Day6 HERARTORIAS OF THE ABYSS~名優を蝕んだ深淵の病みは、やがてウブな一途を飲み込む~
一番くじが始まったため、学校帰りに2人してファミマへ向かうことになった。
提案したのは天音で、御樹からの反論はある筈もない。慢性金欠の彼とて1回か2回は引こうと思っていたし、結果に応じて交換の選択肢も生まれる。天音への好意にかかわらず、敢えて断る理由もない。
ファミマを使うとなると、彼らのどちらにしても、多少の寄り道にはなる。が、どうせ帰っても暇だ。思い立ったが吉日で、完売の可能性もない時期にとっとと運試しするのが上々と判断した。
しかし、学ラン姿の御樹は玄関で立ち尽くし、ぼんやりと天音が来るのを待っている。HRが終わった途端、なんの用事か、彼女は担任に呼ばれてしまった。「玄関で待ってて」と言われたから掃除を終えても玄関で待っているが、それから暫らくが経った。1、2年生合同で計8クラス分になる人の波が過ぎ去り、玄関前の階段から下りてくる生徒もまばらになってきた一方で、どうにも来ない。
当初はすぐに終わるだろうと考え、本を開くこともなかった。幾ばくかが過ぎて、リュックを足元のアスファルトに置き、やはり読書とも思ったが、待ったのだからもう来る筈だと止めた。今に至り、後悔だけが残ったが、すぐ来るに違いない。そういう次第で、ぼんやりと待っている。
一時は全くの静寂さえ続いたが、また誰かが階段を下りて来た。天音ではない、が、御樹のよく知る顔だ。向こうも彼に気が付いた様子で、湿っぽい表情をパッと華やかにした。下駄箱まで慌ててやって来るなり、いそいそと靴を履き替えると「センパイっ」と可愛らしい声で呼びかけて、嬉しそうに向かってくる。
中1なんだからそりゃあそうかもしれないが、いやに幼げな容貌で、その割に整った顔立ちの少女だ。校則に縛られていないものだから、茶髪――はっきりとした茶色。地毛――のロングを悠長に伸ばしている。天音も相当だがそれ以上に色白で、天音も結構だがそれ以上に華奢。身長は145cmくらいで、成長を見越してやや大きめのサイズを買ったらしいブレザーの袖が、手の甲までを覆っている。
「部活もやってないんだし、先輩は止めてくれ」
「やっぱり、駄目ですか?」
「駄目じゃないよ。少し気になるだけ」
天音が知ったら彼は長らく馬鹿にされるだろうが、少し前までは「ミー君」などと馬鹿げた呼び名をつけられていた。元来、彼が極めて幼い頃に母親が使っていた呼称であり、それより余程ましではあるものの、先輩と言われるのも慣れない。
「あのっ、それなら、私のことを名前で呼んでくれたら、変えます」
「じゃあいいか。ごめんね」
「えっ、あ、はい……」
結城瑞樹。12歳。御樹とは幼稚園から小学中学と一貫して先輩後輩であり、親同士の関わりもある。所謂幼馴染であり、昔っから今に至るまで交友が続いている。その割に、互いの家を訪れたことさえないが。
ところでこの葛巻御樹という男は、名前のそこはかとない間抜けさと実際の惰弱に反して、どうもそんな星の下に生まれているのか、俗に言う美少女との繋がりを持ちやすいところがあるようだ。
「今日は部活じゃないのか?」
「いえ、その……」と言いあぐね、ただ大袈裟に両手を振る。一々虚構を挟む天音と違って、本心からの所作だ。
「音楽の真壁先生、あっ、顧問の先生が今日お休みで、それで、ホワイトボードには音楽室に集まるようにあったんですけど、掃除が長引いちゃって、でも……」
「休みになったんだ」
「あっ、そうなんです。今日はなし、って言われて」
御樹とは喋り慣れているだろうに、肩に力を入れて、やけに慌ただしく喋る。昔からそんなところがあったとは言え、御樹から見て、中学入学以後は特に酷い。病弱は改善気味なのだが。
「でも、センパイがいたので、良かったです」
締まりのない笑顔だ。「そう」と御樹は言って「僕も運がいいな。結城さんに会えるとは思わなかった」なんて付け加える。瑞樹は些細なことで落ち込むため、自然と言葉選びにも慎重になる。
「えっ、そんな、あの……」
あたふたしながら、急に頬を紅潮させた。あぁ、しまった、というのが御樹の感想。最近はたらしのようなことを言うと恥ずかしがるんだった。
「せっ、センパイ、は、何してたんですか……?」
「人を待ってる。一緒に帰ろうと思って」
「……え」
今度は口を開いたまま固まり、それから徐々に目つきが悲しげになっていく。呆れる程に多様な変化だ。御樹はその正直さを心配する一方で、手応えらしきものも覚える。
「折角なのにごめん。明日は2人で帰れないか?」
「あの、ごめんなさい。明日も部活の予定で、多分、明日ならあると思うんです」
「そうだな。だから、君が部活を終えるまで待ってるよ。それとも、同じ部活の子と……」
「い、いえ、それは、あぁっ、でもでも、センパイに悪いかも」
そう言って目を伏せる瑞樹に「そんなことないよ」と可能な限り優しい語調で彼は答える。「ここ1週間くらい顔を見れてなかったから、久し振りに話したいんだ。本を読んでればすぐだし」
これまたクソたらしの如きクソ言葉。天音がふざけて言いそうなくらいだが、別に彼は無理して嘘を吐いているのでもない。瑞樹と話すと穏やかな気分になれるし、家でゲームをするのと図書館で読書をするのとでは大した違いはない。それを正直に、少々は調子を修正して言うだけで、存外と彼女は喜んでくれる、というわけだ。
果たして、彼女は上目遣いになって御樹を見つめて「それなら、お願いしてもいいですか……?」と念を押す。彼は穏やかな表情で、気障ったらしく「Yes, my lord. そもそも僕の要望だけどな」
これではコケにしているか、と彼も即座に自省するが、瑞樹はみるみる内に表情を明るくし、曰く「やったっ。ありがとう!」
「あ、そうじゃなくて、ありがとうございますっ」
「別にどっちでもいいよ。大体……」
とまで言いかけて、こめかみに手を当てる。瑞樹を困惑させることは承知済みだが、しかし、下駄箱の後ろに天音が潜んで小悪魔然とした微笑を湛えたまま顔を覗かせている、そんな馬鹿げた事態に遭遇すれば、流石にそうもなる。
御樹は彼女に対して、瑞樹のことを然程多く語っていない。が、ちょっとした機会があって語る時に、それはもう笑っちゃうくらい滅多矢鱈にからかわれたことがある。実物とのやり取りまで見られては、もうお終いだ。
「初めまして、瑞樹ちゃん」
陰から飛び出して彼女は言った。瑞樹はびくりとして振り返り、咄嗟にやや深いお辞儀。
「そんなに改まらないでいいよ。御樹君の旧友なんだよね?」
軽々とした仕草で靴を履き替え、一気に2人の元に迫る。「遅かったな」と御樹。
「優秀だからね。休み明けに書いた作文あったでしょ? あれを次回の集会で読む羽目になって」
「その打ち合わせか。道理で」
瑞樹の方を見ると、彼女は突然の襲来に驚き、御樹に助けを求めるような痛々しい視線を送った後、そそくさと彼の後ろに隠れてしまった。「いやいや」と御樹。
「隠れることないよ。こちら、同級生の木元さん。話したことなかったよな」
「へぇ」と天音の方が口を出す。「私は瑞樹ちゃんの話も聞いてるのに、私のことは話してくれないんだ」
「だから紹介しただろ、今だけど」
投げやりに言うと、そこに突っかかってくる。「なんか瑞樹ちゃんと扱い違うね?」とのことだ。
その自覚が瑞樹もあるのかないのか、またも身を震わせて「ごめんなさい」と一言。御樹の後ろからは出ない。
「いいよ、謝ってもらうことじゃない。それより、本当にいたんだ。実在に先ず驚いたよ」
「あ、そこから疑ってたわけ?」
「少々ね。御樹君のような人に古い知人がいて、しかも好かれているというのは、ちょっと……」
なんて言いつつ曖昧に微笑む。天音はヘラヘラと下らないことばかり言う人間だが、こう直接に見下すのは珍しい。
「あぁ、妹さんもいるんだっけ」
瑞樹が驚いて声を上げる。「いないいない」と御樹。
「なんで生で見ても疑ってるんだよ」
「いや、何、援助交際の線もあるしね」
「馬鹿野郎、貞操観念……」
軽くいなすが、瑞樹の方は元々丸っこい目を更に丸くして赤くなった。この純真が男だったらそれはそれで気色悪いかもな、と愚にもつかないことを御樹は考える。
しかし、天音の発言は宜しくない。普段と比べて下品であり、それ自体は御樹も気にしないが、今は瑞樹がいる。女子中学生と一括りにするのは問題とは言え、年若い子の前で口にする冗談として不適切。それを本人ではなく気の知れた男の方に吹っ掛けることも、粗野な中年のようで褒められたものではないだろう。この場合、発言者の素性は関係がない。
「結城さんは育ちがいいんだ、僕と違って。少し遠慮してもらわないと困る」
「困るって、御樹君がでしょ? 困って何しようと言うのさ」
「いや、別に何もしないけど」
「意気地なし。優男のようにしていても、口先だけで何も出来ないんだから、いけないね」
たまらず苦笑。彼も弁が立つ方ではあるが、なるほど実践においては力不足も甚だしい。災難に巻き込まれそうになれば「やめなよ」か「暴力はいけない」かで、まぁそれも言葉に過ぎず、終いには逃亡を是とするから、どうということもない。
「あの、センパイ……」
小声――と言っても天音には聞こえる声量――で呼びかけ、瑞樹は彼の左手をきゅっと握った。表情には不安な色がある。
「あぁ、ごめん。いや、君が気にすることはないんだけど」
「そうだね」と天音。「気にせずとも、私はすぐに行くよ。御樹君と一緒に帰るから」
言いつつ、御樹の右腕をぐいと引っ張って隣に持ってくる。途端に瑞樹の手が離れ、彼も「何これ」と呆れ調子。
天音の御樹への態度は常々酷いものだが、それは対象を彼1人に絞っているからこその筈だった。誰を相手取る時も飄々とした様子ではあるが、他方、控えめで主張が弱いところがある。後輩だろうと誰だろうと、そもそもの心根が優しく、穏やかなのだから、人によって態度を急変させることもない。それとも――所有者をはっきりさせるつもりか?
「木元さん。戯れにしてもこれは……」
「君は黙ってて。それにしてもさ、瑞樹ちゃん。私は御樹君と話が弾むし、波長も合っているけれど、貴方が付き合っていると大変でしょ? 不愛想で小言が多くて、弱々しいのに偉そうだし、受け身ばかりで面白味に欠けてる。友達も少ないよね」
ただの罵倒だ。当人も普段ならばあるいは、おかしなスイッチが入ったんだな、と軽く流すところだが、最前の行いから続けて妙に低俗。横目で冷笑を窺い、一瞬ながらも目を細める。
しかし、問題は瑞樹の方。冗談であろうと、友人の悪口を言われるだけで気を参らせてしまうような少女なのだ。しかも、その相手に御樹を奪われるような形になったのだから――それは彼への感情の強弱にかかわらず――あまり面白くないだろう。
「で、でもっ……」
泣きそうな目で言葉にし、続きに苦しんでまた口をつぐむ。「どうしたの?」とやけに優しげな表情と声で天音は問いかけるが、寧ろそれは煽りだ。
「なぁ」と御樹が口を開く。「木元さんの言ってることは、大体軽いジョークだ。つまり、僕は全然……」
と、そこで途切れる。彼の腕を握る左手に、天音が力を込めたからだ。それも全然どうってことないが、彼女をその気にさせれば、まだまだ幾らでも悪口が出てくることは分かっている。瑞樹に聞かせてやることもない。
にしても、実際の脅しの材料が別にあるとは言え、暴力を用いるとは。すぐさま軽蔑、ということも御樹はないが、純粋に驚きが大きい。
「昔から交流があるにしても、あまり近付くべきではないよ。あ、リュック取ってくれる?」
言われるがままに、瑞樹が御樹のリュックを持ち上げて天音に渡した。正確には、御樹が手を伸ばしたところで彼女が取り上げた。
「おい、何を……」
「いいからさ」
とだけ言い、そのまま御樹の後ろからリュックを背負わせようとする。こうなると抵抗も面倒になり、彼もされるがままだ。
「あのっ……」
その様子を見て、また瑞樹が声を上げた。「気に入らない?」と天音。
「え、いえっ、そういうことじゃなくて……その、仲が良くても、御樹センパイのことを悪く言ったりするの、止めてほしい、です」
うげぇ、とこれもこれで御樹は焦る。誰が悪いかと言えば黙りこくった彼が悪いのだが、それにしても、こんなところで無駄な勇気を発揮することはないじゃないか。本気の罵詈雑言ではないのだから。
気を害したかな、いや、しかし正しいことを言っているし、君にも責任はあるからな、と心配になりつつ罪を移し、天音の方に振り向く。果たして、彼女の表情はと言えば、なんてことはない。微笑だった。
「やっぱり、気に入らないんだ」
落ち着いて呟き、御樹から3歩離れる。2人を見比べて後、大きく深呼吸。ほんの僅かに目を落として、続けるところによれば、
「確かに、瑞樹さんの言う通り。悪ふざけが過ぎたみたいで……からかってごめんね」
今度は殊勝なものだ。言われた2人が呆然としていると、そのまま玄関から出て行こうとする。
「ちょっと待ってくれ、僕も……」
「いいよ、御樹君。1人で帰る。頭を冷やしたいんだ」
そう言われると手出しもかなわず、息を漏らしてそのまま見送る他ない。1度振り返り「バイバイ」と笑いかける天音に、無言で手を振った。
残された両者の間で無言が続き、やがて御樹が「あぁ」
「予定がなくなった。一緒に帰ろうか」
「え、はい、でも、私、良くないこと……」
「いや、いいから。別にさ」
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