違法人肉都市食用クローン培養日記

木古おうみ

違法人肉都市食用クローン培養日記

 二月二十四日



 くそったれ。

 まだ肝臓用の分化用培地とウマの血清が届かねえ。

 これじゃあ、万一間に合わないこともあり得る。ふざけやがって。


 食用ダンサーの小羊シャオヤンは苛つく俺を心配した。

「きっと大丈夫。“謝肉祭”までには届くよ」

 真っ白な肌で小羊が笑う。


 この皮膚も先週、俺が培養して貼りつけたやつだ。

 表皮細胞と少数のメラノサイト、真皮線維芽細胞とコラーゲンスポンの複合型培養皮膚。


 俺はこんな場所まで逃げ込まなきゃいけなかっただけあって本物のクズだが、技術にだけは自信と誇りがある。

 だから、手前のしくじり以外のことで仕事が上手くいかないのは我慢ならない。


“謝肉祭”まであと五日。小羊を完璧な食材に仕立て上げるのが俺の仕事だ。



 二月二十五日



 小羊はステージの下見だ。今日は来ねえ。分化用培地もまだ届かねえ。業者を殺してやろうかと思う。


 破れた窓の外で、歯科医の赤いネオンとひしめく違法建築に張り巡らされた紐と洗濯物が揺れていた。

 ここら一体に空はない。

 四方からせり出したブロックと屋根が隙間なく天を埋め尽くして石棺のようだ。

 ベランダの錆びた手すりに身を預けて煙草を吸う。



 ここにいる人間は犯罪者か変態かその両方かだ。

 信じられないが、元々は最先端の医療都市になるはずだったらしい。

 クローンが初めて住民として移り住んだ街。主食は培養肉。日進月歩する義体や移植用臓器の開発。


 だが、クローンに人権を与え忘れてたのがまずかった。培養に失敗した人体の処理方法を決めてなかったのも。

 どこにでもいる変態って奴が、そいつらを食ってみたらどうなるか気にし出しちまった。



 秘密は街中に一気に蔓延し、ここなら人肉を食えると思って押し寄せる奴が山ほどいた。楽園が地獄に。今じゃ行政も手を出せない犯罪都市だ。


 恐ろしいことに技術革新はその後も進んだ。

 最たる例は食用クローン。

 つまり、小羊のような奴。余すところなく食べるために生まれた人間もどき。


 批判する気はない。そいつの整備で食い繋いでる俺が言えた義理じゃねえ。

 目の前を汚水と洗面器が掠めて奈落へ消えた。俺は上の階に煙草を投げる。罵声が返る。

 俺は身を乗り出し、母国語で怒鳴る。



 二月二十六日



「“謝肉祭”ってどんな感じ?」

 静脈に人工血液を注入されながら小羊が聞いた。

 人工血液は白いフルオロカーボンだと肌の色に響くからヘモグロビンを加工したものに限る。


「知らねえのか」

「見たことないんだ」

 俺は小羊の腕なら針を抜く。


「お前の身体には普通の二倍臓器が入ってる。届いてねえ肝臓以外な。血液も新鮮なものを入れて、明日にはミンチも詰める。“謝肉祭”当日は元ストリップ小屋のステージで、お前の腹を開いてその場で中身を調理して観客全員に食わすんだ。そういうショーだよ」


「じゃあ、美味しいと思ってもらえるように頑張らなきゃね」

 小羊は楽しげに笑った。

 脳の仕組みはどうなってるか知らないが食用クローンどもは食われることが幸福だと思ってる。

 気色の悪い話だが、それに義憤を燃やせるような人間じゃない。


 それより分化用培地とウマの血清だ。



 二月二十七日



 分化用培地とウマの血清が届いた。これで培養に取りかかれる。三日後のステージに何とか間に合うはずだ。売人と仲介役は待たせた日数分殴って話が済んだ。


「小羊、届いたぞ!」

「やったね」

 ベッド代わりの分娩台の上の小羊が身を起こす。

 銀のバットを取り出して、こびりついた血の跡を拭う俺の肩越しに小羊が覗き込んだ。


「それ、前に使ったやつ?」

「ああ、煮沸消毒してあるから平気だ」

 小羊は不思議そうに頷くとまた分娩台に寝転んだ。


 俺は小羊の腹を押して感触を確かめる。異常なし。

 縦一文字の開腹用の点線もちゃんと刺青を施した。これのあるなしで盛り上がりが変わるらしい。気色悪い。


 小羊が丸い目を俺に向けた。

「“謝肉祭”で食べられたらどうなるんだろう。死ぬのかな?」

 その言葉と横たわって見上げる顔の角度に俺は患者を思い出してギョッとした。


「死なねえよ」

 患者を励ます行為自体が懐かしい。最もこんな言い方はしてないが。

「昔は全身丸ごと食ったらしいが、今は食用クローンは貴重だ。わざわざ腹に培養肉と内臓のスペアを詰めんのは、中身を取り出して食っても死なねえようにだ。開腹後すぐ腹を閉じて治療になる。身体のあれこれが落ち着いたら、いつかまた“謝肉祭”でお前の番が来るのに備える。繰り返しだ」


「そっか」

 小羊が目を閉じて微笑んだ。

「ありがとう」

 患者に礼を言われるのは何年振りだろう。



 二月二十八日



 バット上にギチギチに増えた肉を培地へ移植し、筋管ができたのをかき集めて、挽き肉の山にする。

 もうひとつのバットで小さく脈打つ肝臓は健康的なてかりを見せていた。


 徹夜でやった甲斐があった。

 窓のヒビから刺すように入る赤いネオンと藍色の闇が眩しい。ここは昼より夜の方が明るい。



「何とか間に合った。後は腹に入れれば完成だ」

「よかった。これでみんなに食べてもらえるんだね」

 分娩台の上の小羊は嬉しいというよりほっとしたように頷いた。

「ありがとう、先生」


 俺はバットを落としかけた。

「先生って何だよ」

 小羊が首を傾げる。

「お医者さんだから先生じゃないの?」


 俺は首を振ってバットを置いた。

 一瞬、この掃き溜めから清潔な手術室に押し戻されたような気がした。


 妄想を振り切るために俺は窓を開ける。

 風にはガソリンと腐った果実の匂いが混ざり、配管剥き出しの壁に美顔屋と歯医者の看板がぶら下がっている。賭博場のゲーム機の電子音が絶えず響く。



 気を紛らわすため煙草に火をつけると、小羊の声がした。

「先生は何でここに来たの?」

「おきまりの医療ミスだ」

 俺は煙を吐いた。

「俺のせいでガキひとり死んじまった。もう戻れねえ」

 小羊は少し考えてから顔を上げる。


「でも、死なせただけじゃないでしょ? いっぱいいろんなひとも救ったんだ」

「わかんのかよ」

 みっちり詰まった培養肉のバットを取り上げて小羊が笑った。

「わかるよ。だって、今もこんなに良くしてくれてる」



 煙草が指から落ちて目下のバラックの屋根の上に消えた。

 俺は小羊の足首に触れる。親指と中指で丸々掴めるほど細い。


「小羊、手術やめにするか?」

 小羊は困ったように俺を見た。

「昨日、死ぬのかって聞いたろ。死ぬのが怖いのか。“謝肉祭”で食い荒らされなくても、ショーを続ければいつかは身体が使い物にならなくなる。食われたくないなら……」

 小羊が急に笑い声をあげた。


「違うよ、先生。食べられるのが嫌な訳ない」

 心底可笑しげな声に俺は眉をひそめる。

「死んだらもう食べてもらえないじゃないか!」


 小羊は笑い涙を拭って俺を見た。

「食用クローンなのに食べられたくないなんて、どうしてそう思ったの?」

 俺は言葉を失った。

 俺が貼った人工皮膚の完璧な感触を確かめるように足首に少し触れて手を離す。

「だよな」


 こいつは俺の患者じゃない。



 三月一日



 そこら中が騒がしい。


 ひしめく違法建築の間を縫うように配られたビラが宙を舞っている。

 内容は見なくてもわかる。“謝肉祭”当日だ。


 今頃、メリーゴーランドの台座みたいなステージに小羊が横たわっているんだろう。俺が貼った皮膚の俺が引いた点線をなぞって俺が入れた肉を見せつけるために。


 俺はベランダに出て煙草に火をつける。

 外の屋根と屋根の間にバイクが突き刺さっていて、ミラーを物干し竿代わりに赤い下着がかかっている。枯れた観葉植物が換気扇に葉先を切り刻まれていた。


 真ん中の字だけ消えたネオンに煙を吐く。


 毎日貯めたりこのログを提出して、自首しちまおうかと思う。

 ここでやったことも、ここに来る羽目になったことも全部。

 犯罪者と変態と、ひとに食われることが幸せだと思い込んでいる哀れなクローンだけの鈍色の街を出て。



 ベランダに干しておいた空になった銀のバットが倒れた。

 これを使うたびに毎回思うことだ。小羊だけじゃない。何体の食用クローンの内臓をこのバットに載せてきた。


 分化用培地とウマの血清。ふざけやがって。



 次の“謝肉祭”は三ヶ月後だ。

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