10ページ目で絶対に催眠される気の合う女友達
烏
VS 同級生 Ⅰ
「本を買うと、しおりが貰えることってあるよね? オマケで」
黒いミディアムヘアの少女、即ち
それを十分に知っていたから、つまらない洒落で赤チェックを着た少年、あるいは都合のいい手提げ袋がなかった所為でデパートの紙袋を提げている少年は「あるけど」とだけ答える。イヤホンが壊れた話を続ける気はない。
「けれども、しおりなんて一つあれば事足りるような気がしてさ」
「どうだろう」と言って逡巡。「多くあっても困らないのが、多数派なんじゃないか。それぞれに挟んでおけばいい」
「そうかな」
「そうだよ。そういうところで貰えないと、そもそも最初の一個も確保出来ない」
「あ、確かにそうだね。うん」
納得した割には平坦な語調で言い、彼女は灰色のパーカーのフードを被る。
今のは別に、と彼は思う。別に本心でも良かった。しおりの話にお追従もクソもない。一つ目の入手手段については別として。
それより。
「やっぱり寒いのか?」
「うん。肺が凍えそうだよ」
「いや、実際のところ」
「冗談抜きに寒い。一年中不健康だからね」
年がら年中不健康なのは少年も同様だし、当然クソ寒いのだが、これについては寧ろ反論しなかった。外出して初めて寒さに気付いたものの、面倒になってシャツのまま来てしまった、などという間抜けを口にすることもない。
とは言え、その愚図は天音の方も同じことだ。家を出てすぐに寒さを悟ったらしいものの、着替えはしなかったという。こちらの理由としては、曰く「10分前にはどうしても集合場所にいたかった。そもそも時間の管理が杜撰だった」
土曜日、市民会館前、11時32分。
そういうことを、この中学生二人は水曜日の昼休みの間に決めていた。市民会館は少年と天音の家の丁度間辺りにある。
ある映画――2人揃って気に入っているアニメ監督の中編映画――のブルーレイを注文したと天音から少年が聞いたのも、水曜日。要するに、少年は天音に招かれて、これからそいつを観に行くところなのだ。
双方ともに作品は視聴済みだし、少年の家にも両親が買った円盤があるのだが、兎も角、前回の鑑賞からは間が空いている。いい機会だから2人で観てみよう、という風な提案だった。
「住所さえ教えてくれたら、僕1人でも行けたんだけど」
ひどく今更なことを、少年はなんとなく言った。今時スマホさえあれば、大抵のところには何も考えず辿り着ける。
「けれども、少し不安だったものだから」
「信用ないな」
「いや、そんなことは決してない。私側の問題として、来訪を待っている間はさぞかし恐ろしいだろうと思ってね」
彼女はそう言って口角を吊り上げ、視線を僅かばかり落とした。「家に呼べるような友人は、御樹君が初めてだから」と付け加える。
当の彼は千円カットで切ったばかりの前髪を撫で、いっそ無関心じみた態度で「貧しい青春なんだ」と呟いた。それは借り物であり、
「お邪魔します」
小声で言った。慣れないことだった。
尤も、その声は天音にさえ聞こえれば済むのだ。天音の母親が急用で外出していることは聞いている。
靴を揃え、洗面所に案内され、ついでにトイレの場所も教えられてから、2人はリビングに入った。家の外装も綺麗だったが、内部は内部で、家具のコマーシャルじみた清潔感がある。ソファダイニングテーブルセットというものを、御樹は初めて目にした。
天音が真っ先に暖房をつけると、これも中々どうして静かなものだ。紙袋からポップコーンの小袋を取り出しつつ、御樹は極めて庶民的な感性で舌を巻く。
「あ、これは」と天音がへつらうように笑う。この反応はいやに庶民的だ。
「すみません、ポップコーンですか。豪気だなぁ」
「あと、羊羹。口に合うといいけど」
こちらを机の上に置くと、却って天音は正気に戻ったように「いいね」と言った。
「ありがたい、好物なんだ」
「あー、それ、なんだっけ。どっちも同じ?」
「まさか。前半は兎も角……あ、ごめん。無意識」
「じゃあ、本当に好きなんだ。子供にしては珍しい」
と言いながら、一々元ネタの有無を探らなければいけない会話、その異常性の方に思い当たる。所謂オタクと呼ばれる人種ならたまにあることだが、だからと言って普通ではない。
「後で2人で食べようか。今はとりあえずお茶でも」
と天音はリビングに面したキッチンに回った。白磁のコップ2つとお茶のポットを、片手ずつで持ってくる。
「ありがとう、わざわざ」
テーブルの上でお茶が注がれるのを見ながら、御樹は言う。「客人だからねぇ」とすぐに返答。
とっとと仕事を終わらせ、ポットを冷蔵庫に戻すと、彼女はソファに腰掛けた。それを確認してから、手持ち不沙汰になっていた御樹も右隣に座る。1人分の空白はあるが、隣と言えば隣。
「昼食はいつにしよう」
天音の目はソファ正面のテレビ、の上方にある壁掛け時計を向いていた。12時少し前だ。
「12時少し前だ」
見れば分かることを御樹は口にした。「ビミョーだな」
厚かましいと本人は思っていたし、実際厚かましいのだが、彼は天音の家で食事をすることになっていた。手料理を振舞う筈だった天音の母は不在だが、冷凍のスパゲッティを天音自身が買ってきたという。
そちらの方がまだ気楽だ。まだ、でしかないが。
しかし、一先ず昼食を後にすることで話は纏まる。天音が「後でいいか」とだけ口にすれば、それ以上御樹が言うべきことは何もない。
そして「けれど」と続けるのも天音だ。
「他に何をすればいいんだろう」
「さぁ」
素っ気ないようだが、本心からの疑問だ。
2人とも休日は全くのフリーから、特に何も考えずに5時までの滞在を双方の親に予告している。早々に映画を見始めることもない。
しかし、まるで経験のないことだ。敢えて家まで集まってすることが、他に浮かばない。
「困ったなぁ」と天音。
「X爆誕でも観る? 確かDVDならあったよな」
「そう、それが正解」
「今のが誘導って、無理がないか」
「でも成功したね。どうする?」
「神のまにまに。他に思いつかないし」
「相分かった」
と言いつつ、彼女は部屋を出て行き、そしてものの数分で戻ってきた。「探しても見つからない。場所を移したのかな」とのことらしい。
「だからって手ぶら?」
「あれだけを観る態勢になってたから、他はいいかな、って。命を懸けてかかっていきたい気分だったんだけど」
「嘘予告じゃ永劫無理だよ」
「ところがダンジョンだと言ってるんだよね。今からやってみせてもいい」
「99階だろ。いいよ」
「なんだ、知ってるの」
そうしてまた座り直し、御樹が改めて距離を空け、僅かな沈黙の後、わざとらしく「なるほど」と天音。
「すべきこともしたいことも分からない。私達、無様だね」
「そこまで言う?」
これには御樹も苦笑した。「無様無様」と天音は繰り返す。
「何か学園モノでも見て、休日の過ごし方でも教授してもらおうか」
真面目くさった顔と語調だが、明らかに馬鹿の言葉だ。御樹のコメントは「虚無過ぎる」
「何もかも楽しむ資格がないように思うだけだ。戯れでもやめてくれよ」
「でも神のまにまにって……」
「それはX=海の神にかけてるわけで、第一自分のことを……いや、本当になしだからな」
そう言いつつ少し背中を丸め、眉をひそめる。こちらもわざとらしい所作だ。
それの何が面白いのか、天音は楽しそうに笑って「じゃあ聞き入れてあげる」と顎を上げる。華奢で小柄な天音では、圧力も何もないが。
「でも、本当にどうしようかな。トランプ、UNO、ポッキー……あ、モノポリーとか?」
「2人だと運ゲじゃないか。この際、普通にピコピコでいいよ。僕は持ってきてないけど」
「この際が早過ぎ。ゲームなんて離れてても出来るんだから、今この場で、2人だから出来る戯れを所望するよ」
「そこまで条件を高くすると、本当に何も出て来なくなると思うけど」
「そうかな」などと言って手をこまねく――と表す割には考えていそうなので腕を組む天音の横で、御樹は小さく溜息を吐いた。情けない限りだ。
本当に情けない。ポッキーへの言及を避けた。
赤面して躍起になって拒絶するのも愚者の仕草だが、なんの気もないような顔でスルーするのもむっつり阿呆じみている。気に入らない。
からかっているのかふざけているのか何も考えていないのか、天音はああいったことをさらりと言う傾向がある。それも彼は把握しているが、対応を仕損じるのが常だ。
今のところボロは出ていないものの、家に誘われた時にさえ、彼は怯んだ。土台、天音は唯一と言っていい程に稀な、感覚の近しい相手だ。その彼女を所謂〈そんな目〉で見て態度に示してしまうことは、良心と意地、矜持の点から言って全く御免。
加えて、アイデンティティにオタク的性質を置いているようなメンタル素寒貧だ。姫に群がるオタサー構成員に堕する気もない。天音の思考はどうあれ、真正面から毅然とした対応を心がけなければならない。
という具合のものが彼のあじゃくれた考えであり、いずれにせよ下らない限りなのだが、男子中学生の考えるようなことだ。仕方がない。
さて、そこで体のいい遊戯を考えてみるに、果たして浮かばない。冷えたお茶を口元まで運び、一口飲み込んでから「やっぱないな」と早々に諦める。
「IT社会だろ。ビデオチャットでも成立しないことは指相撲とかボクシングとか、そういう肉体を使うものに限られるよ、結局」
「指相撲?」
腕を組んだまま、天音は首を傾げる。その円らな瞳を御樹は眺めながら「指相撲」とオウム返しの復唱。
子供っぽかったかな、と妙な小恥ずかしさを彼は覚える。しかし天音はと言うと、単に揚げ足を取ろうというのではなく、純粋に興味深そうな態度を示していた。
「児戯は良い発想かもしれない。それくらいなら私にも経験があるよ」
「それはそうだろうな」
「だからさ、ほら、なんと言ったかな、指でさ」
「それが指相撲」
「そうじゃなくて、あの……」
言いつつ、彼女は机をトントンと指で叩いてみせた。「あー」と脱力気味の声を御樹が漏らす。
「トントン相撲」
「そう、そんな名前だったね。やる気はないかい? 土台から作って」
やっと解を得たとばかりに笑顔を浮かべ、彼女は「これくらいの」と土台のサイズまで両手で示してみせた。
「まぁ、君がそれで楽しいなら」
「うん。きっと少しは楽しいよ。暇潰し程度には足りる」
少しは。
そこが気にかかったが、嬉しそうに立ち上がる天音を見ると、御樹から反論も小言も出てこない。
つまるところ、この少年は天音のことが好きで好きで仕方がないらしかった。
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