5話 はじまりの物語

1章.裏切り(1)

 光の奔流に飲まれそうになる意識。

 慌てて振り払うと、瞬く間に暗闇が戻った――そして、視野に薄暗い景色が映り込む。

 気が付けば、隣で女が歌っていた。

 そして、鎧兜に身を包んだ者達が、多数近づいて来ている。


 心の臓が、胸の奥で大きく跳ね上がる音と感触。

 ここには元より、隠れる場所など無い。

 眠りより目覚めたハザは、慌ててリムを掴んで引き寄せ、その口を手で塞ぐ。

 しかし、広がる歌声は止まる気配が無く、今を以て響き渡っている。


 気付かれた――!?


 そんな事を思う間も無く、もう、目と鼻の先にまで、奴等は近づいて来ていた。

 誰何を問われるか、この娘を引き渡すよう、詰問されるか、いきなりの先制を受けるか。

 どちらにせよ、全く戦いの支度は整っていない。

 著しく不利な戦局から、戦いを開始せねばならない事に、内心舌打ちをしつつも、どう切り抜けるか、そして討つか討たれるかの覚悟を定める。

 そう思ったが、彼等は鉄と石が、打ち合わさる足音を踏み鳴らし、目前を通り過ぎてゆく――その様子はまるで、その場に2人が居ないかの様だ。

 天上の楽曲とも言うべき、極上の旋律も先程から収まる気配がない、それも遥か遠くへ響け届けと言わんばかりに。

 完全に視界に入っているというのに、どういう事だろう?

 まさか、奴等にはこの歌が聞こえていない、とでも言うのか。


 どうか 落ち着いて下さい

 我等は今 彼の者達には 見えていません

 我等の言葉が 我等の祈りが 我等の願いが

 貴方を お守りしています


 不思議な現象に戸惑っていると、口を塞がれ話せない筈の、娘の声が聞こえてくる。

 それを聞くと、青年は幾許か落ち着きを取り戻し、何とはなく状況を理解した。

 これは――リムがまた、何かやってくれた、らしい。

 あの時の様に、見つからない技をどうしてか、お互いに効能が及ぶ様に、使っているのだろう。

 甘く蕩ける様な別世界の音階に交じり、行く先を眩く照らすひと筋の光を思わせる、彼女の声は続く。


 貴方を 貴方を

 お守りしています お守りしています お守りしています

 ハザ あれは 貴方の敵です

 彼等は貴方に 明らかな害意を 向けていました


 見れば、ランタン角灯の灯火は消えたままである。

 さして見えないこの暗闇の中で、敵の来訪を察知したのか。

 確かこの女、明かりや影は意味を為さんとか言っていたな――この様子を見る限り、どうやら本当の事の様だ。

 彼は黙ったまま、その声を聴き、考える。

 何だ、見つからない技は、もう使えないんじゃないのか?

 飛んでいた時にやっていたじゃないか。

 兎に角、静かに――。

 もう遅いかもしれないが、ハザは再度、彼女に大人しくする様に念じる。

 すると再び、リムの声が脳裏に染み渡る様に響く。


 以前のものとは 違います

 あの時は 我等にしか及ばぬもので 身を守りましたが

 これは 貴方を我等ごと 包み隠すもの

 仮に見える者が居たとしても

 今は彼の者達が我等に触れる事 叶いません


 確かに、足音も高らかに進む者共は、不思議と2人の事には、全く気が付いていない。

 奴等の鎧に、あの時見た教団の紋を設えているのが、良く見える距離。

 このままでは、踏まれる――そう思ったが、既に遅い。

 通路の隅に縮こまったままの彼等に、その足がぶつかるのも時間の問題であった。

 声を上げる暇も無く、ぶ厚い甲冑を身に纏った者の足は、ハザ達2人の体を、すり抜ける。

 もう、果たして何度目になるのだろうか、思わず息を飲む――何があったのかと。

 見れば奴等の足が自らの、そして彼女の体を、まるで何も無かったかの様に、擦り抜けてゆくのだ。

 全く何がどうなっているのか、皆目見当が付かない――他にも幾人かが彼や彼女を蹴り、踏み抜いたが、それらは全て彼等に当たる事は無く、そして気付く事も無いまま、通り過ぎてゆく。

 彼はその様子を、目を大きく見開いて、じっと眺めている。

 声を上げられよう筈も無かった。


 叶いません 叶いません 叶いません


 そして、考えている間にも、リムの声が静かに木霊し、鎧兜に身を包んだ者達は、2人の視界から遠く離れてゆく。

 唖然としたままのハザは、先程生々しく体験したばかりの、不可思議な事で頭が一杯であり、敵の事に考えを馳せる余裕が無い。

 気が付けば、今は足音はもう、聞こえない程遠くへと、行ってしまったようだ。

 やがて、辺りに響く澄み切った歌が、果てしなく美しく広がる旋律が、徐々に小さくなる。

 辺りに静寂が満ちると、ハザはその時になって漸く、娘の口に当てた手を放す。

 更に左右を見渡し、聞き耳を立て注意深く、辺りには誰も居ない事を見届けた後、声を上げた。

「何だったんだ、今のアレは」

「一旦、我等の領域へと、身を隠したのですが――。

 と言っても恐らくは、分からないでしょうね。

 上手く隠れる事が出来た。

 それでは、いけませんか?」

 彼女の返事に、奴等に見つからなかった――その事実だけが、青年の目の前に突き付けられる。

 この女と出会ってから、奇妙な出来事が続いているが、想像も付かぬ程目新しい行動は、どうにも慣れそうに無い。

 そもそも奴等の足が、すり抜けていったのは、何故なのか。

 これもだが、理解出来ない俺の頭の方が悪いのか――頼むから分かる奴、誰か、応えてくれ。

 再び胸中に沸いて来た疑念を、更に問い質そうとしたその時。

 何者かの声が通路に響き渡った。

「おーい、こっちだ!

 居たぞォッ。

 裏切り者を、ひっ捕らえろッ!」

 気付けば、向こうに見える通り道の曲がり角から、何者かが仲間を呼びつけている。

 続いて、幾つかの光点、そして金属音。

 ばらばらと幾多もの駆ける足音も重なり、辺りは先程、眠りから起こされた時よりも騒然となった。

 青年は、座った状態から悠然と立ち上がると、彼等の方を向く。

「誰が裏切り者だ。

 どうやら、長居が過ぎたらしいな。

 思ったよりも、奴等、数が多かったらしい。

 すまんがリムは討たれない様、何処かに隠れていろ。


 ……たぶん、俺の客だ、手を出すなよ」

 胸の奥に、ドス黒い靄の如き憤りと、冷たい怒りが交錯し、漂う。

 自身を雇ったのは確かに奴等の方なのだ、だから奴等の方が裏切った――その様に見えるし、感じてもいる。

 だが、奴等は彼自身を、確かに裏切り者と言った。

 何があったのかは知る術も無いが、彼の預かり知らぬ所で、話がかなり拗れているのだろう。

 相手と1度交わした戦約を反故にするのは、ハザの好む所では無い。

 遺構で見つけた、神か何だか知らないが、今ひとつ使い道が分からぬ怪しい女は、きちんと送り届ける心積りではあったが、奴等はどういう事か、敵対する意思があるようだ。

 それなら、騙して捕えれば良さそうなものだが、それをすれば、体面が悪くなる事を恐れたのか。

 組織とは言えども、全ての者が歩調を合わせている訳ではない。

 奴等の上役側、そこの1部が異を唱え、派閥として向きを違えている可能性もある。

 と――なると。

 変わったのは奴等の方、と考えると辻褄が合う。

 暢気に戦った気分に浸っていると、何時の間にか敵が増えていた、または最初からそのつもりだった、等、耳に胼胝が出来る程聞いて来たし、自身にもうんざりする程の経験と、そして嫌な思い出があった。

 いち早く気付かねば、また跳ね除ける力が無くば、ぽっかりと空いた死の口へと、身を投じる事となる。

 そこまでは、何となく想像が付いた――戦う者の中では、実に良くある話。

 見る限りのこの様子では、誤解だと言った所で、これから戦う気が満々の相手に、話し合う気があるかどうか――その様な気持ちはおそらく無く、そしてきっと、話し合いにすらならないだろう。

 奴等の派閥の確証も無いまま、わざわざのこのこと説明をしに、出向く気は無かった。

 どちらにせよ、かの教団には守られるべき戦約が、踏み躙られた事に、違いは無いのだから。

 ならば、採るべき道はひとつ。


 背中に吊るした長剣の柄に、そっと手を掛けた青年は、鋭い視線を迫り来る者共へと向け、駆ける。

 ばらばらと壁に反する雑多な足音の中に、ひとつ抜きん出て間隔の速い足音が混じり、突き抜ける様に響き渡った。

 ぼぼ、と微かな音を立てつつ、壁の器具に突然火が灯り、彼と彼の者達の影を通路の石床そして、壁に写し出す。

 その現象の事には、もう慣れ切ってしまっているのか、互いに意図し合う事は無い。

 やがて、狭く長い通路に、幾多の影と足音が交差する。

 決着を着けるのに、左程の時間を必要としなかった。

 数えて11度、きっかり相手の人数分、鋼と鉄の打ち合う音が続く。

 そして4つ、5つ程のランタン角灯が石床へと割れ落ちて、零れた油に火が燃え移り、風に揺られ辺りを賑やかす。

 長剣の柄に手を掛け、低く身構えた姿勢で、甲冑の男達の間を、すり抜ける様に駆け抜けたハザは、独り言ちる。

「悪いな。

 もっと切れ味の良い剣なら、楽にくたばらせてやれたかもしれん。

 今の俺の腕と、この剣じゃあ、これが限度だ」

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