【KAC真夜中】真夜中のシンデレラ

結月 花

午前0時に解ける魔法

 私は足取りも軽く、とててっと塀の上を四つ足で駆けていく。まだ少し寒さを残す春の夜風が、ふわりと私の黒い毛並みを撫でた。

 私が向かった先は、路地裏にある一件のバーだった。黒猫の私はヒラリと塀の上から飛び降りてドアの前にちょこんと座る。周囲に誰もいないことを確認すると、私はドアに向かってミィと小さな声で鳴いた。

 暫くすると、扉の奥で誰かが動く音がした。足音は一定のリズムを刻みながら段々とこちらへ近付いてくる。足音が扉の前で止まった瞬間、私は身を翻してサッと近くの草むらに隠れた。

 出てきたのはバーの店主だった。暗めの茶色い髪をした、若い男の人だ。人の良さそうな優しい眼差しを見た途端、私の胸がピョンと大きく弾む。

 男の人はお皿を持っていた。その上には魚や小さく切ったりんごが置いてある。彼は屈んで皿を地面に置くと、ぐるりと当たりを見廻してそっと扉を閉めた。

 私はゆっくりと草むらの中から出てきてお皿の前に座った。見つかっても手荒なことはされないだろうけと、なんとなく姿を見せるのは恥ずかしい。だから、彼はこのご飯を食べている猫が私であることを知らない。

 食事を終えると、私は木の上にスルッと登ってその上からバーを見下ろした。窓の向こうに、カウンターでお客さんと話す彼の姿が見える。時折微笑みながらお酒を作る彼の姿はとても素敵だった。


 私は彼に恋をしていた。人間と猫なのに、と言われても、好きになってしまったのだら仕方がない。人間たちがやるように、キスをしたり逢瀬を重ねたりというようなことは望んでいないが、もう少し彼の側に近づいて、お話をしてみたいとは思っていた。


「黒猫よ、お前はあの男が好きなのか?」


 不意に声をかけられ、私は文字通り飛び上がった。慌てて振り向くと、木の下に女性が立っていた。黒い服に黒い手袋、そして真っ黒なつばびろのとんがり帽子。私が首を傾げていると、女の人はニヤリと笑った。


「使い魔にできる子を探していたのだが……ふむ、先約ありか。まぁ好いた者がおるのであれば仕方ない。子猫よ、降りてくるがいい」


 そう言うと、女の人はちょいちょいと手招きをする。不思議に思いながらも私が木の枝から飛び降りると、女の人は口元に手をあててふむと唸った。


「……ほう、なるほど。ふむふむ……子猫よ、お前の望みはわかった。私なら叶えてやれるが、お前はどうしたい?」


 どうやら彼女は私の思考を読んだようだった。急に問いかけられ、私は戸惑った。望みを叶えるとは、彼女は一体何者なのだろうか。だが、そんな疑問よりも、私は彼の側にいられるかもしれないという期待で胸がいっぱいだった。

 女の人の目を見て、気持ちを乗せながら「ミィ」と鳴くと、女の人は鷹揚に頷いた。


「良かろう。目をつむっていなさい」


 私は言われた通りに目を閉じる。女の人の手が伸びてきて、私の額をちょんとつついた。目を開けていい、という彼女の言葉に私はゆっくりと瞼を開き、そして驚愕した。

 いつもより視界が広い。普段は大きく見えるものがとても小さく見える。それが、物が小さくなっているのではなくて自分が大きくなっているのだと気付いたのは、自分の体を見下ろした時だった。

 黒い服の袖口から覗くほっそりした五本の指とスラッとした二本の足。驚いて女の人を見ると、彼女はニヤリと笑った。


「お前に人間の体を貸してやろう。だが、魔法というのは常に限定的だ。お前は毎日、夜空に月が見える時間から人間になり、そして真夜中──深夜になると同時に猫に戻る。彼に正体がバレたくなければ、真夜中になる前に店を出ることだ。そして、この魔法が有効な期間は今日の新月から次の新月になるまでだ。わかったな?」

「はい……あの、貴女は誰なのでしょうか」


 驚いたことに、考えていた言葉が口からするりと出た。自分が発した言葉に驚いて両手で口を塞ぐと、女の人が微かに笑った。


「そうだな、私は人間達の言葉を借りれば『魔女』と呼ばれる存在だ。そしてお前は今日から紫亜と名乗るがよい。それではまたな、青い目をした黒猫よ」


 そう言って彼女は指を鳴らし……忽然と消えてしまった。

 



 私は店へと近づき、ガラスに反射する自分の姿を見てみた。そこに映るのは、黒猫ではなく人間の女の子だった。パッチリした目にふっくらとした唇。ふわふわの黒髪は純白のリボンで一つに結ばれており、猫のしっぽのようにゆらりとゆれている。ガラスに映る青い目が自分を見返しており、私はそこで自分が初めて青い瞳をしていることを知った。

 意を決してドアを開けると、カラカラとベルの音が鳴った。いつも見ていた彼がくるりと振り向き、優しい笑みで迎えてくれる。彼の黒い瞳と目が合った瞬間、私の胸はどきりと鳴った。

 案内された席に座り、カウンターの彼と向かい合わせになる。彼は店長の高城さんと名乗った。


「名前を聞いてもいいかな」

「あ、はい。……紫亜と申します」

「紫亜さんか、綺麗な名前だね」


 そう言って高城さんが優しく微笑んだ。うまく質問に答えられるか内心ドキドキしていたが、バーテンダーという職業からか、彼はその後あまり質問をしてこなかった。どうやら人間になると同時に、必要な服や装飾品、ある程度の常識は勝手に付与されるようだ。まるで魔法一つでドレスも靴も用意してもらったシンデレラのようだ。

 その後は他愛のないおしゃべりをして、りんごのジュース─お酒は飲んだことがないと言ったら彼が出してくれたものだ──を飲みながら、他のお客さんと話す彼の姿をじっと見ていた。

 間近で見る高城さんはとてもカッコよかった。柔らかく弧を描く眼尻にスッと通った鼻筋。彼は猫の私から見てもかなり魅力的で、そんな彼の近くにいることに私はウキウキしていた。

 だが、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。ふと時計に目をやると、もう間もなく午後十時半と言う頃合いだった。さすがに初日はどうなるのか勝手がわからない。私は高城さんにお礼を言うと、カバンの中に入っていた財布からお金を取り出す。無事に支払いを済ませた私は、月の輝く夜空の下へと戻っていった。


 その日から私は毎日夜になるのが待ち遠しかった。空が赤くなると同時にソワソワし始め、月が出て人間の姿になると一目散に高城さんの元へ行く。高城さんは優しくて、初めてお酒を飲むと言ったら私の好みを聞きながら色々とお酒を作ってくれた。猫だからお酒はダメかと思っていたが、人間になると体質も人間になるらしい。そんなこんなで、私は真夜中になる前に帰りつつも、楽しい日々を送っていた。



※※※


「紫亜ちゃんはどうして毎日来てくれるの?」


 すっかり常連になった頃、高城さんが笑いながら何気なく質問をしてきた。彼にとっては本当に話題の一つのようなものだっただろう。私はその質問が嬉しくて、ニコニコしながら答えた。


「それは、あなたのことが好きだからです」


 明るく元気に答えると、高城さんの黒い瞳が一瞬微かに揺れた。彼は「そう」とか「ありがとう」と小声で言い、なぜかお酒の補充に行ってしまった。彼の顔がいつもより赤かったのは気のせいだっただろうか。


 高城さんのお店に通うようになってから、日々は飛ぶように過ぎた。新月が満ちて満月になり、まるで砂時計のように一晩一晩欠けていく月を見ながら私は悲しい気持ちになっていた。

 だが、時間は容赦なく過ぎていく。残念なことに、とうとう今夜が最後の日となった。夜空に隠されてしまった月を見ながら、私は重い足取りで店に向かった。


「私、もうここには来られないかもしれません」


 午前0時まで後5分と言う所で、私は泣きそうになりながら言葉を紡いだ。高城さんが少し悲しそうな顔をして、「どうしてか理由を聞いてもいい?」と優しく聞いてくれる。だけど、私は答えに詰まってうつむいてしまった。

 目頭がじわりと熱くなり、思わず涙がポロリと溢れる。なんとやく顔をあげられなくてグズグズと鼻をすすっていると、高城さんの手が伸びてきて、長い指先が頬を掠めた。その指は頬を伝って私の後頭部に回り、髪を縛る純白のリボンをスルリとほどく。


「……お店が終わるのが1時なんだ。もし良かったら、今日は0時を過ぎてもいてくれるかい? 必ず家までは送っていくから」


 それが何を意味しているのかはわからなかった。だけど、自分を見つめる彼の瞳が心なしかいつもより熱っぽい。だけど──自分には彼の要求に答えることができない。


「……ごめんなさい」


 私はポロポロと涙をこぼしながらやっとの思いで答えると机にお金を置いてガタッと席を立った。彼が私を呼ぶ声が聞こえる。だけど私は振り返らずに店の扉を開けた。

 

 外に出る瞬間、カチッと針が動く固い音が耳に響いた。












 その後、私は月が出ても人間の姿になることはなくなってしまった。それでも、やっぱり私は彼のことが忘れられなかった。

 どうしても彼の顔が見たい。近くにいて存在を感じたい。いつの間にか、私は黒猫姿で店の扉の前にいた。ダメ元で微かに「ミィ」と鳴いてみる。空気に溶けてしまうくらい小さな声だったけど、やがてパタパタと音がして扉が開いた。


「君は……」


 目の前の高城さんが目を丸くしている。だけど、私の青い瞳を見て何かに気付いたように頷いた。


「そうか、君だったんだね」


 その言葉が、いつも来ていた子猫と言う意味なのか、突然消えてしまった不思議な女の子のことを意味しているのかはわからない。でも、彼は優しく笑うとそっと優しく私を抱き上げてくれた。


「今日から君はうちの子だ。そうだね、名前は……シアにしよう」


 そう言いながら、彼は懐から純白のリボンを取り出し、私の尻尾にゆるくリボン結びをしてくれた。私が腕の中でモゾモゾと動くと、そのまま顔を近づけて私の額にキスをする。

 その感触がくすぐったくて、私は彼の腕の中で頬を擦り寄せながら、ミィと甘い声で鳴いた。

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