Day9 思慕―おくりもの―

「いやはや、どうも、愚息が世話になってるもんで、えぇ」

 コート姿の天音を家に迎えると、御樹の父親はそんな卑しい態度を見せた。しかも玄関口で。スーツ姿で。そもそも同じような文章を繰り返して3度目だ。

「蛙の子は蛙とでも言うのか、あまり社交的なタマじゃあないんですがね、仲良くして下さってるのは、ヘヘッ、全くありがたい限りでございます」

 軽く挨拶を終え、菓子折りを渡してしまった天音も苦笑している。これは酷いな、と息子たる御樹も反省。瑞樹さえ家に招かない彼が同級生の女子を連れてきたものだから、父も焦っているのだろう。無駄に。

「そうだ御樹、洗面所。ほら」

 言わないでもいいことを言う。御樹は呆れ顔で天音を洗面所へ案内し、手洗いにうがいにと続けて済ませ、天音のリュックを一時的に置くと、リビングに出た。そうせずとも、2階の彼の部屋には向かえる。が、天音は母にも挨拶を済ませておきたいらしかった。

 リビングでは猫背でぐるぐるしている父に加えて、ソファに母が座っている。藍色の浴衣を着た母が。普段着ではない。そんな筈はない。天音との待ち合わせで御樹が家を出るまでは、変哲もない洋服を着ていた。しかし確かに着ている。

 2人の出現に気が付き、父が硬直したかのように背筋を伸ばす。対照的に、母はゆったりと落ち着いた所作で立ち上がった。

「いらっしゃいませ。君は木元天音だね?」

「そういう貴方は葛巻由香子様。お召し物が大変よくお似合いです」

 2人揃って微笑する。息子の来客にいきなり吹っ掛けてくる母は先ずドン引きだが、天音が合わせられるのだから、御樹はもにょる他ない。尤も、父を相手取ることと比して、余程やり易いのも分かってしまう。

「暫らくお邪魔いたしますが、どうぞお気遣いなく」

「言われなくとも。そうそう、息子と仲良くしてくれているようで、ありがとうね」

「いえ、滅相もない。御樹君は優しい人ですから、私の方こそ感謝しています」

「嬉しいことを言ってくれる。顔立ちも美しいし、この子の友人なんて役不足かしら」

「お戯れを。願ってもない大役ですよ」

 えらく気取ったやり取りに、御樹は口を出すでもなく、ただ傍観に徹した。茶化しても面倒になるだけだ。

「それでは、御樹君のお部屋に上がらせて頂きますので」

「くつろいでいってね」

 天音が頭を深く下げるのに合わせて、場にいる3人がお辞儀した。厳密には、父母が礼を返したのを見て、居心地の悪くなった御樹も頭を下げた、ということになる。

 中学生2人はリビングを出て、洗面所でリュックを回収してから御樹の部屋に入る。彼は僅かに考え、鍵を閉めるのは止めた。

 現在は2時過ぎ。5時までの滞在という予定だが、他には何も決めていない。

「お母さまのあれは普段着?」

「まさか。あ、ベッドで腰掛けといて」

 言われて初めて、天音は腰を下ろした。「これから出かけるの?」と重ねて尋ねる。

「違うと思う。荷物もベッドに置いておいてくれ」

 これも言われて初めて、彼女はリュックを下ろし、コートを脱いで畳んだ。こういうところは結構真面目だ。

 コートの下は白のブラウスに鼠色のカーディガン。御樹のセーターも鼠色。この2人が着用する服は、白黒灰の3色で殆ど決まっている。例外は御樹がふざけて着る赤チェック。

「正装で出迎えとはユニークだね。驚いたよ」

「その割に冷静に見えたけどな」

「そうかな? けれどもお父様の前では、少々ヘマをした気がする」

「あれは全面的に父さんが悪い。卑屈もああなると嫌がらせだ……」

 言いつつ、勉強机から椅子を引っ張って着座。天音の視線に合わせるつもりで高さを調整し、足を組む。

「さ、話そうか」

「言いたいだけでしょ」

「まぁね。暖房つける?」

「あ、お願い」

 リモコンは勉強机に置いてある。ちょっと手を伸ばし、備え付けのエアコンを目掛けてスイッチを入れた。鈍い動作音が響く。「ありがとう」と天音。

「にしても、2人とも美男美女だね」

「42が? もう揃って初老だよ」

「それは単なる言葉。お母さまは御樹君に似てたな」

「あぁ、そっちはたまに言われるけど」

「でしょ? 好みの顔つきだから、すぐに気が付くんだよね」

「ふぅん」

 興味なさげに答えながらも、なんとなく自らの頬を引っ張る。別段変わった特徴も、彼自身は見出していない。

 両親は若い頃の互いを指して「美人だ」「男前だ」と喧しい時があるものの、当時の写真を見た彼は首を傾げ、恐らく古い顔なのだろうと判断したし、また、自分がその古い顔に似ているのだとしたら、美形でもない。そんな具合で勝手に諦めている。

「一応、木元さんが褒めてたことは伝えておくよ」

「株が上がるね。そういえば、私のことはどう説明しているんだい?」

「口調が気分で変わる人。学校でのことを聞かれたら話には出すけど、趣味がやや近いことしか、他には言ってないんじゃないかな」

「なんだ、つまらない。お二方に聞いても、御樹君の本心は聞けないんだ」

「うん」

 念のために記憶を洗い出すが、御樹の覚えている範囲では一先ず言葉通り。礼儀が云々と言っても、なんだかんだ天音ならば行動へ移しかねないため、密かに安心する。

「それより、木元さん。2月に入ると誕生日だよね」

「え、何か貰えるんだ」

 顎を引いて口角を上げる。自分への好意が絡むと、毎度どうにも話が早い。

 去年は御樹も何もしなかったが、どっこい、7月の彼の誕生日に、天音からPSPのソフト3本――全て御樹にドストライク。費用凡そ1100円――を貰い受けている。返礼が筋だ。

「早い内に聞いといた方がいいだろ。何が欲しい?」

「えー、私は精一杯考えたのに、手抜きだ」

「悪いけど、典型的な現代っ子だからな。正解が分からないと身動き出来ないんだよ」

 その実、結構考えた。考えた結果に諦めた。ネットに溢れるオススメプレゼント情報は、相手が天音である時点で頼れない。また、彼女に倣ってゲームソフト、あるいは漫画本、小説などから選ぼうにも、リスクばかり考えてしまう。つまり、贈り物として譲られれば消化しなければならないが、それがクソつまらない場合は大層苦痛だということ。

 重圧も大きい。取りあえずの基準となる天音のプレゼントが、いささか鮮やか過ぎた。体育館裏に呼び出し「今日が誕生日で合ってる?」と言い出したかと思えば、値札シールが貼ったままのパッケージをリュックから取り出した。タイトルも知らない作品だったが「きっと好みだと思って」という言葉に従い、プレイしてみれば大当たり。ちょっと意味不明だ。

「意地張って失敗したくないからさ。金だけ出すくらいの心づもりで、最低ラインを担保しておきたい」

「御樹君になら何を貰っても嬉しいけどな」

 なんて言いつつ、いざその段になると気に入らないのを我慢して終いではないか。それが御樹の懸念だ。贈り物にケチをつけることはなくとも、好意が負担になってしまっては意味がない。

「なんだか卑劣な言い方だけど、1万円まで出せる」

「おや、金欠じゃないの?」

「金欠ではある。貯金は別だろ」

「とすると、私のために喘いでたんだ。へぇ~」

 如何にも驚いたという風に目を丸くした。煽るような仕草だが、その通りではある。御樹は何も言えない。

「けれども、レジェアルとエルデンは予約したし、大金は要らないかな。ごめんね」

「いや、正直言うと安価であれば助かる」

「それもそうだ」

 彼女は後ろに手をつき、浮かせた脚をぶらぶら振り始めた。「うーん」と考えを巡らせる。

「御樹君の血」

「は?」

「血の掟だっけ? 傷付けた互いの指を合わせて、血を交わらせるんだよ。多量の出血は強要しない」

「マフィアかよ。感染症の云々とか、色々と問題な気がするけど」

「そうかもね。駄目かな」

「駄目とは言わないけど、却って子供っぽい。不道徳を楽しむようなことは」

「ところがキッズだからね。つまりピッタリ」

「ピッタリって……まぁやるけど」

「ならこれで1つ」

「ん?」と御樹が微かに眉をひそめ、少し考える。天音が彼に寄越したUMDは3つ。彼も3つの贈り物で応えるのが誠意かもしれなかった。土台、そんな事情が絡まなくとも、誕生日プレゼントを血のトレードという馬鹿1つで済ませるわけにはいかない。

「で、2つ目は?」

「首を絞めてほしいな」

「馬鹿野郎、貞操観念……」

 御樹のしかめ面を見て、天音はヘラヘラ笑って「冗談」

「強制させたとてね。毛髪の束でも下さないな」

「呪殺は遠慮したい」

「違う違う。そうだね、簡単に言うと、御樹君の大切なものが欲しいんだよ。首を絞める最初の体験も、命だったものの欠片も、その点では一貫」

「最初からそう言えば良くない?」

「うん」

 可愛らしい笑みで、頓着する風でもなく答える。「それは」と御樹が何かしら反論しかけ、けれどもかぶりを振るに留めた。

「思い入れがあれど、君にあげられるものか。あったかな」

「例示したけれど、無形でもいいんだよ。はつた……この言い方は良くないね」

「おぉ、貞操観念。いずれにせよ、具体的な要望は? 冗談抜きの場合」

「そこまで私に言わせるとそれ相応だけど、いいのかな」

 愉悦に満ちた態度で、わざとらしい上目遣いに御樹を見つめる。この程度でどきまぎする彼ではないが、自分が可愛いことを知ってないと出来ないポーズだよな、と下らないことも考える。

「倫理的ならいいよ」

「御樹君が欲しい」

 1つの願いとしての範疇を超えている。道具が貰えるならポケット、などとしたり顔で答えるようなこと。

 しかし、服従だのなんだのと素面でのたまっている連中だ。御樹は飽き飽きとしつつも笑みを漏らし「Yes, your highness」

「僕を操ることに関して、どうも粘着質だな」

「それでトントン。御樹君はまともに相手にしてくれないし、一向に改善の気配が見えないから」

 そう言って目線を下げる天音だが、いつもの被害妄想だ。彼にはとんと分からない。

「大体おかしいよ」と彼女は続ける。「こう破廉恥なことを言われたら、健康な男の子は真っ赤になるのに。まるで可愛げがない」

「誰目線だよ、それ」

「カップリング単位で見てるだけ。最近のヘテロ恋愛モノは、男性側も可愛くないと売れないからさ」

「それ最近か?」

「なんだ、ちゃっかりご存知」

 ちゃっかりも何も、ラブコメだろうがバトル系だろうが、キャラの食い合わせ、相性については散々話し合っている。今更教えられるまでもないことだ。

「チェッ」と御樹が言った。分かりやすく言葉にした。

「男が一々顔を赤くして、みっともないばかりじゃないか」

「いつもそれだね。火曜には実演していたけれど、皆が出来ることじゃないんだよ」

「僕だって気が緩みそうになる。それを努力して抑えたんだから、男は須く挑戦、奮闘するべきだ」

「その努力は環境と才能に恵まれてこそのもので、強要は不可能」

 御樹に人差し指を突きつけて「分かってるくせに」と言葉を繋ぐ。「そもそも価値観が古臭いし」

「価値観をアップデートしたんだ。隙を見せないために、こうせざるをえなくなったんだよ」

 彼は背中を丸めて、不機嫌そうに口をひん曲げた。心底から惚れている人間の前で、進んで見せる姿ではない。

「幼馴染なら分かるけれど、私の前で突っ張ることもないと思うな」

「また結城さんだ。勘弁してくれ……」

「そうじゃなくて、テンプレのこと。幼少期から性別の隔てなく仲が良くて、異性だからと意識しているところは見せられない、といったところ」

 なるほど、交友開始が性もクソもない頃まで遡ると、状況の深刻さはひとしお。御樹の無意味な獅子奮迅も、こういう場合には妥当性がある。距離感によっては、家族に欲情するようなものだろう。

「いや、でも」と御樹はしつこい。「君はからかってくるだろ」

「分からず屋。そういう考えが良くないと言ってるんだよ」

「だからどうして……まぁいい。3つ目は?」

 億劫になって打ち切った。「酷いな」と天音が呟き、腕を組む。

「けれども困ったものだね。君はものの頼み方を知らないようだ」

 瞬間、御樹は黙って立ち上がり、その場で土下座した。億劫になるとこいつはなんでもやる。

「ごめん。そこまでは言ってないかな」

 御樹の想定通りの言葉に、これまた黙って姿勢を戻した。彼が見ると、天音の方は既に腕を解いており、表情にも憐憫の色が見えた。

「プライドのプの字もないね」

「プー太郎だからな。不遜であろうと言われれば、こうもなる」

「絶対に言ってないよ。プレゼントでしょ? 御樹君と一緒に決めたい」

 言うなり、彼女はスマホを出して、御樹にカレンダーを見せた。彼は咄嗟に天音の誕生日を探り、当日が日曜であることを確認する。

「空いてたら嬉しいな。現地で選ぶのはどう?」

「多分暇だし、賛成。ここに来て良心的だな」

「けれども高価な洋服を買うことにでもなれば、前言撤回する羽目になってしまう。君には気を付けてもらわないと」

 懸念を口にしながら、ポケットにスマホをしまう。御樹の金だろうに。

 ショッピングとなれば、中央線で幾つかの駅を通過して、都心の方へ向かうことになる。2人とも、映画やイベントのために遠出することはしょっちゅう――特に最近は、この2人セットで町へ繰り出す機会が多い――であるから、親の許可も取れるだろう。元来、中学生だけの外出を制限するような過保護でもない。問題は御樹の財布だけだ。

 その当人は却って安堵して「しかし、最後は早いな。決めてたのか?」

「違うよ。君が3個目なんて尋ねるから、ふと思いついたものを言っただけ」

「え、じゃあ何か? 2個で良かったのか」

「そうさ。血の掟だけでは御樹君が満足しないだろうから、合わせて2個。君が私のものになるのなら、もう言うことはないでしょ? そこにネクストオーダーなんて、嬉しいサプライズだよ」

 その割に即座にハッタリをかまして、とっとと約定を済ませている。愚痴る程ではないものの、御樹は口をぼんやり開けたまま、なんとなく首筋をかく。

「僕はてっきり、君に合わせるものかと」

「ディスク3枚? 束ねて贈り物なんだから、数なんて合わせることないけどね」

 それもそうだと納得。己が失策を恥じ入り、彼は笑って肩を落とした。

「とは言え、損害でもないからな。これで僕の話は終わり。後はどうする?」

「どうしよう」と言いつつ、天音は勉強机の方に目を向けた。置いてある電子時計を確認するまでもなく、5時までには大層時間が残っている。

「ゲームしようか」

「家でもボイチャしながら対戦出来るし、止したんじゃなかった?」

「前回の反省を活かして、DSとPSPを持参してる。これならネット対戦もしないし、丁度いいんじゃないかな」

「おー」と御樹も素直に歓声を上げる。wifiを経由した最新ゲーム機での対戦以外に、古い機種での通信プレイもする機会はある。が、それは市民センターや図書館帰りの公園ですることであり、家でワイワイ興じるのとは訳が違う。特に天音が寒さを敬遠するので、最近は外で集まれていなかった。

「僕も持っていかなかったのが謎だな。一先ず真格やろうよ」

「それなら御樹君がホストだ。ちょっとブランクあるんだよね」

「すぐ戻せるだろ。で、後はイナイレ、AC……あ、4世代の構築更新した?」

「大分調整したよ。勝てると思う」

「どうかな。僕だって負けないつもりだけど」

 置いていたリュックを開いて、天音はDSとカセットケースを取り出す。対する御樹は別室――元々は据え置きゲームのための専用部屋。彼は自室に漫画や小説をバチコリ揃えるために、携帯ゲームやそのソフトも置いている――へ向かうため、のっそりと立ち上がった。

「部屋にないから、ちょっと持ってくるよ。あ、野菜ジュースとコーヒー牛乳どっちがいい?」

「野菜」

「了解。すぐだから待ってて」





「ゲェァーーーーハハハハハハハッ! 3回目ならば勝てると思ったのか!? ボケがァ! 勝てんぜ、お前は! 貴様の時計はいつになったら変わるんだッ! 明日か!? 1年後か!? 100年後か!? 1万光年かかっても無理だろうがな! 生きてる限り負けないよ!」

「み、御樹君はそんなこと言わない……」

「そうとは限らないぞ! YOU DIED! にやられてどうするよッ!? 貴様にはバトルタワーがお似合いだ!」

 言い切った途端、急に咳き込んだ。ベッドに座ったままの天音が、笑っていいやら悪いやらギリギリ分からない、とでもいった風の微妙な表情を浮かべていた。

 ゲームを切り替えてRPGでの対戦――4世代環境6650シングル――を初めてから、御樹は全勝している。1戦毎にレギュレーションを変更し、3戦目には若干のハンデを設けたものの、それでも天音は惜敗。結果、妙なスイッチが入った。

 とは言え、DSを右手に持ったまま左手で口元を抑え、部屋の中央でゴホゴホ言い続けているボケも、理性と泣き別れしたわけではない。叫び散らかしていたのは事実だが、崖っぷちの意識で声量そのものは抑えめだった。その所為でおかしな声が出て、しかも呼吸がトンチキになっている。そういうことだ。

「御樹君、大丈夫? 背中擦ろうか?」

 流石に心配になってきたのか、天音が尋ねた。「バチクソにだいじょばない……背中は止してくれ……」と異様に掠れた返事。

「すまん、ちょっと時間が……」

「気にしないで。ゆっくりでいいからさ」

「OK、うん……OK、もう落ち着いて来てる……よくあることだ、気にしないでいい」

 背を丸めたまま大きく息を吸い、非常に細く緩慢に吐く。意味の有無は全く分かっていないのだが、兎も角それを何度か繰り返し、ようやく彼は落ち着いた。

「すまない。急にはしゃぐものじゃないな」

 素知らぬ顔で言う。

「そうだね。急に元気になるから、何かと思ったんだけど……」

「読みが当たったからな。全体的に運も良かった。辛勝だ」

「あ、うん、そう」

 かなり圧倒されている様子だ。ゴキブリの時も大概だったが、それとは別に、彼女はテンションのチンパンゴリ押しに弱いところがある。御樹がそれを知っているからと言って、無闇にふざけようと思うこともないが――今回は特例だ。傾倒しているジャンルでも早口にならないのが彼の美徳であるものの、勝負事となると神経が弾ける。

 御樹だけが対戦の記録を保存し、通信終了。作品を跨いで長らく遊び続けていたが、もう5時前だ。新しく何かを始める気には、2人ともならなかった。

 門限がどうこうではなく、何となしに決めた時間だ。中学生の多くは部活に精を出すものである一方、その終了時刻と比較してもまだまだ。多少の遅れはどうということもない。が、引き延ばしても別れ辛くなるだけだった。

 荷物を全て収納した後、天音が手招きした。御樹は椅子に目をやり、しかし、結局は彼女の右隣に腰を下ろす。

「御樹君、上手いよね」

「場数が違うよ。というか、親が」

「そうだね」

 葛巻家は一家ぐるみでの所謂オタクだが、天音の方は違う。彼女がサブカル方面に転じたのは突然変異のようなもので、直接的には親族の影響が小さいと御樹は聞いている。母親は読書家らしいが、例えばライトノベルには、滅多なことがなければ関心を示さないのだとか。

 ただ、彼女もラノベばかり読んでいるような手合いではない。幼少期から読書漬けの毎日で、お偉方の間で教養とされるような小説は多数読破している。御樹の如きが何かしらアニメだの漫画だのあるいはドラマだのでちらりと見かけたタイトルを出してみれば、流暢に解説を始めるような人間だ。親自体がそうでなくとも、オタクとして作品を楽しむ知識と感受性は、いずれにせよ家庭環境に由来する。

 しかし、親と共有出来る話題は、一般小説に関するそれに限られてしまう。コンピューターゲームの対戦相手なんぞを近場で探ろうにも、彼女は御樹を使う他にない。

「明日も会いたいな」

「え? 月曜日だよな」

「そうではなくて、放課後。来ない?」

「そんな連日……」

「録音」

「やっぱり行こうかな、やっぱり」

 不自然にさりげなく答えた。天音が少々口角を上げる。

「ストーリーサイドも繰り返し読んだから、その時に渡すよ」

「ありがとう。念のため聞くけど、面白かった?」

「中々。ちょっと話したいこともあるし、可能な限り早く読んでほしい」

「了解」

 まずったな、と御樹は密かに考える。邪念が入った。

 天音の後に読むことにした時点で、想定していたことではあった。けれども、言われてしまっては尚更だ。読んでいて何かが引っかかる度に、これが彼女の話したい該当部分だろうかと思いを巡らせてしまう。そういう自分を想像して、げんなりした。

「それから、さっきのプレゼントのこと。私は御樹君を貰っていいんだよね」

「ん? あぁ、一応」

「へぇ、一応。で、血の掟なんだけど、あれってマフィアの契約でしょ?」

「そうだね。それで?」

「裏切ったら決して許さない。分かってないよね」

 これまたやけに物々しい話だが、ガキが言いそうなことでもある。御樹は穏やかな表情の彼女と目を合わせ、気色悪い沈黙を味わってから、素直に首肯してみせた。

「犯罪でもさせられそうなら裏切ると思う。すると、どうなるんだ?」

「君を利用する気はないよ。ただ、もしもの時はさ」

「あぁ」

「私が傷つく。止めて」

「……あ、そう」

 拍子抜けも甚だしい答えだ。どこにどうマフィア要素が絡んでもそうはならない。

「泣くからね。泣くし噛むと思う」

「犬じゃないんだから」

「犬畜生だよ。御樹君にとってはそういうこと」

 無感動に言って、御樹の左腕に縋り付く。そりゃ逆だという指摘も忘れて、彼は表情を歪める。

「耳、舐めていいかな?」

「良くない。親の前で出来ないことをするべきじゃないだろ」

「ケチ。いっそ意地汚いよ、そういう言い方」

 文句を垂らしたかと思えば、そのまま彼の頬を舐める。頬は性感帯ではないのだから、御樹がそれで興奮するというわけでもない。無意味なじゃれ合いだ。

「呆れた」

「誕生日を迎えたら、そんなことは言わないでほしいな」

 微笑を浮かべる天音は、御樹にとって如何ともし難く可愛らしく見える。彼は気の利いた言葉を返しあぐねて、素っ気なく「洗うからな」とつまらないことを口にした。

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10ページ目で絶対に催眠される気の合う女友達 @RaveN64

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