剥き出しの殺意を通じた愛がある

いじめに会い自殺願望のある宇佐見夏樹、母親から DV を受け、彼女を殺したいと願う乾恭一。その二人が出会い、憎い相手を「殺したい」という気持ちで意気投合する。それは二人にとって身体的な興奮を伴うほどの魅惑的な計画となり、その日のために着々と準備を進める。しかし、いざ目的の相手に手をかけようとなると身体が動かない。それに怒りを感じる宇佐見。その怒りはやがて乾に向いて--。

いじめを受ける宇佐見の気持ち、その事実から自分を守るための心理的な合理化がざらりとしたリアリティを持って目前に突き出される。それが殺意に変わり、準備へと移り、決行日に至るまでの過程が驚くほど自然に理解できる。道徳の教科書に収録したらいいんじゃないかと思うくらいだ。二人の間では、どちらかと言えば受け身の乾だが、殺意を告白し、共に敢行しようとする宇佐見を突き放さないところに、彼の優しさが見て取れる。

宇佐見と乾が互いに真剣に相手を攻撃する中で、乾は宇佐見になら殺されてもいいと思うほど、宇佐見は殺したいと思う気持ちを包み隠さずに分け合えるほどの深い信頼を互いに持っているのだということを理解する。孤独な二人が剥き出しの感情を露わにした死闘を通じて初めて得られた唯一の味方。

二人の言葉、感情、絶望感、高揚、興奮のすべてが生々しいからこそ、読者は最後に体感できる。理解者を得ることは真に福音なのだと。