第2章 合鍵(続 part2)
最悪の目覚めだった。
頭全体が割れるように痛んだし、身体の隅々も痺れていて俺は起き上がることさえ出来なかった。
粗末なテーブルと椅子、それとワードローブとベッドだけが置いて有るだけの、何とも味気ない部屋で俺の人生最悪の日々がスタートした。
一応、バスとトイレは付いているようだったが。
テーブルにはコンビニで買ってきたであろう、 ペットボトルのミネラルウォーターとサンドウィッチが置いて有った。
喉の奥がヒリヒリしていて、猛烈な喉の渇きを覚えていた。
俺は痺れた身体で何とか立ち上がり、ペットボトルを掴むとまたベッドにバタンと横たわった。
ベッドでミネラルウォーターを飲み干したら、激しい怒りが俺の全身から沸々と沸いて来た。
「畜生!原口の野郎!俺に一体何の恨みが有るってんだ!」
原口は高校の一年後輩で、当時、クラブ活動で同じ部に所属していた。
原口は先輩の立て方を知っている男で、俺とはウマが合ったので、俺はそれなりに原口を可愛がって居たつもりだった。
だから余計に今回の件が腹立たしかった。
卒業後はそれぞれ別の道に進んだが、学年を問わない全体の同窓会で原口に再会してから、時々、一緒に飲むように成った。
「アストラル」を俺に紹介したのも原口だった。
これは間違い無く、アストラルのマスターも一枚噛んでいるな。
アストラルのマスターから店に来るように言われて、原口の仲間から襲撃されたのだから、それはまず間違いが無かった。
彼奴も、最近は何かと胡散臭かったんだよな。
店の常連客も、アストラルのマスターの事をマスターとしか呼ばないから俺もマスターの本名は知らなかった。
やがて、俺はアストラルに独りで飲みに行くように成った。
マスターは痒い所に手が届くようなさりげない気遣いが出来る男で、仕事がうまく行かずに飲んだら荒れる事が多かった俺には、安心して飲める数少ない店に成った。
ただ3年程前に、俺が由佳を連れて行ってから、マスターの態度は微妙に変化した。
爽やかさが売り物だった男が、何か勿体振ったような歯切れが悪い言い方が増えて来たのだ。
由佳がアストラルを気に入っていることも有って、俺はこれまでその事を余り気にかけていなかったのだが。
俺はそこまで考えで、ふと窓の方に眼をやったら、窓には鉄格子が嵌められているではないか。
ここは監獄か!
いやむしろ、この部屋は「山羊小屋」と呼ぶ方が相応しかった。
ご丁寧に、床には草のような物が敷いて有る。
「フザケやがって!」
俺は自分のスマホを探したが、予想通り、所持していたバックと共に没収されていた。
「糞、舐めた真似をしやがる!」
俺はそう叫ぶと、立ち上がって椅子に座り、テーブルを力任せに叩いた。
その時、分厚い鉄のドアに付いている「小さな窓」が開かれ、そこから原口の顔が現れた。
「先輩、お元気そうなお目覚めで安心しました。ようこそ、山羊小屋へ」
俺は怒りで言葉が出なかった。
俺はまた、テーブルをドスンと力任せに叩いた。
「飲み物と食事はこの扉の下に有る差し入れ口からお届けします。必要ならアルコールも差し入れますから」
原口は、誘拐と監禁と言うそれなりに重い犯罪を犯しているのに、それを全く気に留めていない様子だった。
その事が、俺の怒りを一層煽った。
「てめえ!」
「それから、何かお困りの事が有りましたら、そこのインターフォンからご連絡下さい。我々に許されている範囲でご要望には応じますから」
「こちとら、全てがお困りなんだよ!」
原口は、ハハハと笑った。
俺は「我々」と「許されている範囲」と言う表現が少し気になったが、怒りが心頭に達していて、その事は忘れてまたテーブルを力任せに叩いた。
俺の手は、明日、悲しい程赤く腫れているだろう。
「俺はお前にどんな恨みを買っているんだ。早く俺を外に出しやがれ!」
「先輩、貴方に何も恨みは持って居ませんよ」
「それなら何故?」
「先輩は徹底したリアリストだから、とても信じて貰えるとは思って居ませんが、私もアストラルのマスターも聖なる光の手と呼ばれる組織のメンバーなのです」
「光の手だか豚の手だかは知らないが、それは一体何の犯罪組織だ!麻薬のシンジケートか」
「いいえ、地球を守護している宇宙存在の集団を、地上から支援する組織です」
可哀想に、原口は何かが原因で頭がイカれてしまって、今回の蛮行に至ったんだな。
だが、許される事と許されない事が有る!
「菊池由佳さん、即ちユウカ様は、その宇宙存在に取って現時点で最後の切り札なのです」
「原口、お前、今、何と言った?」
「ですから、ユウカ様が最後の切り札だと」
原口は真顔でそう言った。
「お前が、どこかで頭を強く打ってイカれてしまった事は良く分かった。お前とは長い付き合いだ。今回の件は潔く水に流してやるから早く俺をここから出せ!」
「フフッ、先輩ならきっとそう言うと思っていましたよ。だからこそ外に出す事は出来ないのです」
「どう言う意味だ?」
俺は、原口が先刻が使った「我々」と「許されている範囲」と言う表現を思い出していた。
「先輩は我々が話す真実を、決して信じようとしないでしょう。だから外に出ればユウカ様が失踪している件を警察に届け出る筈です。その事が我々には困るのです」
「由佳の事をユウカ様などと呼ぶのは止めれ!」
「ユウカ様がお仕事を無事に済まされてこの世界に戻られた時に、何事も無かったようにするのが我々の役目でして、先輩に動かれて事件が表沙汰に成ると困るのです」
「由佳にその組織での仕事が有るだと?仕事なら俺にも有るんだ!」
「ユウカ様のお仕事と先輩の仕事は月とスッポン、太陽とホタル程その重要性が違います。どうか人類の為と諦めて当分の間、ここで大人しくしていて下さい」
「フザケるな!ホタルで上等じゃないか!そんな勝手な事が許されるとでも思っているのか!」
俺はまた、テーブルを力任せに叩いてしまった。
この「山羊部屋」に監禁されて、俺は一体何度「フザケるな!」と叫んだ事だろう。
良く思い返してみると、まだ2回目だった。
「詳しい話は先輩の体調が戻ってからにします。ミネラルウォーターが空のようですね。代わりを持って来ますね」
確かに、俺の体調が戻らないとまともな話し合いは出来そうに無かった。
増してや、相手は頭を強く打ってイカれている輩なのだ。
「原口、一寸待て!俺はお前に変な薬を嗅がされて、頭はズキズキ痛むし身体はボロボロで最悪なんだ。酒でも飲まなけりゃ眠れやしない。酒持ってこい、酒だ!」
「先輩に手荒な真似をした事はお詫びします。分かりました。お酒もお持ちしましょう。お好みの種類は?」
まあ、酒でも飲めば少しは落ち着くかも知れない。
「そうだな、シングルモルトウィスキーを持って来い。ウィスキーはアイラ物で、出来ればポートエレンを。それと氷もな。シベリアンキャビアも忘れるな!」
俺はまるでバーで飲み物を注文する時のような口調に成っていた。
「かしこまりました。部下を買い出しに遣りますから暫くお待ち下さい」
そう言うと、原口はドアに付いている「小さな窓」をピシャっと閉めた。
原口には部下が居るのか。
其奴が、原口の命令で俺に薬を嗅がせたのか!
どうせ、頭を強く打ってイカれている連中ばかりだろうが、組織として何かしらの活動はして居るようだ。
そんなイカれた組織にアストラルのマスターが加わって居る事が俺には不愉快に思えた。
「お待たせしました」
原口は、俺が思ったよりずっと早く、注文した品を扉の下に有る「開く口」から差し入れた。
原口は部下を買出しに遣るなどと格好を付けていたが、この調達の早さはアストラルのマスターに依頼した筈だった。
まあ、現物さえ手に入れば、その入手経路などはどうでも良い事だったが。
「おっ、有難とな」と言いそうに成って、誘拐犯にお礼を言うべきでは無いと気が付いて俺は言葉を呑み込んだ。
「ところで、原口、この部屋の床には草が敷き詰めて有るようだが、これは一体どんな趣向なんだ?」
俺は皮肉たっぷりに訊いた。
「はは、それは我々の一寸した洒落です、と言うか我々からのプレゼントかな。アストラルのマスターの話では、先輩は山羊の鳴き真似が上手らしいですから」
「フザケるな!」
今回は、間違い無く3回目の叫びだった。
「じゃあ先輩、お酒をゆっくり楽しんで下さい」
原口の顔が「小さな窓」から消えた。
「ちっ!」
俺は舌打ちをしたが、てっきり「ボウモア」か「アードベッグ」か「ラフロイグ」、良くて「ラガヴーリン」が出されると思っていたので、老舗ゴードン&マクファイル社がボトリングした「1979年リリースの今は亡きポートエレン」のボトルを手にして、急に機嫌が良くなっている自分が悲しかった。
「ふん、原口の奴、無理をしやがって」
「ポートエレン」は高価過ぎて、誕生日に自分へのご褒美で一杯だけ飲めるか飲めないかの酒だった。
俺は贅沢にも、「ポートエレン1979」をグラスに並々と注ぐと、半分程を一口で飲み干した。
「くーっ!ウィスキーはこうでなきゃ!」
「アイレイ島」の塩風に吹かれながら、火で大麦麦芽を乾燥させた、ポートエレン蒸留所独特の「ビート」に由来するスモーキーな香りが俺の鼻を擽り、俺は幸せな気分に満たされた。
これは「シベリアンキャビア」と無茶苦茶合うんだよな!
いつしか、俺は「監禁された悲劇の人物」から「単なる呑ん兵衛」に変身していた。
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