Day7 恋【しゅうちゃく】

 天音はさっさと帰ってしまったらしく、前日に続いて御樹と瑞樹は2人で帰った。吹奏楽部の顧問は出勤し、自ずと部活動も再び行われたが、有言実行、御樹は図書館で5時半まで待機し、玄関で彼女を出迎えた。

 帰り道、彼は瑞樹に親しい友人がいないこと、部活仲間と一緒に帰ることも殆どないことを聞いた。5月以降、それは何度か繰り返し聞いていた。

 些細な寄り道で結城家の前まで向かい、それから自宅に辿り着くと、大凡6時。珍しく、両親はいずれも帰宅していない。ゆったりとしたセーターとズボンに着替え、配布書類をリビングの机に重ね、飲みかけのペットボトル緑茶を冷蔵庫に入れ、そうすると、やることがなくなった。

 金曜日に急いでやるべき課題もない。ここでいつもはゲームにアニメにと没頭するものだが、事情が違う。100%楽しめる気分ではなかった。

 今日は天音と話していない。昨日、帰ってすぐに『少し調子が悪かったのかもしれないけれど、結城さんも怒っているわけじゃないから、さっきのことはあまり気にしないでくれ』と曖昧なメッセージを送り、返信は『そっか ありがとう』

 それきりだ。これでは何も分からない。

 拗ねているわけでもあるまいし、彼が学校で見た限り、気落ちしている風でもなかったが、どうしても気にかかる。ならば話しかけて確かめれば良かろうに、いや、大したことでもないかもしれないのに、心配面で接触されては腹が立つだろう、とそれらしい理屈を展開し、横目で見ていたのみ。よって、今に至っても天音からの連絡を期待しているだけ。

 彼らとて毎日キャッキャキャッキャとしているのでもない。最近は連日何かしらあったものの、用事がなければ数日間も話さないことがある。ところが、今はその用事があり、しかも期限付き。1人での一番くじ購入なんてどうってこともないが、約束を反故にするのも忍びない。御樹の野郎は今日も瑞樹と帰ったのだが。

 あるいは、昨日は2人で行くつもりだったが、1晩寝てみると天音が利点を見失ってしまって、計画は白紙。単にこういうことかもしれない。ひょっとすると、と色々考えて、気分良くレート戦に興じるべくもなく、しかし連絡も取れないから、結果、やることがなくなる。

 少し落ち着いて考えてみよう。彼はそう思って布団に入り、やがて、寝た。馬鹿な奴だ。

 夢は見なかった。目を覚まし、判然としない思考で自分が眠っていたことを悟るなり「クソッ……」と天井に毒づく。

 力なく布団から抜け出し、ふらふらと、しかし「冷たい谷の……踊り子……」などと戯言を呟く余裕もあり、異様な猫背のまま照明スイッチまで到達。重ねて「クソが」と漏らしつつ、ずあぁぁっと掌でスイッチを入れる。

「天津飯は優秀だよなぁ」などと電気が付いて目が眩むだけで謎の連想をかまし、目を細めて電子時計を探す。机の上に置いてあるそれを手に取り、距離を調整して見るに、23:31。

「あー……」

 大袈裟に息を吐き「ハンプティ・ダンプティ、落っこちた」と洒落込んで自分を騙す小細工。予定調和で32分の表示を確かめると「炸裂よエクスプロード……」とこれまたわけが分からない文言を紡いだ。兎も角、決心としては「はもう眠らん」だ。寝起き且つ自分の部屋、突発的に噴出した深夜テンションによる重複バフともなれば、傍から見ると気狂いもいいところ。

 とは言え、少々の時間があると現代的な感性も蘇り、スマホが手元にないことも不満になってくる。連絡の有無にかかわらず、徹夜を強行するならば確保しておくべきだろう。どうせ夕食の時に行くからと、リビングに置いてきたことが余程おかしい。

 彼は部屋を出て階段を下り、洗面所で顔を洗うと――隣接する風呂場の電気が付いていた。洗濯カゴを見るに、母が入っているらしい――リビングに舞い戻った。

 明かりの灯ったリビングでは、眼鏡をかけた痩せ型の父が食卓についている。切り分けたチョコケーキの欠片を口にしながら、大型テレビでアニメをスロー再生。両親共に11時半まで呑気しているのは、恐らく金曜ロードショーでも観ていたからだろう。

「あのさぁ」と父の方から声をかけてきた。右方、部屋に入ってきた御樹には視線をやらず、ただテレビ画面を見ている。「こういうアクションって、大体絵コンテとか演出とかの人が組んでるわけだろ。これは原作からかなり動きを盛るしさぁ」

「だろうね」と返しながら、スマホを探して歩き回る。作画がどうの演出がどうのと言うことはあっても、実際の環境について学んだわけではない。無責任な返事にもなる。

「だからアクション指導、監修みたいな人もいないよな。見たことある?」

「いや、多分ない」

「んだろ? だけれど、アクション映画なら大体いるじゃあないか。専門的なのだとカンフーとかジークンドーの指導みたいな」

「実際に有用かは抜きにして、現実的でらしい動きをしなきゃならないんだ。それは必要だろ」

「そうよなぁ。で、アニメだと非現実的で好きに魅せられるアクションをするから、要らないと。こんな武器使ってりゃあ、武術もクソミソだものな。コンテの人も漫画家もそうだけど、なんでそんなの描けるんだろうなぁ。ほら、この足さばき」

「アニメとか漫画見て吸収してるからじゃない?」

「まぁそうだよな。で、だとすると、誰が最初に始めたんだ? まさか手塚サンじゃあないだろう。鳥山明の描き方は誰かから影響を受けてるのか?」

「基本は人体が美しく見える角度と緩急で、それはどの分野も同じなんじゃないの、知らないけど。それよりも僕のスマホ、どこにあるか分かる?」

「あぁ、ここ」

 そう言って、ポケットの中から取り出す。御樹が前のめりになって顔をしかめる。

「え、なんで入れてるんだよ」

「後で持ってこうと思ってさぁ。あ、お前が寝てて答えないもんだから、夕飯はセブンのざる蕎麦で決めたからな。冷蔵庫に入ってる」

 言いつつ、父はスマホを差し出した。「了解」と御樹は受け取る。

「いやぁ、しかしさぁ、俺だって10話くらい見た東映アニメなら脚本演出作監と概ね当てられるんだよ。原画誰かとかも全然」

「知ってるよ。このケーキ誰かから貰ったの?」

「俺が買ってきた。だがなぁ、CGだの映像効果だのさぁ、どうなってるかろくすっぽ分からないわけ。なんか8話とかキャラ以外実写みたいに見える部分あったよな。何アレ?」

「母さんに聞いてよ。僕は不勉強なキッズに過ぎない」

 スマホをズボンのポケットに入れて踵を返し、冷蔵庫を開く。ざる蕎麦を引っ張り出すと「あれ?」

 切り分けられたチョコケーキの一部が皿に乗せられ、ラップをかけられていた。まだ残っていたらしい。

「中にケーキあるんだけど、これ誰の?」

「お前のだけど、風呂上がったら由香子さんが食うってさ」

「へぇ、じゃあテキトーに説明しといて」

「あー、了解」

 ざる蕎麦のケースの上に皿を乗せ、台所を漁って箸とフォークを取り出すと、取りあえず準備は整ったと言っていい。リビングを出ようとすると「あっ」と父が声を上げた。

「そうだお前、あの、なんだっけ、クラスラインの通知でも入れてるのか? 10分くらい前まで、ずっとブーブー言ってたんだけど」

「え、流石に切ってると思うよ」

「じゃあ、何か間違えて設定を弄ったんだろうな。直しとけよ」

 と言われるも、思い当たりがない。「確認しとく」とだけ言って、そのままリビングを出た。

 部屋まで戻ってくると、机の上にざる蕎麦とケーキの皿、食器を置く。どうせ風呂は後になるし、一先ず蕎麦を、と思いかけ、一旦スマホを起動。

 途端、その表情が訝しむような気配を帯びる。最新を14分前として、通知が幾つもある。全てLINEのそれだ。

 ロックを解除すると、新着件数は57。まさかそんなこともないだろうと思って開くも、ところがぎっちょん、夕飯をどうするか尋ねる父からの連絡を除き、56通は全て1人からの、即ち、天音からの着信だ。

 スマホが微振動して、件数は増加。最新メッセージは『もう寝てるかな』。寧ろ彼はついさっきまで寝ていたのだが、しかし、そんな問題でもない。

 その前に表示されていたのは『無視しないで』だ。新趣向の悪戯に、御樹も冗談とは思いながらギョッとする。

 トークを開いて確認すると、6時過ぎから57件、全て1行限りの短文。『ちょっといいかな』で始まり、返信の催促と昨日の瑞樹との接触に関する謝罪がズラリ並んでいる。スタンプの連投なんぞには逃げず、ここまでの労力を費やした点を思えば、呆れるでもなく素直な畏敬の念が湧く。

 その上、驚いたことにこの瞬間、電話までもがかかってきた。これには御樹も舌を巻く。呼びかけの手段として優れる筈のコールを敢えて使わず、既読を確認したその瞬間にのみ投入。図抜けて無意味な戦術だ。美しさ故に不自然ですらある。

 応答すると『どうして返信くれなかったの』と問い詰めるような調子で開始。クッションさえ置かない。

「すまない。寝てた」

『本当に?』

「本当に。確認して驚いてたんだよ。遊びにしても、ここまでやられると恐ろしい」

 苦笑するが、返事がない。スマホの画面を見て通話中なのを確認し、また耳元に戻す。

「木元さん?」

『ん、何? 急に黙って』

 急に語調が戻った。甘い声で何やら愉快そうに喋る、普段のそれだ。黙り込んだのは彼女の方だが。

「まだ僕の番なんだ……で、用事は?」

『一番くじの件。明日の昼はどう? 行けるかな?』

「あー」と言いつつ、胸をなで下ろす御樹。約束は残っていたようだし、天音の様子にも不審なところはない。全くもって気にし過ぎだったらしい。

「行けるよ。近くの店に寄るだけ?」

『私はイートインで昼食もとるつもりなんだけど、御樹君の親御さんも仕事だよね?』

「あぁ。どうせなら僕もあっちで買うか」

 彼には自炊の心得がないため、両親の不在時はカップ麺で済ませる。それをコンビニ弁当に変更したところで、大した差異でもないだろう。

『では、そうだね、正午にファミマで集合、くじと昼食、ついでに少々話して終わり。こんなところ?』

「賛成」

 至って簡単な予定だ。通話するまでもなく、今の予定を天音がポンと提案してくれれば済んだこと。御樹が早くに気が付けば一瞬にして終いであり、天音が悪ふざけを加速させることもなかった。

「しかし、申し訳ない」と御樹。「こんな夜まで続ける気じゃなかったろ? あれ」

『あぁ、うん、そうだね、想定外。ひょっとして、本当に無視されているかと思ったよ』

「まさか」と笑いをこぼしながら返す。『昨日の今日でしょ』と天音。

『御樹君のゆうじ……幼馴染の前で、狼藉を働いたことは確かだからね。君に忌避されても、それは文句を言えないよ』

「あれで? 無論僕だって、君が結城さんを執拗に攻撃するとしたら、付き合いを考えたけれど……」

 彼とて、昨日の天音の行動には思うところがあった。けれども結局のところ、いたぶられていたのは御樹。瑞樹もショックではあったろうが、そちらは御樹本人から説明して、深刻に思わないように言い含めている。それ以上、彼の執るべき行いもない。

『いや、それでも、ごめんね。あんな粗暴な振る舞いでは、悪役、うん、悪役令嬢みたいだった』

「すまない。転生系には疎くて、あまり」

『違う違う。婚約破棄されて役目を終える方だよ。勝気で卑しいエセ貴族さ』

「あぁ、そっち……」と答えつつ、それは錯覚だとも彼は思う。彼女が悪役に見えるというよりも、瑞樹があまりに純情で、そちらが所謂少女漫画か乙女ゲーの主人公もどきに見えることが問題なのだ。が、最近のトレンドだと、あのまま天音×瑞樹の百合。御樹のようなハゲはのけ者。

「にしても悪役は言い過ぎだな。そもそも僕に欠点が多いのがいけない」

『欠点なんかじゃない。私は不愛想で弱々しい、つまり、冷静で繊細な御樹君が好きだし、瑞樹さんもそうだったんだよ、恐らく』

「それはチンピラだ。解釈を曲げようにも悪口は悪口だ」

『そうだね、私の発言はそうだった。それで瑞樹さんは、君の良いところを悪口のように言われたから面白くなかった。包容力がある御樹君が好きなのに、その態度が傲慢と指摘されてはかなわない』

「は? 包容力?」

 はぁぁぁぁぁと大きく溜息を吐いて「やっぱりチンピラだな」と言葉を接いだ。遅れたフォローなのか卑下なのかは兎も角、瑞樹の気持ちを分かったような口を利いて、包容力とは聞いて呆れる。傲岸不遜で尊大とでも形容された方が、御樹もあぁ、そうかと頷ける。

『あー』と天音も躊躇いの意思を表し『ごめーん、今のはなし』と軽率にキャンセルを決めた。それでいい。

『いや、それでもだよ、御樹君は全然悪くないし、それを無理に貶そうとした私の言葉が罪なんだよ。なんだか、対抗したくなってしまって』

「やっぱりそうか。僕の手綱を握ってるのが誰か、彼女に示すつもりだったんだろ。意味ないのに」

『手綱……いや、ここも貴族的に例えてみるべきだよ。いいかい? 御樹君が白馬の王子様で』

「次は電話を切る」

『いけず。簡単に言うと、瑞樹さんは君のことが好きなんだよ』

「へぇ」と何となしに答えつつ、首筋を軽くかく。視線をわけもなく回して、曰く、

「こういう時に切れないのが、口先だけってことなんだろうな」

『何? 信じてないの?』

「本気で言っているのだとしたら、君がそこまで通俗的なものの見方をするとは意外だった。そして冗談ならば、今すぐ撤回した方がいい。結城さんに悪いよ」

『信じてないんだ。ふぅん』

 御樹からすれば信じるもクソもなかった。男オタクはモテないので脈なし。これで終わり。

 結城瑞樹の頭がおかしいか、Twitterのアカウントをリスカ画像で溢れさせているかすれば、御樹も多少は可能性について考える。が、彼女がまともな神経をしている以上、もう語ることはない――冬休み前にリスカの痕を見つけて咎めたものの、中学生ならば1度ぐらい試すこともある。もうしないとの確約も取った。

『去年のバレンタインもチョコを貰ったんだよね?』

「義理のな」

『手作りの?』

「手作りの義理だ。この2つに関して定義も定理もない。土台、幼馴染が結合されるのは、。次元を考えろ」

『それなら、そう思うままでいいよ。私には違って見えて、故にちょっと警戒するべきだと思った、ってだけ』

「警戒ねぇ」

 天音とて恥知らずではない。昨日のような例外を除き、人前ではえらく常識的な態度を見せるものだし、仮に――それは全くもって無意味な仮定だ――近い内、御樹に恋人でも出来れば、存外と距離を置いてくるかもしれない。警戒とはそんなものであろう。それで恋人候補――と彼女が判断した人間――を牽制するようでは、遠慮があるのかないのか曖昧になってしまうものの。

『考えてみなよ。瑞樹さんに告白でもされたら、君は二つ返事で了解するでしょ?』

「しないよ」

『えっ、断るの? 嘘だ』

「断れば恥をかかせる。裏にいる人間が誰か尋ねることになるんじゃないか」

『本気だったとしたら? 結局は恥辱になってしまうよ』

「さっきから君は何を言ってるんだ。僕は人間であって、孔雀であればどうこう、虎であれば云々と話すことにどれだけの価値がある?」

『えぇ……?』と言ったきり、天音は口を閉じてしまった。隠喩など普段使いするものではないか、と軽く反省。

 さてはて、しかし、賢者ぶった童貞というものは、すぐに「告白されてもカメラ探すわ」などと言うものであろう。その点では、彼の論調でもどこまで説得力があるのか分かったものではない。天音が自分に好意を抱いている想定も、魔が差して1度2度としているのだから。

「まぁ、君が警戒することもないわけだよ。良かったな。もう1年遊べるドン」

『……そうだね、うん、それはそうだ』

 ははは、とわざとらしい笑い声が聞こえた。発言のあまりの情けなさを悟り、後から御樹も虚しくなる。

『御樹君ってさ、なんと言うべきか、いや、伝わるかな』

「何?」

『たまに冗談みたいに性格悪いよね』

 ストレートに悪態をつかれた。彼は眉間に皺を寄せて下唇を噛み「あー」と間を繋いだ後「出来る限り、気をつけるよ」と間に合わせの言葉を吐いた。

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