幽霊男子と私の六ヶ月

澤田慎梧

幽霊男子と私の六ヶ月

 肌寒い中、布団から体を起こし時計を見ると、遅刻ギリギリな時間だった。

 慌てて制服に着替え、朝ごはんも食べずに家を飛び出す。


「もう! なんで起こしてくれなかったの!?」

『「寝ている時と着替え中は部屋に入るな」、そう言ったのは、美里自身だろ?』

「時と場合によるよ! も~」


 息を切らして走りながら、翔太に文句を言う。――八つ当たりなのは分かっている。けれども、言わずにはいられなかった。

 寝坊した原因は、間違いなくコイツと夜中まで話し込んで、夜更かししたせいだろうから。


『おっと。急ぐのはいいが、道路渡る時はちゃんと左右確認な。朝は車の方も急いでるから、油断してるとかれるぞ』

「小学生じゃないんだから、わかってるよぉ!」


 翔太は何かと私を子供扱いする。知り合ってしばらく経つが、何度言ってもやめてくれないので、最近は諦めていた。


『ほら、ペース落ちてるぞ。このままじゃ間に合わないぞ~』

「わかってるってば! まったく、翔太はいいよね。走らなくていいんだから」

『そこはそれ。の特権てやつだ。ほら、喋ってないで走れ~』


 ――そんな言葉で煽りつつ、必死に走る私の横をふよふよと浮かびながらついてくる翔太。自分で言っているように、彼は生きている人間ではない。幽霊だ。


 翔太と出会ったのは、六ヶ月ほど前。まだ梅雨の最中で、毎日がじめじめとしていた時のことだ。

 下校途中の街中で、宙をふよふよと漂いながらあぐらをかいていたその姿を、今でもよく覚えている。

 「ええっ!? なにあれ、なにあれ!」と思いつつ、ガン見してしまったのが運の尽き。『お前、俺が見えるのか?』と話しかけられてしまい、気付けば憑りつかれてしまっていた。


 『俺が見えた奴は、美里が初めてだよ』とは、本人の談。数ヶ月ほど街中を彷徨っていたけれども、誰も彼に気付いてくれなかったらしい。

 おまけに「翔太」という名前以外、自分がどこの誰なのかも分からないそうだ。いつ頃から幽霊をやっているのかも、記憶が曖昧らしい。


 ――誰にも気付いてもらえず、自分が誰かも分からず。流石の私も、彼が感じていたであろう寂しさと不安は、少しだけ理解できた。

 それでも、憑りつくのはやめてほしかった。こちとら高校一年生、思春期まっさかりの女の子な訳で。四六時中、同年代くらいの男の子の幽霊に付きまとわれるのは、色々と困るのだ。

 最初の頃はトイレやお風呂にもついてこようとしたし、こちらが着替えようとしているのに部屋を出て行ってくれなかったしと、散々だった。


 けど、最近では彼にもデリカシーというものが芽生えたらしく、こちらが言わなくても着替えの時は出て行ってくれるし、私が寝ている間も部屋の外で待機してくれている。

 初めの頃は「早く成仏してくれないかな」なんてことも思ったけれど、話してみるとそこそこ面白い奴だし、私の好きな音楽や動画にも興味を示してくれるので、雑談相手にはちょうどいい。――同性の友達には言いにくい愚痴の相手にも。

 そんな訳で、神社やお寺に行ってお祓いしてもらうでもなく、私は翔太に憑りつかれることを受け入れ始めていた。


『なあなあ、美里。学校終わったらさ、例のアレ、よろしくな』

「分かってる分かってる。翔太の『自分探し』でしょ? 約束だからね。帰りにまた、図書館に寄るから」


 私と言う寄る辺を手に入れてからの翔太は、悠々自適の幽霊生活を送っている。けれども、やはり自分の素性は気になるらしい。しばらく前からネットや昔の新聞の記事を読み漁って、自分の情報が載っていないかチェックしているのだ。もちろん、翔太自身はスマホにもパソコンにも触れられないので、操作するのは私なんだけれども。

 ――もし自分が事故で死んでいたら、それらしい記事がどこかに載っているかもしれない。直接自分のことが載っていなくても、色んな情報を目にすれば何か思い出すかもしれない。

 そんな、砂漠の中に落ちたコンタクトレンズを探すような、掴みどころのない話ではあるのだけれども、翔太は一生懸命だった。

 私としても、彼のことは決して嫌いじゃない……どころか、まあ、結構好きなので、協力するのはやぶさかでなかった。


「早く見つかるといいね、翔太自身のこと」

『……ああ』


 けれども、その日の放課後も特にこれといった情報は見付からなかった。


 ――その日の夜のことだ。


「美里~? 開けるわよ~」


 部屋でいつも通り翔太と一緒にネット動画を見ていると、お母さんがドア越しに声をかけてきた。


「は~い、どうぞ~」


 以前はノックも声掛けもなしに部屋にズカズカ入って来たお母さんだけど、最近は気を付けてくれていた。前に、翔太と雑談している最中にいきなり入ってこられた時、私が激怒したためだ。

 翔太の声は私以外の誰にも聞こえない。だから、彼と話している姿を他の人が見た場合、私は独り言連呼している危ない女の子、になってしまう。お母さんにそんな姿を見られたら、どんな誤解をされるか分かったものではなかった。


 実は、翔太とは声を出さずに会話をすることもできる。頭の中で「翔太に話しかける」つもりで言葉を思い浮かべると、きちんと彼に伝わるのだ。外にいる時はそちらの方法で会話している。

 けれども、部屋にいる時くらいは声を出して話したい。何となくの、気分の問題だった。


「何か用?」

「実はね、美里。弥生伯母さんが体調を崩して入院したらしくてね」

「弥生伯母さんって、お父さんのお姉さんの?」

「そう。大したことはないらしいんだけど、長く入院することになるんですって。でね、申し訳ないんだけど、明日学校の帰りにでも、お見舞いついでに荷物を届けてくれないかしら」

「ええ~? なんで私が」

「お父さんもお母さんも、仕事が忙しくて抜けられないのよ。お小遣いあげるから」


 金欠の私は「お小遣い」という言葉に弱い。結局、押し切られる形で伯母さんのお見舞いに行くことになってしまった。


   ***


 そして翌日の放課後。私たちはゲンナリしながら、病院の廊下を歩いていた。


『なあ。美里の伯母さん、本当に病気なのか?』

「うん。むっちゃ元気だったね」


 少しは心配しながらお見舞いに行くと、伯母さんは信じられないくらい元気だった。届けた荷物も中身はお菓子ばっかりで、お見舞いというよりもお使いに来た気分だった。


「まあ、お小遣いももらったし。帰りに美味しいケーキでも買って――」


 そう言いながら、気持ちを切り替えようとした、その時。私たち二人の目の前に、信じられないモノが姿を現わした。

 廊下の向こう側。私たちが向かおうとしている方から、一人の男の子が歩いてきた。私と同年代くらいの、毎日のように見ているのと同じ顔をした男の子が。


「え……あれ、翔太?」

『はぁ? 俺がどうしたって?』

「あれ。前から来る人、!?」


 そう。前から歩いてきてる男の子は、翔太にそっくりだった。けれども、当の翔太は首をひねっている。

 ――それも仕方のないことだった。幽霊である翔太は鏡にも姿が映らないので、自分の顔を見たことがないのだ。


『俺ってあんな顔なんだ? へぇ……言われてみれば、なんか見覚えがある、かも?』

「ど、どうしよう? 話しかけるべき?」


 そうこうしている間にも、翔太にそっくりな男子は近付いてきている。ええい、ままよ――。


「あの!」

「は、はい!?」


 思い切って、男の子を呼び止める。彼は翔太とそっくりな声で素っ頓狂な声を上げながら、少し後ずさりした。――逃げられでもしたら困る。意を決した私は、彼に直球の質問をぶつけていた。


「あ、あの……翔太って名前に、覚えはありませんか!?」


 ***


 ――規則正しい電子音に合わせるように、空気が抜けたり入ったりする音が繰り返されている。

 翔太そっくりな男の子に案内されて、私はある病室を訪れていた。そこのベッドには、彼にそっくりな男の子が横たわっていた。

 人工呼吸器や点滴、その他、なんの役割があるのかも分からない沢山のコードが彼の身体から伸びて、同じくらい沢山の機械に繋がれている。


「兄は――翔太は、一年ほど前からこの状態です。意識不明のまま、目を覚ましません」


 翔太にそっくりな男の子――翔太の双子の弟である大地くんが、悔しさをにじませた表情を浮かべながら説明してくれた。

 登校途中に車に轢き逃げされて、それ以来、ずっとこの状態なのだという。


『俺、死んでなかったんだな、はは……』


 横たわる自分自身を眺めながら、翔太が苦笑いする。それはそうだろう。もうとっくの昔に自分は死んでいると思っていたのに、実は意識不明のまま生きていたのだ。

 ことによると、意識が戻らないのは「幽霊の翔太」が肉体から離れてフラフラしていたせいかもしれず……。


「ええと、あなた……」

「美里です。柳瀬やなせ美里」

「柳瀬さんは、兄とはどういう関係で?」

「あ~友達です、ちょっとした。連絡先も知らないような仲だったので、事故に遭ったことも知らなくて」


 大地くんに尋ねられ、咄嗟に適当な嘘を返す。まさか「あなたのお兄さんの幽霊と一緒に暮らしています」とは言えまい。


「そうでしたか。兄は僕とは違って顔が広くて、友達も多かったみたいですから……。その、失礼ですけど恋人、とかではないですよね?」

「ふぁっ!? まさか! 全然! そういうのじゃありません!」


 大地くんの言葉に、思わず赤面しながら答える。……いや、翔太とは本当にそういう関係じゃないんだけど、どうしてこんなに顔が熱くなるんだろう? これではまるで、私が翔太のことを好きみたいじゃないか。

 ――そんな、降って湧いたようなドキドキは、大地くんの次の言葉で凍り付いた。


「あはは、そうですよね。良かった。兄にはちゃんと彼女がいましたし、浮気とかじゃなくて、安心しました」


   ***


 そして、夜。病院からどうやって帰って来たのかも覚えていないほど、私の頭の中はこんがらがっていた。

 翔太はまだ死んでなかった。その体は病院で昏睡状態。もしかしたら無事に体に戻れるかもしれない。

 けれども、彼には彼女がいるという。大地くんの話では、今も翔太が目覚めるのを待っているのだとか。きっと健気な女の子なのだろう。


「良かったね、翔太。死んでなくて。後は、上手く体に戻れるか、だけど……」

『あ、それは心配ないと思う。何となくだけど、自分の身体に触った時、ビビビと来た。多分、上手く戻れるよ』

「そっか。じゃあ、何の問題もないね。早速、明日にでも――」

『美里はそれでいいのかよ?』


 会話が止まる。翔太はこの世の悲哀を全て詰め込んだような、今までに見せたことのない顔をしていた。


「いいに決まってるじゃない。生き返れそうなんでしょ? だったら、他に選択肢はないんじゃない?」

『でも、その。俺、彼女いるみたいだし……生き返ったら、美里とは、あんまり一緒に居られない、かも? だし』


 翔太が真っ直ぐに私の目を見た。「本当に行ってしまっていいのか?」と、その目が囁いていた。

 だから、私はこう答えていた。


「当たり前でしょ? ずっと待ってくれてる彼女を、いつまでも放っておいちゃ、駄目だよ」

『……分かった』


 それだけ言い残して、翔太は窓の向こうへ抜け、そのまま二度と帰ってこなかった――。


   ***


 数か月後。私はあの病院のロビーの長椅子に、一人座っていた。

 ややあって、沢山の人に囲まれた車椅子の青年が姿を現した――翔太だ。翔太の乗る車椅子を押していているのは、大地くんだ。大地くんは私に気付くと、軽く会釈をしてくれた。


「お、なんだなんだ、もしかして彼女か? 大地」

「違うよ。ちょっとした知り合い。……ごめんね、柳瀬さん。兄が失礼なことを」

「ううん、全然気にしてないよ。――お兄さん、退院できて良かったね」


 会話はそれで終わった。

 翔太は私にはそれ以上目もくれず、傍らを歩く大人しそうな女の子と笑顔で話し始めた。きっと、あれが彼女さんなのだろう。


 翔太は無事に目を覚ました。

 けれども、記憶に欠損があって、色々なことを忘れているらしいと、大地くんが事前に教えてくれていた。

 おそらくは、「幽霊になって彷徨っていた」記憶も、翔太の中には無いのだろう。

 だから、今の翔太の中には、私との思い出も、私という女の子の存在も、無い。

 ――翔太の楽しそうな声が、どんどんと遠ざかっていく。


(さよなら、翔太)


 心の中で呟いてみる。

 けれども、翔太には届かない。

 そのまま、その姿が自動ドアの向こうへと消えていく。


 私は、誰にも告げられなかった奇妙な恋が、終わったのを知った。



(了)

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