ここは終末回避研究所

葛瀬 秋奈

真夜中ってハイな気分になったりするよね

 ここは終末回避研究所。やがて来る人類滅亡シナリオを回避するために作られた組織だ。かくいう私も科学者としてその一翼を担っている。


 ある夜、研究報告を書いてる最中にお腹が空いた私はカップラーメンを食べることにした。もちろん夜中の食事は健康に悪い。何しろ現時刻は午前1時である。健康な臓器を維持するにはそろそろ寝なければいけないことを理解した上であえて私は食べるのだ。


 メイドロボットや助手たちに見つかれば小言を言われるのは間違いない。そもそもジャンクフードを食べることにうちのメイドは否定的だ。機械が人の食事を合理性で論じようとするとか、どうかしていると思う。


 しかし、逆に言うと見つからなければ問題ないわけだ。


 完璧な理論だ。さすが私、やはり天才か。さっそくマイルームから廊下へと出る。部屋のドアは引き戸だから音が出にくい。こういうとき良かったなと思う。こんなことが頻繁にあっても困るが。


 なるべく足音を立てないようにすり足で歩く。目指すのは給湯室だ。うちの研究所は最上階に居住スペースがある変な構造だが、給湯室は各階にあって職員は自由に使えるようになっている。食堂もあるが今の時間は開いていない。給湯室に非常食用のカップ麺が置いてあるから特に問題ない。


 壁の下側に青い非常灯が点いているとはいえ夜の廊下は暗い。こういうとき、人間の体は不便だと思う。機械なら暗視モードへ切り替えたりできるのに。やはり本格的な人体改造に踏み切るべきだろうか。いや、自身への外科手術はリスクが大きすぎる。早計だ。せめて誰かで試してからにしないと──


 などと考えていたら。


「何やってるんですか、山田博士」


 後ろから声をかけられて、慌てて振り向く。立っていたのは最近入ってきた助手だ。背が低くて目つきが悪い。確か、Dで始まる名前の。


「えーっと……だ、ダンウィッチ?」

「誰がダンウィッチの怪ですか。段田です」

「段田くんこそこんな時間に何をしてるの」

「俺は雪隠へ行った帰りでして。なんでか窓が少し開いてて寒かったですよ」


 雪隠というと、確かトイレのことだったか。えらく古風な言い回しだが、どこの田舎から出てきたのだろうか。家の教育方針の問題かな。寺生まれって聞いた気がするけど。


「トイレも各部屋に欲しいよね。冬場は特に」

「そんなことより博士、夜食はダメですよ。止められてるでしょう」


 バレている。完全に行動が読まれている。新人のくせになかなかやるな。


「別に。喉乾いたから白湯でも飲もうかなって思っただけだし」

「メイドさんに怒られても知りませんよ」

「怒るって君、ロボットに人間のような感情があるとでも思っているのかい」

「少なくとも、俺の故郷では無機物にも心が宿ると信じられてましたね」

「そうか。ま、信仰は人それぞれだからな」


 科学という学問だって元をたどれば信仰から生まれたものなのだ。依存しすぎて論理的思考を放棄するのはまずいが、そうでないなら頭ごなしに否定する気はない。別に私の自由が奪われるわけでもあるまいし。


「とにかく、私は白湯を飲みに来ただけだ。君は余計な心配しなくていいからね?」

「いいですけどね、別に。いつ死ぬかもわからん環境で食事制限されるのも馬鹿らしいし」

「私だって長生きはしたいけどな。じゃ、そういうことで」

「はいはい……あれ?」

「どうしたの段田くん」

「今、何か聞こえたような……」

「空耳だろ。じゃ、今度こそおやすみ」

「おやすみなさい」


 寺生まれか知らないがこの私を怯えさせようとしたってそうはいかない。何しろ私は天才だからな、幽霊ごときは怖くない。メイドは決まったルーティンで動いてるから大きな音でも立てない限りこちらに来る心配はないし。


 そんなこんなで給湯室についた。当たり前だが誰もいない。部屋の隅に無造作に置かれた箱の中からカップラーメンを選び取り、ヤカンに水をたっぷり入れて火にかける。よく考えたら電気ケトルをマイルームに置いておけばここまで来なくて済んだな。導入を検討しよう。


 お湯が沸騰してきたところでカップ麺の蓋を剥がす。その瞬間、事件は起きた。真上からぶよぶよした黒っぽいゲル状の何かが降ってきて、カップの中に落ちた。断じて虫ではない。伝承で語られるスライムとかショゴス的な何かだろう。そいつは目と思しき器官をこちらへ動かした。


 そして私と


 私は大急ぎで蓋を閉めてヤカンを上に乗せた。せっかくのカップラーメンが無駄になってしまうが仕方ない。侵入者への対処が最優先だ。


「セメテ名乗ラセロ!」

「いや、聞きたくないし」


 カップに閉じ込めたゲル状の生物が騒いでいる。やはり知性があったようだ。発話機能まであるとは。どうせ宇宙や異界からの侵略者とか、そんなところだろう。もしも助けを求めてきた漂流者だったとしても、ここに忍び込んだのが運の尽きと思って諦めてほしい。


「我々ハ偉大ナル神ノ使者。地球支配、スル」

「そっか。友好種族じゃなくてよかった」


 実に都合よく大事なことを確認できたので会話はもう打ち切り。今後話しかけられても一切耳を貸さないこととする。洗脳の危険性があるからだ。侵略者にかける慈悲は最初からない。


 だってここは。地球人類の終末を回避するための最後の防衛機関。そして私の研究テーマは「あらゆる環境に適応する肉体」だ。未知の生物など恰好の研究材料でしかない。今度のこいつはどんな実験に使ってやろうかと内心ワクワクしながら、私は警備スタッフを呼ぶ緊急ボタンを押した。

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