Day8 愁然爆発!! 弩屑が懼れねば誰が懼る

 御樹、G賞、ラバーチャーム。天音、F賞、タオルコレクションの中からハンドタオルを選択。

 1度ずつ一番くじを引き、それですっかり満足してしまった。御樹は幸運にも推しを当てたが、しかし、

「ラバストって、どこに付けるのがいいんだ?」

 イートインスペース――窓に面しており、6個の椅子が横に並んでいる――に腰掛け、100円という値段設定にして大満足を得られるチョコチップスナックの袋を破りながら、そんなことを小さく言った。

「通学リュックさ」と天音。御樹の左隣に座り、脅威のスティック6本入りチョコチップスナックを開封。幸いにも、他に食事時の客はいない。

「可愛過ぎるよ、これは」

「だからなんだってんだよ。ってんだよ……」

「イヤッ、流石に馬鹿にされるだろ。君ならいいかもしれないけど」

「交換する? 思いっきり可愛こぶってやる」

「中止でーす。じゃ、いただきます」

 縦に長い袋へ僅かに手を入れ、パンをちぎって口に入れた。「おいしいやつだッ……‼」と今になって思い出したかのような反応。

 天音も「いただきまーす」と食事を始めるが、こちらは袋を両手で掴み、パンを1本引き出して直接口をつけている癖に、妙にちびちびとしている。御樹が1本を片付けた時点で、半分も進んでいない。

「大事に食べるよな」

 御樹が言うと、彼女は口の中のものをごくりと呑み込み、表情を綻ばせた。

「御樹君が速いんだと思う。勿体ないじゃない」

「僕だって勿体ぶって食べてるよ。そしてこの場合、その文言で時間を稼ぐのは営業妨害だ」

「なら半分ぐらいで止そうかな。帰りに公園へ寄っても?」

「分かった。付き合う」

 答えた途端にペースアップ。「言わなきゃあのまま全部かよ……」と律儀な指摘。

 果たして、彼らはテキトーな頃合いで食事を中断すると、両者、黒のハンドバッグを片手にファミマを出た。パッサパサのパンに水分が奪われたものの、飲料は購入しない。準備のいいことに、ハンドバッグにはペットボトルが入っている。

 彼らがいたファミマは大きな交差点のすぐ側にあり、人通りもそこそこ。バッチリコートを着て来た御樹と天音は、道行く軽装の人々を見ながら「あれ寒いよな」「寒いよね」と意見を同調させて目的地へ足を進める。

「本当に、今日も寒いね」

 繰り返すように天音が言った。「あぁ」と御樹は答え、視線を左にやって様子を窺い、やや考えた後「寒いね」と言葉を繋げる。

「いいね、そういうところが本当に好き」

「俵万智だっけ? ちゃんと思い出せないんだけど……」

「寒いねと話しかければ寒いねと」

「あぁ、そうだ。ド忘れしてた。危ない危ない」

 ほっとして息を吐き、右の頬をかく。振ってくるのは語録に留まらず、時たま単純な教養を試されるのだから肝が冷える。

「答えてくれたのは御樹君が初めてだよ」

 そう言って彼に微笑みかける。「おかしくないか」と御樹。

「短歌が分からなくても、共感するだけで条件はクリアだろ」

「それがどうしてだか、狙うと駄目みたいだね。物欲センサー?」

「へぇ、って、僕も言いそびれそうだったな」

「それを意識して合わせてくれたんでしょ。嬉しいな、君と仲良くしていて良かったって、こういう時に強く思うよ」

「大袈裟だな」

 苦々しい表情を見せるが「そうでもないさ」と天音。

「御樹君は私のことを考えてくれる。ありがたいことだよ。兄のようだって、瑞樹さんに言われたことない?」

 御樹は眉をひそめ、以って不服を表明した。少し話したからと、どこへ行っても幼馴染のことを突かれては参ってしまう。

「まさかのよもやだ。さしもの彼女も、そこまで腑抜けたことは言わない」

「腑抜けてるかなぁ。正確な表現だと思ったけど」

「どこが?」

「文句を言いながらも合わせてくれたり、何を言っても反応が鈍かったりするから」

「卑劣な言論だ。それは君がそうさせてるんだ」

 角ばった語調で「抗議も辞さない」と付け加える。情けない話だが、大体は天音の戯れに踊らされた結果だ。それで持ち上げられても気落ちするまで。

「褒めてるのに。素直に受け取ればいいものを、洒落臭い」

「褒めてるのに悪態つく?」

「釈然としないか。なら、御樹君は私のことをどう思ってるの?」

「どう、って言っても……」と視線を漂わせ、何か上手い言い回しはないものかと思案する。妹らしい、などと思ったことは1度たりともない。気の合う友人で、恋愛感情も抱いているが、分の悪い賭けに出て関係を乱す気にもならない。御樹にとっては、大凡そんなところだ。

「そうだな。君との繋がりを失うのは恐ろしい」

「それは私を愛してる、ってこと?」

「婉曲に言ったことを曲解するんだから、たまったもんじゃない。大切な親友だとでもほざけばいいのか? まるで恥知らずじゃないか」

「いずれにせよ、期待する答えじゃないね」

 気楽そうに言い、後ろ手を組んで伸びをした。「あぁ、そう」と御樹。

 如何に頭を捻ろうとも、どうせ正解には至らないのだ。親友、悪魔、同級生、想い人、どう表そうにも軽く流されるだけ。彼はそう予想して、相も変わらぬ無力に辟易する。

「木元さんって、惚れた相手とかいるわけ? 今まで生きてきて」

「異性で?」

「同性でもいいけど、恋愛的に」

「何、急に? 御樹君の名前は言わないよ」

 目を細めて微笑む彼女に、御樹は苦笑で応じる。そんなことを期待しちゃいない。

「そういうことじゃない。君のような人が好きになるとしたら、どういう相手かと思って。単なる興味だよ」

「後学のためなら、いいけどね」

「だから違……いいや、どうぞ教えて下さい」

「はいはい。えーっとね、今も好きなんだけど、先ず男性で」

「うん」と相槌を打ちつつ、あぁ、こういうことかと納得。彼は立ち止まりそうになりながら、どうにか足を前へやった。

 聞いていた通りだ。ガキの片想いなど、こうした些細な会話の中で終わる。

「ちょっと乱暴だけど身内には優しくて、勉強は好きじゃないみたいだけど運動が出来て、お酒と煙草をやってる面白い人」

 こともなさげに彼女は言った。その調子に合わせて、なんとか表情を保とうと御樹も苦心する。

「へぇ、そうなんだ。学校の人?」

「うぅん。ネットで知り合った高校生。顔も格好いいんだよ」

「あ、ふぅん。そっか高校生。じゃあ酒くらい飲むか……」

 腹落ちした体で細かく頷き、口をつぐむ。何かしら喋り出すと、失言を重ねることは必至。

 天音も「それくらいはね」と理論の通っていない同意をかまし、それきり、黙ってしまった。2人はそのまま無言で歩き続け、やがて、目的地に辿り着く。

 小さな公園だ。駅から離れた集合住宅の近くにあり、遊具もブランコに滑り台、それからジャングルジムぐらいで目新しいものは皆無。全体的に年季が入っており、トイレもなんとなく臭い癖に、掴んで回る名前のよく分からない楽しいヤツ、即ちグローブジャングルもない。が、その所為で子供も少ないので、悠々と休むには丁度良い――無論、今の御樹の精神状態では、どこへ行こうと心休まる筈もない。

 公園に入り、天音が古びたベンチへ直進したものだから追従し、彼女がハンドバッグと共に腰かければそれまで。目的を見失い、ベンチの後ろに立ち尽くす。その目は遠くを見つめていた。

「御樹君、座りなよ」

 促されたので、長いベンチの右端に座った。「いやぁ、疲れた」などと辛うじて呟き、バッグを足元の砂地に置きながら、力なくうなだれる。

「ごめん、御樹君。冗談」

「あぁ、そう」

「うん、だから嘘なんだって。そこまで落ち込むと思ってなくて」

 彼はそれを聞き流し、けれども、僅かに間を置いてから、脳が感覚に追いついた。開口一番「はぁ?」

「悄然損? 僕の? 勝手な? クソか?」

「そうだね」

 ちょっと心苦しそうに首を縮めて、彼女は御樹の隣まで移動した。御樹は唖然として彼女を見つめ、腕を組み、また解く。

「どういうお笑い? これは」

「いや、そういうネタでもなくて。明らかな虚偽だから、呆れて終わりかなと」

「なら早く言ってくれ、マジでな」

「そうなんだけど、御樹君があんまりショックを受けていたみたいだから、その、面白くないかい?」

「バチボコにつまらない」

 不機嫌そうに言うが、その内心は安堵と後悔とで半々だ。彼女が非実在不良に恋していないのならば何よりだが、絶望に叩き落とされた所為で気が緩み、全く思春期然とした姿を晒してしまった。常よりの彼の努力も、これではすっかり水の泡。

「私は気分が良かったよ。御樹君がこんなに焦ってくれたの、随分と久し振りだから」

「それの何でご機嫌になるんだよ。嬉しいのかよ、満足なのかよ」

「安心する。御樹君の感情を私の言葉で制御出来るってことに」

「それは慢心、とも言えないが、いや、高慢ちきだ」

「自信がないんだよ。だから、必要以上にちょっかいをかける」

「DVだろ、その心境」

 たちまちに天音が笑い声を上げた。「いいね、それ」と極めて愉快そうな様子。

「興味深い指摘だよ。愛される自信もないのに、相手を支配したがって痛めつけるわけだ。頷ける話だね」

「頷けるならもう少し手心を加えてくれ。服従くらいはしてやるから」

「随分と見下した言い方じゃないか。まぁ真理かな」

 意味深な物言いだが、御樹が聞いても理解が及ばない。「真理なんだ……」と敢えて間抜けっぽく返す。

「面従腹背の証に1つ承諾してほしいんだけど、明日、御樹君の家にお邪魔してもいい?」

「え? 急にまた、どうして」

「直近で3回も招いたのに、私は御樹君の家の場所も知らないなんて、釣り合いが取れないよ。変だと思わない?」

 確かに、御樹は木元家を訪問し過ぎている。バランスを取る是非は兎も角、彼女が不満に思っているなら反論もない。

「両親がいると思うけど、それでいいなら」

「御樹君の部屋に入ったら駄目?」

「駄目じゃないけど、モニターがない」

「それでいいよ。部屋で2人きりの方が、友達の家に行ったって感じだし」

「あぁ、なら良かった」

 御樹としても、親の前でコケにされ続けるのは忍びない。その親が面白がって、幼少期の情報を開示するリスクさえある。部屋に籠れるなら、そちらの方がありがたいところだ。

 御樹自身が一番に把握していることだが、幼い彼は阿呆だ。当然今も阿呆だが、それ以上にみっともない。数知れぬ蛮行を天音に知られれば、多角的な攻撃を許してしまうこととなる。

「御樹君は本当に都合がいいよね」

 褒められているやら貶されているやら。「そうかもな」と一応の同意。

「恐らく対人関係においては、御樹君と会えたのが一番の幸運だよ、私にとって」

「うわっ、他に仲いい人いないわけ?」

「いるにはいるけど、御樹君には届かない。君がいなければ、きっと友人を家に招くことも、またその逆も私は体験しないまま、大人になったような気がする」

「悲観的過ぎる。若者はすぐこれだ」

「そうかもね」

 くすりと笑って、彼女は御樹にもたれかかる。「窮屈」とだけ御樹は文句を垂れた。

「いいでしょ、折角会えたんだから。色んな偶然が重なり合って、幾つもの分岐があって、その中で私と御樹君が会えた。なんだか人生じゃん」

「僕なんかに使う台詞か?」

「御樹君が拒絶出来ることじゃないよ。私の勝手なんだから」

 それならせめてもの溜息を、と彼は思いかけ、止めた。身動きが取れないままに、笑みだけをこぼす。

 御樹とて、天音との出会いには感謝している。運が良かったと思っている。その出会いを天音が尊重してくれるのならば、わざわざ呆れることもない。

 しかし、

「昔の話なんだけどさ」

 唐突に言った。「何?」と天音は続きを促す。

「すれ違う人間の全員に生い立ちがあって、情緒があって、その人にしか分からない神秘が存在して、っていう単純で途方もないことに気が付いた時、凄まじく恐ろしかったんだ」

「稀にあることだね」

「あぁ。けれども底冷えしたのは、僕がその事実をしばしば忘れることだった。意識していないと、人間が背景、あるいはものの数でしかないんだよ。毎日何人の人が自殺して、世界中でどれだけの子供が死んで、そんなことを言われた瞬間はちょっと気にかかっても、中央線が遅延した時にはどうとも思わない。知ったこっちゃない」

「それが健康な精神だよ」

 気遣うような調子で彼女は言った。「ニュータイプでもないしな」と茶化すように御樹は返答。

「いや、しかし、僕の大切な人も、他人にとっては数字に過ぎないんだよ。車に轢かれて死んだら、交番の掲示で事故死の数が1増えるだけ。なんかそういうこと考えたら、無造作にテキトーに傷付けられても、全然普通だよな。人が偶然に殺されたって、何もおかしいことはない」

 天音が息を漏らし、僅かに沈黙してから、少々控えめに「地獄でも見てきたの?」

「あ、やっぱり極端?」

 最前までおかしな話をしていた割に、明るい調子で彼は言う。「極端も極端」と天音。口早に続けるところによると、

「論理の飛躍というか性悪説? 漠然とした不安? 通り魔に殺されかけたことがある? 剣を持って戦う?」

「なんでアキネイターなんだよ。何もないけど、形而上の話。悪意1つの気紛れで奪われる尊厳を、運命で片付けられるのかってこと」

「伝わらない、そのフィーリング。変なことを話すのは十八番だけど、今はそういう気分じゃないんだよね」

 言いつつ、御樹の左手に指を絡ませる。御樹も大概だが、末端が異様に冷えている。

「繋がりを失うことが怖いなら、もうこの手を離さない。それでいいでしょ」

「陳腐なJ-POPだな」

「でもアカシア……」

「手を繋いで離さないのは生き方としてサイコー」

 とは言ったものの、どうにも雰囲気に欠ける。恋人じみたことをしていても、その本質はお遊び。いつもと同じく、御樹は素直に喜べなかった。

 天音は幸せそうに笑みを浮かべているが、それで満足だと思える程に、彼は達観していない。土台、彼女の表情とは御樹を操る手段の1つであり、信頼するには不足だ。

「奪われてどうこうなんて、御樹君の方がずっと悲観的だよ。憂いても仕方がないことなんだから」

「それは分かってるけど」

「大体、そんなに恐怖ばかりが膨れ上がれば、自ずとこの瞬間のありがたみも分かってくる筈。それなのに、私を脅すような物言いをするのは酷いよ。ね?」

「分かってるって。おかしな話をしてすまなかった」

 投げやりに謝罪するが、脳裏に過ぎるのは天音のジョーク。尤も、彼が変に騙されて過度に意気消沈しただけのことであるから、あれ以上は彼女を責められない。

「ところで、木元さん」

 呼びかけると、彼女は上目遣いで御樹を見つめる。美人だなぁ、と馬鹿らしいことを心中で呟いている限り、彼に本心からの抗議は出来ない。

「この姿勢でいつまでいる気? まだパンもあるんだけど」

「御樹君が止めたい時でいいよ」

「なるほど」

 言うが早いか、手を振り解いて立ち上がる。支えを失った天音が体勢を崩し、肘掛けに手をついた。

 続けざまの文句を御樹は警戒するが、彼女は寧ろニコニコと満足げだ。御樹の決心も、どうやらお見通しらしい。

「止め時なんて探してたら、そのまま日が暮れるよね。うん、分かるよ」

 わざとらしい言葉に、しかし、否定する材料もない。彼は自嘲を込めて鼻で笑い「明察」とだけ返事した。

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