フォローしているアカウントに言語クラスタがいるんだけど、最近は古事記・日本書紀あたりの時代(大雑把💦)の言語がどのあたりから来たのかをつぶやいていて、それを思い出しました。
わたし自身は無知ですが、m音に関しては共通するものがあっても不思議じゃないですね。
作者からの返信
やまとことばの起源も正確にはわかっていないのが実状ですが、言語学による分析はこの数十年でも随分と進化しているようですね。古い本ばかり読むので最新の知識に追いついてないところがあります。熊倉『日本語の深層』は母音の音の開き方(口の開き方)と語学上の意味分節を重ねて考える立場でした。m音は必然的に口を閉じるところから始まるので、その共通性が何らかの形で意味のまとまりを作っている可能性はある…のか…?(無知)
日本語の漢字と仮名が混じった文法や、音に漢字を当てる文字の扱い方は独特で面白いなぁと思います。言語って文化ですもんね^ ^
特に東北以北の方言や地名がヘブライ語に似てるっていうのは聞いたことがありますけど、日本語に限らず言葉のルーツを辿っていくと、起源は一緒なのだろうなと。
共通の音イメージを抱いて各地に散った人々が、それぞれの言語と文化を発展させていったのだろうかと、古代に思いを馳せてしまったのでした。
作者からの返信
日本人が、日本固有の文字を「仮名」、中国伝来の文字を「真名」と呼んでおり、現在でも当たり前に平仮名、片仮名という〈仮の世界〉で生きていることに驚異の念を覚えます。やまとことばの言語学的な起源は今もって不明だそうですが、はとりさんのおっしゃる通り、どこかでは繋がっていると思わされますよね。
言葉には発したものに力が宿り言霊となる。
なんて聞いた事がありますが、音においてのつながりで言えば「ことば」の「こと」にも今回のお話でおっしゃっていた「こと」は時間的に生起・消滅する現象に繋がるものなんかがあったりするのかなぁ、などと無知甚だしい事を思ってしまいました。
(浅学すぎて不快な思いをさせてしまっていたらすみません💦)
また学びに伺わせて頂きます!
作者からの返信
ご指摘の通り、事と言は語源が一緒です。言の葉は事の端、出来事の一部を構成するものとして重んじられていたようです。古事記には「ことのかたり」という表現があるので、「もののかたり」とはまた区別されていたのかもしれませんね。私たちが「ことば」を「事端」ではなく「言葉」と表現するようになったのは、『古今和歌集』紀貫之「仮名序」の影響だと思います。
やまとうたは ひとのこころをたねとして よろづのことの葉とぞなりける
かっこよー。
言霊については江戸時代の学者が面白い分析をしていた例がありました。『だいなしキツネの日常』「言霊」でも取り上げているので、よかったら見ていってください♪