不思議な友達

姫路 りしゅう

第1話

 好奇心は人を殺す、とはよく言ったもので。

 ゾンビ映画で様子を見に行った男は二度と戻ってこないし、オカルト映画で怪しげな儀式に手を出した女は大体死ぬか乗っ取られる。

 そんなことは現代においてエジソンは偉い人と同じくらい一般常識だし、創作の中だけでなく現実世界でも過ぎた好奇心は身を亡ぼすということなどわかり切っている。

 それでも。

 それでもなお、好奇心が人を殺し続けるのは。

 結局「知りたい」という欲望を理性で押さえることはできないから、なんだろう。


 そんなことを考えながら、あたしはガサガサと物音のする方へ歩を進めた。

 夜の八時半。真夏とはいえ空は真っ暗で、このあたりは街灯も人の往来も少ないから少しだけ怖い。

 音の発信源は、舗装もなく土がむき出しになった通りの脇にある草むらの中。

 ガサリ。

 目の前から音が鳴った。あたしはゆっくりとライトを向ける。

 その瞬間。

『眩しい』

 と頭の中に声が鳴り響いた。

「ひぃ」

 この悲鳴はあたし。

 そのまま腰を抜かす。無様だったが仕方ない。

 あたしはずるずると後ずさりながら、それでも草むらから目を離すことができなかった。

 好奇心は人を殺す。

「だ……誰なの」

 ぽつりと呟くと、ガサガサと草木をかき分ける音とともに、“そいつ”は姿を現した。

 初めに目に入ったのは、薄明りの中でもわかるくらいの禍々しい赤色の棒。

 その棒には節のようなものがいくつもついていて、逆に手や足はついていない。

 ミミズや蛇のような形状。

 ただ大きさが規格外で、太さは男の人の腕よりも太く、長さはあたしの伸長くらいありそうだった。

 そして、棒の先端、蛇で言うと口にあたる部分はヤツメウナギのように円形の穴が開いていて、それを取り囲むように鋭い歯がびっしりと内側に伸びている。

 この姿、見たことがある。

 都市伝説を取り扱ったテレビ番組やウェブサイトで馴染みがある。

 こいつは。

「モ……モンゴリアンデスワーム!」

 あたしがそのUMAとして広く知られている生物の名前を口に出すと、再び頭の中へやけに気さくな声が鳴り響いてきた。

『おお、よく知ってるなぁ嬢ちゃん』

「……」

『そう、オレはモンゴリアンデスワーム。気軽にアンデスと呼んでくれ!』


**


 逃げた。

 超走った。

 当り前じゃない?

 UMAに遭遇した優越感とか驚きよりも、危ないという本能が勝った。だってほら、モンゴリアンデスワームって全身に猛毒が染み出ているから触れるだけで死ぬんだよ。あの鋭い歯で噛み千切られたらひとたまりもないし。

 どうしてゴビ砂漠でよくみられるはずのそれが日本の片田舎の草むらに? と疑問は尽きなかったけど、好奇心でも殺せない人もいるんだ。それがあたし。

 そもそも今日は日課のランニングのために出てきていて動きやすい服装をしていたので、誓約なく全力疾走ができた。

 女バスの新キャプテン、舐めんな!

 と、十メートルくらい進んでトップスピードに乗ってきたあたりであたしは急に足が絡まり転んでしまった。

「った!」

 慌てて後ろを振り返ると、モンゴリアンデスワームが足に絡みついているではないか。

 猛毒。

 死(Death)

 そんな単語が頭に過った。

 しかしそんなあたしの絶望とは裏腹にモンゴリアンデスワームは『なんで逃げるんだよぅ』と言った。

『あ、もしかして毒があるとか思ってる? 大丈夫だぜ、安心してくれ』

「え?」

『オレはまだモンゴリアンデスワームの成体ではないんだ。成体への移行期間っていったところか。だから毒は備わっていないし、あんたに危害を加えるつもりもねえ』

「……そうなんだ」

 へなへなと全身の力が抜けた。

『ということで、だ。嬢ちゃん』

 モンゴリアンデスワームと目が合った。いや、目ってどこだよ。

『オレと取引をしないか?』

「取引ぃ?」

『オレはこの先成体になる。そうなると全身猛毒野郎だ。そうなる前に、この惑星の支配者、人間について知りたいんだ。どういう組織があって、どういうルールで動いているのか。それを学んでおかないと、この先オレは生き延びることができないと思ってな』

 モンゴリアンデスワームの言うことは的を射ていた。いくら猛毒を持っていようと組織だった人間にはきっと敵わない。

「ふぅん。モンゴリアンデスワームが人間社会を学びたいということは分かった」

『アンデスな』

「取引って言ったけど、モンゴリアンデスワームはあたしに何をしてくれるの?」

『アンデスな』

「……」

『そうだなあ、オレにできることは……うん。嫌いな人間殺してやるよ』

「絶対ダメだわ!」

 そう叫ぶとモンゴリアンデスワームは意外そうな顔をした。いや、顔ってどこだよ。

『どうしてだ。自分を脅かす存在には消えてもらった方がいいだろう?』

「そういうわけにはいかないんだよ、人間ってのはさ」

『嫌いな人間はいないのか?』

 嫌いな人間は、いる。けど別に死んでほしいわけではない。

「そっか。じゃあそうだな」

 モンゴリアンデスワームは少しだけ間をおいて、囁いた。

『気持ちのいいこと、興味ないか?』

「んなベタな!」

 触手プレイ、という単語が頭を通り抜ける。

『ほら、オレに身をゆだねれば連れて行ってやるぜ』

「どっ……どこによ」

『果てに』

 力強い解答だった。

 まあ、こんな下らない流れになるのなんて妄想の漫画の中だけで十分だ。

『興味なしか。じゃあオレにできることはもうないかもしれないな』

「……いよ」

『ん?』

「待ちなさいよ」

『なんだなんだ、どうしたんだ改まって』

「……わよ」

『さっきから声が聞き取り辛いぞ。はっきり言ってくれないか』

 あたしは恥とか倫理観とかその辺を全部捨てて叫んだ。

「興味がないなんて言ってないわよ!!!!」


**


 何もしてないよ。

 本当だよ。

 別に何をされたわけではないけど、あたしはモンゴリアンデスワームを家に連れて帰った。親とか弟に見つかると面倒なので、そのあたりはうまいこと。

 で、今あたしは、モンゴリアンデスワームを連れて学校に来ている。

 人間社会を教え込むには学校に連れていくのが一番だと思ったんだ。

 最初の数日は特に問題なくあたしの鞄から授業を聞いていた。部活の時は見つからないように釘を刺して学校の中を散歩させていた。

 そして、少しだけモンゴリアンデスワームと仲良くなってしまった。

 それこそ、そろそろ要望通りアンデスって呼んであげてもいいかな、と思えるほどには。


 しかし一週間程度が経ったある日の部活終わりのことだった。

「橙花の鞄、なんか変な匂いしね?」

 着替えていると、クラスメイトで同じく女バスの問題児、高槻ひびきが言った。

 この女は何かとあたしの邪魔をしてくる存在で、正直嫌いだ。

「人の鞄の香りなんて嗅いでないで早く着替えて帰れば?」

 モンゴリアンデスワームがいる手前、鞄に注目されたくはなかったあたしはとげとげしく言い放つ。

「感じ悪。なんなの?」

「先に売ってきたのはそっちだけど? 喧嘩」

「臭いものに臭いって言って何が悪いのさ。っていうか本当にそれなにが入ってんの?」

「別に、何も入ってないわよ」

 着替え終わったあたしは、服の入った鞄とモンゴリアンデスワームの入った鞄を掴んで出ていこうとする。

「待ちな、何隠してんだよ」

 強引に鞄を引っ手繰られ、勢いよくチャックを開けられた。

 まずいっ。

 鞄の中身を見たひびきは「ひっ」と叫び、地面に勢いよく叩きつけた。

 中からずるずるとモンゴリアンデスワームが這い出てくる。

 更衣室に残っていた数人の女子が悲鳴をあげた。

「な、橙花、おまえ、こいつはなんなんだ」

 ひびきは距離を置いて、あたりを見回す。

 ちょうどいいタイミングだと思ったあたしは、できるだけ朗らかに、気さくに言った。

「あたしの友達のアンデスだよ。そんなに驚かなくてもいいじゃん」

 アンデスは驚いた表情であたしを見る。だから表情ってなんだよ。

「そんなこと聞いてねえよ、キモイって」

 ひびきは掴んだモップを勢いよくアンデスに叩きつけた。

「アンデス!」

 体の真ん中あたりから赤黒い液体が弾ける。

「ひびき! あんたなにしてんのよ!」

「うるさいうるさいうるさい、キモイキモイ、気持ち悪いんだよ」

 そう言ってひびきは何度も何度も何度も何度も何度もモップを叩きつける。

 その度に液体が飛ぶ。

 あたしはあと先を考えずひびきに体当たりをした。

「やめてよ! あいつは、アンデスはあたしの友達なんだよ!」


『もういいよ、お嬢ちゃん。いや、トウカ』


 あたしが叫んだ瞬間、頭の中に声が鳴り響いた。

 それは他の生徒にも聞こえたようで、全員が驚きの表情を浮かべる。

『オレのために怒ってくれてありがとうな』

「アンデス! あんた、大丈夫なの?」

『いや、多分もうやばい。成体だったらまだしも、オレはまだ半人前だからなぁ』

「……だったらなんで、なんで反撃しなかったのよ」

『オレが反撃してたら、きっとトウカは悲しんだだろう?』

 たったそれだけの理由で、自分の命が削られているのに反撃しなかったというの?

『トウカ……』

「なに? なに、アンデス」

『オレと取引してくれて、ありがとう』

 だんだん頭に響く声が弱くなっていく。

「そんなのいいよ! あたしこそあんたと過ごした一週間はすごく楽しかった」

『気持ちよかったか?』

「……そっ、の話は今はやめよう」

『ははっ』

 アンデスは気さくに笑う。

 最期まで。

『トウカ』

「うん、聞いてるよ」

『オレのこと、アンデスって呼んでくれて、ありがとな』


 その言葉を最後に、アンデスは全身の力が抜けぐったりと横たわった。

「うぅ……ぐっ……」

 泣きじゃくるあたしに、ひびきは「ごめん」と小さい声で言い、そのまま逃げるように更衣室から出ていった。

 あたしはただ、アンデスの亡骸を抱きしめる。

 温もりの消えかけた、ぶよぶよとした肉塊。

 でもそこに、確かに意思があったことを、あたしは覚えている。

 あたし以外の全員がそれを気持ち悪いと言っても、あたしだけは抱きしめる。

 

 あの日、ほんの好奇心で出会えた友達、アンデス。

 あたしは彼を、絶対に忘れない。

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