応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • シシュフォスの幸福への応援コメント

    難しいことは相変わらずわかっていない自分ではございますが、『「いき」の構造』はとても興味深く拝読いたしました
    〈いき〉とは野暮の反対。
    〈意気〉によって〈粋〉へと昇華する。
    発すれば同じ言葉でありながら様々な意味へと変化するその『言葉』になぜだかとても惹かれてしまいました。
    恋に限定するつもりはないのですが、こうして今自分は言葉の〈息〉遣いを感じ、様々なことをこうして教えていただき〈生き〉ているのだなぁとじんわり感慨に浸らせていただいております。
    言葉が多様な意味合いを持ち、それに触れられる喜びを知るきっかけをいただけたような気がしております。

    日本語、難しいけどやっぱり楽しいです。

    作者からの返信

    吐息と生き。言の葉の枝葉の広がり、重なり合う葉擦れのざわめきを楽しむのが粋というものかもしれません。

    そういえば、古代ギリシャ語でも、プシュケーという言葉が〈息〉〈生きること〉転じて〈魂〉を意味していて、そのまま輪廻転生のお話に繋がっていきます。転じていく、どんどん変化していって、一つのものがあらゆるものと繋がっていく過程、その捉えどころのなさに手を伸ばしてみるのも〈いき〉でしょうか。言葉というものの柔らかさが、わたしたちの魂の柔らかさでもあるのだとしたら、大切にしたいですね。

  • 正しい文法規則への応援コメント

    文法をきっちり守って整形した文章って読みやすいですが、教科書的というかビジネス文書ぽい?味気なくなっちゃう気がするんですよね。読みやすくはありますけど。
    私個人としては、少し癖が残ってるくらいが好きです。口語っぽい雑さも好き。
    漫画感のある端的な羅列とか体言止め多用とかはちょっと苦手ですね。単調に感じられるからかな?

    作者からの返信

    そこに〈声〉を聞き取ることができるか。文体があるかどうかの分かれ目かもしれませんね。
    理路整然とした文章も好きですが、歪んだレンズを通して世界を見るような癖のある文章、独自の視角に立った文章はわたしも大好きです。

  • 存在と時間の美学への応援コメント

    「将来を覚悟すること」
    この言葉がずっと頭の中に残っております。
    今まで自分は人生とは死に向かって進んでいくことだと考えておりましたが、なるほど、確かに私は「将来という未到来の時間に向かって生きる」ということに対しての覚悟が出来ていない生き方をしていたと言えますね。
    そう気づいたらちょっと今までの自分が恥ずかしかったり…。

    自分という人生の時間を過ごす中で、ようやく最近になり作品を創るということを覚えたわけですが、その存在の証として誰かの心に「へぇ」と思われるような、出来れば残っていけるようなモノを創り出せたらいいなぁと思います。
    …できればお笑い方向以外でも。

    作者からの返信

    「ある雨の日、私は恋を叶える」もある意味では時間と存在の話でしたね。〈16歳〉を後に残して先に進まなければいけない少女の実存が、刹那の光景に切り取られていると感じました。あの少女は、とはさんの作品の中の人物ですが、あの少女の存在こそが作家を作家たらしめているとさえ思います。そういう意味で、わたしにとっては忘れられない作品です。

  • 正しい文法規則への応援コメント

    正しさに囚われてしまっては、もったいないな、と時々思います。
    個人の好み、触れてきた作品にも左右されるのでしょうが、ただ一つだけが正しいのであれば、世にこれほど多くの作品があふれていることはないんだろうなと。
    ウェブでは改行も読点も多めの印象がありますね。横書きで読みやすいようにとの配慮なのでしょうから、読む媒体によって作法も変わってくるのでしょうね。
    個人的には読点の多い作品は、読むリズムを逆に崩されるので苦手だったりします。個々の好みの中で多数を占めたものが、新しいルールとなって定着していくのかもしれませんね。

    作者からの返信

    マジョリティあるところに必ずマイノリティあり、メインカルチャーとサブカルチャー、メインストリームとスリップストリームが相互にぶつかり合いながら、それぞれの正しさを模索できる状況にこそ文化的な豊かさがあるのだと思います。
    句読点のつけ方は悩ましい問題ですね。わたしはリズムが変になりがち。心地よさは諦めて、意味のまとまりで区切っています。ながるさんの文章はいつも流れるように読めますね。

  • 正しい文法規則への応援コメント

    なんだか元気が湧いてくる内容でしたっ!
    娯楽小説に現状維持バイアスがかかっていても、超克的な乗り越えをいつしか求められてしまうのはまさしくですね。
    私もこんなんどうでっしゃろ系作家(もどき)として頑張っていきたいと思いますデス。

    作者からの返信

    ぜひぜひ!
    彼方さんの作品は娯楽を内側から突き破る衝動に満ち溢れていると思います。既存の文脈に、それとは異なる〈こだわり〉をぶつける。個人的にはそうした作品を応援したくなります。

  • 鏡の中の世界への応援コメント

    多分(というか間違いなく)人よりもビビり体質の自分にとって、鏡は「怖い」対象であったりします。
    だって鏡にまつわる怖いお話って結構あるではないですか!
    でも鏡自体に善し悪しがある訳でもなくそれを使う、見つめる人間自体によって善悪や物事が入れ替わったり引き起こされるものなのですよねぇ。
    本物ではない、でも本物に限りなく近い鏡の中の自分は、今日も視力の悪さもあいまりぼやけた姿で自分を見つめてきております。
    今日も私は左右の反転した自分と向き合いながら心で呟くのでしょう。
    「話の続き、はよ書けや」と。
    …ぐはっ!(自滅)

    作者からの返信

    都市伝説の「紫の鏡」とか懐かしいですよね。デタラメなことが明白なのに伝説として流布するのは鏡に秘められた魔力ゆえでしょうか……。
    鏡の中の自分には鏡を覗き込むときにしか出会えませんが、もしかしたら、とはさんが頑張って物語を書いている間にそっと鏡から抜け出して、とはさんの背後から「話の続き書いとるやん」と呟いているかもしれません。

  • 赦すことはできるかへの応援コメント

    個人でも、制度でも、国家でも、何か一つ赦す代わりに、何か一つ赦さない。
    逆に何かを赦さないと決めた時、何か一つ赦す。
    そうしないと、その選択に人々が付いてこない気がします。
    赦す極振り、もしくは赦さない極振り。
    どちらか片方だけでは、その選択に人々は強い不安を覚える気がしますー(・v・)

    作者からの返信

    なるほど! アムネスティはとりあえず忘れろと命じるので、うちはとはつんさんの指摘とは鋭く対立しそうですね。トレードオフはフェアですが、フェアを遂行する能力がこれまでの人類にはなかった気もします。幕末の藩政改革で「借金を踏み倒さないでやるから(=忘却しないでやるから)返済期限を無利子で250年後にしろ」と商人に命じた藩がありましたね。笑
    日本や西ヨーロッパ諸国は狭い地域でボコスカ喧嘩していた歴史があるので、水に流す(忘れる)傾向があるようです。一方、中国のようにテコでも忘れない国もあり、日本と中国の戦後の国際関係は赦しのトレードオフに失敗した例かもしれません。
    しかし、あと数十年経てばAIがフェアに裁きそうな予感もあるので、赦しのトレードオフ説は胸に留め置きたいと思います。

  • 赦すことはできるかへの応援コメント

    欧米はキリスト教が文化の根底にあるので、赦しに関して日本人の感覚とはだいぶ違う気がするんですよね。
    赦しは信仰と結びついていて、赦すのは神へ委ねること、いずれ神が事を正してくださるという信仰が根底にある感じ。神様の基準は『命には命』ですが、憐れみや贖いといった要素が加味されて赦される場合も。いずれにしても、委ねることで憎しみや怒りを捨て、自らの心を安んじて、前に進むという側面もあるように思います。
    言及の事件はカラパイアで読んだ記憶がありますが、確かコメ欄も紛糾してたように覚えてますね……

    作者からの返信

    欧米は多様な民族や文化を抱え込んでいるので、最大公約数的にキリスト教を信奉していても、問題が先鋭化すると激しい対立を呼び起こします。対立の経験を重ねたからこそ〈寛容〉というリベラリズムも発展したのですが、今はこの寛容の精神も批判に晒されていますね。
    チャールストン教会銃撃事件については、ライプニッツの最善世界説に対するヴォルテールの揶揄を思い出しましたが、被害者の方々が信仰を手放さなかったことには、感心するとともに異世界を覗き込むような感覚を抱きました。個人に心の安寧をもたらすことが宗教の役割のひとつですが、ヒエラルキーを温存する役割をも果たしてしまうということはかねてより指摘されているところ。赦しの問題に着地すべきではないようにも感じます。
    一方で、死の循環を促す〈記憶の倫理〉への対抗概念が必要だというカール・シュミットの指摘は重要なので、条件を整理して検討してみたいですね。実のところ、参考文献に挙げた『内乱の政治哲学』は、記憶も忘却も乗り越えて、〈想起〉することによって形成される共同体の可能性はないのか、という謎めいた示唆で終わっていました。哲学が行き着く先はこうした示唆の無限の反復かもしれません。しかし生は有限で、現実は無限の反復を踏み抜いて歩みを進めます。哲学とは別の仕方で異なる可能性を模索すること、異なる可能性を現に生きてみせること、その役割は物語が果たすことになるでしょう。


  • 編集済

    キャラクターの先行構造への応援コメント

    これはかなり実感があるので百回くらい頷いてしまいました。長編を書いていると特におこりがちですが、中盤くらいで急に彼らの知らない一面が見えてきて、それまでどこか他人のようだったキャラクター達が我が子のように可愛くなります。
    ストーリーとしてのプロットは大幅に変わることはあまりないのですが、キャラクターをどう見せるかの演出の部分はかなり変わってきますね。それこそ、場面のどの一部を切り取るかというところが。
    この楽しさがあるので、ついつい長編を書きたくなるんですよね。書くのは大変なんですけど(笑)

    作者からの返信

    結月さんの長編って、序盤は精緻、中盤以降はダイナミックな印象があります。長編ならではのドライブ感だと思っていましたが、作者がキャラクターと近しくなった影響もあるのかもしれませんね。ストーリーとプロットを用語的に区別する場合、プロットは出来事の描き方を意味するのですが、結月さんはまさにプロットが変化していく様を楽しんでおられるようです。その楽しさは作家さんしか味わえませんね!

  • キャラクターの先行構造への応援コメント

    これすごくわかります。だから、軸に据える人物が変われば世界の在り方も違って見えてくるんですよね。現実の人間が自分自身の物語を生きているように、物語のキャラもそれぞれの人生という物語を持っていて、それが交わることで歴史や冒険が生まれてゆくのかなーと^ ^
    傍で見守る吟遊詩人みたいに、彼らの生き様を見守っていきたいですねぇ。

    作者からの返信

    作家は吟遊詩人!
    出会いと約束が物語を生みだしますね。作家もまたキャラクターと出会い、約束を交わしているのかなと感じます。
    ホメロス(吟遊詩人)が既にそうであったように、キャラクターや出来事を時系列順に平坦に語るのではなく、〈工夫して語る〉というのが作家の本領ですよね。キャラクターを見守りながら、どうやって描き出そうかと試行錯誤するのが楽しいです。キャラクターと物語に対して真摯でいたいですね。

  • キャラクターの先行構造への応援コメント

    ちょっとした遊びで、目を瞑ったまま手を引いてもらうと、3歩も歩かない内に怖くなって腰が引けちゃうんですけど、
    引いてもらう手を信じてそのまま瞑って歩くと、ただの帰り道が、先の分からないエキサイティングな道に感じちゃう。
    そんな子供の頃の遊びを思い出しました。
    キャラクターって自分の中のキラキラなんだなと思い、
    そう感じさせてくれた「第29話」様に、腰を90度曲げてお辞儀をしておりますーっ(・v・)

    作者からの返信

    あーっ、素敵なエピソードですね!!φ(.. )←勝手にメモ

    キャラクターもまた〈他者〉であると捉える作家さんも少なくありませんよね(ドストエフスキーとかそういうイメージ)。キャラクターに手を引いてもらうことで、作者は物語世界を探索し、わくわくと新しい冒険に乗り出すのかもしれません。

  • キャラクターの先行構造への応援コメント

    今回もすごく納得するお話でした。
    キャラクターを考える時って、そのキャラクター単体じゃ絶対にキャラ性が見えてこないんですよね。
    作中の出来事や他のキャラクターとの会話があって、やっと中身が分かってくるというか。「世界を先取りしている」というのは、確かにそうだなと思います。
    リアルに生きる私たちも、他者と関わることでやっと自分が分かる、ということもありますね。

    作者からの返信

    ひとの反応によって初めて自分がどのようなひとであるのかを知る、というのはよくありますよね。キャラクターを通して世界の声を聴き、世界の声を通してキャラクターの声を聴く、というのが作者の最初の役割かもしれません。世界は出来事の総体だとも言われますが、出来事とはキャラクターが出会うものであり、キャラクターが起こすものですものね。

  • キャラクターの先行構造への応援コメント

    「キャラクターの先行構造」!
    とってもわかりやすいですね!(渦中の人w)
    自分の脳みそのなかで起こっていることがなかなか不思議に感じられる今日このごろです。キャラクターたちを動かしたり喋らせたりすることでピントが合ってくるものなんですねえ。

    作者からの返信

    物語というのはひとつの記号の体系であって、記号の由来は作者の外部にあることを考えると、〈ピントが合う〉ということは必ずしも作者の脳内で起きていることではないのかもしれません。むしろ、キャラクターが動き、喋り、世界と触れ合うことによって初めて作者が成立し、その作者は物語世界を知るだけでなく自分自身を知り、自分のいる世界の一端を知るのだと考えると、創作に悩むということの意義も立体化されそうです。物語は世界観の表現だと思うのですが、これが現実世界に提出されることによって、現実そのものが多元化していくと思うんですよね〜。

  • 遊びと文学への応援コメント

    自分の作品を遊びの四類型で分析してみるのも面白そうですよね^^*
    あやかしぴあのは恋が主体で決着がトラウマを克服することだから、非競走になるのかしら。非模倣だと思っているんですけど、どこか少女漫画ちっくな雰囲気あるって言われるし、模倣になる……?
    これ、考え始めるの楽しいですね^^*

    創作も遊びみたいなものですし、今回のお話すごく興味深かったです。

    作者からの返信

    遊びを社会学的に研究するのではなく、社会学を遊びによって研究するというのが面白いですよね。
    さかなさんの作品は競争的な要素をあまり感じさせないのが特徴かもしれませんね。実際には色々と闘っていると思うのですが、勝ち負けが本質ではありません。
    空想もどこかで現実と繋がっているので、模倣かどうかは既存の何かと〈似ているか〉ではなく、〈似せているか〉が問題となる気がします。主題と離れて検討することはできなさそうです。現実にはないような出来事を描くことが主題であれば、少女漫画に似ていても(似せているわけではないので)非-模倣的といえるかもしれません。けれど、例えばトラウマの克服が主題だとすると、舞台がファンタジーであったとしても、「現実にある問題を別の角度から見つめ直す」ことが目的地となるため、模倣的といえるかもしれません。模倣について考えることは、人間が抱くリアリティの感覚を考えることに通じていますね。

  • バベルの話への応援コメント

    素晴らしい!
    ぜひとも読みたいです!!!!

    作者からの返信

    死神がくるまでになんとか!


  • 編集済

    作者の生への応援コメント

    大変面白く拝読致しました。
    「作者の死」絡みで、読んでいるあいだ、ジョージ・ルーカスの渋面がわたしの頭の中には浮かんでおりました(笑)
    貴重な論考をありがとうございます!

    作者からの返信

    ジョージ・ルーカスは史上最も成功した映画監督のひとりと称されますが、彼の作品は色んな人々に今なお翻弄されていますね。たくさんの愛と欲望がぶつかり合っているともいえるのかもしれません。笑

  • 時間はわからんやつへの応援コメント

    『インターステラ』は私も感動しました!!
    最初にあの映画を観た時は度肝を抜かされて、何度も見直しました^ ^

    作者からの返信

    インターステラは何度見ても面白いですよね……!
    あの作品でなければ到達できない固有のラストに辿り着くのも感慨深かったです。


  • 編集済

    文学のジャンルへの応援コメント

    始まりが同じでありながら、移り変わる地域によって形を変え違うものが生まれてくる。
    それがWeb小説にも当てはまるのだなと、(いやむしろWeb小説だけに留まるものではないのかな?)ふむふむと唸りながら読ませて頂きました。
    最近教えてもらったもので、物語は野球のベースのようなものでぐるりと巡り最後は始まりに戻る。ただしそのままではなく主人公は巡ったことにより成長してから始まりの場所へ返るものだというものがありましたが、まさにそれなのかなぁ。
    自分の主人公がぐるりと巡って成長して戻れるように私も作っていけたら。
    いや、そうできるように頑張ってみよう。

    作者からの返信

    物語には色んな法則が論じられますよね。それ自体が文化史として研究されてよい気がします。野球のベースの比喩は聞いたことがなかったので新鮮でした!
    キツネの理想でいえば、ファーストベースを踏むかに思えた主人公が明後日の方向に走り出して球場を飛び出し、行きずりの子どもを助けたり時間旅行したり火山の噴火を食い止めたりした後に、ふと球場に野球を見に行って、ファーストベースを踏まずに明後日の方向に飛び出していく自分を眺めるような物語です。何が言いたいかというと、物語の規則を解体したいという欲望と、物語の規則を応用したいという欲望が鬩ぎあっています。笑

    チェーホフの銃という有名な理論もありますよね。第一幕の部屋で飾られていた銃は、終幕までには撃たれなければならない。20世紀中葉にはこういう物語規則を破壊する作品がたくさん生まれましたが、現在は破壊でも遵守でもなく、規則自体と遊ぶ、駆け引きするという視点も重要になっているのかもしれませんね。揶揄されがちなテンプレートもののうち、成功している作品の多くは、テンプレートの常識と駆け引きしているのではないでしょうか。

  • 時間はわからんやつへの応援コメント

    時間は物体ではないので、科学的な手法で実在を証明するのは難しいのかな……という印象ですね!
    文学的な比喩ならば、時間、時を表現する言葉は数多にあるというのに……。

    私は良く時の概念を砂と螺旋で描きますけど、個人的に好きなのは河というイメージです。上流から流れてゆく運命に人は背を向けて立っていて、未来(上流)から何が流れてくるかを知らないけど、過去(下流)なら見渡すことができる、と。
    好きな漫画で描写されてたイメージなのですが、一番すんなり腑に落ちたので今でも覚えてます^ ^

    抽象を具象化する面白さが、言葉にはありますよね。なんだか本題とは逸れてしまった気もしますけど。
    キツネさんのイメージする時間はどんな感じですか?

    作者からの返信

    河の比喩は日本人には馴染みが深いものですが、運命に背を向けて立っているというのは何とも味がありますね。わたしははとりんさんの砂のイメージがとても好きです。乾いている、サラサラと流れていく、散り散りになる、色んな連想とともにあります。螺旋は回帰的でありながらも発展的ですよね。

    キツネ自身は、子どもの頃から色々な物語を読むうちに「でも本当は時間なんてないだろうな」と感じていました。タイムトラベルの作品の多くに「過去が世界に記録されている」という前提がありますが、その前提を信じる理由がなかったからです。でも、事象の連なりは現に起きていて、因果律そのものは(物理学の根底にもあるように)現存しているようにみえる。そうしたところから、わたしがイメージしていたのは〈樹〉でした。因果が伸びていき、時には枝分かれし、今後どこに伸びていくのかはわからない。けれど、根はあるし、おそらく現在自分がいる枝とは異なる枝は常にあって、つまり〈他の可能性〉というものは空想のものではなく実在している、という想像です。

    現代の物理学に照らせば、世界は過去を記録するまでもなく、時空がくるんと折り畳まれて穴が貫通していれば、人間にとっての事象の平面は繋がって、過去と現在は行き来し得るとのことでした。将来は文学的にも時間の比喩ではなく〈時空〉の比喩が増えるのでしょうか。とはいえ物理学にとっての時間や時空の概念もどんどん更新されそうなので、文学、すなわち人間の奔放な想像力こそ、どこか明後日の方へ独走して欲しい気もしますね。笑

  • 遊びと文学への応援コメント

    あれ? 私の書いているのってもしかして、ファンタジーではなく神話……?
    作品によっても違うと思うのですが、ヒストリアは対立が主体で決着が目的なので競争、非模倣で非運、目眩は……どうでしょう?
    竜クロは対立はあっても目指すところは融和なので、非競争?、非模倣で非運、多分目眩型。というか、流れをキャラに任せる書き方は運になる……?

    疑問符ばかりでまとまらなかったですが、そういう分析も面白いなぁと思います。構造を分析するのって楽しいですよね。
    テンプレ異世界転生はベースになる蓄えが自分の中になさすぎて、書けないのですが、分析の元にプロット組んで書くのも、遊びとしては面白そうです^ ^

    作者からの返信

    完成された作品とは別に、創作行為そのものもまた一種の遊びですよね。その創作方法のなかに、はとりん文学はキャラ任せ=偶然性を大切にする側面があるのかなぁと思いました。作品に関しては、主題が何なのか、ギミックが何なのかを分析していくと、「キャラのステータスを守って困難と対峙したい→競争的」「一般常識や思い込みを崩したい→眩暈的」「しっかりと想いが報われる世界であって欲しい→非-模倣的、非-運的」などと属性が見えてくると思います。はとりん文学はやはり〈約束〉と〈紡いだ時間〉の物語なので、非-運の要素が重要だなぁとわたしは感じています。
    ただ、しょせんカテゴリーはカテゴリーなので、個別の作品はそれ自体固有のカタチを有していると思うんですけどね!
    プロットを組む際も、巨視的に遊びの四類型を眺めつつ、「この辺りでいくぞ」と見定めたら競争のディテール、眩暈のディテール、その相乗効果などを考えていくのだと思います。三幕構成論と違って主題やギミックの内実を探求する方法になるので、これはこれで面白い遊びになりそうですね。笑

  • 遊びと文学への応援コメント

    物語の分類は興味深い話題です。
    ファンタジーのジャンルの一つになった異世界物も、更に細かくジャンルわけができますし議論は尽きませんね。

    作者からの返信

    最終的には一つひとつの作品が、独自のカタチを持つのだと思います。みんなテンプレートをそのまま書きたいわけではありませんものね。競争には色んな規則があり、眩暈にも色んな惑乱があり。ディテールを突き詰めていった先に、固有の作品が生まれるのでしょう。

  • 遊びと文学への応援コメント

    景気が良く金が溢れて乱れに乱れ、それが時を経て後世で「文化」と呼ばれることに、どこか捻れと言うか不可思議さを感じていました。
    ですが「遊びこそが文化」と言われて、目から鱗でした。
    とすれば過去の日本。
    浮かれたバブル期に、素晴らしい文化の芽が幾つもの生まれていたのではないか?
    そう思って眩暈がしておりますーっ。

    認知、破局、相克、混沌。
    熟語が四つ並んだだけで、何でこんなにカッコイイのだろうと、
    ウットリしております(・v・)

    作者からの返信

    熟語が整然と並ぶだけで不思議な官能性がありますよね……。漢字の不思議。漢字は呪術的な起源をもつらしいので、我々はその魔力に魅せられているのかも……。

    日本の80年代に花開いた文化は確かにたくさんありますよね。ライトノベルが(用語はともかく)分野として確立され始めたのはその時期ですし、村上春樹が活躍を始めたのもその頃でした。芸能界ではBIG3が覇権を握り。80年代ファッションは近年また注目されているとか。バブル期はあまりにも消費社会と結びついているので良い印象がありませんが、やはり遊ぶなかで生まれる面白いものはあって、とりわけ価値あるものは残っていくのかもしれませんね。

  • 遊びと文学への応援コメント

    今回もとってもおもしろかったですー!
    遊びの四類型を知ってから作品に着手すべきだったかなあ、なんて思っちゃいました。

    トドロフの論ずる幻想文学、興味深いですねえ。
    現実と超自然の間で抱かされるためらい、恐怖と驚異の中間、眩暈の強調……

    刺激を受けてちょこっとググったトドロフ『幻想文学――構造と機能』絡みの論文をふむふむと読んでしまいましたw

    しかし積ん読だらけで『幻想文学論序説』をポチる気力はなく、欲しいものリストに放り込むのみ……ww

    作者からの返信

    トドロフはロシア・フォルマリズムをフランスに紹介したひとで、割と典型的な構造主義者です。幻想文学がトドロフの指摘通りのものかは議論の余地がありますが、考えをめぐらすきっかけを与えてくれる研究者であったと思います。
    カイヨワの遊びの四類型は文化全体をその視野におさめようというものでした。カイヨワはボルヘスをヨーロッパに初めて本格的に紹介したひとなので、キツネにも親しみがあるんですよね〜。とはいえ今回の原稿で言及していない議論については反対したい箇所がたくさんあります。笑

  • 三千年紀の軽さへの応援コメント

    ファンタジーの世界は自分の想像から羽を広げ、飛び立つ想像力から生まれいずるもの。
    どこまでも軽やかに舞い上がっていくようなお話の構成と読者を一瞬にしてその場所へと連れだせるという意味で、ライトノベルの軽さを自分は体験していると言えるのでしょうね。
    それを実行し読む自分に未知の世界へとふわりと運んでくれる作者様たちには感謝です。
    自分もいつかそこにたどり着けることが出来ますように!!

    作者からの返信

    無から有は生まれない。とすると、どんな幻想であっても現実に根を張っているのでしょうが、その現実の重力に囚われずに羽ばたく力こそが、まさに我々が期待するファンタジーなのでしょうね。ライトノベルの名作たちに敬意を。

    それにしても、とはさんのユーモアに愉しみを見出し、心が軽くなる経験をしているのはキツネだけではないと思いますよっ。

  • 魔法は解けたのかへの応援コメント

    毎話示唆に溢れる内容で、色々と考えさせられてとても勉強になります。
    コミュニケーションについては、限界を感じてしまいます。
    現状地球の裏側の人とリアルタイムで話せる技術を持ちながらも、ウクライナ戦を防げなかったのを考えますと、人はコミュニケーションを求める能力と同等の、コミュニケーションを退ける能力も高い気がします。
    ここまで繁栄するには、両方必要だったのかなと思ったりしますー(・v・)

    作者からの返信

    鋭いご指摘!
    ハーバーマスの議論の限界もその辺りにあるのかもしれません。
    キツネの立場としては、理想論としてでもコミュニケーションの要請を放棄したくないという気持ちがありますが、実際に自分自身を振り返ったときにはやはりコミュニケーションを忌避する場面が存在しているというのが事実です。
    ただ、それでも「このラインだけは越えてはいけない」というものを確定すべきだとは思っていて、それが共有されない限り、戦争はいつでも何らかの理由で正当化されてしまいますよね。戦争のほとんどの正当化理由が「防衛のため」なので、防衛手段であったとしても「紛争解決手段として他者を殲滅するのは許されない」という倫理が求められるのではないか。などと暫定的に考えていますが、現実論としてはまだ無理がある、というのが悩ましいところ。テロ対策はどうするのよ、ってなりますよね。
    戦争が人類の歴史を支え、発展させてきたなどといいますが、そんなに繁栄しなくてもよかったのに、というだいなし目線と、ここまで繁栄しなければ立憲主義とか人権は確立されなかっただろうなぁというキツネ目線が混在しているわたしです。笑

  • 魔法は解けたのかへの応援コメント

    一頃、科学が発展していろんな発見があって、自然界のことも人間のことも科学的に解明できる……みたいな熱狂があったのかな、とも思います。学んだ根拠とかなく、何となくそう思ってるだけですが(笑)
    でも、いつになっても自然界には太刀打ち出来ないし、コロナは猛威を振るうし忍者グマは出没するしで、一周回って神秘的なものへの畏敬が戻ってきたのかなぁと、昨年のアマビエブームを見て思ったりもしたのでした。

    何だかんだ言っても、未知とか不確定ってロマンですよねぇ……^ ^

    作者からの返信

    ロマンといえば、近代のロマン主義でさえテクノロジーかぶれしていたという研究があるくらいで、それほどに〈方法〉に注目が集まった時代でした。流行病はいつでも人間を脅かしてきましたが、現代においてもなおこれほどの社会的衝撃を与えるのだということは、わたしたちにとっても厳しい教訓になったのかもしれませんね。それにしても忍者グマは奇ッ怪ですが……。

    キツネも未知に向かって羽ばたきたい!(キツネには羽根がない。あっ、はとりんさんにはありますね……!)

  • 読み方あれこれへの応援コメント

    こんばんは。

    いつも深い内容を、面白く、そして、理解しやすく解説していただき、ありがとうございます。

    読み方の分類……それこそ、文字が読めるようになってから、蜜にたかる甲虫の如く、なにもかも脳に集める甘い幸福のように頬張り続けていましたが、このお話を読んで、ひとつ深く考えることが出来るようになった気が致します。

    (そして、なぜ、感想文が曖昧模糊としがちで纏まらないのかも……。答え→なにも考えずに、本の文字の世界に入って、愉悦に浸っているからやで……)

    これから先も、楽しみに読ませて頂きます! 応援しています!

    作者からの返信

    こんばんわ!

    感想文って言語化が伴わなければなりませんが、読書の〈感覚〉自体は必ずしも言語化を必要としませんよね。相ヶ瀬さんの曖昧模糊の中には豊穣な感覚が潜んでいるのかもしれません。愉悦こそ読書の真髄!!

    わたしもいま現在は引越作業に追われていますが、落ち着いたら相ヶ瀬さんの作品を読んで癒されたい、ワクワクしたいと思っています。笑
    よろしくお願いいたします。

  • 言霊への応援コメント

    親友から「言葉には気を付けろ、あれはブーメランのようにかえって来る」という話をされた事があります。
    彼女があるクレームを付けたら、数日後ほぼ同じような内容で自分の仕事中にそれを言われたのだとか。
    言霊って、届いた人の言葉を、人ならざる存在が「おっ、お前!今の言葉気を付けろよ!」という感じで投げ返してくるものなのでしょうかねぇ。
    自分もその彼女の話を聞いてからは、意識して傷付ける言葉は発しないようにしようと心がけております。
    逆に言えばいい言葉を出し続ければ、自分に返って来るとも思っております。
    そう出来ているように。
    その言葉を聞いた存在が、自分とその言葉をかけた人たちに良い事を返してくれますようにと願ってやみません。

    作者からの返信

    言った言葉が返ってくるというのはまさに山彦、木霊のバリエーションですね。山でも森でもないところで発された言葉なので、うーん、「オフィス丸」とかがいるのでしょうか。
    わたしも、優しくされたければ優しくするのが一番だと教わりました。実感する場面も多いですね。
    一方で、子どもと関わる仕事に就いてからは、自分が優しくされなかったとしても、相手には優しくしたいと思うようになりました。時間差で自分以外の誰かに優しさがバトンされるかもかしれないからです。これも言霊の予感に裏付けられているのかもしれません。

  • シシュフォスの幸福への応援コメント

    今回も難しいけれど興味深い…!私は前世の記憶がなければたとえ今世が「輪廻の中の1ターン」に過ぎなくても代替の利かない大事なものだと思うので、いつか死ぬからそれまでハッピーに生きていたいなって思いたいですね。

    それはそれとして魂の全数は決まってるのではと思っているので、それぞれに前世の記憶と知識があればみんな賢くなれていいのになあなんてたまに考えたりします←恨みもついてきそうですけどww

    作者からの返信

    た、魂の全数は決まっている……だと……?!(難しくて理解できないキツネ)

    あの有名なプラトンちゃんが想起説というのを唱えていまして、それによると「魂は全ての知識を記憶している。しかし魂が身体に入る際にそれを忘れてしまうのだ。知識を得るとは、この忘れてしまった知識を想い出すことに他ならない。あらかじめ知っていたからこそ、その知識が正しいものだと理解できるのだ」とのこと。ぜーんぶ記憶していても、思い出せなければ意味がないですね!笑
    でも、業だけはしっかりついてまわるのが仏教だ……。

    キツネは無宗教なので割と色んな宗教の議論を参考にしていますが、それぞれ特色のある世界観と、固有の倫理観を持っておられるので興味深いです。文学は世界観の一つの表現なので、ひとりの読者として、世界観の探究は欠かせません。ひとりというか、ケモノなんですけども。

  • 小説= novel =新奇なものへの応援コメント

    病床からおはようございます!お邪魔します(*^ω^*)やっぱりキツネさんのは読み上げアプリからではなく字面で拝見するに限る…と踊る文字列を楽しみつつしみじみ。

    アイロニーはマカロニの親戚程度としか思ってなかった私ですが、なんかすごい存在だった…!ノベルの意味にもびっくりしつつ、納得です。どうしてお話というものが頭に湧いてくるのかさえ不思議なのですから、形を与えようと躍起になる作文作業は奇異な行為そのものなのかなあ、なんて。

    冷静に推敲するときに「初稿ではなんでこんな表現にしたのだろう」という一文に出会うことがあります。でもそういうインスピレーションも大事にしていきたいですね。

    作者からの返信

    あやや、お大事になのですよ! キツネの文字列が踊り狂うのを見て、体に障らないであろうか……。隙をみて逃げてください。

    アイロニーないしマカロニーは、論じるひと、論じられる時代によって少しずつ定義を変えているように見えます。最も芸術的に飛躍したのがシュレーゲルの時代でした。

    物語が頭に湧くというのはある意味で神秘的な体験ですが、それを文字に起こすときに思わぬ変貌を遂げることがあるのも神秘的ですよね。神秘が次から次へと渋滞を起こすのが創作で、この渋滞を交通整理してあげるのが推敲かもしれません。作者が書き落とした神秘を、なぜか読者が拾って読み解いたりすることもあるので不思議です。

  • パラドクシア・エピデミカへの応援コメント

    時代とともに価値観は変化している、いくものなんだよなぁとぼんやりとながら考えておりました。
    新しい環境に飛び込むたびに、いい意味でも悪い意味でも自分の中で理解できない考えや価値観を持った方に出会うのですが、同じようなニュアンスで言われた言葉に対し、いい意味の方々には「はい喜んで~」ですが、そうでない方々に同意を求められた時に「いやぁ今はそういう考えなのですね。頭が固いからついていけないやぁ」とあいまいに逃げてしまう。
    この態度の違いもまたパラドクスなのかしら。
    …いや、ただ優柔不断なだけか。
    それに対する私の答えも、迷宮でさまよっている最中ということにしておきます(笑)

    作者からの返信

    同じ言葉でも文脈が異なれば別の意味を持つ。これをアイロニーなどと言いますね。必ずしも皮肉とは限らず、「両義的」といったニュアンスを含みます。プラトンの著作でも、ある文言にアイロニーを認めるかどうかで研究者が論争したりしてます。いろいろな価値観があり、移り変わり、ぶつりあい、といったことは歴史の必然で、私たちはみな迷宮を彷徨っているのかもしれません。せっかくの迷路なので楽しみたいですね!

  • 過誤記憶への応援コメント

    ときおり自身の記憶が、すべて『過誤記憶』ではないか? そんな風に震えながら、かりそめの時を生きているかもしれない。そんな思いの自分にとって、とても面白い(というには不謹慎ですが)お話で、考えさせられました。

    『悪』についてもそうです。
    時代、立場、人種、それらの立ち位置や、この先の人類の行く末によっても、善悪の大転換は容易にあると、私は考えますし、また、すでに起こりつつもあるのではないか? そんな疑念を持ちつつ、日々を過ごしている身としては、カクヨムオリジナルの論考が、非常に楽しみです。

    いつも、興味深く面白く、物語や生き方の深淵をのぞかせていただき、ありがとうございます。

    作者からの返信

    過誤記憶の話は興味深いですよね。これ、過誤記憶の原因をつくった人たちはある意味でよかれと思って誤った記憶を植えつけているわけで、キツネも自分が変なカタチで加害者にならないよう(加害に加担しないよう)気をつけなければならないと感じました。

    善悪の大転換といえば、資本主義的な価値観や功利主義的な倫理観はずいぶんと批判に晒されるようになってきました。百年後、五百年後には全く捉え方が変わっている可能性はありますよね。
    近時では、他者と和やかに交流することが「不謹慎」と呼ばれる場合があることなど、人間というのはいつだって微妙な綱渡りをしている気がします。
    「加害者にはならないように」というのがキツネの信念の一つですが、害悪が相対化される中では黙っていることさえ誰かを傷つけることになります。この問題をどう考えればいいのか、少なくとも問い続けることを放棄しないという姿勢をもって向き合いたいと思っています。

    ジュリア・ショウの著書への書評は「だいなしキツネ」というエッセイの中にありますので、お時間のあるときに是非どうぞ♪

    編集済
  • 約束の法への応援コメント

    人が人であれるということ。
    本能に反して理念、理性を持ちうることが成果であり発明である。

    最近、ちょっと(いや、まったくかもしれない)その人としての根源を失い理知的に行動ができていないことを、自分は要反省です。

    言葉やいたわりを持ちそれを表すことができるのも人間の良さ。
    互いの立場や状況を理解したうえで、相手を尊重し、互いに基盤を作り次に過ちを犯さないように「約束」をしていこうと思います。
    うん、努力していこう。

    作者からの返信

    理知的に行動するというのは、人間の本質である一方で、動物としては異常なものかもしれません。ゆとりがなければできませんよね。上手くできないときには、むしろ自分が置かれている状況に困難があるのかもしれません。その困難を解消できないまま自分を追い詰めるのも良くないですよね。とはさん、最近とても大変であることをキツネも存じ上げております。そして、いつも真心に満ちた方であるということも知っております。キツネと一緒にマイペースに前に進んでいきましょうね。約束っ!

  • 読み方あれこれへの応援コメント

    私も自分ではすべてのタイプだと思います。
    小説は基本的に楽しむために読みますが、自分の創作の参考にできるところがあれば糧としたいです。
    特に私が気にして読むところは「どの漢字を開いてどの漢字を閉じるか」です。これは明確な正解があるものと正解がないものがあって、正解がないものの範囲で開閉を調整することで読みやすさのバランスを調整するものだと思っていますが、私が執筆する中で最も難しいと感じている部分です。一度結論を出したものでも、何度も再考してしまいます(笑)

    話は変わりますが、拙作に素晴らしいレビューをいただき、ありがとうございました!
    執筆した自分でも、これほどの巧みな紹介はできない、と感動しました。

    作者からの返信

    漢字を開くかどうかは永遠のテーマですよね!
    キツネが「読みやすいなぁ」と感心するのは井上ひさしです。逆に「すっごい気持ち悪い、ちょっとクセになる!」というぐらい笑ってしまったのが哲学者の熊野純彦です。

    「本音がルビに出る世界」最高でした!
    素敵な作品をありがとうございます。いまは実は鈴音ミーアちゃんのASMR配信が気になっています。笑

  • 読み方あれこれへの応援コメント

    自分は恐らくは印象タイプ、憧れは批評タイプといったところでしょうか。
    感情のままに「うおー!」で表すというか、ぶつけていくタイプなので、言葉が足らず伝えたいことがうまく表現できない。
    なので読み解き、それを表せる人にはやはり憧れがあるのです。
    …うん、自分に必要なのは冷静さと解析力だなぁ。
    皆さまの作品に触れ、少しずつでもいいからそれらを学んでいきたいです。

    作者からの返信

    逆に感情を置き去りにした読書というのも無味乾燥なものとなりがちなので、「うおー!」と受けとめられるとはさんは素敵な読者だと思います。作家ならそういう読者に巡りあいたいですよね。
    とはさんのご感想は、印象批評の精華とさえいえるかもしれません。ああ、この作品はこういうインパクトを読者に与えられるんだ、と、同じ読者としても、作家としても勉強にさせていただいております。

  • バベルの話への応援コメント

    生きてるうちにって、キツネさんの寿命って、そう長くはないと…。

    作者からの返信

    いざとなったら転生します。

  • 生のデザインへの応援コメント

    『ツァラトゥストラはかく語りき』……読んだのは、たしか小学生の頃で、久しぶりに思い出しました。当時、分かる訳もなく、ただ分かったような、まるで大人のハイヒールを履いた少女…そんな感じだった気がいたします。

    「生きることの意義って何ですか」なんと思いテーマでしょうか。人生の中で、失い、そして出会う旅に、自分はかりそめの旅人なのだと感じ、一期一会の深さを思い知らされる…。

    そんな命数法の中を分からぬままに、エッシャーの階段をあてどなく歩き、天動説の海原の端から流れ落ちる……。そんな人生を繰り返しているのかもしれません。

    それでも、こうして、すばらしい出会いがあることを、思い出させてくださった、だいなしキツネさまに感謝しています。

    作者からの返信

    小学生でニーチェ!
    お洒落な女子ですね〜☆彡

    相ヶ瀬さんの素敵な文章に触れることのできたキツネの方こそ感謝です。
    あてどなく歩かなければエッシャーの階段が無限循環することに気づくこともできず、オケアノスの向こう側に転落することもできませんでした。失敗こそが掛け替えのない、自分だけの達成であると気づけるのは、挑戦した者の特権ですね。そうした途方もない試行錯誤の時間の果てに、素晴らしい出会いがあるのだとすれば……。〈意義〉は後からついてくるようですね。

  • 不気味なものへの応援コメント

    怖いと不気味に果てしない恐怖を覚えるヘタレ人間がここにおります。

    『一見して不気味なものを不気味がるのではなく、漫然と当たり前だと思っているものが不気味になる』
    こちらを読むだけで「ひぃぃぃ」となる自分は本当に怖いのダメ人間ですね…。
    実家の天井をある日突然、苦手になったことがこちらの文章に思い当たり、心の奥で「あぁ、これかぁ」と何か納得出来たような気がします。

    ありふれていたものが、ほんの少し前まで何も感じなかったものに違和感を覚え、気付いてしまう。
    話を書く人にとって小さな気付きを積み重ねるって、大事な文章力を上げる要素であるとは思うのですが恐怖系は避けて通りたい。
    そんなワガママを抱きつつ、今日もお話づくりに邁進していこうと思いますっ!

    作者からの返信

    とはさん。前から気になっていたんですが、その背中に貼り付いた蜘蛛の糸はなんですか?
    蜘蛛はいないのに、蜘蛛の糸だけが背中にくっついているから、不思議だなぁって思ってたんです。
    ところで、ついさっき。とはさんの背中から糸が垂れていたんですが、何ででしょうね。蜘蛛はいないから、新しく紡がれた糸ではないと思うのだけど……不思議ですね……。
    ところで、わたしはなぜいまこんな文章を書いているのでしょう……。意図が読めなくて不気味ですね、糸だけに……。
    でも運命の糸はいつでもぶちんと断ち切られるのでしょうね。とはさんの背中に貼り付いた蜘蛛の糸も、そうして運命を断ち切られた蜘蛛の名残なのかもしれませんね……。
    いえ、全部うそですが……。

    背後って、基本、自分には見えないものなので不気味ですよね。視角の外にあるものの不気味さは気づきやすいですが、実は視界の内側にあるものほど不気味でありえるとも思うキツネです。
    ほら。とはさん。蜘蛛がいましたよ。とはさんの、眼球の中をいま、もぞもぞと動いています。
    見えませんか……?

  • 存在と時間の美学への応援コメント

    >この世に時間という秩序は存在せず、世界はただ出来事が集まって出来ている

    >人間の認識能力の限界こそが、時間や空間といったカテゴリーを要請する

    考えたこともありませんでしたが、とてもおもしろいと思いました。
    時間や空間というものは、人間が世界を認識するためのメガネや補聴器のようなものだということでしょうか。メガネがなくとも世界はそこにある? 目からウロコの考え方です。

    作者からの返信

    メガネや補聴器!
    ズバリ的を射た比喩ですね。これにはカルロ・ロヴェッリもニッコリ。
    世界そのものには時間や空間などという実体が存在するわけではないけれども、生身の人間はその枠組を通してしか世界を認識できないのだろう、というのがロヴェッリの指摘でした。逆にいうと、理論上は別のアプローチが可能だということですね。〈量子〉というのは不思議な世界……。

    編集済

  • 編集済

    小説= novel =新奇なものへの応援コメント

    アイロニーのくだり、とても納得です。わたしは、しばしばリアルでアイロニってしまう癖があるので、周囲の人は「こいつなに考えてんのかわからない」と思っていると思います。表面上見えていることと、実際やってることが食い違うので(汗

    >果てしのない風刺、無限の自己パロディ

    ほんとにそうだと思います。見た目は本質を表さないっての。

    作者からの返信

    見た目と本質の違いに思いを馳せる想像力も大切ですよね。「リアルでアイロニってしまう」というのは知的だなぁと思います!

  • 過誤記憶への応援コメント

    「悪」という一言でも捉え方や意味合いは人や状況によって全く変わってしまうものなのですよねぇ。
    極端な例えになってしまいますが、人を傷つけてしまうのも、夕飯をつまみ食いしてしまうのも、たった一言で言ってしまえば「悪」になるわけですから。
    一つの言葉にしてしまうと輪郭がぼんやりしてしまう。
    それを利用してそれこそ「悪い」ことを行う、あるいは扇動する人間もいる恐ろしさをふと考えてしまいました。
    せめて自分は、自身の良心と倫理に従い生きていけるようにと心がける次第です。

    作者からの返信

    人権と人権がぶつかり合うときの調整理念に〈他者加害原理〉というものがあります。他者を傷つける権利は認めない、というやつです。人を傷つけないようにしたい、というのがキツネなりの倫理ですが、今度は「傷つけないとは何か」が問題となってきたり。過誤記憶に関するエピソードをみると、加害性の背景を慮るのも大切ですし、こうした負のサイクルに加担しないためには何が必要なのかを内省する必要もありますよね。そういう意味では本当に、とはさんがおっしゃる通り、自分の良心と倫理を守るように、自分自身に問いかけ続けたいなぁと思います。
    〈悪〉という一言で問題をクリアにしようと試みるのは、難しいのかもしれませんね。

  • 存在と時間の美学への応援コメント

    ううう後半涙が出てきちゃいました…鼻水も…
    時間の概念はかなり興味があって自分なりに色々調べているのですが、きつねさんの考察を読んで、すごくしっくりきたというか。
    確かにこれまでの歴史の中で、何気ない出来事や作品たち、もちろん大きな歴史上の出来事も今にすべて絡みに絡みまくって、出来上がっているんだなと思っています(だから歴史が好きというのもここから来てるかもと)
    自分自身は仕事でも作品を生み出していて、こちらの世界でも執筆ということをしているのですが、もちろん全てが万全に行くことばかりではないですが、このような時間の概念の中でこの先を何らか形で少しでも構築していくんだなと思うとすっごい心が安らぎますね、そして鼻水が止まりませんね……👼

    作者からの返信

    きらきらと陽光に燦めく鼻水。

    何かをつくり、つくり続ける中では、うまくいかないことも多いですよね。すべてがうまくいった傑作でさえ断片しか残らないこともあるというのが歴史です。(アリストテレスなんか、主著はすべて散逸し、現代に残されているのは講義ノートだけですからね……)

    にもかかわらず、朽ちていったすべてのものを礎にして築かれているのがわたしたちの社会であり、それに乗っかっていまをひたむきに生きるのがわたしたちです。同じことがこれから先も起こる。すべての不確実を受け取り、すべての不確実を受け渡す、そんな営為とともにありたいと、キツネも考えております。

  • 文学のジャンルへの応援コメント

    ライトノベルは特に現実では経験できないことや、スカッと!や可愛い女の子やイケメンに溺愛される!とかそういう理想が詰め込まれているなーとはすっごく思います。個人的にですが…
    それが推しになれば、楽しいでしょうしね~
    だからこそ楽しい現実を感じていたいという思いから、難解なことやシリアスすぎることなどがあまりウケない傾向にあるように見えるのはそのせいなのかなーとか。(主観的にですが)
    本屋に行けばほんとーに異世界もので溢れてますし、恋愛ものは溺愛系や甘々が多いですし、読者に求められているものはやはりそこなんだろうなーとか。
    ライトノベルも少しずつ流行りが変わっていくように、今後もまた少しずつどこかへ変わっていく…のか?もしれませんね😅

    作者からの返信

    ライトノベルの作家は意外と職人気質なんですよね。ニーズにきっちり応えていく。純文学の作家が「おれの芸術を描く!」と全裸で走り出していくのを横目に、きちんとマーケットを調査して、道具を揃え、市場競争に身を乗り出す。そうして誰かの推しが生まれるんですね。全裸にバズーカを抱えて戦場に赴くキツネとは少し毛色の違う世界だな、と思い始めている近頃です。ちなみに凛々さんは羽毛布団にくるまってお酒を飲みながら台風と踊っているイメージ。

    書店のラノベ棚は今や蠱毒。そこで生き残った作品がアニメ化され、アニメで成功した作家がいっぱしのプロであると認められる。逆にいうと、書店の棚にたくさん置いてあるからといって求められているとは限りません。真に求められている作品が、もしかしたらまだ書店に一冊も置かれていないかもしれない、などと考えてみるのもオツなことです。凛々作品、カモン!

  • 読み方あれこれへの応援コメント

    おおーー面白い考察ですね‼️
    2度ぐらい読んですごく私はあああって考えたのですが、どれも微妙に当てはまってこれだ‼️というものがなかったです😅
    けれど自分的に物語も書いてもいるので最後の創作タイプがいいです、先生!!w
    ただ私いつも、自分が触れた物語は人にすっごい語りたくなっちゃうんですよね…それが面白かったらもうずっとたぶん語ってると思います(笑)人様に共有したい!!ってすごく思っちゃいます。
    なので本の感想、映画もですがアマゾンレビューとかヤフー映画とかにめっちゃ書いたりするの大好きで。
    読めええ面白いから読めえええ!!!そして語り合おうぜ!みたいな。
    批評したいわけではないのですが、色んな作品に触れていると自分の好みではないかもとか思っちゃうこともありますが、どこか自分の好きなところとか気に入るところを探したりとかしちゃってますね。なんかめちゃ長くなってしまった…スミマセン😅新たな読書方法ありがとうございます~😆

    作者からの返信

    ちょっとずつ当てはまるのも万能で良いですよねっ。
    凛々さん、創作のことを専門的に研究されたわけではないらしいのにプロットが巧みだから、おそらくこれまで触れてきた作品の中で具体的に「ここが好き!」というものがたくさん積み重なって、蓄えになっているんだと思います。そうしたところは間違いなく創作タイプです。

    批評は自分自身の感覚、所感からいかに離れて論じることができるのかを問われる気がします。自分にとって無価値でも、社会にとって、歴史にとって価値があることを論証する力。もちろん批評家の中にはそれができない人も、する気がない人も少なくありませんが、敢えて作品を〈書く〉のでもなく〈読む〉のでもなく〈論じる〉っていうのは、そういうことなんじゃないかなぁ。あっ、アマゾンレビューは個人の感想を伝えあう場だと思います。

    自分のお気に入りポイントを前向きに探してくれる凛々さんは、作家にとっては女神のような読者様ですね! キツネは凛々教に入信しました。

    編集済
  • >ヘイトスピーチや誹謗中傷が否定されるべきなのは、それが他者の存在を否定しており、唯一性の原理に反するからだ。

    なるほどー。
    だから、わたしはヘイトスピーチを聴くと嫌な気分になったんですね。深く納得しました。

    作者からの返信

    同感です。他者の存在そのものを排除しようとする言論は対話自体を否定してしまうので、近代社会の存立基盤を脅かすものだと思います。色んな立場があるので、お互いに好き嫌いが生じるのは仕方ないかもしれませんが、わたしたちが人間である以上は話し合いを大切にしたいですよね。

  • 約束の法への応援コメント

    >最も大切なものこそ、論証することができない。それは、論証するのではなく、約束するものなんだ。

    なるほど~納得しました。
    大前提となる規範はだれが(なにが)保証してくれるんだろう……とずっと不思議に思っていました。そういう考え方があるんですね。

    ただ、約束は破られたり、忘れられたりするので、そうならないようにしないといけないですね~。

    作者からの返信

    倫理学ではたまに、安心と信頼を次のように区別することがあります。

    安心とは、相手のせいで自分がひどい目にあう可能性を意識しないこと。
    信頼とは、相手のせいで自分がひどい目にあう可能性を自覚したうえでひどい目にあわない方に賭ける、ということ。

    藤光さんのおっしゃる通り、約束が常に不確実であるという事実に思いを致すならば、約束は、究極的には信頼の上にしか成り立たないのかもしれませんね。人権が世界のあちらこちらで蔑ろにされてしまう所以です。キツネは約束を破らないように気をつけたいものです。

    コメントありがとうございました〜☆彡

  • 読み方あれこれへの応援コメント

    自分は印象タイプと創作タイプかな……というところかなと思っています

    読み方のタイプ分けって面白いですね

    作者からの返信

    この分類は便宜的ですが、自分の読み方を意識してみるのは大切なことですよね。

  • 作者の生への応援コメント

    作者の生で書かれていらっしゃった戯曲作家さんが羨ましい…。
    いつも話も心も人生も迷走している自分は、こうやって話や構成をきちんと並べ直して考える道筋を作ってもらえたらもう少し読みやすかったり面白いお話を書けるようになるのだろうか。
    と思うと同時にきっとそれすら伝えられることなく「あの……、何が分からないのか分かりません」と学生が家庭教師に言っていそうなセリフしか出せない自分が思い浮かびました。
    作品の中に作者の生を。
    生を息づかせることで自分も作品も成長して行けたら。
    そんな事を思いながら、これからも作品を創っていけたらと考えさせられました。

    作者からの返信

    まるっと分かっている事柄を書こうとするより、何が分からないのかさえ分からないものを書こうと努力する方が面白いと思います。人類が未知のものへ体当たりするための手段のひとつが、小説なんじゃないかなぁ、だからこそ、そこには闇中摸索の作者の生が刻み込まれるんじゃないかなぁ、と思うキツネです。
    作品を書く中で成長していく作者。それを見守ることも読者の特権ですね。読者のひとりとして楽しみにしております!

  • シシュフォスの幸福への応援コメント

    私は、時の概念に螺旋を結びつけたくなるのですけど(もしくは、始まりと終わりを繰り返す砂時計)、この螺旋の概念はクリスタニアシリーズに影響を受けたものだったりします。
    今日のお話を読んで、螺旋の時という概念の基底には東洋的時間論があるのかな、とか思いました。日本人ですし、馴染みがあるから魅力を感じるのかもしれません……^ ^

    作者からの返信

    閉じた円環も好いし、上昇していく螺旋も好い。砂時計のイメージ、素敵です。さらさらと渇いた流れが時間の手触りを連想させますね。
    あまり意識していなくても影響を受けているのが文化の文化たる所以。気づいたときにはちょっと愛着が湧きますよね。

  • 芸術は自らの先駆者を作るへの応援コメント

    自分と他人を認識した時点で孤独がある事に気付くのかなぁ。
    人と接するのがとても苦手なので(治したいけど治せない)、一人が当たり前ということが自分は多かったのですが、それでも孤独とは思わずにあくまで「一人」という認識でいる事が多かったです。
    冷静に考えたらめっちゃ寂しい子やん、私。
    でもだいなしキツネ様の『孤独を感じることもない』という言葉がするんと自分の中に落ちたのがとても印象に残ったので、お伝えせずにはいられませんでした。
    なお、当時の私のその状況に関し両親は「えー、別に死ななきゃいいんじゃない?」という緩い考えでいてくれたことは感謝すべき、…かなぁ。
    「孤独」も「一人」もほぼ同じ意味合いでありながらも、見る角度によって変わってしまう不思議さを感じながら読ませて頂きました。
    できればいい角度の見方で人生、生きてみたいものです。

    作者からの返信

    素敵な親御さまですね!
    自立と孤立も違いますよね。自分と他者との関係性を意識して、それを自己評価するときに初めて、〈一人〉なのか〈孤独〉なのかが問題化されるのではないかと思います。集団の中にあって「自分はただ一人なのだ」と自己承認できるのは大切なことです。自らのあり方を選び取った結果であれば、一人も良いですよね。
    作家というのは〈一人〉を突き詰めていった先に生まれ出るものではないでしょうか。この世界にただ一人の存在が、作品という形で自己の世界観を発表し、世界と、他者と交流していく。そしてその交流が歴史の織物となって、また新たな誰か〈一人〉のもとへと届き、その誰かの視界が新たな一人を見出していく。その一人によって、世界全体が基礎づけられるのです。
    とはさんの〈いい角度〉が、まだ見ぬ遠い誰かを勇気づけることになりますよ!

  • 存在と時間の美学への応援コメント

    哲学的な思考は全然わかっていないのですが、創作は、時間の感覚?概念?なくしてはできないなぁと思います。
    宇宙ははてしなく広がる薄織物のイメージですけど、私の中では時間もそんなイメージかもしれません。理解できない概念ですけど、ロマンが溢れてますよね。

    作者からの返信

    存在しないかもしれない〈時間〉が、存在を基礎づけている、というのが哲学的思考の面白さだと思います。それがもし虚構なのだとしたら、虚構を扱う文学こそが真実にアクセスする手段なのかもしれません。そこにはやはりロマンを感じてしまいます。
    多元宇宙論とかブロック宇宙論とか、宇宙のイメージも様々のようですが、薄織物としての宇宙、そして時間というのは、人間が世界に抱くイメージとしては実に儚く、美しいものですね。織物を織るのは誰で、羽織るのは誰か、とか考え出すと、ほんとにロマン。

  • バベルの話への応援コメント

    バベルの塔。
    確か学校で習ったはずなんだけど(カトリックの学校でした)なぜだか私の中ではいまだに放蕩息子が一番印象に残っているなぁ…。
    地上から空へではないのですが、地下世界から地上へ上るというブレスオブファイヤ5というゲームをぶわっと思い出しました。
    難易度とEDにめっちゃ泣きながらプレイした記憶も蘇りました…。

    作者からの返信

    放蕩息子の話はキリスト教らしいモチーフですよね。直観的には理解しがたいお話なので、色々と考えさせられるというか。
    バベルの塔はもともとユダヤ教以前から世界的に分布していた洪水神話に由来するので、カトリック的にはそれほど重視しない場合もあるかもしれませんね。
    『ブレス オブ ファイア』は2と3しか遊んだことがありません! 5も面白そう。地下から地上に上るって、素敵。『天元突破グレンラガン』を思い出しましたが、あれはたった一話で地上に出てしまいましたね。笑
    地下世界は文学的にも興味深い形象です。いずれ取り上げたいな♪

  • 鏡の中の世界への応援コメント

    作家とその作品は別物で、区別すべき。
    とそんな声を聞いたことがありますが、私はどうしても作品を作者の鏡として見ようとしてしまいます。
    ただSNSの時代、作家(もしくはアーティスト)のプライベートなアレやコレやを知って幻滅したとき、「やはり作家と作品は区別すべきーっ!」と声高に主張したくなります。
    ほんと、どっちだろうと思ってしまいますー(・v・)

    作者からの返信

    作品は作者を映し出す鏡ですが、その姿は常に虚構のものです。著名になるほど作家本人も、本来の自分と虚構の作者像との乖離を実感するそうです。つまり、読者がみる〈作者〉もまた作品なのですね。

    キツネも過去の人物については「芸術家は変人であってもいい」と思いますが、生きている芸術家には最低限のモラルを求めてしまうというダブルスタンダードを抱えていないとは言い切れません。それでも、作品の〈受容〉は作品と読者との間で行われるものなので、作者は除外して考えてもよいとは思っています。問題は、作品の中に作者のモラルの欠如が刻印されている場合があるということですかね……。そこは読者自身のモラルが問われてくるのかもしれません。どの立場にいても無傷ではいられませんね。

  • アウラはどこにある?への応援コメント

    ベンヤミンですか!
    かなり昔ベンヤミンの論説を使ってマウンティングされてあんまり良い気分がしなかったので、馴染みが薄くなってましたが、ぜひ読んでみたいですね。
    そう言えばレオ・ペルッツはベンヤミンの書評で娯楽小説と書かれ、気に食わなかったというエピソードがあります!

    作者からの返信

    ベンヤミン自身は不遇をかこっていたので、許してやってください。笑
    ペルッツのエピソードはよくご存知ですね! 列車で読むのに最適なミステリ扱いしたんでしたっけ。ベンヤミンは早期にペルッツの才能を見抜いたうちの一人でしたが、言い方には気をつけないと作家さんが怒っちゃうという好例……。

    編集済
  • 生のデザインへの応援コメント

    生も死もそれぞれ様々なとらえ方があるのだなぁと読みながら考えておりました。
    死については自分の身近な存在がいなくなった時に『この人が死んだと同時に世界がテレビを消すみたいに終わってくれたらいいのになぁ』と周囲の人間に迷惑極まりない事を考えていたことをふっと思い出しました。
    もちろん今はそんな事もなく美味しくご飯を食べ、楽しく皆さんのお話を読んで生きております。
    このまま一回限定のとはの生を堪能していこうと思っております。
    その一回にだいなしキツネさんに会えたことを追加できたことにも感謝ですね~。
    (*´ω`*)

    作者からの返信

    身近にいる大切な存在って、自然に、世界全体と結びついていますよね。生命にとって直に与えられているのは〈現在〉しかありませんが、その現在は人格が経験してきた過去の記憶が持続したものです。だから、深い関わりがある大切な存在との記憶こそが、その人の世界を基礎づけているのだと思います。
    一方で、〈現在〉とは、常に、自分が将来どういう存在であり得るのかという気遣いとともにあります。いずれ必ず終わりがやってくるからこそ、人間は掛け替えのない固有の存在なのであって、この自分に与えられた固有性をどういうふうに世界に向かって投げ出していくのかということが、個々人に問われているわけです。
    その点、とはさんはコミカルで軽快な作品を書かれたり、複雑な綾と陰影に富む作品を書かれたりすることで、キツネのような、とは文学の読者の生をも彩り豊かなものにしてくれています。作者として、読者として、世界と関わり合いになれることは幸福ですよね。キツネもとはさんに感謝です♪

  • 鏡の中の世界への応援コメント

    鏡は物語のアイテムとしても秀逸ですよね。
    鏡の国の孫悟空の話、めちゃくちゃ面白そう! 概要聞いただけでテンション上がる……!

    私も少し前に自作の題材で、鏡に関する呪いや都市伝説をいろいろ調べました。
    鏡そのものが、良くも悪くも霊的な力を持つイメージのものですよね。

    鏡の反転。左右は入れ替わっても、上下は変わらない。
    天と地は誰にとっても不動だけど、左右はどの立場から物事を見るかによって簡単に入れ替わる……みたいなことを自作で書きました。
    物理学的な考えではちゃんと答えがあるんでしょうけど、ちょっと哲学っぽい?解釈も面白いなと思いました。

    作者からの返信

    キツネが子どもの頃には「紫の鏡」という都市伝説が流行っていました。二十歳になった直後に鏡を覗き込んでも、とぼけたキツネの顔が映りこんだだけでしたが……。笑

    鏡の反転と天地不動を結びつけるのは興味深いですね……!
    ヨーロッパのカーニバル文化では王と臣下、動物と人間などの地位関係が象徴的に転倒すると言われますが(バブコック『さかさまの世界』など)、それだって序列が逆転するだけで、存在の基盤である天地は不動なんだなぁ。

  • 鏡の中の世界への応援コメント

    鏡といえば、エンデ氏の「鏡の中の鏡」を思い出します。短編集なのに、最後は最初へ繋がっていくんですよね。読んだ当時は子供だったので、さっぱり理解できませんでしたけど……。
    私は鏡の向こう側に別の誰か、というシチュエーションが好きで(はてしない物語の影響と思われる)、ヒストリア初期版のプロローグはまさに鏡の世界でした。
    何か独特な不思議感があるんですよね、鏡というモチーフ。

    作者からの返信

    そうだった! エンデの短篇集がありましたね。あれすごい好きです。エンデはボルヘスの影響を受けているので、最初と最後が繋がる円環のモチーフもボルヘス風味があって最高です。久しぶりにエンデ巡りしようかなぁ。
    異世界との接点のひとつが鏡ですよね。鏡の中は閑かなのかな、そこにしかいない誰かと会えるのかな、などと想像力が高まってゆく……。

  • 鏡の中の世界への応援コメント

    たしか、反転せずにちゃんと正しく映る鏡があると、数年前に見たような。(リバーサルミラーというのですね←ぐぐった)
    ただ、覗き込むものが左右反転されていることに慣れすぎていて、正しく映ったものが正しいと判断できなくなることはありそう。
    鏡の国の孫悟空は知らなかったので、面白く読みました!

    作者からの返信

    リバーサルミラーって、合わせ鏡をうまく90度で組み合わせたやつですよね。入れ子の中に真実があるとか、現実は小説より奇なりっ!笑
    中国の古典小説は盲点になりがちですが、小噺や奇想が好きなら見逃せない世界です♪

  • 鏡の中の世界への応援コメント

    だいなしキツネさんのエッセイ、いつも楽しみなのですが今回は特に凄く好きなテーマでワクワクしました!
    鏡の国の孫悟空なんて物語もあるのですね!初めて知りました。

    私は鏡の国のアリスの方がアリスのシリーズの中で好きなのですが、仰る通り、あの去り際のなんとも言えない虚しさや哀愁が頓珍漢な世界の中にもう1つインパクトを残しているようで…
    今回も楽しく勉強になるお話をありがとうございました!!

    作者からの返信

    ふふふ、実はモロクっちさんの『Clamp, Clamp』とスキマさんの『ネヴァー・エネザー・エヴァーランドと刻ウサギ』を並べて読んでいる最中に、そうだ鏡の国の復習をしようと思い立ったのでした。『鏡の国のアリス』はチェスのゲームになぞらえた構成が緻密で印象深かったのですが、読み返すとやはり哀愁を強く感じますね。遊びの軽やかな世界が次第に遠ざかっていく……。

  • 死別はしんどくないへの応援コメント

    しんどいに弱い『しんどりすと(命名:とは)』の自分としては紹介文を読んでいるだけで「うわー、ほへぇー」と唸りながら読み進めさせていただきました。
    死別はしんどくないにはあぁなるほどなぁと納得しました。
    たしかに物語で出会うことの出来た彼らには、ページを戻せば再び出会うことが出来ますね。
    キャラクターとの出会い直し、この視点で自分も話を紡いでいくことが出来たら。
    この考えを取り込めたことにとても感謝したいです。
    またお邪魔をして学ばせて頂こうと思います。

    作者からの返信

    しんどりすと!
    『シンドラーのリスト』とか好きそう!

    ページを戻せばまた出会うことができる、というのは本読みならではの想像力ですね。ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』に同様の語りがあったのを思い出しました。さすが、とはさん、あのジーン・ウルフと同じ目線の持ち主とはっ!(すみません……)

    生も死も〈存在〉のひとつのカタチだと思います。どちらも必ずあるものですから、死の視角から描いてあげるのもキャラクターへの愛ではないかな、とも思います。

  • 小説= novel =新奇なものへの応援コメント

    フォレストノベルで書いてた頃、自分の書くものを小説、自分を作家と名乗るのがすごく嫌で、物語、物書き、と称していたことがありました。今はもう面倒臭いので、小説、作家、って使うんですけどね。
    なんかそんなことを思い出しました。言葉の定義より本質を見たい派なのですが、やっぱり周知されている言葉のイメージは強いんですよねぇ。
    今でも根本の願いは変わっておらず、私は小説でも作品でもなく、ただ物語を書きたいだけなのよね、とぼんやり再認識したのでした。

    作者からの返信

    キツネはこの世に存在するもの全て、花鳥風月あまねく作家であり得ると思うので、あまり呼称にはこだわりません。散文家と小説家が厳密に区別可能だとも思いませんし。ただ、〈芸術〉の機能については自覚的でありたいと思っていて、このエッセイで〈ステレオタイプからの逸脱〉と論じたのは、実際には芸術の機能に関するお話でした。
    物語の全てが芸術的である必要はないし、娯楽的である必要もないと思います。
    はとりさんが書く、祈りに満ちた物語を待つ読者もまた多いと思います。

  • 文学のジャンルへの応援コメント

    Web小説は、私が創作による交流を中断していた10年ほどの間に、流行り系は軽量化されすぎ、ゴーイングマイロード系は洗練されすぎて、未知の世界になっておりました^ ^
    黎明期の混沌とした時代が懐かしいなと思いますが、過去の流行は戻って来ないですもんねぇ。
    何だかんだで神話をベースにしたものは、どの時代にも普遍的な人気を獲得できる気がします。使い尽くされた感はありますが、一種のテンプレートでもありますもんね。

    作者からの返信

    軽量化も洗練もキツネにとっては読みやすい方向に変化してくれてありがたいです。黎明期のWEB小説は迷子になりがちだったので、カクヨムにきて随分楽しめています。でも、混沌とした時代の良さもあったのでしょうね。

    神話の普遍性は、人類が人類であるうちは変わらないのでしょう。少なくとも二〜三万年の長きに渡って共有されているようですから。ディテールは時代によって変わっていくのだと思います。噂のシンギュラリティが訪れて、AIが物語を書き始めたときにどうなるのかは楽しみです。それまで生きてるかなぁ。

  • 小説= novel =新奇なものへの応援コメント

    一次創作をする多くの人が、オリジナリティを如何に見せるかという問題にぶつかったことがあるんじゃないかなと思います。
    私も書いてみてから見直して、あの作品に似てるかもとヒヤッとしたことが何度か……

    だけど創作に限らず何の影響も受けずに生きることは無理なので、「自分はどんな展開/要素が好きか(例えば既存のあの作品みたいな)」をちゃんと把握した上で、上手く消化して自分らしい形に昇華できたらいいですよね。
    王道展開とか、好きな人多いですし。

    私も毎回ぼんやり手探りで初稿を書いてから死ぬほど改稿するんですが、よく別物に変化したりしています。ドストエフスキーに親近感。(※別にそんなたいしたもん書いてないですが笑笑)

    作者からの返信

    王道展開はディテールが重要になるので、物語と描写の細部に入り込んでの生成変化が必要とされますね。絶対に何かから影響を受けているからこそ、その影響源を特定した上で、対話、検討していきたいものです。
    陽澄さんは改稿派でしたよね。どんどん作品が変わっていくダイナミズムは作者しか体験できない冒険! 変えていく勇気や、変えたものの方を選びとる審美眼が問われるなぁと思います。

  • 小説= novel =新奇なものへの応援コメント

    今回もものすごくおもしろかったです!
    クンデラの『小説の技法』は以前買おうとしたのですが、Amazonの★ひとつレビューに怯んで保留としてしまっていました。〈散文家〉と〈小説家〉の区別についてはストンと腹落ちしますね。

    ちょうどバフチンを読みすすめているところなので、これまたスッキリと理解できました。もっとも、私は『悪霊』未読という大タワケなので、キャッチアップせねばと焦るわけですが(先日、兄とドストエフスキーの話をしたとき「『悪霊』を読んでいないなんて! スタヴローギン最高だぞ!」と大いに呆れられました……)。

    しかし「新奇性」タシカニですねえ。既知の観念に引っ張られながら、それでも逸脱に臨もうとグイグイやるのが楽しいと言えますが、実際問題なかなかむつかしい。ここのところの私のモチベーションは換骨奪胎の路線ですが、ただのパクリに堕さぬよう気をつけねばでございます……

    作者からの返信

    クンデラ『小説の技法』は、キツネもそんなにお薦めではないかな……。クンデラ大好きな人だけ読むといいと思います。

    『悪霊』はスタヴローギンに会うためだけに読んでもいいくらいです。キツネは江川卓訳で読みました!

    何もないところからは何も生まれないので、既成の観念と向き合うことはとても大切ですよね。換骨奪胎は確かな戦略。

  • バベルの話への応援コメント

    おお!長編の構想が!!すんごい奥深いファンタジーになりそうですね😆
    きつねさん物知り過ぎてすごい……!!今までかなりな読書や勉強されてきたんだろうなー!!😆😆すごく本がお好きなんだなーって伝わってきます✨
    本好きの方ってカクヨムやTwitterではたくさんお見かけしますが、実際自分のリアルではあまりいない印象なので嬉しくなります✨レアなキツネさん😏✨

    作者からの返信

    読書家ってリアルではどこに生息しているんでしょうね??
    ネットや文学フリマではたくさん出会えますが!笑

    キツネも凛々さんみたいに長編小説が書きたくて精進しています。戯曲と小説では全然違いますね!
    応援ありがとうございます♪

  • 死別はしんどくないへの応援コメント

    私悲恋とか、死別の恋人とかすんごい好きなのですが、そういう視点で見たことなかったので、なるほどなーと思いました✨ありがとうございます✨

    湊かなえさんの小説は結構好きで数冊読んだのですが、イヤミスと思ったことがあまりなくて、むしろハッピーじゃん?みたいな🐤全体的に人間のどす黒い部分がたくさん出てくるからそう言われてるのかな?w 告白、少女、高校入試、花の鎖、夜行観覧車、どれもラストはすごく良かったです~
    しんどい系、最近読んだ同志少女~は、戦争の悲惨さを描いていましたがラストはそんなにしんどくないですもんね、ハッピー?かもですね……
    戦争映画も好きでよく見ますが、うーむ、しんどい……ブラックホークダウンとかブラッドダイヤモンドとか史実を元にした映画はフィクションよりもかなりしんどさを感じるかもですね……
    しんどさをどこで感じるか、皆さんのコメント読んでいても人それぞれなんだな~と思いました。
    なんかまとまりのないコメントでスミマセン😂ただの感想文になってる……😂😂

    作者からの返信

    『告白』を読んでイヤらしさを感じなかったのは、さすが凛々さん、独自の感性! 『少女』には妙な爽快感を覚えてしまったこと、キツネも否めませんが……。笑
    湊かなえさんはプロットが巧みなので、単に人間の嫌な側面を炙り出しているというのとも違いますよね。ミステリならではの浄化作用が働いているかもしれません。

    映画『ブラックホーク・ダウン』や『パール・ハーバー』には、キツネは抵抗感がありました。戦争とヒロイズムを重ねて欲しくない。しんどさとはまた違いますね。

    凛々さんのタフさが垣間見えたコメントでした。ありがとうございます♪

  • モノとマナとモナドへの応援コメント

    言葉には発したものに力が宿り言霊となる。
    なんて聞いた事がありますが、音においてのつながりで言えば「ことば」の「こと」にも今回のお話でおっしゃっていた「こと」は時間的に生起・消滅する現象に繋がるものなんかがあったりするのかなぁ、などと無知甚だしい事を思ってしまいました。
    (浅学すぎて不快な思いをさせてしまっていたらすみません💦)
    また学びに伺わせて頂きます!

    作者からの返信

    ご指摘の通り、事と言は語源が一緒です。言の葉は事の端、出来事の一部を構成するものとして重んじられていたようです。古事記には「ことのかたり」という表現があるので、「もののかたり」とはまた区別されていたのかもしれませんね。私たちが「ことば」を「事端」ではなく「言葉」と表現するようになったのは、『古今和歌集』紀貫之「仮名序」の影響だと思います。

    やまとうたは ひとのこころをたねとして よろづのことの葉とぞなりける

    かっこよー。
    言霊については江戸時代の学者が面白い分析をしていた例がありました。『だいなしキツネの日常』「言霊」でも取り上げているので、よかったら見ていってください♪

  • 文学のジャンルへの応援コメント

    スローライフとかが流行ってるのはみんな現実に疲れてるのかもしれない、とは思ってましたが、そうですよね。やっぱり現実からの離脱ってことで、チート転生が流行りますよねぇ。せめて物語の中だけでも報われたいって思うのもわかります(><)

    作者からの返信

    私たちの現実から最も遠い幻想がスローライフなのだとしたら、こんなに怖ろしいことはないですよね。エンターテイメントの役割は社会生活における気晴らしですから、ある意味では現在の社会構造を温存する方向に働きます。みんな「スローライフは物語の中だけで楽しみたい」と考えているならさほど問題はないのですが、実際のところはどうなのでしょう。

    さかなさんはハッピーエンドを迎える物語を書かれますよね。「物語の中では報われて欲しい」というのは、祈りのようなものかもしれません。大切に描かれたハッピーエンドの物語は、娯楽として消費するのではなく、人生を通して共に歩んでいきたいものです。

  • 文学のジャンルへの応援コメント

    ものの本で、ケレーニーだったか誰だったかを介した神話についてのお話を読んで以来、ずっと悶々と、神話と小説の関わりについてちゃんと咀嚼したいものだなあ、と考えておりました。ゴンドワナ型神話群とかローラシア型神話群とか、とってもおもしろそう! 参考文献の『世界神話学入門』を読んでみようと思います(ありがたやありがたや!)

    作者からの返信

    『世界神話学入門』はお薦めです。神話学も数十年前とは様相が一変している!という興奮が味わえます。笑
    もともと不思議に思われていた各地の神話の共通性について、遺伝子研究の進展とともに「単に共通の祖先を持っているだけ」という明快な解答を与えるという……。
    神話と物語の関係といえば、ジョゼフ・キャンベルを参照することが多かったと思いますが、彼の議論はあまり客観的ではないので、世界神話学説のようにニュートラルな立場が現れたのは歓迎すべきところかと思います。直接的に小説との関係を解説するものではないですが、叙事詩との関係は論じてあるので、神話と文学との関係を考える材料にはなるはずです。


  • 編集済

    文学のジャンルへの応援コメント

    めっっっちゃくちゃわかりやすかったです先生…!!昨今のWEB小説の傾向をよく分析しておられる…!!
    異世界転生が流行っているのは現実世界からの離脱。そして報われることが条件という話を聞いてなるほどなぁと思いました😌昔からある勧善懲悪ものも、悪いやつをやっつけるテンプレ展開が好まれますもんね。作家による個性というスパイスで味付けをしつつ、王道の流れに持っていくのが重要なわけですね☺️
    ということは、この1〜3の要素が入っていれば異世界テンプレじゃなくても人気作品を書けるのかなと思ったのですが、それはまた違う話なんですかね?🤔
    テンプレも大事だけど、作家自身の個性を磨くのも大事なんですよねきっと✨

    作者からの返信

    抽象論としては、①〜③を満たせば、異世界テンプレじゃなくても人気作になり得ると思います。実際にライトノベルの主流は90年代から10年代にかけて〈ハイファンタジー〉→〈学園ファンタジー〉→〈MMORPG風ファンタジー〉と変遷してきましたが、概ね①〜③を満たしています。
    とはいえ、①の時点で流行のモチーフを離れると、そもそも読者が入ってこないというリスクはありますよね。上記に挙げた流行の変化は、要は①の入口におけるモチーフの変化だったというわけです。いまの流行のモチーフは〈異世界転生〉で、これがたくさんの読者を獲得しています。以前はハイファンタジー、学園ファンタジー、MMORPG風ファンタジーでした。異世界転生にも飽きがきてはいるのでしょうが、次のモチーフが何になるのかはまだ誰にも分かっていません。誰かが超絶ヒットを飛ばしたときに、がらりと切り替わるのでしょう。結月さんが超絶ヒットを飛ばしてもいいんですよっ?

  • 三千年紀の軽さへの応援コメント

    ライトなテイストはいいものですよね。わかりやすいのも大事!
    読みやすい文体でありつつ、背景描写や心理描写を上手くなりたいなと思う今日この頃です。
    ライトなテイスト好きですけど、重い話を読むのはとても好きです。
    今後、ライトノベルもどういうものが流行っていくんでしょうね^^*

    作者からの返信

    描写うまくなりたいですねー! ナカマだー!

    キツネも重い話が大好きです。軽さ、重さ、それぞれ追究されるべき課題だと思います。新しい〈重さ〉についても思い巡らせてみたいものです。ラノベの行く末が全く予想できないのと同様に、重さの行く末もわかりませんね。現実の帰趨が想像を超えてゆく以上は、原理的にそういうものなのでしょう。

  • キッチュへの応援コメント

    ウクライナを切っ掛けに大きな潮目に立たされている気がして、この先数十年は芸能、芸術に求めるものが変化する気がしますー(・v・)

    作者からの返信

    ヨーロッパの同調圧力の強さも可視化されましたね。排除の論理が正義と結びつくのも大変なことで。反体制の芸術が命がけ、という時代がまたやってくるのでしょうか…。

  • キッチュへの応援コメント

    キツネさんがキッス話を……!?
    と思ってびっくりしながらお邪魔したことをここに謝ります……

    作者からの返信

    チュキネさん!
    チュが好きね?で月音さんなのですね!?

  • キッチュへの応援コメント

    日本人って特に同調しやすい国民性があるように思いますが、SNSの普及で熱狂性も見えやすくなったのかな、とも思います。正義の行為と信じ込んで振るわれる暴力は、物理的だろうと言葉によるものだろうと、容易く人を破滅に追い込んでしまいますよね。
    自分の思想が何に根ざしているのか、根拠ない言葉や熱狂を鵜呑みにしていないか、常に自分を客観的に見れるようでありたいですね……。

    作者からの返信

    個々離散的な人々が群れ集って政治的意見を表明し社会を動かすようになるはずだという指摘が二十年くらい前に〈マルチチュード〉という言葉とともに流行ったのですが、良くも悪くもSNSを通じて現実化しましたね。日本には日本固有の同調性があるので、意識して向き合いたいところ。本当に危険なのは「根拠がある」と確信している状況だと思います。自分の中にもある確信をまず疑っていきたいですよね。

  • キッチュへの応援コメント

    ナボコフ先生、痛烈(痛快)!w
    昨今、正義病めいた騒動がSNSであらわになっていますね。痛ましいというか恥ずかしいというか……

    作者からの返信

    ナボコフ自身が描くのはたいてい狂人や変態ですよね(大いなる偏見)

    一方で、〈ポーシュロスチ〉にもディテールがあり、必死さがあり、それをどこか愛情をもって眺める文学を、ナボコフも高く評価していたような気がします。フロベールやチェーホフなど。ドストエフスキーは一見俗物かと思われる人物が物凄い襞を持っていたりしますよね。カラマーゾフのフョードルとか。俗物から目を逸らすのではなく、距離を取って観察することも大切なようです。

    正義に同調するのもしないのも悪、という袋小路にある社会なので(正義病!)、最低限、熱狂からは身を引き剥がしたいですね……。

  • 三千年紀の軽さへの応援コメント

    確かにラノベというと軽く見られがちですが、人にわかりやすい、平易な文体で読み手に自分の空想の世界を共感させるのは意外と難しいことかもしれませんね😌重いと軽いは上下関係ではなく、対等な関係にあるのかなと思いました✨

    作者からの返信

    シモーヌ・ヴェイユに『重力と恩寵』という雑記帳があるのですが、そこでは「魂の本性的な働きの一切は、重力の法則に支配されている」と指摘されています。重さに抗うことは魂の働きに叛逆することだというのですから、軽さとは並大抵のものではありません。読者の心と共振する物語は、重力とは異なる法則を提示してくれているのかもしれませんね。

  • 三千年紀の軽さへの応援コメント

    ライトなテイスト、いいですよね^ ^
    詩文に影響を受けているものの、重厚なものを書きたいわけでもないので、言葉選びはいつも悩みます。読み易さは大事、読んだあと心が軽くなるものを書きたいですね。(しかし背景をつい複雑に重くしてしまうのがはとりさん。ですが)
    ライトノベルも年々変化していってますし、ここからまた数年後にどんな風潮になっているのか、全く予想がつきませんね……。

    作者からの返信

    キツネもラノベには明るさを求めがちかもしれない。とはいえ単純さを求めているというわけではなくて、背景が複雑な方が救いが輝きますよね。

    そういえば、暗黒ライトノベルというものが流行った時代もありましたね。鬱展開の流行が、ミステリ界におけるイヤミスより先だったことを考えると、ラノベの変遷速度は途方もないですね。

    おそらく最先端の流行は若い作家と若い読者が探求してくれるので、キツネは見守るだけでいいんだ♪

  • 三千年紀の軽さへの応援コメント

    物語を読み楽しむことは『日常生活の重みから遊離しようとする』ことであると、実に、そう思います。
    そのようなお話を、紡ぐことが出来たらなあと、夢をみます。

    作者からの返信

    キツネも同じ意見です!
    実際やってみると難しいですよね〜。お互い楽しみながら頑張りましょうね。

    編集済
  • 三千年紀の軽さへの応援コメント

    今回もありがたすぎる内容でございました!
    ちょうど私なりに「軽さ」について悶々としていたところでして、参考書まで教えていただけてハッピーです(早速『アメリカ講義』Kindle版を仕入れてしまいましたw ホクホクw)

    それと、クンデラの『存在の耐えられない軽さ』!
    『笑いと忘却の書』しか読んでいないのですが、これまた積読で埃をかぶっておりますれば、いずれ、いや、近々……(遅読の悲しみ)

    作者からの返信

    カルヴィーノはいいですよ〜。最先端の文学理論にも自然科学にも精通しているので、議論にも奥行きと幅があります。作品は『見えない都市』が一番好きかな、とにかく格好良いです。笑
    クンデラは結構、癖がありますよね。『存在の耐えられない軽さ』は世評が異様に高いので少し肩透かしを食らった感じもありましたが、あそこで言及される〈キッチュ〉の概念は見逃せません。

  • 言霊への応援コメント

    勉強になるお話ばかりで自分の知識不足を痛感します。
    言霊、言葉の力や使い方についてはWEB作家の端くれとして気を付けていきたいですね。言葉が祝福にも呪いにもなり得るというのは日々のニュースでも実感するところです。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    まさに言葉の価値を痛感させる時代ですよね。戦争に至る言説などをみると、言葉の多様性を切り詰めて一元的な価値を共有しようとする社会ほど危険だと感じます。たぶん、そこに言霊はいないのですね。
    言葉を送り、受けとめるという関係を、できるだけ豊かに築きたいものです。

  • バベルの話への応援コメント

    こんにちは。緑川蓮と申します。

    バベルの内部に複数の別種な社会を構築して、冒険小説的な構想を企てているのが目から鱗で……。他にも言語の分断は、民族性を始めとした人類文化の多様性の起点だという着眼点も、すっごいなあ……と思いつつ、今からワクワクしております。
    絶対に読みます。楽しみです。

    作者からの返信

    緑川さんにそのように言っていただけて大変光栄です!
    言語と文化の関係性や、人間の意識が生まれた過程など、文化人類学や言語学などを参考にしています。
    まだまだ構想段階ですが、いずれ必ず執筆いたしますので、そのときはどうぞよろしくお願いいたします。

  • 言霊への応援コメント

    日本語って婉曲的な言い回しが多いですが、日本語ならではの特徴なのでしょうかね。言葉の裏に情念や隠された意図を読みたがるのは昔から。今も考察が流行ったり、純文学的なレトリックが拡張高く思えるのも、根っこにこういう文化があるからかなぁ、と思いました。
    詩歌にはとりわけ強く滲みますよね^ ^

    作者からの返信

    婉曲表現自体はヨーロッパでも高度に発達した時代がありました。美術でいうところのルネサンスからバロックにかけての時代に、マニエリスムというのがあり、絵画でも言語でも婉曲、屈折した表現がたくさん生まれたのでした。けれど、曖昧なものを曖昧なままに伝わったことにするのは日本文化の特徴かも。欧米だと『曖昧の七つの型』とかいって、曖昧さそれ自体も論理分析し始めるので。ただ、富士谷御杖は欧米っぽい厳格さの持ち主だったかもしれません。言霊を構造分析した人は後にも先にもこの人だけでは……。

    そうか、考察が流行るのも根っこは同じことかもしれませんね……!
    詩歌の情念の深さは、正直、御杖による分析でさえ追い切れていないと思います。言語で表現しながらも表現しきれないものが、それでもなおふわっと伝わってくるところに、言霊を感じますね。

  • 言霊への応援コメント

    口に出すと本当になるから、滅多なことを言わない方がいい…なんて言われますが、言葉にはたしかに力がありますよね。力がなければこんなに人間がんばれなかったと思うので、感謝しかありませんが……。物語もなかったでしょうし!カッコいい詠唱も紡げなかったでしょうし!笑 

    言葉の単純な表と裏だけでなく、境があるというお話になんだかびりっときました。勉強になる……!

    作者からの返信

    日本では物語よりも歌の方が起源が旧いので、なんなら格好良い詠唱の方が先にあったのかと考えると、言霊は中二のご先祖……?

    〈境〉は富士谷御杖の慧眼ですね! 表があって、裏があって、境がある。これらは同時的に存在するのでしょうが、解釈上はぐるぐると螺旋状に発展して理解されるものなので、ある意味では人間の認識の成長を促す視点でもあります。下手な二項対立(勧善懲悪的な善悪二元論とか)に落ち着かないで済むというのは大変参考になる……!

  • 天の生命への応援コメント

    えへへ、壮大で正体がはっきりとはわからないお話、大好きです(((o(*゚▽゚*)o)))人間の寿命で考えきれない事柄に包まれていると自分の小ささと世界のつながりが見えるようで心地よいというか。地球のまったく違う地点に
    住んでいるのにそれぞれ信じるものが違ったりいつの間にか融合してたり、天も忙しいですね。

    作者からの返信

    自分を超えるものへと思いを馳せることが神話や宗教の起源なのかなと思いますが、こうした人間の想像力に付き合ってくれる天さんはお優しい方かもしれません。人格があるかどうかも人間の想像力に委ねて自由自在のようです。笑

  • パラドクシア・エピデミカへの応援コメント

    キツネさんがうちの作品にパラドクスファンタジーと名付けてくださっているのを思い出しました。パラドクス=矛盾?くらいの簡単なイメージしかなかったのですが、なるほど……なるほど、わからんww いや、わからないからこそのパラドクス…?

    冒頭の二人の王も「なにやってんだこの人たち」と思ってしまうくらいファンキーな話で好きですが。パラドクスの迷宮でああでもないこうでもないと想像をあそばせるのは、思わぬ作品的アイデアを生み出しそうで面白いかもですね。

    作者からの返信

    パラドクスの肝は《相反するものの合一》ですね。ぶんさんの作品はパラドクスの魅力に溢れていると思います。キツネ的には最大限の褒め言葉です!
    キツネは創作する際にまずは作品の核となるパラドクスを見つけます。パラドクスの迷宮は物語の宝物庫なんや〜☆

  • 言霊への応援コメント

    だいなしキツネさま、枯渇した私の頭にふんだんな知識をくださり有難うございます。
    「言霊」と言うものを軽んじてはいけないと、幼い頃より娘に言い聞かせてきました。
    そんな言霊について、目から鱗な事実が数多く記されていました。
    これからもじっくり味わわせていただきますね!
    いつも素敵な学びを有難うございます(*^^*)

    作者からの返信

    わぁ、素敵なお母様! キツネも我が子に言葉の大切さを伝えたいと思います。子どもの方からはこちらに向かって言霊がびゅんびゅん飛んできますが。笑
    こちらも少しずつ更新しますので、いつでもお時間のあるときにお越しいただければ幸いです。キツネは飛び跳ねて歓迎いたします。

  • 言霊への応援コメント

    わー、この辺りもすごく興味があります。
    小説を書く際に使う言葉は、その語の持つ含意なども鑑みて選んでいる方も多いんじゃないかなと思います。
    でも根本的に、修辞に用いる語のニュアンスやイメージって、書き手と読み手の間に共通認識がないと通用しないんですよね。たぶん、その共通認識を暗に示すようなものが言霊なんでしょうね。

    作者からの返信

    書き手と読み手の共通認識を、構造主義言語学では〈コンテクスト〉と読んだりします。コンテクストは原理的には可視化し得ないので、そのフワッとしたものを御杖は言霊だと指摘したのかもしれませんね。実際のところ、コンテクストなんてものが何で存在し得るのか説明のしようもありません。近代的な用語を纏いながらもある種の信念に支えられているわけで、まさに言霊なのでしょう。人と人とが意思疎通できているということは、わたしたちの間には今もまさに言霊が行き交っているのかもしれません。
    御杖の倒語説は修辞学的なので、作家さんの日頃の取り組みとは親和的ですよね。直接言い当てるよりも、逸らして言うことの中に魂が宿る……。読む側にも高度な取り組みが求められることは御杖の歌解釈の深さを見るだけでも明らか。キツネもレビュアーの端くれとして言霊をガチッと鷲掴みしたいと思いますっ。

  • 言霊への応援コメント

    〈表〉と〈裏〉と〈境〉がカッコイイですっ。
    最近は2022年に住んでいるつもりだったんですが、おそロシアの言霊を聞いていると、70年前から世界は変わってなかったんやと思い知らされ、言葉が実世界を置きっぱなしにして70年先走っていたのか、おそロシアの言葉が世界を70年巻き戻したのか、どっちなんだろうと曖昧な気持ちになっておりますー(・v・)

    作者からの返信

    かっこいいですよね! 記号論を二項関係でなく三項関係で捉える思想家も19世紀から20世紀にかけて登場していたのですが(アメリカのパースとか)、御杖殿はその先駆けだと思います。

    ここ20年ほどで帝国主義の巻き返しが起こっていると指摘されていました。今年はそれが事件となって表面化しましたね。ロシア文学はキツネにとってとても大切な存在なので複雑な気持ちです。国家が社会を包摂してしまう現象を全体主義と言いますが、社会と文化を一体のものと捉えるのも狭窄的な見方かもしれません。言葉は政治から遊離して、自在に人の間の交流を繋げて欲しいですよね。それも言霊の働きではないかと思います。

    それにしても、言葉だけが70年先を突っ走っていたという指摘にはぞっとしました。そうであって欲しくはないですが、なるほど、人権保障を叫びながら一向に実現されない実態などをみるに、その可能性も……。

  • 言霊への応援コメント

    言霊……、高校生の時に友人たちの間で流行っていましたね。
    たぶん陰陽師ものにみんなハマっていたんだと思います(笑)
    キツネさんが言霊について噛み砕いて説明してくれたから、とてもわかりやすかったですー!

    >「直接的な言及には言霊はない」
    これはなるほどーってなりました。
    たしかによくよく考えてみるとそうですよね。

    作者からの返信

    なんか高校生ぐらいの頃にすごく気になりますよね、言霊。じつはキツネも高校生の頃にハマりました。

    レトリックがただのトリックではなくて、言霊の住み処なのだということ。作家さんが多大な労を払って表現に工夫を凝らすことの意義が認められますよね。

  • 天の生命への応援コメント

    天性とか天明ってそういうことだったのですね。納得。
    宗教と文化って、やっぱり密接な関わりがありますよねぇ。

    作者からの返信

    ありますね! 世界観の形成の土台になっているので要注目です。自文化以外の視点を知るのも面白いですよね。

    編集済
  • 天の生命への応援コメント

    中国語をかじった時に、中国には神概念ないのかなぁと尋ねたら、一応は「天」という概念がそういう感じだと教えられて、十二国記を思い出したのですが、なるほどそういう流れなのですね。
    日本の神様はなんか、非人格なものから名前と人格のあるものまで様々で、中国の感覚とも違うのでしょうけど……。
    宗教って文化の基盤なので、創作における神様概念も気になってしまうほうです^ ^

    作者からの返信

    十二国記は大陸の思想や風土をうまく取り込んでいますよね〜。
    日本は大陸からの影響だけでなく、東南アジアの影響も認められていますし、シベリア→北海道→東北と渡ってきた人々もいたでしょうから、雑多というか、世界中の精神史の受け皿といった雰囲気もありますよね。
    キツネもフィクションにおける宗教事情は気になります。神さまが創造神かどうかというだけでも、人と自然の関わり方が変わってしまいますから!

    編集済
  • ボランティアとファシズムへの応援コメント

    ボランティア…恩田陸さんの短編『悪い春』を思い出しました。

    作者からの返信

    知らない本だ! ご紹介ありがとうございます!

  • 天の生命への応援コメント

    荒れた時代に「それでもっ」て性善説を貫くって、孟子さんはとても強い意志の人だったんだなあと思いました(・v・)

    作者からの返信

    孟子の時代は孔子の頃よりも混乱を極めていたようで、孟子自身、色んな君主に遊説していたそうですが、あまりに理想論すぎるということで軽視されていたそうです。〈法〉による強権的な民衆支配を否定し、〈徳〉や〈礼〉に基づく政治を望んでいました。そのためには教育の普及が必要だとも論じており、「教育」という言葉の出典は『孟子』だとか。んん、偉大なりっ。

  • 天の生命への応援コメント

    確かに、自然界にも美しい規則性があったりしますもんね。ちょっと調べてみたら、フィボナッチ数列とかもそうらしいです。松ぼっくりのうろこの数とか、ひまわりの種もフィボナッチ数列になっているのが多いとか。
    ああいうのを見ると、確かにすべてのものに神の力が働いているような気がしてなりません☺️

    天性と天命、合わせて生命ですか✨😳生命と天は切っても切れないものなんですね〜

    作者からの返信

    ひまわりの種から銀河の形までフィボナッチ数列に従っていること、これが何故なのかは未だに解明されていないようですが、この〈わからない〉ものの美しさを説明するために〈天〉といった思想が生まれるのでしょうね。天は以前は大空を指していましたが、今では天体を指しますし、いずれは異次元や波動存在まで捕捉するのかもしれません。それでもおそらく〈わからない〉ものは残りつづけ、そこにキツネたちは〈天〉を見いだすのです。それがキツネたちの生命に脈打っていると思うと、ワクワクしますね。こんこん。

  • 今回もとっても面白かったです!
    モノローグは知ってましたが、ポリフォニックとは初めて聞き、勉強になりました。
    具体的な作品例を挙げてあって、さらになるほど!と分かりやすく。
    そして突然ドストエフスキーを読みたくなりました……。図書館、図書館に行かねば。

    表現の自由、昨今また話題になりつつありますが、他者を傷つけずに誰もが自由に発言、創作できて、それを反対や違う意見がありつつも認めて互いに冷静に見たり読めたりする時代になってほしいものです……。

    作者からの返信

    『カラマーゾフの兄弟』はドライブ感があっていいですよねぇ。登場人物の主張も相互に喰らい合う感じが楽しい。カラマーゾフ以外だと、望月哲男訳の『白痴』(河出文庫)は読んだことありますか? お薦めです♪

    表現の自由との向き合い方は慎重に検討する必要がありますよね。国家による規制が強くなってもいけませんから、やはり市民社会の内部で人権意識が高まることが望ましいのでしょうが……。アサーション・トレーニングとか気軽に受けられる社会になればいいのにな。

  • 生のデザインへの応援コメント

    こんにちは。
    読み進めるたび、文字通り宇宙のような知識量に溺れ幸せな気分です……。
    引き続き楽しんでおります。

    小さい時から「いつか死ぬのになぜ生きるのか」という問いが私の中にありました。
    きっと他の人も同じなのだろうけれど。

    だいなしキツネさんの文で、多角的で深い視点から語られる、生の意義。
    凄いな、と思いまして、同時に私だからこその答えも、まだ探し続けてみようかな、なんて感慨に浸りました。

    この辺きっと今後も読み返します。

    作者からの返信

    こんにちわ! ご丁寧にありがとうございます。少しでも緑川さんの思索のお役に立てたのであれば光栄です。
    死と生についての問いは深く、広く、答えは遠く、容易に手が届かないものかと思います。だからこそ、それぞれの視角からこの問いに接近し、それぞれの答えを見出すことが理想ではないかと思います。創作は、その答えを持ち寄って見せ合う場でもありますよね。
    緑川さんの作品には生が荒々しく脈動する様子が描かれています。そこからどういった意味を受け取れるのか、わたしは読者の一人として楽しみにしています。

  • 天の生命への応援コメント

    おぉ、これまた興味深いお話……!
    日本人に根付く「八百万の神」みたいな考え方はまさしくそうですよね。

    ちょうどこの前たまたま創作に使うのに『運命』という言葉の意味について考えていたんですが、仏教圏とキリスト教圏ではニュアンスがちょっと違うんじゃないかなという気がしていまして。
    今回のお話で、すごく腑に落ちました。

    >天性と天命。あわせて性命という。これが転じて生命という言葉が生まれた。
    これすごく面白いです。
    人間、できないことも多いですが、できることからやっていったら、どこかにいる神様が力を貸してくれるかもしれませんもんね。

    作者からの返信

    ありがとうございます♪
    日本の古い神話・宗教思想は大陸由来のものもあれば東南アジア由来のものもあるようで、辿っていくと懐が深いようです。天の思想はその重要な一部として、わたしたちの間に定着しましたね。

    運命について考察されていたんですね。わたしもキリスト教圏と仏教圏では運命の捉え方が異なると感じます。少しでもお役に立てたのであれば幸いです。
    ちなみにインドの原始仏教はまた全然違う世界観を持っていたようですが、今や仏教圏にインドは含まれませんね、廃れてしまった。笑

    いまわたしたちができること、その中にも神様が宿っていて、人と人とが真摯に向き合うときには神様同士も交流しているのかもしれません。そうして、支え、支えられながら、自分自身の生命と、これからの人々の生命に彩りを与えられたらなと思います。

    編集済
  • 生のデザインへの応援コメント

    生にも、死にも、何の色もつけられないでいるよ。生には三度出会ったけれど、死にはまだ立ち会ったことがないからかな。
    思春期には悩んだような気がするけれど、ただの甘えだったんじゃないかとも思うし。
    わたし達はこの生を愛しく感じるね。それはどこから来てるのかな。

    この身体はわたしという生態系で、たくさんの命が謳歌している苗床。例えばそれが宇宙なら、この宇宙には感情がある。そんな想像も楽しい。

    作者からの返信

    素敵な考え方ですね。思考や知覚、感情が情報の交換によって成り立っているのなら、それぞれのマクロな生態系で独自の感情が生じていてもおかしくはないですよね。ガイア仮説などもありますし。宇宙とか波動とかいった次元でも、感情的な交流はあるのかもしれません。逆に、わたしという生態系の内部にも、たくさんの感情が育まれているのかもしれませんね。何事も想像するのはタダ。

  • モノとマナとモナドへの応援コメント

    フォローしているアカウントに言語クラスタがいるんだけど、最近は古事記・日本書紀あたりの時代(大雑把💦)の言語がどのあたりから来たのかをつぶやいていて、それを思い出しました。
    わたし自身は無知ですが、m音に関しては共通するものがあっても不思議じゃないですね。

    作者からの返信

    やまとことばの起源も正確にはわかっていないのが実状ですが、言語学による分析はこの数十年でも随分と進化しているようですね。古い本ばかり読むので最新の知識に追いついてないところがあります。熊倉『日本語の深層』は母音の音の開き方(口の開き方)と語学上の意味分節を重ねて考える立場でした。m音は必然的に口を閉じるところから始まるので、その共通性が何らかの形で意味のまとまりを作っている可能性はある…のか…?(無知)

  • パラドクシア・エピデミカへの応援コメント

    パラドクスとオーソドックスかあ。
    今は目まぐるしく多くの情報が行き交うようになったせいか、変化が激しい時代ですよねぇ。
    流行りものはもちろん、王道が何かが私もわからない……。
    自分の好きなものをマイペースに書いていこうと思います〜^^*

    作者からの返信

    さかなさんは我が海を泳ぐ!
    王道とは舗装された最短距離をいうので気にする必要はなく。マイペースにあっちの海をふらり、こっちの海をふらりとするのが、パラドクスの精神にも繋がっているかもしれません。