君のヒロインになりたかった
御角
君のヒロインになりたかった
朝、いつものように窓から差し込む日の光で目が覚める、はずだった。
「ことみ! 気がついたの!? 気がついたのね!」
「おお、ことみ! よかった、本当によかった……」
重い
体を起こそうとするが、眠たさのせいか全然動かない。というより、体に力が入らない。
「無理するな! お前1週間も寝てたんだぞ。今はまず休んで体を治せ」
1週間も? 流石にロングスリーパーの私でもそこまで熟睡は出来ない。覚えている限りの記憶をどうにか辿ろうとするが、頭がズキズキと痛むばかりで何も思い出せなかった。
「お父さん、お母さん、私、何で、1週間も……?」
「覚えていないの? あなた、右折してくるトラックに
そう言われても、思い出せないものは思い出せない。ようやく少し首が動くようになった私は、困った表情で周囲を見回す。白いベッド、点滴、ナースコールのボタン。どうやらここは病室のようだった。
手すりのついた独特な扉をぼんやり眺めていると、不意にそれはガラガラと音を立てて開かれ、人が3人ほど駆け込んできた。皆、涙を流しながら、口々に心配の言葉やお見舞いの品を差し出してくる。
思い出した。この子達は大学の同級生だ。ノートを見せて貰ったり、カフェで一緒に勉強したり、色々とお世話になっていた。まさか、自分のためにここまで泣いてくれるとは。そう思うと、感謝の言葉を十分に伝えられない今の自分がなんだか情けなかった。
「よかった……。ことみが死んじゃったら私、本当にどうしようって」
「事故ったって聞いた時は私も、もう頭真っ白だったもん。でも生きてて本っ当によかった!」
「本当にね。いくらことみが
3人は泣きじゃくりながら、次々に文句を言う。でも今はその小言が何だか温かかった。
ふと、横を見ると、友達や両親とは別に、知らない男の人が立っていた。黙ってじっとこちらを見つめている。白衣を着ていないため医者ではないはずだが……知り合いだろうか? 思い切って話しかけようと意を決した瞬間、医者と看護師が
「逆行性健忘、つまり
男の人や友達が出ていった後、医師は私と両親に向かって淡々と言い放った。
「でも、私達のことは覚えていたじゃない。友達だって」
母の疑問に父も同意を示していた。
「ことみさんは確かに、全て忘れてしまっているわけではありません。記憶喪失の中でも軽い方です。ただ、事故前の一ヶ月ほどの記憶が
医師の言葉は本当だ。私は友達と試験勉強をしていたことは覚えている。でも、既に終えているはずの試験や、夏休みに入ってからのこと、その
「つまり7月中の記憶がないってことですか?」
「ええ、今はちょうど8月の頭ですから、まぁそういうことになります」
父の確認に、医師は深く
両親は相当ショックを受けているようだ。
「心中お察しします。記憶が戻るかはまだなんとも言えませんが……とにかく、一刻も早く退院できるよう最善を尽くしますので」
よろしくお願いします、と頭を下げ、両親は医師と固い握手を交わした。
朝、いつものように窓から差し込む日の光で目覚める。昨日よりも体は軽い。
爽やかな朝の空気を大きく吸い込み、そっと目を開けると、昨日病室にいた男の人がじっと私の顔を
「わっ」
思わず飛び起きると、彼は慌てて謝罪してきた。
「ごめん、起こすつもりはなかったんだけど……」
「いえ、それよりも、えっと……あなた、誰、ですか?」
彼は少し驚いた後、苦虫を
「そっか……記憶喪失なんだっけ」
「はい……残念ながら」
私が冗談っぽく笑うと、彼も苦笑いで返してきた。その顔を、前にもどこかで……。
「痛っ」
「だ、大丈夫? まだ病み上がりなんだから無茶しちゃ駄目だよ」
私は、オロオロする彼を少し可愛いと思ってしまった。急に二人きりのこの状況が恥ずかしくなってしまう。
「あ、じゃあ自己紹介するね。僕は広田ジュンっていいます。えっと、ことみちゃん……あ、佐川さんとは同じゼミだったんだけど、本格的に話したのは7月が初めてで」
ゼミ、そういえばかなりサボっていたような気もする。それで確か怒られて……。
「教授に君を見張るように頼まれたんだ。レポートをちゃんと書かせろって」
そうだ、サボった分レポートを書かされたんだ。今までサボってきた私一人じゃとても出来ないようなレポート……。
「もしかして、それ手伝ってくれた?」
私が恐る恐る聞くと、彼は目を輝かせ喜んだ。
「そう! そうなんだよ! それで7月中はずっと二人でレポート
じゃあ、と彼は一方的に別れを告げ病室を去った。入れ替わるように母がお見舞いに来る。
本当は、もっと話していたかった。彼といるとなんだか記憶が戻るような気がするのだ。実際、彼のことも少し思い出した。
そうだ、両親は彼のことを知っているのだろうか? 窓の方を向いて
「ねえ、お母さんはジュン君って知ってる? 広田、ジュン君」
母の林檎を
「さぁ、知らないわねぇ……」
もしかしたら、彼氏とか、そんなロマンチックなことを考えていた私はがっくりと肩を落とした。まぁ1ヶ月一緒に勉強したくらいじゃ知らなくて当然か。私は
それから何度も、ジュンは私の病室にやって来た。私のレポートがいつもギリギリで苦労したこと、
入院7日目、私はもう二度と使わないであろうベッドの上で大きく伸びをした。リハビリは順調で、私は目覚めてから
今日は入院最終日。退院したらまず彼に、ジュンにお礼を言いたい。レポートだけでなく入院中の話し相手までしてくれたのだから、お茶くらい
ガラガラッ
病室のドアが開く。
「ジュン君!?」
しかし、そこにいたのは黒いスーツに身を包んだ知らない夫婦だった。後ろには私の両親も、同じように黒いスーツを身につけ
「あなたが、ことみさん……ジュンが、うちの息子がお世話になりました」
そう言い女の人が頭を下げた。
「頭を上げてください……! うちの娘こそ、それはそれはもう本当にお世話になって……本当に、何と言っていいのか……申し訳ありません」
両親は目に涙を
頭が割れるように痛い。まだ何か忘れているのか、私は。もっと重要で、大切で、
「今日で、退院なさると聞きました。よかったら、息子の
目を真っ赤に
「——
私は彼の母の手を強く握り返した。
全て、思い出した。あの日、打ち上げが終わって
だから、横断歩道を渡る時、私は左から
「危ない!!」
ライトで視界が真っ白になる頃には、もう手遅れだった。死ぬ。直感的にそう思った。
気がついた時には後ろに引っ張られて、脳に衝撃が走った。目の前が鮮烈な赤に染まる。地面にその体が打ちつけられた時、私はようやく、彼が私の手を引いて
ブレーキ音が、深夜の道路にこだまする。ぐちゃぐちゃになった彼と目が合った時、彼は安心したような、未練が残るような、そんな
もしあの時、トラックに気がついていたら、お酒を飲み過ぎていなければ、ジュンは今も私の
いくら問いかけても答えるものは誰もいない。もっと話をしたかった。もっと二人で、いろんな経験を積んで、協力して、お互いを知って、それから……。
「私、やっぱりあなたがいないと何にも出来ないや。迷惑かけてごめんね……ごめん」
遺影のジュンは私が知るどんな彼よりも
きっと彼は、私が謝ることを嫌うだろう。助けたくて助けたと平気で
今まで本当にありがとう。大好き、私のヒーロー。来世では、次こそは必ず、あなたの
私は静かに手を合わせた。
君のヒロインになりたかった 御角 @3kad0
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