Day5 相手を照れさせたい中学生男女の話
僥倖だと思ったその瞬間、既に2人の手は触れ合っていた。
「すみません」
本棚に伸ばした手を引っ込めて、形式ばかりの言葉を発する。気を遣わせないようクールに去るが吉、などと御樹は思いつつ、それでも通路の角を曲がったら大きな溜息の一つでも吐いてやろうと決心し、けれども、想定外の一言で状況は一変した。
「御樹君?」
振り返ると、ロングコートを身に纏い、買い物袋とカゴを提げた天音。小声で呼びかけながらも、今しがた手に取った小説を買い物カゴに入れている。
「御樹君だよね? 縁があるようで嬉しいよ」
歩み寄る彼女に、御樹は苦笑で応える。他方、その小説を見つけたのが天音であることは、僅かな希望が潰えたということでもある。
なんとなく興味があって見てみた、という程度であれば、まだ御樹にも購入のチャンスがあった。が、天音の場合は違う。価値が分かっている。確実に買われる。
とは言え、彼にとってはこれも僥倖に違いない。散歩気分で下校後に新古書店に立ち寄り、そこで想い人と会い、しかも同じ本を見つけて手が触れ合うというのは、先ず有り
「珍しいこともあるもんだな」
こちらも小声で平易な感想を述べる。頭にあるのは金のことばかりだ。
「本当にね。折角だからちょっと話さない? 場所移そうか」
「移したって狭いよ。後にしよう」
「なら会計だね」
言うが早いか、立ち読み客を華麗にかわして、狭い通路を流れるように進んでいく。御樹も行きつけの店ではあるのだが、その速度には到底及ばない。
尤も、御樹がいくら緩慢にその後を追ったところで、大した違いはない。レジに積まれた小説、漫画12点を処理するには、いささか時間を要する。
一方で総計が2000と少し。中学生相場でなければ、しけた額だ。
その額をきっちり払いたいらしく、天音は財布の中身を漁っている。その間に店員がすることと言えば、購入品をせっせと買い物袋に詰め込む作業だ。効率良くいきたいらしい。
重そうだなぁ、と他人事らしくどうでも良さそうな感想を御樹は抱く。巨大なエコバッグの持参は用意のいいことだが、家まで1人で持ち帰れるのだろうか? 先程も動きこそ俊敏だったが、カゴは細い両手で持っていた。
「ありがとうございます」
会計を終え、天音がレシートを受け取る横から、御樹がバッグを受け取る。「え」と天音。
わざわざ足を止めることもなく、店員に軽く会釈して、そのまま出入口に歩み出す。天音が左隣に並び直し、目を細めて微笑んだ。
「持ってくれるんだ。男の子だからってこと?」
「いや、君の力が僕より弱いから。今日はこのまま帰るのか?」
「……へぇ?」
「なんだよ」
「いや、家まで送ってくれるんだな、と思って」
「あぁ、そうしようかな」
なんて言いつつ、自動ドアを抜けて店外に出る。御樹もコートを着て外出したが、ここ数日のうちでは随分温かい。日も出ている。
「ただし、御樹君も貧弱な部類でしょ。助力は意地だよ」
「それより、不良みたいで嫌なんだよ、店前でたむろするの」
「揃ってコートを着た小柄な不良かい?」
「それも変か」
納得はするが、だからと言って引き返しはしない。ただ話すことだけを目的とすると、どれだけの時間を費やすか分かったものではなかった。
「木元さんはさ」
信号待ちをしながら、その目を見て口を開く。
「何?」
「さっきのをネットで買おうとしたらどれくらいするか、知ってるよな」
「うーん」と首を傾げ「前見た時は、8000円くらいしたけどね」
「まぁ、だろうな」
小さく溜息を吐くと、丁度信号が青に変わった。行き交う人はまばらだ。駅と少し離れた店からまた少し離れると、人通りがドンと少なくなるのがよく分かる。
そのまま人の少ない路地を進んでいけば、暫らくして天音の家に辿り着く筈だ。何せ昨日にも訪れたばかりだから、割と明確な位置関係が御樹にも想像出来た。
「君も色々買って来れば良かったのに」
「大物逃がして萎えたんだよ。金欠だし」
御樹が憐れに口角を上げると、天音は妙に甘ったるい声で「そっかぁ」と呟く。
「そういうことならさ、博打はどう?」
「どうもこうもない」
「話くらい聞いてほしいな。危ないことはしない。相手は私。興味ない?」
「ないよ」
「つれないな。勝手に話すけどね」
それを聞くなり、御樹は表情を可能な限り歪めて、露骨に嫌そうな態度というものを示した。どうせろくでもない賭けだと決まっているが、この流れではなし崩しで参加させられるのも必至。せめてもの抵抗をしなければ、到底やっていられない。
「難しいことじゃないさ。すぐに終わる。愛してるゲームって知ってるよね?」
「うわぁ……」
「そんなに嫌? 酷いな」
天音は口を曲げて肩をすぼめるが、それがポーズだということは疑う余地もない。絶対に御樹を乗らせる自信があればこその戯れだろう。
「それとも何? 負けるのが怖いのかな」
「いいから、早く餌。あるんだろ?」
「つくづく冷たいね。まぁ簡単だよ。君が勝ったら、本1冊の所有権を君に譲る。私も貸してもらうだろうけど。それから、負けた場合のペナルティはなし」
右手をポケットに入れて「なるほど」と御樹。全面的に彼に有利だ。これなら拒む方が馬鹿に見える。
「一応聞くけど、君が勝った場合のプライズは?」
如何にもおかしそうに天音が吹き出す。神経を逆撫でするような態度だ。御樹からすれば可愛いものだが――それは全く言葉通りの意味で。
「そんな言葉遊びじゃないさ。君のリスクはなし。そうだ、私の敗北と君の勝利とで、2つのボーナスをかけてもいいかもしれない」
「どんな?」
「さぁ? 君が勝ったら決めてくれればいいよ。で、どうする?」
眉をひそめて「なるほどなぁ」と繰り返す。確実に裏がある。それは間違いない。
少なくとも、御樹にも分かる形で彼女は網を張った。勝利後の命令権を与えて、卑しい想像力を働かせて隙を作る。先ずはそういう魂胆だろう。
そして天音の目的は、単に御樹を負かせて楽しもうという、極単純なものではない筈なのだ。かくも有利な状況で御樹が敗北すれば、彼女はそこにつけこむだろう。約束ではデメリットを提示していなくとも、それは単に、強制されないということでしかない。即ち、御樹があまりの情けなさから彼女の命に従っても、なんら問題はない。実際に御樹は、敗北すれば確実に天音の要求に従う。その確信が彼女にもある。
だからと言って断れば、彼女はそれを「愛してるゲームそのものを恐れた」と曲解することだろう。1度そうなれば、御樹が理屈を並べ立てても、それは臆病か言い訳だと定義されてしまう。しかし実害がないのならば、最も安全な選択だと言えよう。
「……ここでイェスと言えば、本当に僕のものにしてくれるんだろうな」
「随分長考したね。けれども兎に角、約束するよ」
「だがこ……いや、臆せば死ぬな。A-OK」
直前まで躊躇ったが、結局は天音の思惑通りだ。彼女は一層わざとらしく舌なめずりして「パーペキ」と死語で答える。
「レギュレーションの確認を頼む」
「聞き返すタイプは不公平だね。交互に愛を囁き合って、照れたり恥ずかしがったりした方が敗北。故意のボディタッチは禁止。フィールドはここ」
そう言って指を向けた先には、木元家の邸宅。路上で始める訳にもいかないだろうから、こうなるのは自然だろう。
「親御さんは?」
「今日も出てるよ。忙しない限りだね」
「ふぅん」
鍵を開けた天音に続き、御樹も家に上がらせてもらう。素早く手を洗い、エコバッグをリビングの端に置く。
そうして2人コートを着たまま、リビングのスペースで対峙する。距離は1メートル程。これに関しては制限を設けない。
「Get ready. お先にどうぞ、御樹君」
「愛してるよ」
「冗談でも嬉しいね。愛してる」
「冗談なら楽だけどな、本当に愛してるんだよ」
「そう? 私の方が御樹君を愛してるけど」
「なら幸いだ。量で劣っていようと、僕が君を好きなことに変わりはないし」
「張り合ってくれないんだ。私はこんなに御樹君を想っているのに」
「とは言え……」
とは言え、このままでは千日手だ。ただ言葉を投げ合っているだけでは、人間の心が動くことはない。理性的に考えればそれは間違いないのだ。
そして御樹も天音も、こういった下らない駆け引きにおいては類稀な理性を見せる。即ち、言葉と感情とを明確に分断することが出来る。仮に本心の愛が音になっていたとしても、空気の振動以上の価値を見出すことはない。
「……ならば近付くまで。愛してる」
距離を詰めたのは御樹だった。上目遣いで見つめながら、天音がにやける。
「離れていてはたまらないかい、マイダーリン。私も君が愛おしい」
「かくも愛していようと、こちらから触れられないのがあまりに辛い。抱き締めてくれ」
「私だって最愛の人に抱かれていたいよ。でも最後は君が手を伸ばして、その愛情を示してほしいんだ」
御樹のアイデアも、どうやら軽くいなされた。ルールとの矛盾を突いた程度では、てんで不足しているようだ。とんだ接近損。
「双方望みは同じか。君への愛がそうさせるのかな……」
体勢を立て直しつつ、次の一手を考える。しかし、その暇すらやらずに、天音が仕掛けてきた。
「ね、御樹君」
呼びつつ、側面に回る。咄嗟のことで御樹の反応が遅れる。その一瞬が命取りだ。
背伸びをして耳元に肉薄すると、一言「大好き」
しまった、という意識が最初に湧いた。御樹とて怪物ではない。思考の防壁の死角を突かれれば、リカバリーに時間を要する。そしてまた、その隙を見逃さない天音ではない。
「好き、好き、大好き。私のこと、全部知ってほしいって思う。駄目?」
甘ったるい声だ。脳に響く。
ガン首突き合わしてフルマラソンなどという条件はなかった。御樹の失敗は、それを単なる難易度の緩和――そして、その緩みに縋った御樹を仕留めるための罠――と断定し、側面攻撃への警戒を怠ったことだ。
「あれ? 御樹君、顔赤くなってるけど」
嘘だ。
嘘でも御樹に意識させ、以て真実と成す小細工だ。そのことを瞬時に察知した優越感が、御樹に安寧をもたらした。
僅かに2歩後退、天音の目を見据えて言葉にするのは「必死になって可愛いな。実に愛苦しい」
つまるところ、天音の側も余裕がないのだ。相手に見せた手は再利用出来ないが故に、ここで押し切る腹積もりだったのであろう。その焦りが、却って御樹をクールダウンさせた。
「可愛い? 愛する君に言われると舞い上がってしまうね」
天音の方も流石に優秀。渾身の正攻法で仕損じようとも、微笑を保ち続けている。底の知れない態度だ。
「君のその飄々とした振る舞いが可愛い。策を練る目つきが可愛い。時折見せる物憂げな仕草が可愛い。愛しているんだ。いくらでも言うけど?」
「やめてよ。君への愛がはちきれそうだ。どうなってもいいのかい?」
「最愛の君が望むなら。後は思慕に任せるまでだよ」
「大胆な受け身だね。御樹君の好きにしてもいいのに。君が大好きなんだから」
「お戯れを。愛すればこそ奥手にもなる。君のことは何よりも大事にしたい」
「ふぅん。それならさ……」
心にもない言葉――と表すには、御樹の本心の混在が問題だが――を幾ら紡ごうとも、それは時間稼ぎと誘導にしかならない。そして、相手の想定を上回る度胸と技術は、恐らく天音にあって御樹にないものだ。
彼が敗れる可能性は低い。が、天音が恥じらう程の火力を叩き出すこともない。発想が足りないのだ。故にこそ、例え勝利までの道が千里とあろうが、僅かな光明のある天音の方が有利。
ウィスパー・アタックでその立場は明確なものとなった。普段のやり取りから見ても、天音が攻撃側で、御樹は籠城。自ら仕掛けるにも手札がない。
「御樹君。私の御樹君。こんなことをずっと続けていて、悲しくなる気持ちが分かる? 私がどれだけ御樹君を好きでも、君は全然聞いていないんだよ、いつだって」
なんて言って涙を浮かべる程の鉄面皮だ。アビリティは御樹の完敗。
「まさか。君へのあまりの恋情に、少々反応が鈍っているだけのこと。いつだってそうだ」
「そんなの分からないね。行動で見せてくれなければ駄目だよ。私は御樹君のことが本当に好きだから、いつだって伝わるようにしてる」
「そう言われても、愛しているものは愛しているからな。それに、いつだって、って例えば?」
「相合傘の時とか、かな。雪に降られたところで辛くもないけれど、私はただ、愛する御樹君と一緒になって恋人のように帰りたかっただけ。懸想している相手でもなければ、苦痛なだけだよ」
これは悪手だ。演技も抜きに、御樹が鼻で笑った。
こんな児戯に現実の話題を持ち出せるのは、却ってそのイベントを軽視し、異性としての御樹に関心を抱いていないからだ。そのことを突きつけられれば、彼は労せずとも意識をフラットに戻せる。
「僕の愛する人。苦しい思いをさせてすまなかった」
一拍の後、天音が「へぇ」と小さく呟く。苦しさを何にかけているのかは悟ったらしい。
なんと言っても、やはり防衛能力に関しては御樹も長けている。毎日毎日無反応チャレンジを敢行しているような男だ。思考さえ追いつけば、照れや恥じらいなど顔に出す筈がない。
しかし、こうした微妙な攻防が更に1時間弱続くと、勝つ見込みがない彼は精神的に疲弊していくばかり。常に立ちっぱなしで、双方の足腰の負担も相当なものになっていく。
したがって、最終的に御樹が導き出した結論は、
「仕方がない。愛してるよ、ハニー。降参だ」
「え、もう? 私の見立てでは、まだまだストックはある筈だよ」
「確かにな。それでも君への愛を表明し続けていると、頭がどうにかなりそうだ」
言いつつ、目をガン開いて側頭部を叩く。「プラシーボもある」というのが理屈。
「それ、若干酷いよね」
「酷くて悪いか。心からの言葉を捧げても、君は精々にやけるだけだろう。例え苦しい程に想っていても、だ」
「そんなことはない」とひらひら手を振る。所作も余裕たっぷり。
「さっきまでも、内心穏やかではなかったよ。照れ隠しが見破られてもおかしくなかった」
「よく言う。僕はこうでもしないと勝てなかったんだ」
え、と言いかけたのだろう。天音が吐息を漏らし、次いで合点がいったのか、ニタァ、とでもいうような擬音が似合う笑みを、例えるなら、新しい獲物を見つけた残忍な悪魔のような笑みを、彼女は見せた。
「
「上手くいくとは思ってなかったけどね」
御樹も御樹でニチャリ笑いを浮かべながら、首をコキコキと鳴らす。勝者の素振りとしては、あんまりみっともない。
「君だろう? ルールを決めたのは。愛を騙る。照れたり恥ずかしがったりしたら負け。きっちり勝敗を決める条件はそれだけだ。そして、俺は負ける気はない」
「降参もありえない、いや、そんな方法でゲームから降りることは出来なかったわけだ」
「ご不満が?」
「まさか。ゲームマスターは照れてしまったことを自白した。勝利は君のもの。そうしてこのゲームは終焉……所詮は遊びなんだから、方法の是非は問わないでおくよ」
まぁそりゃそうか、と意地汚い笑顔とは裏腹に御樹は思う。所詮は遊びに過ぎないし、本の所有権を譲渡すると言っても、ちゃっかり借りる気でいることも彼女は約束に含めていた。
寧ろ、こんな遊びに頭を巡らせて勝ってしまった御樹が馬鹿間抜けなのだ。人間として確実に劣る。
天音への自由な要求にしても「夢特性の孵化余りの子とか貰えないか?」ぐらいのものだ。「この前、いかく個体が流れてきたから、どうかな」「いいね」なんてやり取りですぐに終わってしまった。シャバの住人からすれば全くどうでもいいことだ。
「でもさ、御樹君」
コートのポケットに手を突っ込み、小首を傾げて彼女は笑う。途端、電撃的な直感で、御樹は自らの敗北を察した。
ポケットから出てくるのはスマホ。御樹の前に差し出す。画面に流れていく赤い線、『新規録音』の文字、54:32、33、34……
「こういう音声って、脅しの材料になると思う?」
「……YES, YES, YES. “OH MY GOD.”」
「ふふーん」とわざわざ言葉に出して録音を止める。試しに再生してみるに、流れ出す声は『愛してるよ』
「この場合、どうなるんだ? 勝負に負けて、試合に勝って……」
「なんでもいいけど、最終的には君の負けだね」
しかめ面で視線を左右に揺らし、たまらず「クソが」と平坦に述べる。真面目に遊びに興じている時点で負けていた。既に術中に嵌りながら、右往左往しようと無駄なことだ。
大きく溜息を吐き「で、何がさせたい?」
「ん? 今は別にいいよ。必要になったら時々ちらつかせるから」
「あ、そう。時々ね……」
かくも見事に惨敗すると、悔しいだの腹立たしいだのという感情は湧いてこない。ただただ「クソッ、しくじった……」
「ポジティブに考えようよ。これからは弱みを理由にして、もっと私に尽くせるでしょ?」
笑顔で訳の分からないことを言う。ライトマゾなら良かったな、などと今更な感想を彼は抱いて「そうだな」と一先ず同意しておく。
なんにせよ、自分に有利な賭けほど乗るべきではない。所有権がどうのこうのと言い訳しようにも、下らない。天音はそこまで陰湿な性格ではないのだから、素直に「読み終わったら貸して」「いいよ」「ありがとう」で終わりだ。それをしなかったのは、ひとえに御樹のプライドと腐れ脳味噌の所為。
「いや、しかし、私もこんなに長く続くと思ってはいなかったから、思わぬ収穫だよ。上手く編集したら作業用BGMになるかもしれないね」
「そのうち気が狂うよ、それ。止めた方がいい」
「私の分だけあげようか、無償で」
「決して要らない」
彼は努めて冷淡に言い、踵を返してリビングを出ようとした。「ちょっと」と天音が呼び止めると、首だけ振り返る。
「持ち帰るでしょ?」
「いや、別に君が読んだ後でいいよ」
「そう? 分かった。けれども、まだ帰ったら駄目だよ」
彼女は御樹の手を取り「ほらほら」とソファの前まで連行すると、そのまま右隣に座らせた。その間、彼は全くされるがままだ。
「元々は話そうってことだったよね?」
「そこから逸れて1時間経ってる。暇なら後で電話すればいいだろ」
真顔で提言するも「まどろっこしいじゃないか」の一言で轟沈。肩を落として背もたれに身を預ける。
「それにしても、驚いた。あんなに変なことまで言えるんだね」
「……言うだけならな。第一、君の方が余程奇妙だった」
「少々熱が入ったかな? あんなこと言うつもりじゃなかったんだけど」
「あー」と声を漏らし、僅かに間を置いて「どれ?」
「色々? ツイッター4ページラブコメじみた台詞とか」
「……どれ?」
「いや、分からないならいい。兎に角、色々と想定の範囲外だった。結局はツイッター4ページラブコメらしくならなかったね」
「ツイッター4ページラブコメじゃないからな」
言い捨てた。如何にも気に入らないという態度で。
御樹の認識としては、ツイッター4ページラブコメというのはつまるところ、ハッシュタグ創作男女とほぼイコールだ。2、30代の社会人が描いた高校生男女を眺めてニヤニヤする類の漫画だ。pixivでよくランキングに入ってるヤツだ。
御樹も天音も、現代の流行というものにはてんで疎い。朝番組で紹介されている学生のトレンドに「それ知らない……」と一々愕然とするのが常。したがって、当の愛してるゲームの存在を知る機会も中々ない。つまり発端もラブコメでしか知りえなかった知識なのだ。Vファンであれば別かもしれないが。
そしてそういう#創作男女は需要と供給と性癖で成り立っているのだから、一種のハイ・ファンタジーであり、学生は一々赤面・悶絶する種族だと言える。『隣の席の灰崎さんはいつも無表情だ』なんてモノローグと正面からの美少女ワンカットで始まり、幾つかの例示でクールキャラを強調しても、大体は誰も見ていないところ――ないし、男主人公のみが見ているところ――でもんどりうっている。
したがって、この場を#創作男女とするには、
「僕が一旦席を外して、その間に君が猛烈に恥ずかしがってドタバタと転がり回れば、瞬く間にツイッター4ページラブコメになれる。今からでも遅くないよ」
「御免だね。昨日の醜態で十分さ」
「だろう? だからこれでいいんだ」
腕を組んで頷く御樹を「何それ」と天音がせせら笑う。
「中学生男女でしょ? ラブコメのような関係になれるのなら、それ以上のことはないんじゃないかな」
「ある。どうしてことある毎に茹蛸にならなければいけないんだ、おかしいだろう。この僕でさえあんな無様は晒さない」
「抜群に無駄な自信だね。確かにさっきの君の様子を見れば、そういう考えも……」
と、そこで言い淀み「そうか」と意味深に呟く。「そういうことか。皮肉なものだ」
これで混乱するのは御樹だ。演技ったらしい不機嫌を取り下げ「何が?」と純粋な気持ちで尋ねる。
「いや、おかしな理屈だとは思うんだけどね。君のその嫌悪は、翻って主人公的だよ。分かるかい? 最初の独白に曰く『僕はラブコメが嫌いだ。何故なら……』という具合。ね?」
否定しがたい指摘に、御樹は眉をひそめて唸る。何故なら、の後には彼が述べたような言葉が続き、しかし次の瞬間にはもうヒロインにベタ惚れしており、いいように遊ばれてラブコメムーブをかましている。4ページだろうが十数ページだろうが、最後のコマで「滅茶苦茶好きだ……」とでも呟いて机に突っ伏しておけばいい。
「例えば、そうだね、なるべく王道な方がいい。運命的な出会いを果たす転校生に、ありがち過ぎるラッキースケベ、ぶすっと呟く君のキラキラ顔を横から眺める……」
「待て。それ以上は体調を崩す」
至極真面目に彼が言うと、天音はケラケラ笑って「サキュバスの方が良かった?」と下らない言葉を重ねる。尚タチが悪い。
「大体、どうして外部からの侵入に限っているんだ。この場合の相手役は君じゃないのか」
「え、そう?」
「そうだろ。いや、そうでもないけど、僕にヒロインがいるとすれば君の立ち位置がおかしくなる。5話目に出てくる恋敵かと思いきや味方ポジか? 役不足だよ」
すぐには返事をせず、天音は目を丸くしてぱちくりと瞬きする。口元に右手を持ってきて、すぐに下ろすと「それなら、私はメインヒロイン?」
こうして直接に表現されれば、言い出した御樹も返事に難儀する。「それは嫌がらせか」とチンケな予防線を張る。
「けれど、妥当なところはそこだ。一から十まで無意味で傲慢な仮定とは言え、僕の交友状況と人見知りを勘定に入れるとそうなる。土台、君のような美少女がいながら、わざわざ……」
「御樹君」
突然名前を呼ばれて、すぐさま口を閉じる。誤魔化すにしてもあまりに失礼な物言いだった、と今更になって気がつく。
こういう時、口角を上げている天音の表情というものは、まるでアテにならない。微笑と無表情に大して違いがないのだ。考えていることがまるで読めない。
その彼女が勿体ぶって間をつくり、やがて発したところによれば、
「中々危ないね。あと一押しで私も茹で上がってたよ」
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