1章.裏切り(2)
しかしその声は、小枝の散らばるが如く床に倒れ伏し、苦悶の呻きを上げる男達には、ひと言も届いてはいない有様であった。
あの時の様に、腕と心の臓に世の全てが集まっていれば、こんなに苦しむ事は無かっただろうに。
悶え苦しむ男達が静かになった頃、まだ息のあった者がハザの脚にしがみ付き、まるで呪詛の様に吐き捨てる。
「ぐっ……。
か、神を謀る裏切り者めっ……。
にに、に、逃がさん、逃げられると思、うなょ――、……」
しかし、最後まで言い切る事は叶わない。
ひと際視線を鋭くした彼が、長剣の先で軽く小突いたのだ。
刹那、額が断ち割れ、脚から力無く手を放し、声も無く突っ伏すと、彼の者は絶命する。
騒然としていた通路は、そこで静寂を取り戻す。
その様子を冷たく眺めていたハザは、やがて機嫌が悪そうに鼻を鳴らし、剣を背中に収めた。
ずしりとした確かな重みが、鍛え上げられた背中へと舞い戻る。
だが彼は更に、怒りに顔を歪め、小さく舌を鳴らす。
それが聞こえていたのか、そっと宥めようとするリムの声。
とても静かで、しかしはっきりと聞こえる、小川のせせらぎの様な声であった。
「あの。
どうか、怒らないでください。
落ち着いて、お気持ちを話して下さいませんか?」
そうは言うものの、茫洋とした澄まし顔は、1部たりとも変化は見られない。
だが本当に、そう思っているのかどうか。
知りたいのならば、黙って心を読めば良いものを、わざわざ話して聞かせろとは、何かしら意味があるのだろう。
落ち着きを取り戻そうと、内面は未だにぐつぐつと煮え滾る怒りを抑え込み、どうにかして表向きを取り繕ったハザは、彼女に語り掛ける。
「別に――怒ってなど……。
いや、腹を立てているから、同じ事だな。
すまん、怖がらせてしまったか?」
刺す様な鋭い視線は全く変えられず、彼はリムにひと言詫びた。
八つ当たりをするつもりなど、元より無いのだ、謝るならば、それこそ早い方が良い。
だが、さして気にしている素振りは見られず、彼女は言葉を発する。
「確かにそれは、我等には分らないものです。
ですが、気も楽になると思いますし、宜しければ、お話し頂ければと」
怯えたのかと思えば、そうでも無かったらしい。
生来の性格が暢気なのか、肝が座っている性質なのか、単に計算高いだけなのか、今ひとつ良く分からない女だ。
青年は頷くと、話を続けよう、と言って、己の考えを彼女へと述べ始める。
教団が裏切ったらしく、リムを探しに降りて来た時と状況が変わった事。
地上へと登る為の道を、先回りで封鎖して行っている様な感じがする事。
事情を知っている者が、ハザを陥れる為の罠を仕掛けたかもしれない事。
帰り道を変えた筈たが、先回りされ後を付けられている気がしている事。
この先にも間違いなく、恐らくはその派閥であろう敵が居座っている事。
戦う前、先程考えた通り確証たるものは無く、どれが正解かは分からないが、これらの全てを掻い摘んで話し、そしてハザは続けた。
「神とやら――お前を奪い合おうという、内部での争いが、事の発端かも知れん。
で――だ。
お前には分らんかもしれんが、一応聞かせてやろうか。
身に覚えが無いのに、裏切り者扱いされて、気分が良い訳無いだろう。
どんな理由であれ、先に戦約を踏み躙ったのは、奴等の方だッ。
何時から俺を、陥れようとしたのかは知らん。
だがその時から、お前を奴等の下へ、送り届ける約定は失せている。
だから、リム、お前も身の振りを、今の内に決めておけよ。
少なくとも俺は、お前を奴等の所へ、連れて行きはしないからな」
「それは――。
我等との約束はお守り頂ける、と言う事でしょうか。
しかし我等は地表にさえ出られれば、それで構いませんので。
間違っても、我等を害する意思を持つ者達に、付く事はありません。
どうぞ、ご安心ください」
答えが既に決まっていたのか、間髪入れずに、彼女は澱み無い返事を返す。
肝心のハザの方はと言えば、内心に籠った怒りを吐露した事で、少しだけ落ち着きを取り戻した、気がする。
意図は分かった、とばかりにハザは右手の掌を、彼女へ向けてひらひらと何度か振ると、頭を掻いて深く溜息を吐く。
そして、壁に背を預けると、鋭い視線をそのままに、更に眉間に皺を寄せて考え込む。
奴等の考えそうな事と言えば、まんまと手に入れた神とやらを、どちらの派閥が管理するかという、1番想像し易いであろう、
例えるならば、毒入りの餌と判っていて、手を出す真似をしたくはないが、手を出さざるを得ない状況、というのが悔やまれる。
今更ながら、ある程度の面倒事を背負う事は、覚悟を決めた方が良いだろう。
少なくとも内情程度を知っておかねば、今後に係わるかもしれないのだ。
それには、敵の懐に潜り込む必要がある。
だが、策も用いず直接乗り込めば、数で押さえ込まれるだけに違いない。
余程の準備を念入りに整えなければ、その場からの脱出さえも、ままならなくなるだろう。
面倒だが、今からその手法を、考え出さねばならない――それも、失敗する可能性の少ないものを。
「我等に手伝える事がございましたら、お申し付けください」
悩んでいる事を悟ったのか、リムが隣に浮き立ち、声を掛けて来る。
恐らくだが、出会った時より幾つか見せられた、妙な技を使う事を言っているのだ。
剣すら扱えないこの女が手伝える、と言ってもそれ位しかないのは、容易に想像が付く。
確かに奴等は、剣で全て相手にするには、少々骨の折れる数である。
それに、馬鹿正直かつ真面目に相手にしていては、時間が幾らあっても足りない。
独りならこの状況を楽しむだろう、いや、存分に楽しんでいたに間違いない――その事だけは、はっきりと容易に、想像する事が出来た――しかし、今はこの女のお守りをせねばならず、そんな事をしている暇が無いのも、また事実。
この場合は、剣で切り伏せたいという自らの私情私意に拘らず、使えるものならば妙な技でも何でも使い、早々に決着を着けた方が良いに決まっている。
しかし、それをするには――。
「お前の言う、魔の力とやらか。
うーん、俺には今ひとつ、使い道が分からないな」
青年はそう話すと唸り、考え込んでしまう。
確かに色々なものを見てはきたのだが、それで何が出来るのか、今を以てしてもさっぱり分からない。
そもそも、何の為に存在する力なのであろうか。
浮く、飛ぶ、変じる、火を出す、それもまあやれたとしても1度きり、他に何が出来るのだ?
口元に手を当てたまま、静かに眉間に皺を寄せるハザ。
しかし何も良い方法が浮かばずにいると、小さいが、はっきりと聞こえるリムの声が届く。
「何をするか、出来るかでは無く。
何をどうしたいか、とお伝えくださいますと、大変判り易いです」
内容は的確に仄めかされている、また心を読んだのだろう。
だが今回は助かる、突破口とまではいかないが、問題解決の為の糸口にはなった。
そこで口から手を放し、彼は問いかける。
「姿を写し出すのも、消すのも、もう使えないだろう?」
「それは、採るべき方法にもよるのですよ」
「やり方次第では、似た様な事は出来る、という事か。
成程な。
じゃあ、こういうのはどうだ?」
もっと知恵の回る者が居れば、もっと良い方法が思い付くかもしれないが。
こればかりは仕方がない、その場に居ない者を当てになど、到底出来よう筈も無い。
僅かな時間、考えたハザは策を練り纏め、辺りを見渡し、誰も居ない事を見届けると、小声で話し始める。
そして、話が終わる頃には、石床に幾つも散らばり割れた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。