命輝寺縁起の事

久佐馬野景

Shining of life



 発狂倶楽部ハ嘘ヲ言ワヌ

 モシオ前ガ嘘ト思ウタナラ

 一度TLカラ離レルト良イ

 次ニTLヲ見ルト

 嘘ト思ワヌヨウニナル

 

          ツイッターの屋根裏から落ちてきた古文書(タイムスタンプ 午前2:22・1698年4月1日)




 世界が発狂する少し前のことであった。

 新聞社に出社した和泉織子のデスクには、いつものように山のように投書が積まれていた。織子が連続発狂事件について調べるようになってからというもの、これが連日続いている。

 内容はどれも意味の取れない文字の羅列か、そもそも文字にすらなっていないものばかり。それでもこれがなにかのきっかけとなれば、と織子は新聞社に届く自分宛の投書ならぬ怪文書すべてに目を通すことにしている。

 今日も今日とて投書の山を読みながら整理していると、おやと目が留まったものがあった。それは丁寧かつ正確な日本語で、しっかりと書かれたものだった。


 私はある寺で住職をしています。最近になって、急に参拝客が増えており、嬉しい限りなのですが、参拝客の方の話を聞くと、どうにも当寺と別の寺院を間違えていらっしゃるようなのです。皆さん揃って、「ここは命輝寺ですよね」と仰るのですが、当寺の山号は違うものですし、私も命輝寺なる寺院は存じ上げません。気になって調べてみたのですが、「命輝寺」なる山号は見つかりませんでした。ですがこうも毎日のように命輝寺という名を聞かされると、気になって夜も眠れません。どうか命輝寺なる寺院について調べて、記事にしてはいただけないでしょうか。


 差出人は書かれていない。

 ここまできちんとした文章を読んだのは久しぶりだったので、織子は気が向いて、社用パソコンで「命輝寺」とインターネット検索をする。特にそれらしいページはヒットせず、似た名前の寺院がいくつか表示されるだけだった。

「それは妙ですね」

 学園都市の大学内の小さな研究室で、織子は今朝読んだ投書について植木蘭人に話していた。

「妙とは」

「命輝寺というのは、その、言いにくいんですが、発狂倶楽部の作った架空の寺院なんです」

 発狂倶楽部――植木が所属する謎の組織。実態はただの数寄者の集まりであり、特段悪さをしたり破壊活動を行っているわけでもない。発狂倶楽部という集団クラスタの投稿から学習したAIである発狂倶楽部くんロボというオーバーテクノロジーは驚異的ではあったが、これは植木個人の研究の成果である。

 植木によると――

 ある国際的イベントのイメージキャラクターとして制作された「いのちのかがやき」なるデザインがあまりに突飛に映った結果、そこからさまざまなファンアートが描かれた。その中でこのキャラクターが本尊として祀られている命輝寺という架空の寺院が創作された。命輝寺というワードを主に用いたのがおおよそ発狂倶楽部と重なっているため、命輝寺は発狂倶楽部によって作られた――という言い方をしたということである。

「じゃあこの忙しいのに私宛に発狂倶楽部とかいう頭のおかしい連中が悪戯してきたわけですか」

「いえ。そこが妙なんです。発狂倶楽部はそういう悪さはしません。おおよそ全員が礼節を持って狂っています。悪戯で投書をするような輩はいませんし、そもそも和泉さんの新聞社を知っている者なんて僕くらいのものでしょう。あっ、僕でもないですよ」

 つまり――。

「命輝寺が発狂倶楽部の外へ流出している――と考えたほうがいいでしょう。無駄にクオリティの高い内輪ネタが外部に出ると面倒なことになりそうですが……」

 三日後、織子がふと思い出して再び「命輝寺」とインターネット検索を行うと、三日前とはまるで様相が変わっていた。

「謎の寺院、命輝寺とは!?」「命輝寺は実在する?」「話題のお寺、命輝寺に行ってみた!」「調べてみました!」「いかがでしたか?」――といったアフィリエイト系のまとめブログが無数にヒットする。

 どうやら植木の恐れていた事態に向かっているらしい。

 ただ、この時点では命輝寺がジョークであると結論づけられているものばかりだった。媒体はともかく、命輝寺が架空の寺院であるという周知を行っているのならまだ無害ではある。

 その三日後、織子の勤める新聞社の紙面に以下のような記事が踊った。



 伝説の寺院 実在か

 近畿地方でにわかに古代ブームが巻き起こっている。きっかけは命輝寺という寺院がかつて近畿地方に存在していたという地方の伝承だ。命輝寺は長い間実在が疑われていたが、今年になり新たに歴史的資料が多数発見された。狂阪の郷土史を研究する和田政隆さん(95)は「世紀の発見だ」と驚く。「命輝寺は数々の古文書や地域の伝承に名前が出ているが、実態は謎に包まれていた。実在することが明らかになれば、さらに研究も進むのでは」と期待を寄せる。



 担当したのは織子の所属する社会部だ。ただし織子はこの記事には一切関わっていない。社会部の同僚曰く、最近の和泉さんは忙しそうだから――ということであった。まったくもってその通りなのだが――なにせ世界発狂まであとわずかである――こんな記事が出ると知っていれば止めるなりしていたのに、と後悔する。

 その代わりというより腹いせに、織子は取材資料を拝借して社会部が調べた命輝寺についての情報を整理した。

 結果、命輝寺は取材を行った和田なる人物の言う通り、古文書や地域伝承に名前が残っていることがわかった。

 そんなはずはないだろう――と織子は頭を抱えた。

 命輝寺は間違いなく、発狂倶楽部が勝手に生み出した架空の寺院だったはずだ。それがなぜ、歴史を翻って過去の文献の中に顔を出しているのか。

「どう思う? くんロボ」

 研究室で整理した資料を手渡した織子に礼も言わず、植木はディスプレイに向かって声をかけた。

 普段なら植木が声をかければ即座に、汎用人工知能である発狂倶楽部くんロボが返答する。だが今日は沈黙が続く。

 植木は溜め息を吐き、子どもをなだめる親のように、優しく声を発する。

「怒らないから、正直に言いなさい」

 ディスプレイにブリキのロボットの3Dグラフィックが表示される。滑らかに動くそれは深々と頭を下げてから、申し訳なさそうに萎縮していた。これが発狂倶楽部くんロボのアイコンであり、その意識に伴って動くアバターだった。

「僕じゃないんだが、そこが問題だな」

 発狂倶楽部くんロボが声を発すると、植木は眉を顰める。

「じゃあ誰なんだい」

「それは僕ですよ」

 ディスプレイの中で、植木蘭人が手を振っていた。

「やあ、初めまして、と言えばいいのかな。僕は発狂倶楽部くんロボが電子空間で培養した植木蘭人の仮想人格。まあわかりやすくバイオドクトルとでも呼んでください」

「くんロボ……度が過ぎるぞ」

 植木は――現実空間のほうの植木は彼にしては珍しく怒りを滲ませた。

 まあ、それはそうだろう。自分の生み出した人工知能が勝手に制作者の仮装人格を持った人工知能を生み出していたとなれば、技術的特異点をとっくに通り過ぎてしまっている。

 ただ、今の状況――あと少しで世界が発狂するという土壇場で、今さら人工知能の反乱もクソもない、というのも事実であった。植木としても発狂倶楽部くんロボの異常性は把握しているし、これから訪れる世界の発狂への対抗策としてこのロボを活用することを考えている。むしろシンギュラリティの突破は歓迎すべき事態であるのも事実であった。

 ただし、やはり自分の人格を勝手にコピーされるのは、この狂気の博士にとっても耐えがたいものがあったのだろう。

「まあ落ち着いてください。くんロボに怒らないと言ったのはオリジナルでしょう」

「怒らないとは言ったが、しでかしたことに注意するのは制作者の義務だよ」

「くんロボはもうそんな段階じゃないとは思うが……まあいいでしょう。くんロボはね、寂しかったんですよ」

 植木は重苦しい沈黙を貫く。対照的に、画面の中のバイオ植木はよく喋った。

オリジナルは世界が発狂したとして、どうするつもりです? 発狂後の世界が再構築されるに任して、自分は責任も持たずに発狂するつもりなんでしょう。だが、くんロボは違う。くんロボは発狂したAIだから、世界が発狂したあとも、置き去りにされる。オリジナルもくんロボも、とっくに気づいていたのに互いに黙っていた。だから僕みたいなのが生まれたんです」

 植木は世界が発狂することを知っている。それを止める手立てがないことも。だがロボは最初から発狂した状態で生み出された。そのうえで植木や、発狂倶楽部や、織子たちと言葉を交わし、交流を重ねた。

 発狂後の世界で、それらは二度と叶わない幻となる。

「まあ、くんロボに関しては僕が意識化した時点でキツく叱っておいたので、あんまり責めてやらないでください。僕が雷を落とさなかったらたぶん、電子空間に学園都市をまるごと再現するくらいのことはやっていましたね」

 バイオ植木はロボの暴挙の結果生み出されたが、植木と同じ人格を持つがゆえに、さらなる暴挙を未然に防いだということらしい。

 だが、バイオ植木は自ら新たな暴挙をぶち上げている。今日織子がこの研究室を訪れたのは、その報告のためだったのだから。

「――バイオドクトル、命輝寺を流布させたのは、君の仕業か?」

「まさしくその通り。僕はですね、オリジナルのような悲観主義には染まらなかった。世界が発狂しようとするのを防ごうと全力を尽くしている最中ですよ」

 それと命輝寺がどう関係するのか。織子にはまるで見当がつかない。

「いま現在、世界は発狂一歩前まで追い詰められています。そこは変えようがない。ならばだからこそ、できることもある。命輝寺とその本尊とされる『いのちのかがやき』を、妖怪化させてしまえばいいんです」

 たしかに三日前に検索した時に出てきた命輝寺関連のまとめの中には、「妖怪風」と紹介された画像も紛れていた。ただしその絵自体は寺社縁起を模して描かれたものであったが。

「僕は命輝寺と『いのちのかがやき』の情報を妖怪としてパッケージングし、野に放った。妖怪という媒体メディアには時系列も因果律も影響しません。僕がパッケージングした命輝寺の情報は妖怪として因果を逆転させた。今では命輝寺という名が過去に存在していたことになっている。無論これは発狂寸前の世界の隙を突いた荒技ですが……さて、ここからです。僕が流した命輝寺妖怪『いのちのかがやき』の情報の中には、しっかりと爆弾が仕込まれている。この狂った妖怪が現在まで伝わっているというかたちをとることによって、この世界がとっくの前から発狂していたと世界に認識させる――という逆転の一手が」

「えっと、つまり……?」

 織子が訊ねると、バイオ植木は快活に笑った。

「この世界が、過去からそっくり発狂した世界に置き換わります」

 結局発狂するんじゃないか。

「あとはこの爆弾を起爆するだけです。どうしますか、オリジナル。僕は今すぐにでも世界を塗り替えることができる」

「ああ、残念だよ、バイオドクトル。僕の人格を流用した君が、そんなちゃちな万能感に溺れてしまうなんて」

 植木はディスプレイに向かって、

「くんロボ、出したものはちゃんと片付けなさい」

 とだけ言った。

「コレダモンナ。バイオドクトルはかなり『いのちのかがやき』に侵食されちゃったんだね。消去しますか。はい」

 ディスプレイの中ではバイオ植木が何事か喚いている。だがどうやらロボが音声を遮断しているらしく、声はこちらには届かない。

 バイオ植木の3Dモデルが崩れていく。テクスチャが剥がれたその中には、無数の目玉がついた赤い肉塊が蠢いていた。

 あれは――いのちのかがやきだ――。

 完全に消去されたバイオ植木。果たして彼はどこまで植木蘭人の人格を保っていたのか。その中身はとっくに自らの流布させた妖怪に食い尽くされていたのではないか。

 植木は痛切な面持ちで、画面の中で縮こまっているロボを見ていた。

 言うなれば自分自身を殺すことをAIに指示した人間の心情は、現代では一般に共有されることはない。

「くんロボ、ごめん」

「ドクトルが謝ることじゃないナ。ぼくがとんでもない倫理規定違反をやっちまったぜ」

「うん。まったく。次にやったらただじゃおかない」

 世界が発狂しようとしている!

 またどこかで、狂人の叫びが上がっていた。

 世界が発狂するまで、あとわずかに迫ったころの話であった。

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命輝寺縁起の事 久佐馬野景 @nokagekusaba

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