この回、Twitterで宣伝を見かけた時からとても楽しみにしておりました(*^▽^*)怖がりなのに不気味なものとか大好きなので笑
振り向いたらギャー!っていうわかりやすいホラーとは違って、「不気味なもの」のほうがダメージが深いという印象です。子供の頃怯えた都市伝説とかもそうなのでしょうか。自分にも関係ありそうなものほど怖いですよね……。
作者からの返信
不気味さにも色々な種類があるようで…。子どもの頃に感じた不気味さは、本当に想像力の賜物でしたね。ありもしないものを、「ありもしない」と言われているのに気にするという。世界には裏側があるという感覚が、子どもの頃には根強かった気がします。フロイトなら、太古のアニミズムが想像の中で再来していると説明するのでしょうが、大人になって改めて考えると、たまたま現実化しなかっただけで現にあり得た脅威を空想的な形で具現化していたのではないかとも思えますよね。実際、何か得体の知れないものに襲われる危険も、思わぬ事故に遭う確率も子どもの頃は大きかったでしょうから。そうだとすると、不気味なものというのは、現実を現実とは異なる形で予感するものなのかもしれませんね。
編集済
なるほど〜(毎回言ってますね)
ポーの「早すぎた埋葬」はめちゃくちゃ怖いですよね。不気味通り越して恐怖だった記憶があります。あと黒猫。あれも不気味でしたね…ホラーほど怖くはないですが、気味が悪いというか常識とかけ離れすぎてて脳が受け入れられないというか(笑)
「常識から外れたもの」を不気味と捉えるのは確かにそうですね。少し問題発言になってしまいますが、昔で言えばハンセン病患者の差別もそうですし、現代で言うイジメも、異端なものを排除しようという人間の本能的な忌避感から来ているような気が。
そこを前提として、「常識的な存在が異端なものに変わる瞬間」を不気味と捉えた考察が非常に面白いです。最初から異端なものが出現しているのではなく、先程まで正常だったものが一気に変貌するというそのギャップ。ここに芸術(創作)としての価値があるわけですね。
勉強になりますわぁ…_φ(・_・
作者からの返信
「黒猫」最高ですよね! ポー独自の天の邪鬼精神を描いたと言われますが、日本語にはし難い感覚がありますね。
ちょっと違いがあるだけで排除したがるセンサーが人間には備え付けられているようで、それを制御する必要があるようです。文学が問題提起のきっかけになれればいいですよね。
怖いと不気味に果てしない恐怖を覚えるヘタレ人間がここにおります。
『一見して不気味なものを不気味がるのではなく、漫然と当たり前だと思っているものが不気味になる』
こちらを読むだけで「ひぃぃぃ」となる自分は本当に怖いのダメ人間ですね…。
実家の天井をある日突然、苦手になったことがこちらの文章に思い当たり、心の奥で「あぁ、これかぁ」と何か納得出来たような気がします。
ありふれていたものが、ほんの少し前まで何も感じなかったものに違和感を覚え、気付いてしまう。
話を書く人にとって小さな気付きを積み重ねるって、大事な文章力を上げる要素であるとは思うのですが恐怖系は避けて通りたい。
そんなワガママを抱きつつ、今日もお話づくりに邁進していこうと思いますっ!
作者からの返信
とはさん。前から気になっていたんですが、その背中に貼り付いた蜘蛛の糸はなんですか?
蜘蛛はいないのに、蜘蛛の糸だけが背中にくっついているから、不思議だなぁって思ってたんです。
ところで、ついさっき。とはさんの背中から糸が垂れていたんですが、何ででしょうね。蜘蛛はいないから、新しく紡がれた糸ではないと思うのだけど……不思議ですね……。
ところで、わたしはなぜいまこんな文章を書いているのでしょう……。意図が読めなくて不気味ですね、糸だけに……。
でも運命の糸はいつでもぶちんと断ち切られるのでしょうね。とはさんの背中に貼り付いた蜘蛛の糸も、そうして運命を断ち切られた蜘蛛の名残なのかもしれませんね……。
いえ、全部うそですが……。
背後って、基本、自分には見えないものなので不気味ですよね。視角の外にあるものの不気味さは気づきやすいですが、実は視界の内側にあるものほど不気味でありえるとも思うキツネです。
ほら。とはさん。蜘蛛がいましたよ。とはさんの、眼球の中をいま、もぞもぞと動いています。
見えませんか……?