これすごくわかります。だから、軸に据える人物が変われば世界の在り方も違って見えてくるんですよね。現実の人間が自分自身の物語を生きているように、物語のキャラもそれぞれの人生という物語を持っていて、それが交わることで歴史や冒険が生まれてゆくのかなーと^ ^
傍で見守る吟遊詩人みたいに、彼らの生き様を見守っていきたいですねぇ。
作者からの返信
作家は吟遊詩人!
出会いと約束が物語を生みだしますね。作家もまたキャラクターと出会い、約束を交わしているのかなと感じます。
ホメロス(吟遊詩人)が既にそうであったように、キャラクターや出来事を時系列順に平坦に語るのではなく、〈工夫して語る〉というのが作家の本領ですよね。キャラクターを見守りながら、どうやって描き出そうかと試行錯誤するのが楽しいです。キャラクターと物語に対して真摯でいたいですね。
ちょっとした遊びで、目を瞑ったまま手を引いてもらうと、3歩も歩かない内に怖くなって腰が引けちゃうんですけど、
引いてもらう手を信じてそのまま瞑って歩くと、ただの帰り道が、先の分からないエキサイティングな道に感じちゃう。
そんな子供の頃の遊びを思い出しました。
キャラクターって自分の中のキラキラなんだなと思い、
そう感じさせてくれた「第29話」様に、腰を90度曲げてお辞儀をしておりますーっ(・v・)
作者からの返信
あーっ、素敵なエピソードですね!!φ(.. )←勝手にメモ
キャラクターもまた〈他者〉であると捉える作家さんも少なくありませんよね(ドストエフスキーとかそういうイメージ)。キャラクターに手を引いてもらうことで、作者は物語世界を探索し、わくわくと新しい冒険に乗り出すのかもしれません。
今回もすごく納得するお話でした。
キャラクターを考える時って、そのキャラクター単体じゃ絶対にキャラ性が見えてこないんですよね。
作中の出来事や他のキャラクターとの会話があって、やっと中身が分かってくるというか。「世界を先取りしている」というのは、確かにそうだなと思います。
リアルに生きる私たちも、他者と関わることでやっと自分が分かる、ということもありますね。
作者からの返信
ひとの反応によって初めて自分がどのようなひとであるのかを知る、というのはよくありますよね。キャラクターを通して世界の声を聴き、世界の声を通してキャラクターの声を聴く、というのが作者の最初の役割かもしれません。世界は出来事の総体だとも言われますが、出来事とはキャラクターが出会うものであり、キャラクターが起こすものですものね。
編集済
これはかなり実感があるので百回くらい頷いてしまいました。長編を書いていると特におこりがちですが、中盤くらいで急に彼らの知らない一面が見えてきて、それまでどこか他人のようだったキャラクター達が我が子のように可愛くなります。
ストーリーとしてのプロットは大幅に変わることはあまりないのですが、キャラクターをどう見せるかの演出の部分はかなり変わってきますね。それこそ、場面のどの一部を切り取るかというところが。
この楽しさがあるので、ついつい長編を書きたくなるんですよね。書くのは大変なんですけど(笑)
作者からの返信
結月さんの長編って、序盤は精緻、中盤以降はダイナミックな印象があります。長編ならではのドライブ感だと思っていましたが、作者がキャラクターと近しくなった影響もあるのかもしれませんね。ストーリーとプロットを用語的に区別する場合、プロットは出来事の描き方を意味するのですが、結月さんはまさにプロットが変化していく様を楽しんでおられるようです。その楽しさは作家さんしか味わえませんね!