者達で大広間は溢れ返っていた。

 暴徒となった者達から身を守るべく、我こそが奇跡を世に現わさんとし、斃れ伏した者の血肉を得た後に、何かを念じる者も居る。

 勿論だが、彼女の様な不可思議な理を起こすなど、出来よう筈もない。

 魔の力の使い方も知らず、無防備になった所を刺し貫かれ斃れた者、そして斃した者の血肉を奪う為、襲い来る者の連鎖がいつまでも続く。


 終わらない狂騒の中、突如ひと筋の声が大広間の中に混ざり込む。

「き、貴様らあッ、何をやっておるか!

 許さん! 許さん! 許さん! 許さんぞォーッ!

 皆、邪悪なる者達の手から、神を、神をお守りしろーっ!」

「遅かったかあっ!

 しかしまだ間に合う、皆の者、神を討つ好機ぞ!」

 大挙して鎧兜、そして手に手に獲物を持った者達が、大広間へと雪崩れ込んだ。

 粗方、相争っていた勢力が、新たな敵を探し求めてやって来た、という事だろう。

 すぐに勢力が違う者達が入り乱れ、大広間は怒声と悲鳴に包まれている。

 時折、周囲の暗闇の底から舞い上がる風の音は、最早誰の耳にも届いてはいなかった。

 もうどちらの陣営を相手にしているのか、正確に把握している者はハザを含め、誰も居ないに違いない。

 神敵と罵られ、神を討つ邪魔者として罵倒され、そして神と成らんとする者から、その血肉を求められる。

 全てが敵。

 生きている――ただそれだけで狙われる、異様な空間。

 この様な状況で出来る事など、たかが知れていた――対峙した者を切り払い、また次の相手を探す。

 そして避けては斬り、斬っては避ける、その繰り返しだ。

 此処から抜け出したければ、死して黙せば、恐らくその願いは叶うだろう。

 それとも、生き残った最後のひとりとして立つか。

 自らの生涯を掛けて、立ち向かわねばならぬ、と思う程の者は終ぞ現れなかったものの、戦う相手だけには困らなかった――抜け出すにはそのどちらかしか無い、と思える程には。

 戦いの最中、ふと、リムであったものの骸が目に入った。

 助けるというには既に手遅れだが、諦めずに彼女の元へと向かうべきか、と前のめりだった姿勢を戻す。

 そして、狂乱に身を任せる彼等を刺激しない様、慎重に、静かに後退りを始める。

 彼のその耳には、他の者には聴こえていないらしい、ある声が届いていた。


 ハザ

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