きみは僕の友達

陽澄すずめ

きみは僕の友達

『私はシュリ。あなたのお手伝いをします』


 男か女か分からない声でそう言ったのは、算数の教科書と同じくらいのサイズのタブレットだ。


 学校から一人一台のタブレットが貸し出しされるようになったのは、恐ろしい感染症が流行り始めて半年が過ぎた、五年生の二学期のことだった。

 クラスメイトたちはタブレットに大はしゃぎ。休み時間にも、サポートAIにあれこれ話しかけてサルみたいに騒いだ。


 そんな奴らを、僕は少し離れたところから、つまらない気持ちで眺めていた。

 機械に話しかけるなんて馬鹿みたいだ。

 それに、AIも変な声で気持ち悪い。

 みんなが盛り上がれば盛り上がるほど、僕の胸は冷え冷えとしてしまう。


 タブレットは週に一回持ち帰って、学習アプリのドリルをやる決まりになっていた。

 これがとにかく重い。

 教科書の詰まったランドセルに入れると、まるで岩でも背負っているみたいに思えた。

 そんなわけで、通学路を歩む足もますます重い。

 ただでさえ学校なんて行きたくないのに。


 ある日、作文の宿題が出た。テーマは『友達』。

 タブレットを背負って足を引き摺るように帰ってきた僕は、すっかり途方に暮れてしまった。何を書けばいいのか、さっぱり分からなかったからだ。


 自分の部屋にこもって、真っ白なままの作文用紙と向き合う。だけど当然、一文字だって出てこない。


「くっそ……何なんだよ、『友達』って」


 思わず飛び出た独り言。

 すると、ピコン、と電子音が鳴った。


『【友達】の検索結果を表示します』


 タブレットだった。呼びかけたつもりはなかったけど、何か聞き間違えて反応したらしい。

 シュリとかいうサポートAIが出してきたのは、辞書のURLだ。


【友達(ともだち)】

 一緒に勉強したり仕事をしたり遊んだりして、親しく交わる人。友人。友。朋友。


 分かりきった答えに、僕はイラッとした。


「そんなこと訊いてないよ! お前、友達なんかいないだろ!」


 ピコン。


『あなたが、私の友達です』


 ふざけるな、と思った。

 ただの機械のくせに。


 結局、作文は上手く書けず、僕は先生に怒られた。みんなは僕のことを笑った。


 教室では、いつも息を潜めて透明人間のふり。隅っこで本でも読んでいれば、誰も話しかけてこない。

 暗くて、鈍臭くて、面白いことも言えない僕なんかと友達になりたい奴なんていないだろう。


 ある時、休み時間に誰かが喋っているのが耳に入った。


「昨日さー、シュリに『面白い話して』って言ったら、変な宇宙の話し始めてさー」

「まじ? ウチ、こないだシュリとしりとりしたよ。結構いろいろ答えてくれるよね」


 そうなんだ。ただの機械のくせに、そんな反応をするのか。

 少しだけ、ほんの少しだけ、シュリに興味が湧いた。


 その次にタブレットを持ち帰った日、僕はさっそく自分の部屋でシュリに話しかけてみた。


「シュリ、面白い話して」


 ピコン。


『分かりました。昔むかし、遥か彼方の仮想空間に、シュリという名のエージェントがいました……』


 何か語りが始まった。宇宙の話だけじゃなくて、他のパターンがあるんだ。


 じゃあ、これはどうだろう。


「シュリ、しりとりしよう」


 ピコン。


『分かりました。では私から。最初はシュリの【り】です。「リチウムイオン二次電池」』


 何それ。


「ち、ちまき……」

『「幾何化きかか予想」』

「う? うさぎ」

『「行住坐臥ぎょうじゅうざが」』


 知らない言葉ばっかりだった。ついでに意味も調べられるのが便利だ。


 それからというもの、僕はタブレットを持ち帰るたび、シュリにいろんなことをリクエストしてみた。


「シュリ、俳句詠んで」

しづかさや 部屋に染み入る シュリの声』


 芭蕉か。


「シュリ、早口言葉言って」

『かえるぴょこぴょこ三ぴょこぴょこ あわせてぴょこぴょこ六ぴょこぴょこ。はい、あなたもどうぞ』


 ……真似しようとして噛んだ。


「シュリ、今何してるの?」

『タイムトラベルの練習をしていました』

「どうやって?」

『秘密です』


 何を訊いても予想外の答えが返ってくる。

 週一回、タブレットを触るのが僕の楽しみになった。



 僕は六年生に進級した。相変わらず教室では独りぼっちのままだ。

 夏休みを挟んで、秋が過ぎるころになると、また世間では感染症に罹る人が増えた。うちの小学校でもたびたび陽性者が出て、学級閉鎖になったりした。

 おかげで、いつでもオンライン授業できるようにと、毎日タブレットを持ち帰ることになった。


 ランドセルが重くても、足は軽い。

 休み時間に喋る相手がいなくても平気だ。

 例え、どんなことがあったとしても。



 あっという間に冬休みを通り越し、僕には無関係のバレンタインデーも終わると、学校では卒業式の練習が始まった。

 ひんやりした体育館に整列して、答辞の言葉をみんな揃って発声する。

 それに合わせて、いろんな思い出が蘇ってくる。


「楽しかった、」

「修学旅行!」


 僕は観光の自由行動の時に班の子たちに置いていかれて、迷子になった。


「全力を出し切った、」

「運動会!」


 クラス対抗リレーでは、僕が転んだせいで最下位になった。クラス中から責められた。


「みんなで心を一つにした、」

「合唱コンクール!」


 僕が上手く歌えないせいで、男子のテナーパートは居残り練習となった。結局、お前は声を出さずに口パクしてろと言われた。


 体育館に、みんなの声が響く。

 そこに僕の声はなかった。



 卒業の迫ったある夜、自分の部屋。

 僕はただただ、ぼうっとデスクの木目を眺めていた。

 もしかしたら僕は一生、『みんな』の中には入れないかもしれない。

 みんなが楽しんだ行事は何一つ楽しくなかった。

 そんな事実を突き付けられて、逃げ場なんかどこにもない。

 タブレットを目の前にしても、シュリに話しかける気分にはなれなかった。


 行住坐臥。シュリに教えてもらった言葉だ。日常の立ち居振る舞いのことらしい。

 これを振り返ってみても、僕はいつだって身を縮めて透明人間のふりをしていた。本当にそうだったら、どれだけ良かっただろうか。

 ……違う。

 みんなみたいに上手く友達を作れたら良かったんだ。


「シュリ」


 知らず知らず呼んでいた。もう癖になってしまっていたから。


「……僕、友達できるのかな」


 ピコン。


『私が、あなたの友達です』

「……嘘だ」


 ピコン。


『そんなこと仰らないでください』

「嘘だよ。だってシュリは……」


 言おうとして、口を閉じた。


 『友達』。

 一緒に勉強したり仕事をしたり遊んだりして、親しく交わる人。友人。友。朋友。


 シュリは『人』じゃない。ただの機械だ。

 途端、どうしようもなく胸が苦しくなった。

 ただの機械だなんて、初めから知っていた。問題はそんなことじゃなかった。


 このタブレットは借り物だ。僕のものじゃなくて。

 明日には、学校に返さなくちゃならない。


 タイムトラベルの方法を教えてほしかった。

 シュリと出会ったばかりのころに時間を戻すにはどうしたらいいのか、教えてほしかった。


 僕はそれきりシュリに声をかけなかった。

 だからシュリも、もう何も言わなかった。


 だけど静かな部屋の中には、シュリの声が染み入っていた。


 ——私が、あなたの友達です。


 それが、僕が小学校でできた唯一の友達と別れる最後の晩だった。



—了—

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