「猫の手レンタルいたします」

凪野海里

「猫の手レンタルいたします」

「猫の手レンタルいたします」


 そんな看板が掲げられたお店を見つけた。

 引っ越してきたばかりの町で、初めての1人暮らし。覚えたばかりの仕事と慣れない家事とで、てんてこまいになっていたその女性は、半ば冷やかしのような気持ちでその店に足を踏み入れた。

 さほど広くもない店内に入ってまず驚いたのは、こちらを見つめる無数の光る目だった。暗闇のなかでボウと浮き出たそれらに怖気づき、けれどよくよく見てみるとそれらはネコの目だった。そのネコたちの真ん中に、1人の黒装束の老婦人が立っているのが見えた。

 カウンター越しの老婦人は来客に向かって真っ赤な紅を引いた唇で弧を描くように笑って見せた。


「いらっしゃい」


 しわがれた声に女性はおどおどしながら頭をさげる。


「猫の手、レンタルしてるよ。今ならお安くしてあげる」

「猫の手、ですか?」


 女性は店内にいるたくさんのネコたちを見た。どこを向いても、ネコ、ネコ、ネコである。

 もしかしてこのネコたちを、セラピー代わりにレンタルしているということだろうか。そういうのって、法律的に大丈夫なのかと。思っていると、老婦人はしわがれた声で笑った。


「まさか、この子たちをレンタルするってわけじゃあないよ。安心しなさい」

「では、どういうこと?」

「うちでは、猫の手をレンタルしてるんだ」


 老婦人はそう言うと、カウンターから細長い木箱を取り出して蓋を開けた。

 女性は箱の中身を覗き込んで、思わず悲鳴をあげた。そこに会ったのはグレー色の猫の手だったからである。


「こ、これ。本物ですか?」

「いいや、違うよ。ちょっとしたまじないを込めた、作りものさ。よくできているだろう? 本物のネコを参考にして、作ったんだ」

「はあ……」


 それにしても、よくできている。女性はしげしげと猫の手を眺めた。


「あなた、お困りのようだね。……仕事と、家事に追われて。なかなか思うような生活をできていない――、といったところかな」

「どうしてそれを」


 老婦人は驚く女性を前にして、またしわがれた声で笑って見せた。


「どうだい? 今ならお安くしておくよ。3千円で手を打とう」


 いつもだったら、こういう詐欺くさい買い物はしない女性だった。

 だが、疲れていたのか。あるいは、老婦人の興に乗ってみようと思ったか。女性は気が付くと鞄から財布を取り出していた。



 そんなこんなで、3千円で購入した猫の手を自宅のマンションに持ち帰り、今に至っている。女性はコンビニで買ったお弁当を箸でつまみながら、木箱の中の猫の手を見つめていた。


「買わなきゃよかった」


 絶対、詐欺だ。いつもの自分なら、絶対買わなかったのに。

 老婦人は「まいど」と笑いながら、最後にこう言った。


「使用上の注意はよく読んでおくように。使いすぎはよくないよ」


 それまで静かにしていた店内のネコたちが目を爛々と光らせながら、シャーッと威嚇してきた。


「まあ、物は試しか」


 片手間にビールを飲んでいたのも影響していたと思う。女性は箱から取り出した猫の手を両手にはめてみた。手を動かすと、猫の手もギュッギュッと動いて、なんだかかわいらしい。


「えっと、やりたいことを猫の手に向かって念じる」


 同封されていた取扱説明書を読み、女性は今何をしたいかを思い浮かべる。


「えーっと、夕飯の片付け」


 ボソッとつぶやいた瞬間。猫の手が動いた。

 驚いている間もなく、装着された猫の手が女性の意図しない動きを始めた。テーブルに広げられたままのコンビニ弁当をゴミ袋に入れて、空き缶は手でつぶされ、缶用のゴミ箱に捨てられた。


「何これ、すご」


 自分の意思とは反した動きをしているところが若干気味悪いけれど、同時に今の光景に女性は目を見張っていた。


「風呂掃除」


 そうつぶやくと、猫の手が動いた。

 猫の手に引っ張られるように女性は浴室へと行き、スポンジに洗剤を垂らし、浴槽を磨いていく。それからシャワーを使って泡を洗い落とし、風呂の栓を入れ、蓋を閉め、スイッチを押した。


『お湯張りをします。お風呂の栓の閉め忘れに注意してください』


 お湯を入れるときにいつも聞く、機械的な声が浴室内に響いた。


「猫の手、やば……」


 さっきまで、その効能に引き気味だった気持ちがあっという間になくなったのは言うまでもない。

 女性はすっかり、「猫の手」に魅了されていた。



 それから、女性は猫の手のおかげで様々な仕事をこなせるようになった。

 今まで朝起きてすぐに始めなければいけない、朝食の支度やゴミ出しなど。ただ猫の手に念じるだけで、勝手に体が動いてこなしてくれるようになった。

 それは仕事においても見事に効果を発揮した。

 書類整理や文書の作成、会議室の準備など。それを「したい」と念じるだけで、猫の手はこなしてくれた。同僚も先輩たちも、「人が変わったようだ」と驚いたり、褒めてくれたりして。女性はとても嬉しくなった。

 しかもこの猫の手、普通の人には見えないらしく。女性が猫の手をはめて仕事をしていても、誰もそれについて言及してくることはなかった。

 女性はすっかり、猫の手に仕事も家事も任せるようになっていた。



 やがて、猫の手を購入してから2週間ほどが過ぎた。ある朝。

 女性はいつものように「朝食の支度」と、猫の手に念じた。

 しかし、何の反応もなかった。

 あれ、故障かな。もしかして使いすぎたとか? だとしたらメンドくさいなぁ。お店に行ったら修理とかしてもらえるのだろうか。いや、いっそ新しいものを購入するのもありかもしれない。最近、使いすぎてすっかり毛が汚くなっていた。抜け毛もひどく、腕や肩、時にはからだ全体にまで毛が付着するようになったのだ。

 仕方ない、今日は自力で起きよう。そう思って女性は体を起こして、ゆっくりと伸びをした。


「ニャァ」


 あれ、まるでネコみたいな声がでた。


「ニャァ?」


 またネコだ。どういうことだろう。

 不思議に思いつつ、何気なくベッド脇に設置された姿見を見て、女性は悲鳴をあげた。いや、その声すらもネコの声になっていた。

 それもそのはず。姿見に映っていたのは、女性の姿ではなく。グレーの色合いをしたネコだったからである!


「ニャ、ニャア?」


 どういうこと、と言いたい声もだせない。

 そのとき、しわがれた笑い声が部屋じゅうに響いた。

 驚く女性の前に、黒い穴がぽっかりとできて。そこからあの老婦人が姿を現す。


「おやおや、どうやら。使用上の注意を読んでいなかったようだね。忠告しておいたのに」

「ニャッ、ニャ、ニャァ?」

「どういうこと、か。取扱説明書の最後のページにちゃーんと書いてあるよ。ほらここだ。『規定の回数以上お使いになられますと、猫の手が体を侵食していき、やがてあなたはネコになってしまいます』とね」

「ニャァァァッ!」


 グレーネコの抗議の声と思しき鳴き声に、老婦人はしわがれた声で不気味に笑う。


「だから言ったろう? 使いすぎは良くないよ、と」

「ニャァ、ニャッ、ニャニャァ」

「ああ、無理無理。もとに戻る方法なんてのはないさ。まあこれは、説明書の最後までちゃんと目を通していなかった報いだね」

「ニャア、……ニャ、」

「さあ、お前の新しいおうちへ招待しよう。大丈夫、仲間はお前以外にもたっくさんいるからね」


 老婦人はそう言うと、グレーネコを抱きかかえ、来たときと同じように黒い穴のなかへと戻っていった。

 部屋には誰も、何も、残らず。ただ静寂が流れていった――。

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「猫の手レンタルいたします」 凪野海里 @nagiumi

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