3.審査の結果
「お母さん! 星が3つだ。星3個だよ!」
興奮した息子が私のひざをピシャピシャ叩く。
私はハッと眼を開き、顔を上げて巨大なディスプレイを見つめた。
画面には緑色の文字で『
そして文字の下に映し出された拡大画像には、
……巨大な鮮紅色の羽を広げた天使がいた。
のちに『
夫は動脈血と静脈血、髄液さらに体内に蓄えたありとあらゆる粘液と漿液をほとばしらせ、ホワイトセメントの上に左右対称に広がる完璧な翼を描いた。戦車葬でシンメトリカルな作品が描かれたことは、これまでただの一度もない。夫の遺体が描いた絵は、前例のない稀有な傑作だった。
――星3つ!
――夫は体を呈して家族みんなを救ってくれた!
私はスタジアムの大歓声に負けじと、言葉にならない喜びの叫びをあげた。腹に両手を押し当て、腰を折り曲げ、肺いっぱいの空気を使って何度も何度も叫ぶ。抱きついてくるわが子らの華奢な背を肩を頭を幾度となく叩いて喜んだ。
ディスプレイの表示に異変が起こったのは、その時だ。
異変に気づいた群衆の歓声が、潮が引くようにみるみると消えていく。代わりに聞こえてきたのが「どうして?」「減った」という当惑のつぶやき。
先ほどまで表示されていた★★★がひとつ減り、ふたつ減って★になる。画面の変化はそこで止まった。
ざわつくスタジアムへかぶせるようにスピーカーから、葬儀委員のアナウンスが流れる。
「ご遺体にドーピングの痕跡が認められたため、星がはく奪されました。ドーピングによる葬儀規定違反のため星2つが減じられ1つとなりました」
――ドーピングって何!?
いつ? どこで? 誰が? 私は混乱した。戦車葬には、死後いっさい手を加えてはいけないという厳格なルールがある。死後、遺体に医療、いや死者に対して医療という言葉は存在しないから加工と呼ぶべきか。亡骸に加工を施すことは重大な規定違反だ。危険を冒してまでドーピングを行って、利益を得る者がいるのだろうか? 私は考えるまもなく、犯人に思い当たった。
――病院だ。病院がやったのだ!
夫の死後、仏頂面の太った看護師から、戦車葬の手続きを不自然にせかされたことを思い出した。
おそらく病院は、戦車葬へ遺体を提供することで、本国からキックバックを得ているのだ。その報奨金の額は、星の数に比例するのではなかろうか。病院ならば、ドーピングを行う手段はいくらでもある。真っ赤に着色したリンゲル液を死体へ流し込むことも、血液の粘度を下げ、水のごとく変質させる強力な抗凝固薬を投与することだってできる。彼らならどんなイカサマでも実行できるのだ。動機と能力とチャンス、そのすべてを持っているではないか。
私は
そもそも葬儀委員会は戦車葬にあたって、遺体に炭酸ガスを流し赤い血を作るという派手なショーアップに腐心しているじゃないか。彼らの行いは許されるのか。炭酸ガスはドーピングではないのか、ダブルスタンダードではないのか。
問い詰めたい点はまだある。規約違反があったにもかかわらず、なぜすべての星がはく奪されないのか。その理由だけは私にも分かった。彼らは夫の遺体で作りだした芸術作品を惜しんだのだ。
不可解な出来事に、三千人を収容した葬儀スタジアムは荒れに荒れた。参列者は暴徒と化し、拳を振り上げ、膨れあがった不満を怒号に乗せツバを飛ばす。主催者の指示により、事態を収拾すべく警備員たちが群衆に分け入ってきた。彼らは警棒タイプのスタンガンを振り回し、目についた者を片っ端から捕まえては電撃を加え地面に転がしていった。
私は思った。三千人の参列者の怒りはどうあれ、結果は結果だ。
夫は一人分の貴重な市民権を獲得したのだ。
三名の警備員に守られ駆け付けてきた葬儀委員会のスタッフが、私を見つけて問いかけた。
「どなたが市民権を取得しますか?」
「息子に市民権を。お願いします」
私は黒いブレザーを着た息子の背中に片手を添え、スタッフの前へと押し出した。
息子はびっくりしたように振り返ると大きな瞳で真っ直ぐ私を見つめ、しばし母の顔色を読む。やがて口を引き結んで前に向きなおると、差し出されたスタッフの手をしっかりと握りしめた。
――もの分かりのいい子、まだ五歳なのに。
言葉にならない感情と息子との思い出が次々と膨れ上がって、胸が苦しくなる。
最後にもう一度この手でギュッと抱きしめたい。両手を息子へ伸ばしフラフラと一歩踏み出した私の肩を、後ろから伸びてきた
そうだ。すでに息子と、私とでは身分が違うのだ。彼はこれから本国で新しい人生を歩む『市民』。私は地に伏したまま、息子に手を振る。息子は蒼ざめた顔で手を振り返した。それが息子の姿を見た最後だった。
「お兄ちゃん、どこ行っちゃったの?」
力なく立ち上がった私に、兄と引き裂かれたことを知らぬ妹が問いかけてくる。
「いつか二人で会いに行こうね」
私は涙でくもらぬように、努めて明るい声を絞りだした。
「お母さん、お鼻から血がでてる」
「うん。大丈夫よ」
私は娘に精一杯の笑顔で答え、彼女のやせた軽い体を抱き上げた。
鼻血が出たのは地面に突き飛ばされたせいではない。私は自覚していた、この身が放射線に蝕まれていることを。夫がはじめて体調不良を訴えたときと、まったく同じ症状であることを。
そう遠くない将来、私にも戦車葬の順番が回ってくるだろう。そのとき私は葬儀を立派に努めて、本国のやつらの度肝を抜いてやる。そして娘の市民権をかならず勝ち取るのだ。
不安におびえて震える娘の体を、私は強くしっかりと抱きしめなおす。
スタジアムのディスプレイから赤い翼を広げた『紅の天使』が、私たち母娘を見守っていた。
完
戦車葬 ~ほとばしる死が命をつなぐ~・改稿版 柴田 恭太朗 @sofia_2020
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