2章.真実は造られる(1)

 ハザは縄に繋がれ、引き摺られる様にして歩く。

 頼みの長剣は、今や敵の手の中に在り、反抗する機会も失われている。

 そしてその前後には、例の紋を設えた鎧を身に纏う者達が並び、彼を何処かに連行している様に見えた。


「こっちだ、来いッ!

 神を謀る、裏切り者め。

 きりきり歩け!」

「痛てぇな。

 手荒な事はやらんと、約束しただろうが」

 後ろを着いて来る者が、威勢を失わぬ青年への返事として、無言で足を蹴り飛ばす。

 蹴躓きそうになった彼は、痛てぇな、やめろ、と大げさに騒ぐ。

 するともう1度、脚に衝撃。

 ハザが黙るまで、後ろの者は蹴るのを止める事は無かった。


 石作りの段を登ると、広めの通路の先にある、白い橋を渡る。

 もうその構造は理解していた――幾度も見てきた光景、闇の中にぽつんと浮かぶ、大広間。

 そこには、ひと際立派な装飾を施し、異彩を放つ鎧を身に纏い、大きな戦槌を携えた、巨漢が佇んでいた。

 傍に、磨き上げられた宝珠を携えた者を、侍らせている。

 態度や扱い、施されたその紋の立派さから察するに、こいつが邪魔者の、長なのだろう。

 組織内での立場もありそうだ、名を知っているという事は、それ相応の――。

「裏切り者を連れてきました!」

 後ろから背中を蹴り飛ばされ、よろめいたハザは巨漢の足元に蹲った。

 がりりと胸当てと床を擦れさせ、舞い上がる土埃に、彼は顔を顰めさせる。

 その様子を楽しそうに眺めながら、巨漢が口を開く。

「やっと来たな。

 貴様が古の地に寄越されたという、戦う者ハザか。

 クックック、待ち兼ねたぞ。

 ……女はどうした?」

 低く唸る、獰猛な獣の様な声が、頭上から降り注いだ。


 後ろ手に縛られたまま身を起こし、胡坐をかいたハザは口端を吊り上げ、鋭い視線でにんまりと笑みを浮かべる。

「祈る者。

 俺が戦約を結んだのは、お前では無い。

 話が違うぞ、これはどういう事だ?」

 ハザは質問に答えず、さもこの仕打ちは何だ、といった体を装う。

 馬鹿正直に答える必要など全く無い、それは向こうも承知の上で訊いている筈だ。

 グッグッグ、と喉を震わせると、巨漢は地の底から響く様な重い声で、話し始める。

「手荒な事をしたのは済まなかった。

 何、どうと言う事は無い。

 少しな、ほんの少し、事情が変わったのだよ。

 後の事は我々が引き継ごう――さあ、これで貴様の仕事は終わった。

 女を置いて去るがいい」

 これはこれは、挨拶もそこそこに、随分と身勝手な要求をされたものだ――勿論これも、馬鹿正直に従う必要など、何処にも無い。

 分り切ってはいたが、矢張り、目的はそこか。

 と、鋭い視線はそのままに、ハザは口端を吊り上げ、目を細める。

「訊こう。

 俺が去った後、どうするつもりだ?」

 返すは揺るがぬ自信に満ちた、青年の声。


 今、リムは姿を変え、ある場所に隠している。

 様子を窺う限り、彼女が何処に居るか、までは気付いてはいない様だった。

 このままやり過ごせるのなら、謀ってあてずっぽうの場所を探させ、その間に悠々と脱する事だって出来るに違いない。

 だが、奴等が複雑に入り組む迷宮で、何故ハザを追えたのだろうか。

 そこが分からぬまま安易に搦め手を選び、知らぬ間にこちらの手管を見破られてしまった場合、次はチャンス好機を得られなくなる。

 ここは伏せの1手――彼は気取られぬ様、冷たい笑顔を更に深め、巨漢の返事を待つ。

「フン、知れた事よ。

 神の血と肉を得――。

 その力を取り込み我がものとするのだ。

 やがて我々が腰の引けた王に代わり、神と成って世を総べる。

 この崇高な目的、貴様の様な不心得者には判るまい」

 たったそれだけの話で報いとするつもりか、間髪入れず、少しも渋らずに伝えられたその目的は、ハザが思っていたよりも、更にシンプル単純であった。

 まあ確かに考えるまでも無く、その様な使い道を是とする輩も多いだろう。

 彼自身は、全く思いも寄らなかった彼女の利用法に、思わず笑いが込み上げてくる。

「……ッフ、――ククク。

 ハハ、ハハハハハハッ!」

 ここまで話してくれた以上は、邪魔者に過ぎない彼を見逃す心積りなど、元より無いに違いない。

 大人しく去ろうとすれば、秘密を知った等と難癖を付け、始末しようと試みるだろう。

 我々でなく、お前1人で独占するつもりじゃないのか、と自然と込み上げる感情に、肩を震わせて笑うハザ。

 あの女が出来る事と言っても、精々が死んでもまた現れたり、浮いたり飛んだり火を出す、その程度だ。

 剣を振るっても避けもせず、そのまま倒される程非力で。

 そして、変に関わろうとさえしなければ、恐ろしい程に無害な存在。


 彼女は閉じ込められた、と言っていた。

 恐らくその体は、そこいらに居る只の女、町娘や村娘と、何ら変わりが無いのだろう。

 例え、血肉を喰らったとしても、奴等の妄想通りに、力なんぞ沸いてこないに違いない。

 神の血肉を口にすれば、その力が得られる――?

 そんなものは所詮、子供が思い付く幻想だ、大人達が寝る前の幼子に聴かせる為に創り上げた、只の御伽噺。

 暫く独り大広間に声を響かせ、体の奥から沸き起こる笑いを、どうにか抑えたハザは、詰まらなそうに、だがしかし強く確かな語調で、眼前の巨漢を見上げ言い放つ。

「だんだん分かって来たぞ。

 少々妙な事はするが、あいつは神じゃない!」

 何かしらの目的はある様に見えるが、然したる野心がある訳でも無い。

 リム――彼女は奴等の考えた者とは違い、人の世を総べたり、滅ぼしたりする神などでは無いのだろう。

 いざ蓋を開けてみれば、何の事は無い、ただそれだけの者なのだ。

 笑いを止めた彼を見据え、隣に立つ者が掲げる宝珠を顎で指し示し、巨漢は再び口を開く。

「いや、神だ。

 あの女は我々だけが持つ秘宝、それに映し出される存在なのだよ。

 ここに神の居場所を示す、奇跡の宝珠がある限り――、神は我々の手から、逃げ遂せる事は出来ぬ。

 グッククク、勿論その手管も術もあるまいが、な。

 ……、……言え。

 女は何処だ?」

 逃がさんという意志を込めて、巨漢は手の内を明かす。

 ならば、このまま迷宮を後にしても、奴等は追って来れる、という事に他ならないが、正確な場所まで看破出来る、という代物では無さそうである。

 だから、先程から何度も訊いているのだ、女――リムは何処だ、と。

 という事は、そろそろ良い頃合いだ――この見え透いた茶番を終わらせるには。

 理由は分かった、そして奴等に彼女は見えておらず、こちらの目論見も読めていない。

 捕えられ、動きを封じられているように見えるが、この場では青年の方こそが、確固たるアドバンテージ優位性を掴んでいると言える。

「何処に目を付けてるんだ。

 ずっと、ここにいる。

 祈る者が、まさか神が見えん、と抜かすか?」

 問いに対し、応えるまでも無い、と再びせせら笑うハザ。

 もう遠慮は要らない、後は畳みに行くだけだ。

 その意味と態度の真意を察したのか、ひと呼吸開けた後、巨漢は歯を剥き出しにして言う。

「我々を愚弄するのはそこまでにしておけよ、小僧。

 我々の意志ひとつで、本当に裏切り者として処断出来るのだぞ。

 これから真実は、我々の手で造られるものとなる。

 大人しく女を差し出すのなら、貴様だけ見逃す事も考えてやろう。

 ククックク、こんな所で無下に死にたくはあるまい。

 もう1度だけ、訊いてやるとしようか。


 さあ、言え――!

 あの女を、何処にやった!?」

 戦槌を頭上に構え、巨漢は言った。

 温情はこれが最後だ、と言わんばかりに頭上から降り注ぐ声。

 捕えられ、そして包囲された上に縛られている者を、斃す事など造作もない、という、絶対優位を信じ切っている者の声色である。

 だがしかし、話半分を聞き流す様にして、ハザは再び強い語調で言った。

 聞こえぬ程の小声でもういいぞ、リム、と独り言ちてから。

「寝言は寝て言え、祈る者。

 戦約を違えた者に。

 戦う者たるこの俺が、従う事などない」

 すると、彼を後ろ手に縛りあげる縄が独りでに解け、それは娘の姿へと変わる。

 そしてそこには、すっくと立ちあがり、取り上げた筈の長剣を手にした、青年の姿。

 捕えたと思っていた彼は、実は始めから、拘束などされてはいなかったのだ。

 隣に立つ2人の手下は、不思議と霞の様に揺らぎ、薄らと消えてゆく。

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