第3話 添削
「俺のこと知ってるのか?」
質問に質問で返した。
しかし、八重津玉風先生の孫なら知っていて当然か。先生は角川短歌賞の選考委員なのだから。
「高校在学中に、角川短歌賞を受賞。将来を期待された歌人、吉野染弥。でも受賞後いっさい短歌を発表しなくなった」
淡々と抑揚のない声が、胸にしみていく。
大きな賞をもらい、スランプになるとはよく聞くはなし。ようは、プレッシャーに押しつぶされたんだ。歌を詠んでも詠んでも、過去の自分を超えられない。最後には、とうとう歌を詠めなくなった。もう出し尽くして、俺の中身はからっぽの空洞になったんだ。
からっぽの俺を見つめ八重津さくらはなお、口を閉じようとしない。
「この歌を見られたくなかったのに。先生、見ましたね」
これって、脅迫されてるのか?
「そんなに見られたくなかったら、提出する前に消しゴムで消せばよかったんだ」
ノート提出を拒んだ理由を、俺のせいにするな。
「消すなんて嫌です。私が先生をみて感じたあの時の感情を消したくない。消したくないからノートの中に、永遠に封じ込めようと思ってたのに」
俺はとんでもないパンドラの箱をあけてしまったのか?
でも八重津さくらは情熱的なことを言っているのに、表情はなんらかわらない。教室で目が合った時も、冷たく俺を見ていたじゃないか。
いや、あの時の彼女の気持ちは、この歌にすべて集約されているんだ。どんなに無表情でも、内面はあふれんばかりに叙情的で、豊かな感性を持っている。それらは表情ではなく、歌としてこぼれ落ちているのか……。
「君は立派な歌人になるよ、俺とちがって」
嫉妬まじりの羨望に、八重津さくらはいくぶん眉根をよせた。
「そんなこと、どうでもいいです。責任とってください」
「えっ、責任って……」
彼女は小さな机に両手をつきぐっと顔をこちらによせ、赤くうるんだ唇をふるわす。
「さみだるる間もなほみだるる吾が心物や問う間にキスしたまひぬ」
(五月雨の間もずっと私の心は乱れています。ごちゃごちゃ言う間があるならキスしなさいよ)
はっ? いやいや、ここでキスしたらわいせつ教師だ。なんだ、この急展開。つ、ついていけない。というか、JKにいいようにふりまわされている。
ここは教師としての威厳をみせつけるため、歌人らしく返歌でいいくるめないと。
……返歌なんて詠めるわけがない。ここ四年、ろくに詠んでいないのに。
しかしこんなストレートに感情をぶつけられ、教師の前に男としてどう受け止めるのが正解なのか。なんと返せば正解なのか。考えても、考えても答えがみつからない。
目の前には、返歌をうながす明るい瞳。その瞳にとまどう感情ごと吸い込まれそうになる。
吸い込まれるな、自分をたもて。かたくむすんだ唇をふるわせ、追い詰められた俺はかすれた声を出す。
「心にもあらでこの間もさみだるる乙女の心キスしてよとや」
(この五月雨が乱れる乙女心とは思いもしませんでした。なのにキスしてと言うのですか?)
気持ちを受け止めるわけでもなく、中途半端なつまらない歌だと、心の中で舌打ちをする。しかし、四年ぶりに詠んだ歌にしてはまあまあではないだろうか。なにより、歌を詠めたことに内心驚いている。
すると、八重津さくらの長いまつげが上下にゆれ、まぶたが閉じられた。
ふせられた黒々としたまつげを見て、思う。
先ほどの歌が詠めた、原動力はなんだろう。ただの苦し紛れか。それとも、俺を思う彼女の恋慕か。
乙女の心が俺の隙間をうめ、みたしてくれた。俺はその恋慕を受け入れたから返歌が詠めたということか。
あー-、答えがみつからない。自分の中にみつけられない。そういう時は……。
「あの、キスはいったん保留で。今の歌どうだった?」
わからない時は、聞くしかない。俺のあきれた問いに、八重津さくらはめんどくさそうにまぶたを開く。
「どっちつかずで、つまらない。もっと情熱をこめて」
「いや、情熱があるとは限らないし」
教師の立場で、生徒に情熱的な恋の歌なんて詠めるか。
という俺の内心をよんだのか、彼女はうっすら笑った。はじめてみる、かすかな笑顔は、年相応でかわいらしかった。
「じゃあ、私が添削するんで。一日一首、恋の歌を詠んでわたしてください」
「えっ、恋の歌じゃないとダメなのか?」
生徒に添削されるというよりも、恋という言葉がひっかかる。誰かに見られたら、いくら歌の添削だといっても、そんな言い訳は通じないと思うのだけど。
「誰にも言えない思いを歌にこめるのは、いにしえからの習いでしょ」
「た、たしかに」
ん? 何かいいくるめられた気もするが、かの昔、藤原定家も
「添削の報酬は、卒業したら返してください」
八重津さくらは、口の端をくっとあげほがらかに笑う。つられて俺の口元もゆるくなる。
「何を返せばいい?」
「もちろん、キスですよ」
何かはめられたような気もするが。彼女が卒業してしまえば、俺はもう彼女の教師ではない。
というか、彼女が俺の教師ではなくなるのか?
了
~~~~~
短歌の提供をしていただいたのは、古博かんさんです。
ソメイヨシノ 澄田こころ(伊勢村朱音) @tyumei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます