ノットエディブルフラワー

田所米子

ノットエディブルフラワー

 華やかな花が銀色のバットに並んでいる。八重に一重、赤にピンクに白に黄色と、バリエーションは様々だがどれも同じ種類の花だ。これだけの量を、しかも炎天下の中集めるのには骨が折れたが、遠出して集めてきた甲斐があった。きっと、梓も喜んでくれるだろう。

 満の母と梓の父の再婚によって、義理とはいえ姉弟になってから、もう五年も経つ。あの時満はまだ十一歳で、紺色のセーラー服に身を包んだ梓は、まるで別の世界の人間だった。もっともそれは、梓が近所でも評判のすらりとしていて大人びた少女だったからかもしれないけれど。

 才色兼備の義理の姉は、満の誇りだった。がさつでずぼらで、料理がまるでできないという短所も、梓ならば魅力を引き立てるアクセサリーの一つにできる。梓とは血が繋がっていない満の母も、あれを作って、これが食べたいのと甘えられるたびに嬉しそうにしていた。満も、梓の大雑把さにはもう何度も助けられた。

 満がお菓子作りを始めた本当の理由は、梓のためだった。どれだけ頑張っても、料理では母に敵わないだろう。なんせこなしてきた年月が違う。でも、スイーツならば?


 母に似て手先が器用な満は、中学校に――数年前の満にとっての別世界に上がるまでには、ショートケーキぐらいならば作れるようになっていた。

『満は将来パティシエになりなよ! そしたら私がお客さん第一号になってあげる!』

 頬にクリームを付けた梓の満面の笑みは、銀色のバットに並べた花そっくりだった。特にピンクの八重の花は、そのものといってよい。どちらも何とも言えない愛嬌がある。もっとも、ここ数か月で梓は変わり果ててしまったけれど。

 この花の魅力を生かすには、やはりゼリーだろうか。そういえば梓はいつか、テレビに出てきたエディブルフラワーを閉じ込めたリングゼリーを指さし、綺麗だねと微笑んでいた。型も材料も揃っているし、冷やして固める時間を除けばそう時間もかからない。

 クーラーは付けているだろうが、人生で初めてできた彼氏とお愉しみ中の梓だ。事後の火照った身体を冷やすのにも丁度良いだろう。幾らなんでも義理の弟もいる家でヤるのはどうかと呆れてしまうが、梓は今悪質なストーカー被害に悩んでいる最中である。

 どこの誰とも分からない男に隠し撮りされた、罵詈雑言が書き殴られた写真が、もう何度も郵便受けにねじ込まれている。飛び散った体液の痕も乾いていない写真を、満は何回義姉に突きつけただろう。だから梓は、不要な外出を極端に恐れるようになってしまったのだ。梓は映画館に行ったり、買い物をしたりと、本当は色々な思い出を作りたいのをぐっと堪えている。その分を、セックスで埋め合わせしているのだろう。だから満は、我慢して、気付かない振りをしてやっていた。

 美人で性格もいいのに、梓は長いこと彼氏ができなかった。その理由を、満は知っている。梓に片思いするか、逆に梓が気になっている男の許には必ず、梓のハメ撮り写真が送られてくるのだ。もっともそれは、ネットに流出している画像を加工した、よくよく眺めれば作り物と見破れる程度のものだったのだけれど。


 冷房が設置されていないキッチンに籠っていると、頭までゆだってしまう。ゼリーを作るにはどうしても火を使わなくてはいけないから、その前に一端涼むべきだろう。

 足音を殺して義姉の部屋の前に行くと、一度目のクライマックスが近いようだった。甘えた声で呼ばれる梓の彼氏は、性欲旺盛な方だ。これまでそうだったように、一回ぐらいでは終わらないだろう。まして今日が結婚記念日の父母は、仕事終わりにレストランに行く予定を立てているのだ。もしかしたら夕飯時まで盛っているかもしれない。

 父母も、梓の通学に毎日付き添ってくれる梓の彼氏の人柄を認めている。だから、肉体関係ぐらい目を瞑るだろう。義理の父などは、義理の息子にするならばああいう男だと呟いてもいた。義理の息子は既に一人いるのに。義理の父は、満と梓と交際を始めて三ヶ月も経っていない馬の骨を秤にかけて、馬の骨を取ったのだ。義理の父のこういうところは、本当に娘に似ている。

 梓と彼氏は、高校生活の記念品として残していた制服や体操服を着用してのプレイにハマっている。でもこの男は、本当に高校生だった頃の梓の初々しさは知らないのだ。

 風呂場で、部屋で後で満が見るとは考えもせず、梓はすんなりとした身体を慰めることがあった。そして今、満も同じことをしている。どろりとした液体を漏らさぬよう、そっと手の窪みに溜める。

 梓は季節を問わず満が作るミルクゼリーを、いつも疑うことなく平らげていた。彼氏への奉仕・・を始めた後も、なお。だから今回もばれないだろう。水晶のようなゼリーに色とりどりの花を閉じ込めた層と、ミルクの層の対比は、目にも舌にも楽しいはずだ。


 梓の喜ぶ顔を思い浮かべていると、ゼリー作りはあっという間だった。ゼリーが固まるのを部屋で待つ間、満が不在の折の梓と彼氏の情事をチェックする。

 ――好きだよ、まーくん。まーくんだけが私を守ってくれる。

 画面の中の梓は嬌声を交えつつ、何度もそんな戯言をほざいていた。その男とは別れろこのアバズレと、もう百回は警告してきたというのに。

 梓の隣に立つに相応しいのは、五年以上も姉弟として同じ屋根の下で過ごしてきた満だ。満は、梓のことならば何でも知っている。生理周期に下着のサイズだって。数え切れないぐらいお世話になってきたから。

 最新の動画の確認は終わったので、最も古い、満の一番の宝物たる動画のフォルダを開く。もっともこれは、満ではなく母が撮ったものだが。

 家族になって間もない頃の今よりも幼い梓は、満が初めて作ったケーキを前にして、満面の笑みを浮かべている。そうして満の頭に手を置いて、約束したのだ。これからずっと私のためにお菓子を作ってくれるなら、満と結婚してあげてもいいよ、と。

 だけど梓は、満を裏切った。わざわざポストに封筒を投函するためだけに、幾度となく別の市まで遠出して、梓を守ってきた満を。だから満は罰を下すと決めたのだ。嘘つきのアバズレには制裁が必要なのだから。

 キッチンに戻り、ゼリーの様子を窺う。型の中、熟睡しているのを確認して揉みしだいた梓の乳房のようにふるりと震えた夾竹桃のゼリーは、まだ完全には固まっていない。

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ノットエディブルフラワー 田所米子 @kome_yoneko

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